第143話 家康という男

1584年 天正十二年 冬 古河


 「これは初めましてですかな?某、徳川家康と申します。いやはや、なんとも信長様にお呼ばれした席にこのような可愛らしい方がいらっしゃるとは、これまたなんとも素敵なことでございますなぁ」


 ん?ドウシテコウナッタ?


 ここは古河城下の武家屋敷……と言うと、家中の兵の内、上級役職に任じられている者達の屋敷になってしまうし、城に隣接するような場所になってしまうのでこことは違うか。

 武家屋敷が立ち並ぶ一角からは大通りを越えた先、寺町と商人街の中間に位置する、さしずめ大名屋敷街とでも言うのだろうか?まぁ、あれだ。前々世で言えば六本木とか高輪とか丹波橋の山側というか、そんな区画だな。

 で、そこの区画で最も大きな屋敷の一つ、徳川屋敷にお邪魔している俺である。


 ん?ドウシテコウナッタ?


 「俺も伊藤家に仕えて長いし、今は水軍を束ねる立場であると同時に評定衆の一員でもある。太郎丸はその主君?上様の嫡男だからな。お前と会おうと思ったところで、大御所様から立ち合いの許可を頂いてきたのだ」

 「はぁ。それは存じておりますが……信長様の為すことは相変わらずわかりませぬが、ともあれ、こうして太郎丸様と知己になれたのも縁深きことで、なんとも素晴らしいことです。ああ、そうですな。折角の機会、太郎丸様には昨今浜松で大人気のこの苺大福なぞを召しあがってみては如何ですかな?」

 「ほうぅ?苺大福か……しかし、苺はこの時期では遅いであろう?どのようにしたのだ?」

 「それは食べてからのお楽しみというやつでございます」


 だから、どうして……。


 昨日の晩、吉法師から「朝から出かけるのでその用意をしておけ」と言われ、ついてきた先がこの徳川屋敷。

 理由もわからず家康と面会して、これまた理由もわからずに家康から苺大福を勧められる……。


 むぅ……しかし、苺って栽培自体は世界中で行われてたっけ?

 俺のイメージでは北米の大会社が作ってるのが世界シェアの大部分だということぐらいしかわからんぞ?北米だから、原産地は新大陸かと思ったくらいだが……。

 けど、イチゴというかベリー系の果実って昔から日本の記述にも出て来たか。

 ようわからんが、まぁいい。


 すすっす、っと徳川家の女中から差し出された大福と茶の入った膳。


 「ありがと……う?」

 「し~っ!」


 女中にありがとうを伝えようとして、ちょっと固まった。


 ……瑠璃よ。我が娘よ、お前さんなにしとんねん。


 見ればふすま脇に控えている女中は、桐と杏だ……どっちも娘です。はい。


 ……考えてみれば、家康は自分の屋敷の中とはいえ、古河で軟禁状態の身の上なわけだ。

 身の回りの世話と称して、屋敷の支度は伊藤家が送り付けた人員で回しているのも当たり前か。

 たぶん、それまでの下働きは揃って暇を言い渡されたか、浜松に送り返されているのだろう。


 「ささ、太郎丸様。そこに置かれている大福が当家自慢の苺大福でございます。どうぞご賞味あれ」

 「で、ではありがたく……」


 ちらっと、吉法師を見ると「気にするな食え」とばかりに顎をしゃくられる。


 状況を考えればない事とはわかるが、こちとら二回ほど毒を食らった身ですよ?多少は警戒ぐらいさせてくれよ。


 ……え~い!

 ぱくっ。


 一口に苺大福を頬張る。


 もぎゅもっぎゅ。

 むっちゅっむっちゅ。


 お!

 これは美味し!!


 「これは苺を砂糖漬けにしているのか!?」

 「左様でございます。……当家にも駿府の市を経由して様々な伊藤家の産物が届いておりましてな。これは、伊藤家の砂糖で漬けた苺を包み込んだ大福となっております」

 「……しかし、この苺は今まで食べたことが無いような大きさと食感……これをどこで手に入れたのだ?」

 「ははは。南蛮の産物に詳しい信長様でも知りませぬか。……なに、この苺はですな。そう、今から四五年ほど前になりますかな?一艘の南蛮船が嵐にやれらて森のあたりの海岸近くに漂着しましてな。船の修理の手筈など諸々を世話してやる代金として積荷を幾ばくか頂戴したのですが、その中に含まれておったものです。南蛮の植物が三河で根付くか心配でしたが、これが驚くほどうまく行きましてな。今では、この苺が領内では人気を誇って……くれると嬉しいなという思いです」


 ……結局、イチゴ栽培は上手く行ってるのかどうなんだよ……。

 なんとも、家康の言い方は良く分からんな。


 「ふむ。ようわからんが、この苺大福。量産できるのなら、俺が直々に買い取るぞ?勿来や鎌倉、館山で売ってもいいだろうし、船に積んで博多に売りつけるのも面白いかも知れん。日数が経てば餅は固くなりもしようが、売り先で工夫すれば何とかなろう?」

 「どうでしょうか?砂糖漬けの方はともかく、流石に餅はその場で作らせた方が早いのではないですかな?」

 「おお、そうか!それもそうだな、それでは竹千代の申す通りにやってみるか!」

 「おお!それは結構なことで……で、つきましては商売が上手く行きましたならば……」

 「そうだな、二割……いや、利の三割はお前に渡そう」

 「……もう少し欲しいところですが、それで了承しましょう」

 「よし、商談成立だな!」


 ……って、なに吉法師と家康で商談纏めてるのさ???


 「ん?なんだ、太郎丸は不思議か?俺と竹千代はいつもこんなもんだったぞ?……まぁ、この二十年程でだいぶ状況が変わったと言えば変わったが……」

 「う~ん?俺がおかしいのか?商売云々はひとまず置くとしても……だって、尾張は織田の諸家悉くが松平に平らげられ、斯波家やら守護に関わる者等は追放されているんだろ?そうなると、国主の立場の松平家が主家となってるんじゃないのか?それが、吉法師が「お前」呼びで家康殿が「様」付けじゃあべこべじゃないのか?」

 「お?言われてみればそうだな……だが、俺が元服する前に尾張は松平に飲み込まれておったし、銭を稼ぐのは家族を守るためでもあったしなぁ……」

 「ははは。信長様、太郎丸様が気にされているのはそこではないかと……。太郎丸様。……要するに、某の年頃の者達、信長様に年頃の近しい者は、いつからかは知りませぬが、気が付いたら信長様に「様」付けをしているものなのです」


 む?……いや、もっとわからんぞ。


 「これは特別な何かがあるわけではないのですが……家がどうこう、家族がどうこうというより、信長様は「信長様」なのです。某は信長様の八つ下。産まれた時から「信長様と竹千代」の間柄なのです」

 「そういうものなのか……」


 はい。

 わからないということがわかりましたよ。


 「そういうことだ……で、そういうことなので、一つ状況を俺が聞きに来たわけだ。……竹千代。お前どうしたのだ?何がしたい?」


 なにがどうして、どういうことなのかが疑問なのだが……。

 要は、幼なじみとしての立場で信長が事情聴取に来た。その付き添いというか、不可思議な間柄を伊藤家に理解してもらうために、伊藤家を代表する不可思議な存在の俺を連れてきたということかね。


 「……信長様。……某は「武士」となりたいのです」

 「……これまた理解に苦しむ答えを放ってきおったな、竹千代よ」


 ここは、ちょっと話が見えるまでは傍観者で居るべきだな。うん。


 「某、徳川家は武家の名門、新田源氏の流れを汲む家名ですが、某自身は三河の豪族、松平家の跡取りに違いありませぬ」

 「……ふむ」

 「豪族というのは己の土地を守り、それこそ「一所懸命」に生きるがその姿。……しかし、某にはそれが耐えられぬのです。豪族が力を持ち武器を持つがために戦が行われる。しかも馬鹿らしい理由で、馬鹿らしい方法と作法に則り……その点、信長様は真、立派なお武家様であられる。土地に拘らず、領地も持たず、真の力を持って戦いに臨む。某も、そうなりたかっただけなのです……」

 「……そのことがどうやったら、父殺し、祖父殺し、義父殺しに繋がるのだ?」

 「順を追いましょうか。まずは父、広忠ですが。父は某を疎んでおりました。本人は松平の家督を欲するも、祖父清康に認められることは無く、ずっと嫡男のままで取り置かれたままでした。……そんなある日、祖父清康と某の会話で、先ほど申した「武士になりたい」との思いを伝えたところ、祖父はいたく感銘しましてな。「儂も豪族松平のままでは嫌じゃと思うておった」と仰られまして、気が付けば、松平惣領の座は某の下に、父上は松平惣領の父となってしまいました……」


 それだけが理由とは思えないけれど、結局、清康は息子を飛ばして跡取りの座を孫に渡したんだよな。

 それが原因となってのお家騒動というか、それぞれの派閥が自分たちの箔付けの為に伊那や河東に兵を送り出す形となった、とは報告を受けていた。


 「……某はただ、武士に、武家になりたかった。信長様のようになりたかった。兵の力で土地から年貢を取り立てるだけの官位を持った賊になどはなりとう無かったのです」

 「……竹千代よ。お前の申すことすべてが真実だとは思わぬが、少しはわかるところもある。続けてくれ」

 「はい。次いで、義父の家、今川についてですな。そう、先ずは某の妻だったおなご。瀬名、築山ですが、彼女は大層な美人でしてな。気が強いのが少々難点ではありますが、それを補って余りある美貌でした。……信長様相手ならば隠し事をするのもおかしなことですので、包み隠さずに申します。先に結論を申しますと、瀬名は義元の養女ではありませぬ、実子です。瀬名の母は井伊の姫でこれまた絶世の美女と名高き女性でしてな、井伊が今川に攻められた後、家の安堵の名目で義元に召し上げられたのです。形としては今川一門の関口のなにがしかに嫁がされた形を取っておりますが、実態は義元の側女で、その仲で出来たのが瀬名となります」


 築山殿の義元実子説とか、前々世でも良く耳にした話だもんな。

 実話だったんだ……って、このぐらいおおっぴら?に話に出てるぐらいだもんな。そら、後世の説話にも漏れてくるか。


 「して、先も申した通りに、この瀬名がまた大した美貌でしてな……義元の奴め、側女の母親から産まれた娘を……」

 「……むぅ。娘をか?」

 「はい。……残念ながら、某の長子だった信康の父は今川義元でした」


 おいおいおい。

 どんな創作物よりもびっくりの展開……。

 ただ、そうなると今川家を吸収した形の松平も、結局今川の血で治められることになってしまうところだったのか……。


 「ことが発覚したのが元亀二年の戦の最中、東の前線には祖父が、北の前線に某が赴いたところで、浜松と岡崎にて父広忠と義元が手を結び、義元の息子信康を松平の家長とすると兵を集めました。……幸いにして企みは二城を越えることなく、無事に鎮圧出来ましたが、某は伊那より義元嫡男の氏真の目から逃れるために、行軍中の軍から腹心の者達しか引き連れることが出来ず、むざむざ無能な者のせいで多くの兵が屍をさらすこととなってしまいました……」


 そう言えば、景貞叔父上も伊那での対陣で手ごたえが無さ過ぎたと嘆いていたなぁ。


 「この戦の事と次第、古河では開戦と敗戦の責を取り、祖父清康は腹を切ったと説明いたしましたが、実は蒲原城内で今川方武将と討ちあい、その刀傷が元で亡くなったのです。遺言に、「松平家、今川家の悉くの責を自分に負わせよ」と言い残して……」

 「……ふぅ。そうか……清康殿らしいと言えばらしいか……。そうよな、俺としてもあの時に清康殿が腹を切る展開が理解できなんだ。あの御仁が腹を切るとは思えん。腹を切るよりも困難を自分で取り鎮めることを選ぶようなお方だったからな」


 微妙に高い、吉法師の清康評。


 しかし、それだけのゴタゴタが駿河では行われていたのか……。

 そう考えると、姉上が「土地は要るけど人は要らない。悉く連れて行け」と言ったのは大正解だったんじゃないか?

 後の巡撫を考えると、今川方の武将でも従順な者達は残しておけば良いと考えてはいたけれど、……そうしたら、今頃は当家も余計な陰謀に巻き込まれていたかも知れないね。

 セーフ、セーフ。


 「……その後は、某が後処理を進め、騒動に関わった悉くを消しました。……おかげで、領内を治める人員が足りず。信長様が大砲にて破壊された城を復興することも出来ておりませんがな。ははっははっは!」


 いやいや、家康君。

 君の笑いのツボが俺にはわからんよ……。


 「……そこまではわかった。で、今回の経緯と近衛はどうなっておるのだ?」


 まぁ、過去の話は過去の話だもんね。

 問題は今回の行動ですよ。うん。


 「今回の事……そうですな、浜松の件は綱成殿の挑発に城下の将兵が引っかかっただけです。某も全力で止めようと頑張りはしましたが、駄目でした。松平、今川の臣下の内、多少は徳川の者になったと思った者達もおったのですが、かなりの数が討死しました。これでは、また領地経営が厳しくなりますな!はっははっは!」

 「……そのままお前に領地を返すわけなかろう。……まぁ、いい。それよりもだ。浜松もそうだが、なぜ宣戦などを長野家に出したのだ」

 「それが、近衛の要望でしたからな。某としては、宣戦だけ出して終わりにするつもりだったのですが……どうにも形だけでもと戦準備を進めたのが仇となりました。まったく浜松では……」

 「いや、だから、浜松は良いよ!それじゃ、目的は?!」


 いけね。

 聞き役に徹しようとしていたのに、思わず突っ込んじゃったよ。


 「はっはは。目的なぞありませぬよ。太郎丸様。ひょんなことから始まった、大和攻め、伊勢攻め、河内攻めに近衛が手を貸してくれたので、お返しとばかりに向こうのお願いを聞いただけです。純粋に「聞いただけ」ですな」

 「長野工藤をを攻める気は無かったと?」

 「ありませんでしたな。そもそも、今の伊藤家に歯向かってどうなるのです?長野工藤家も伊藤家の言い分を守って静かにしておるのです。領内もきちんと治めているし、無茶な関や税なども掛けていない。全くもって戦をする必要などありませぬ」

 「それでも?」

 「ええ、それでも宣戦の書状は出しました。それが近衛の望みでしたからな。……まぁ、儂が考えていたのは、宣戦の書状が届いた長野工藤家が伊藤家に注進して、伊藤家の裁定が入り戦せず。……といった物でしたが……つくづく、松平と今川の臣下は使えない。あのような暴走を……」


 ああ、ここで納得。

 そりゃ家康にしてみれば、暴発した臣下は憎んでも憎み切れんというものか。


 「……お前の言い分を聞くとしてだ。既に落とし前は、徳川家がどうこうで済む問題ではないぞ?近衛派の公家と三好家にも責任を取らせねばならん事態と相成っている。それはわかっているのか?竹千代よ」

 「重々。……つきましては、三好攻めの先鋒。某、徳川にお任せいただきたく上様に言上する所存」


 話の流れを聞いている限りは、そういうことだよね。


 結局、家康は松平と今川からの呪縛から解き放たれたいんだろう。

 そのために、なるべくなら東海から出て行きたい、と……。

 そこしかないとは思うけれど、標的にされた畿内も可哀想にね。

 特に、近衛前久殿は大した扱われ様だよ……。


 「最後に、公家のことはどう思っているのだ?先も言った通りに世話にはなったのであろう?」

 「そうですな。折角の太郎丸様からのご質問。ここは胸襟を開いてお話しをしますと……。某、近衛を初め公家のことは野良犬と思うております」

 「野良犬?」

 「左様。群れると強気になってやたらと吠えたてますが、食い物を足元に放ってやると一心不乱に食い散らかします。更に、一度かみついた餌を取り上げようとすると牙をむいて威嚇します。……まぁ、牙をを剥いたところで、こちらが拳を振り上げ、怒鳴ってやればたちどころに黙りもしますが……厄介なのは、己の空腹を満たすためには、徒党を組み、夜道で襲い掛かってくることですな。それこそ、太郎丸様が毒に当てられたように……」


 ……嫌なことを思い出させる狸だこと!

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