-第二部- -第三章- 旌旗奔流

第141話 黒幕とは

天正十二年 晩秋 古河 伊藤元景


 予想通りというか、なんなのかしらね?

 こうまで饒舌で、証拠の類いまでを備えての弁明とかをされると……戦で負けることすらこの狸の計算通りだったような気までしてくるわ……。


 「……と、かような仕儀でして……某としては大恩ある伊藤家に直接弓引く形ではないにせよ、長野工藤家を罰せよという宮中と三好殿からの圧力には抗いがたいものがありまして……」

 「……はぁ、「京尹職」なども受けたくなかったと言うのでしょう?その説明は飽きるほど聞かせて頂きました……」


 今日も家康の独演会の聞き役は竜丸と一丸の二人。

 一門の中でも温厚なこの二人にしか任せられない大役ね。


 桑名に駐留している伊織叔父上と名古屋城に駐留している景貞叔父上は残念ながら(?)、この独演会には不参加。

 参加者は私、仁王丸、一丸、中丸、竜丸に忠宗、忠清、顕景の八名。


 家康は資料持ち兼、参謀として本多正信ほんだまさのぶ殿を呼んで来ている。

 本多殿は古河にある徳川屋敷の責任者という役目らしく、しばしば、古河城内でも姿を見かけて来た人物。

 物腰軟らかく、隙のない目つきをした方だけれど、家康のような節操無しの雰囲気は持ち合わせていない方。まぁ、私の印象はそんなに悪くはない。

 といっても、言葉を交わしたことは数回しか記憶していないけれどもね。


 「……では、家康殿は此度の戦、宮中と三好殿からの命で、仕方なく起こしたと?」

 「そう!その通りでございます!景竜殿!考えてもみて下され!この某が三河・尾張・遠江の三国太守と成れた経緯!どうして大恩ある伊藤家に弓引くことなど敵いましょうや!?」

 「……当家と徳川家とは清康殿の代から数えて、何回も矛を交えておるが……」


 ……中丸。

 独り言はもう少し小さな声で言いなさい。

 ……私も同意見だけれどもね!


 「……と、某の口のみだけでは説得力に欠けるというのも、ごもっともなことでございます。……正信よ、例の書状をお出しするのだ」

 「はっ!」


 嫌になるぐらい小出しに証拠品を出してくるわね、この狸は。


 「……先ほどまでで、宮中から伊勢平定を命じる書、三好殿から北伊勢の諸氏を京に連れたてることを命じた書、……この辺りは見させていただきましたが、次はどのような?」

 「……こちらでございます……」


 先ほどまでと同じよう、木箱に納められた書状を前に出す正信殿。


 「……拝見しましょう」


 仁王丸のその声を聞いて、忠清が木箱を受け取り中をあらためる。


 「上様……」

 「うむ」


 ……

 …………


 「……そうですか、やはりこの男ですか……母上もご確認を」


 一通り書状を確かめた仁王丸がため息一つ。

 私にその書状を回す。


 どれどれ……。


 畿内が不穏なのは、ひとえに内国大夫と京尹に従順ならざる不心得な勢力がいること。特に南近江・伊賀・北伊勢に跋扈する反乱勢力は駆逐する必要があると……東宮様・・・はお考えであられる。


 ??どうして、ここで東宮??


 ひいては、朝廷を蔑ろにする伊藤家の存在がけしからぬものであるため、これに組みする者を罰する権限を持つ京尹に対し、その職責の履行を望むものである。謹んでその思いに応えるよう励むこと。

 ……近衛前久。


 ……しかも太政大臣とか書かれているじゃない……。


 「家康殿。貴方に行っても栓無きことかもしれませんが……どうしてこの人が生きているのでしょうか?しかも太政大臣という官職まで?」

 「!!……大御所様!失礼を!!」


 一丸が書を求めて来たので渡す。


 ……信長とも話をしたけれど、近衛が生きていることはある程度確信していたわ。


 幾ら晴良殿が話の分かる御仁だとしても、公家連中が死を以て責任を取るとはどうしても信じられなかったから。

 でも、晴良殿が亡くなったら太政大臣になる?あの罪人が?


 「左様なのでございます!大御所様!関東に大混乱を巻き起こしたかの御仁がこうしての再出仕。しかも太政大臣宣下を受けておるのでございます!……某としても忸怩たる思いはあることですが、東宮様のお気持ちまでをも書面にしたたまれますと……」


 ……ふぅ。

 こうまで頭に来ると家康の長口上も気にならなくなるわね。


 とっととっとと。


 「……失礼いたします」

 「……何用だ!?……ちと、失礼いたします」


 中丸が近侍の者の声掛けに対応する。

 ……近侍の者にも急用以外では近づくなと伝えてある以上、何事かがあったのでしょうが……。

 正直、今はそれどころではないわよ。


 私と直接約束を交わした晴良殿は亡くなられている。

 しかし、当家が京を灰塵と帰さなかったのは、その約束があったから。

 問題は人物ではなく、その内容。


 ……残念だけど、今回は他の者達が京に向かうと言い出しても、私は止めないわよ。


 「大御所様……」


 中丸が私に耳を貸せと言うので顔を近づける。

 なによ?どんな要件だったというの?


 「……城に九条兼孝くじょうかねたか殿、一条内基いちじょううちもと殿、二条元良にじょうもとよし殿の三名を筆頭とした使者が到着したと……」

 「関白と前関白に二条殿?……いいでしょう、会いましょうか。二の丸のあなたの館で用意して」

 「はっ」


 雁首揃えてということなら、今回の一件は宮中で統一された意思ということではないのね。

 ……話だけは聞きましょう。


 「元清……今日の所、家康殿には館に戻ってもらいましょう。……後日、日を改めて再登城してもらいましょうか」

 「承知しました、母上。……さて、家康殿。話と書状は受け取った。後日、当家としての断を其方には伝えよう……。ああ、一つ。これは私の方からは特に言うまいとは思っていたが、ここに至っては仕方ないこと。……家康殿。其方の家名、「徳川」だが嘉字含めたその命名、どなたの後ろ添えで宮中になしたのだ?当家と近衛の因縁は知っておろう?……時期がどうにも前後しているように私には思えて仕方ないところがあるが?」

 「え?いや……その……」

 「知ってて見過ごした。……というのは些かな。……これまでは東海の民のことを思って、諸々を見過ごしてきたが、これは流石に納得できんぞ?今回も出来るだけ、民への被害は無いような戦をした当家だが……責任と覚悟の準備だけはしておいてもらうぞ?良いな?」

 「はっ、ははっぁぁ!」


 ……ああ、そうね。

 家名の名乗りだけを変えたわけではなく、家康は新しい家名を以て尾張守と三河守を再叙任されてたわけだものね。

 ……申し訳ないけれどそれなりの責任は取ってもらわなければいけないようね。


天正十二年 晩秋 古河 伊藤景基


 「……すべては我らの不徳と無能が引き起こしたこと。誠にお詫びのしようも御座いませぬ。何卒お許しを!」


 九条殿、一条殿、二条殿。

 三名揃って頭を下げています。


 ……しかし、本当に古河に来る公卿というのは公家言葉を使いませんね。

 晴良殿の遺言がきっちりと伝わっているのでしょう。


 まぁ、今日のここで「おじゃる」などと言われては、思わずそっ首を叩き落してやりたくなってしまいますが。


 「……状況をお分かりの上で、こうしてお三方が揃って弁明に来られたということは、本心から当家に悪心は抱かれていないのでしょう。その点、この元清は信じましょう」

 「「……ありがとうございます」」


 そうですね。

 多少と言いますか、だいぶ頭には来ていますが、今回の件には九条の流れの方々は関与していないのでしょう。

 ……ですが、それで行くと、近衛のやりようを防げなかった無能という別の見方は出て来ますがね。


 「……して、今回の件はどのように始末をつけるおつもりですか?……私としては二条晴良殿と交わした約束を一方的に破られた気がして、正直なところ怒りの感情で一杯ですが?」

 「……大御所様のお怒りはごもっともかと存じます!ただ、しばし、今しばらくお時間を頂きたく!」

 「……時間を取ってどうするのですか?」


 彼らは当家に悪心は抱いていないようですが、……結局、公家は口先ばかりです。

 罪人の首を持参すると言っておいて、偽の首を持参する。

 近衛の者達は京から追放すると言っておいて、当の前久が太政大臣に叙任されている。

 やることなすこと、口先ばかりだと断じざるを得ません。


 「……まずもって、私が責任を取って関白を辞させていただきます」

 「関白を辞してどうなるのです?誰がその後の処理を?」

 「一条殿の後は私が責任を持って!」

 「一条殿が関白を辞して、二条殿が後を継ぐ……これまでの五摂家での順送り人事と何が違うのですか?……その流れだと、二条殿の後は近衛が継ぐのですかな?関白の座」


 嫌味をこの者らに伝えてもしょうがないとは思いますが、私たちの怒りはどうしようもありませんからね。……彼らの下らぬ暗躍で父を殺されているのですから、私は。


 「……そのようなことは……」

 「無いとは言い切れまい?飛鳥・平城・平安の頃のように公家が死を以て責任を取る時代は過ぎ去って久しいと我らも理解しておりますが、ここまでの無責任振りを見せられても困るというのが、我らの本心。……そう、それに先ほど徳川殿から、此度の出陣を急かされた書状とやらを見させていただきましたが、その中には「東宮様のお気持ち」なる文面が有りましたがこれは如何に?」


 日ごろは口数少ない上様も、今日ばかりは気持ちが高ぶっているようだな。


 「「なっ!!」」

 「近衛前久と署名がある書状の中にはっきりと……どういうことなのです?」

 「……実は……」


 ……


 我ら揃って、無言で説明を求める。


 「……実は、近衛が再出仕叶いましたのは、東宮様の下におります近衛の娘、……その娘と東宮様との間に生まれるであろう将来の皇子のどなたかに近衛を継いで頂くと。……公家の所領、荘園はこの戦乱の世の中で大きく失っていたとはいえ、ここ数年での落ち着きから取り戻った所領も多く、近衛の家を王家に差し出すこの申し出の意味するところは非常に大きく……」

 「近衛は王家と取引が出来たということですか」

 「……お恥ずかしながら……」


 面倒なことです。

 王家の力、それこそ飛鳥の御世ならいざ知らず、郭務悰かくむそうが訪れてからの藤原の世になってからは名ばかりの扱いを受けて来ていますが……。

 それでも白河院の圧政やら建武の新政に代表されるような、王家の力に端を発する武家の迷惑も無いことは無いというものです。


 「……公家はどうするのですか?この数百年の宮中の在り方を変えますか?戦ごとに公卿や皇子、ひいては帝が死すような時代に逆戻りさせるのですかな?我ら平氏の者達にしてみれば、僅か八歳で命を落とすことを強要された安徳帝の故事などは記憶に新しいところではありますがな!」

 「う、上様!ど、どうぞお怒りを沈めて下され!」


 ……当家の祖、景清公は壇ノ浦にてその悲劇を目撃していたとも言う……。


 「一条殿……ここは皆が誠意を見せるところで御座いましょう」

 「……二条殿」

 「上様、我ら藤原。きちんと、その責任を、公家、王家に取らせまする。……武家……その責任は三好家が取ることになりましょう」


 ……はぁ……。

 やはり、公家はしょせんが公家ですね。現実が理解できていません。


 「二条殿、口を挟んで申し訳ないが、三好家を公家がどうこう出来るわけがないでしょう。正直なところ、あなたたちは公家と王家の責任の取り方をきちんとなされれば良い。武家は武家で片を付けねばなりますまい」

 「……」

 「……景基兄上、それ以上は私から」


 そうだな。これ以上は当主であられる上様か大御所様がおっしゃられる内容であろう。

 

 「三好家には当家から詰問状を送る。当主の義興殿には古河へ弁明に来るよう通達する。従わぬ場合は兵を差し向けることも辞さぬ……」


 よろしいか?とばかりに上様は大御所様へ視線を向ける。


 「問題ありません。当家としては三好家に弁明の機会を与えましょう。……向こうがその機会を自ら手放すというのなら、それはそれ。戦場にて彼らの言い分を伺いましょう」

 「……承知致しました。我らも僅かながらお力をお貸しするべく対処いたします。ただ、元より大将軍職は従三位。内国太夫は正四位上。官位上は上様の言には従う必要があります」

 「しかし、我らは武家。官位はあくまで付属物ではあるのですが……まぁ、そうですね。二条殿達の御助力です。せいぜいあてにさせて頂きましょう」

 「……はっ!」


 これで話は決まりましたか。


 私としては軍略担当コンスルとして、此度の大戦の絵を描かねばなりませぬね。

 狼の旗。畿内にて大いにはためかせ、三好家を駆逐して差し上げなければいけません。


天正十二年 冬 XXXX XXXX


 「な、な、なんで儂が腹を切らされることがわかっていながら坂東なぞに行かねばならんのだ!」

 「その通りだ!儂を差し置いて将軍などと自称する伊藤家の言うことなど聞く必要が無い!」

 「その通りです。しかも拙僧が聞くところによれば、あやつらは我らが門徒を勝手に集め、土木作業などに駆り出しているという!なんという罰当たりな!拙僧を無視するなぞ!」

 「そ、そうだな!そうであるよな!?……や、良し!わ、儂は古河などには行かんぞ!儂は京に……いや、生まれ故郷の阿波に戻る!伊藤家なぞ知らん!」

 「な!京を離れると申すか?!」

 「き、京を離れるのではない!三好家の本領である阿波に戻り、政に努めるというだけじゃ!」

 「な、ならばっ!せ、拙僧も阿波で門徒たちを指導していかねばなりませぬなっ!」

 「ず、ずるいぞ!法主!そ、それでは、わ、儂も……儂も……」

 「……讃岐におられる御親戚と話し合いをされては?先代様とのことでは、悲しい行き違いがあったでしょうから……」

 「おお!そ、そうじゃ、そうじゃ!儂は讃岐の親族と話し合う必要があるな!」

 「で、では!諸々のことはその方に任せたぞ!儂らは一刻も早く四国に渡らねばならん!」

 「……はっ!お任せあれ!」

 「で、ではの!」


 ……

 …………


 「兄上。良いのか?あれで。……言いたくはないが、あの三つの内、どれか一つの首を古河に届ければ余計な戦などしなくて済んだのではないか?」

 「左様ですぞ、叔父上。口先ばかりの三名、そのうちの一つが無くなったところで日ノ本の民には関わりありますまい」

 「言うな……儂もその考えが浮かばんではなかったがな……」

 「……主君の首を差し出す行為。この戦国の世で潔癖な武家の姿勢を崩さぬ覚悟の伊藤家では逆の効果しか働かぬ。……そういうことですな?父上」

 「くっくっく。そういうことだ。流石は我が息子だな……しかし、事がこういう展開になるとはついぞ思い描いてはおらなんだな」

 「仕方ないでしょう。父上。我らが思った以上に三好は腑抜けで、長尾は消極的。伊藤は畿内を無視し続けて数十年。……こうなると、六角の馬鹿殿を見限ったのも間違いであったかも知れませんかな?」

 「いや、それは無かろう……あのまま六角におってはそのうちに、馬鹿殿に寝首を掻かれたかも知れんからな。それだけはあるまい」

 「ともあれ、一戦交える準備はしなければいかんということか。……四国は長曾我部もおるので動員は出来ぬだろうから……畿内合わせてどのくらいの兵を整えられるか?」

 「そうですな、無理にかき集めれば四万強は揃うでしょうが、戦後の仕置きを考えると領民を無駄に戦に担ぐのは好ましくありません。銭で雇える者達を中心に二万から二万五千といったところでしょう」

 「……播磨や淡路にいる連中は集めよう。そうだな、それで三万。巨椋池のほとりか瀬田のどちらかで対陣するとしよう」

 「……伊藤家、一方向から来るでしょうか?」

 「なに!一方向から来るのでなければ、精々が一方面二万。当方の三万で当たれば見事な戦よ、と戦後の扱いも上々となろう!」

 「はぁ……そうなれば良いですが……」

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