第130話 対大友工作

天正十一年 春 古河 伊藤景基


 古河の夕餉……というか、伊藤家の食事は多分に父上の好みが受け継がれた膳になっている。

 正月などの宴の席では、原則、勿来から陳さんがやって来て腕を振るう場合が多い。


 むろん、古河の勝手番は伊藤家の料理番ともいえる存在であり、恒常の勝手番、腕の良い者達はいる。

 彼らの得意料理は、古河公方の下で発展してきた東国武士古来の料理が主体、所謂、禅宗の寺で発展してきた精進料理が基となり、魚と鳥が主菜に供されるものだ。


 しかし、しかしだ。古河の料理ももちろん美味いのだが、上様も大御所様も、そして私も中丸も、勿来の味で育ったともいえるので、どうしても陳さんの味が欲しくなってしまう。

 そこで、古河でも勿来の味が楽しめるよう、古河の勝手番から数名が、一月交代で孫家飯店で修行してくる形になっている。

 孫家飯店が古河にでき、この交代修行の制度も動き出してから、はや数年。今では、こうして、毎日の膳に陳さんの香り漂う膳が用意されている、


 「ふふふ。本当に一丸は阿南の息子ね。美味しい食事になると、表情が一変するわね」

 「ははは。確かにその通りですな。昔から、景基兄上は我らの中で一番の美物好きですからな。……勿来では、阿南義母上と景基兄上が食事の時間になるといつもそわそわされておりましたな」

 「ん?そうだったか?……確かに母上はいつも食事の時間となると、何やら落ち着かぬお人ではあったが、私はそうだっただろうか?」


 ふむ。自分では全く心当たりはないのだが……。


 それよりも、今日の主菜、合鴨の香辛料まぶし揚げがたまらぬな。

 今朝はフアン殿から、散々にポルトガル商人の悪行を聞いたものだが、この料理に使われる各種の香辛料は、それこそポルトガル商人の手を経て、博多の明の商人から齎されるものだ。

 明の商人は、こうした香辛料と絹織物、明の書物などを東国に運び、代わって、干し昆布や干し貝、堺や博多で売る普段使いの用品や塩などを買っていく。


 「まぁ、こうして美味しいものを食べながらになってしまうけれど……今朝のフアン殿から聞いた話、二人はどういう風に感じたか聞かせて頂戴」

 「では、私の方から……」


 ここは上様より、先に私が述べるのが筋であろう。

 熱いうちに揚げ物も食べ終えたからな、心置きなく考えを述べさせていただこう。


 「私が思いますに、先ずもって、エストレージャ卿が何の証拠もなく五隻もの戦列艦を従えて日ノ本に来るということはありますまい。信ずるに足る証拠を持ってヨーロッパを発っているはずです。そう考えると、博多のカブラルが一枚、二枚と話に噛んでいるのは濃厚。考えられることは、そのアントニオ卿を旗印に、今の体制の下で甘い汁を吸っておった者どもを糾合し、日ノ本や明などの一帯に、ヨーロッパ本国からは一線を画した、新しいポルトガルを作りたがっているように見えます」

 「……仁王丸、一丸のこの意見をどう思う?」

 「はい。私も、景基兄上の考え方に同意します。……ただ、もしかしたら、カブラル自身はそこまで深く考えてはいないかも知れません」

 「というと?」


 どういうことになるのだ?


 「カブラルはイエズス会の博多管区の責任者ではありますが、特段の実績も残していない男。前歴の軍人としても、別に将軍と呼ばれていたような男ではありません。……そのような男が、スペインとポルトガル、更にはジェノヴァやヴェネツィアの勢力を糾合し、新秩序を構築できるとは到底思えませぬ。そのような大事がなせる男であるのならば、それより以前に、日ノ本においてカトリコを国の宗教に据えた領国の一つや二つが出来ていてもおかしくないのでは?……確かに大友家は当主がカトリコに改宗し、部下の諸将にも信者が多数いるようではありますが、結局の所、大友義鎮も一般的には「宗麟」という仏門の号を使用しており、カトリコの号である「フランシスコ」はあまり使用しておりません」

 「……なるほどな」

 「そう考えると、今回の件は一本の線で繋がった事象ではなく、それぞれの者達が自己の利益に従って行動した、いわば「点が連なって線に見えている」だけなのではないかと思います」

 「……線ではなく点なら切り崩しは容易いと考えますか?」

 「はい。大御所様。……私はそう考えます」


 なるほどな。

 どうにも私は今回の件を一つの物として考えることを前提としてしまったが……そうですね、よくよく考えてみれば、今回のことは穴だらけですし、統一された意思は感じません。


 「では、どのようにしてその点をバラバラにしますか?」

 「……今回の件は、イエズス会のカブラルとヴァリニャーノ殿、アントニオ卿、ポルトガル商人、ジェノヴァ商人、ヴェネツィア商人と簡単にみて六つの勢力が有ります。この六つの勢力、それぞれを互いに利益の相反関係においてしまえば……つまり、互いに競争相手、敵同士にしてしまえば、自然と問題は解決するのではないかと考えます」

 「カブラルとヴァリニャーノ殿。この二つは簡単ですね。元から二人は反目し合っているのですから、……そう、ヴァリニャーノ殿に何かしらの功績を挙げさせてしまえば良い。後は三つの国の商人達、こちらも交易を餌に争わせますか……」

 「交易と言っても奴隷だけは駄目よ!」

 「もちろんです」


 ええ、そのようなことは私も許しません。


 「何か、景基兄上には案が?」

 「上手く行くか、確信までは持てませんが可能性はあると思います……つまりはそれですね」


 私は最後の一欠片をまさに口に運んでいる大御所様の口元を指さした。

 この美味なる合鴨の揚げ物。つまりは香辛料ですね。


天正十一年 春 古河 伊藤景広


 やはり、鎌倉から古河への街道はもっと整備しなければ不便でたまらんな。

 今回も古河からの早馬、その報告を受けてからの移動で、都合、計三日以上かかってしまった。

 軍を率いているわけではないのだから、三四十里の距離なら、何とか片道一日で動けるようにしたいものだ……。


 「おお、中丸よ。ようやく着いたか?!」

 「ええ、兄上、お待たせしてしまい申し訳ございません。……まったく、早く江戸を何とかしたいものですよ」

 「はは、そう急くな。今は直英が鹿島に入り、佐竹家方と協議をしている最中なのであろう?直に鹿島運河の工事にも着手できるし、江戸の開発も可能となるであろうさ」 

 「はぁ、俺は一日でも早く着工したいものです……で、早馬からの書状ではそこまで詳しい事情は書かれておりませんでしたが、何ぞ大友に?」

 「ああ、奥の丸で上様と大御所様が御待ちだ。道すがら事情を説明しよう。……多少は小声に、話もぼやかしながらではあるがな」


 おっと、それはそうだな。ここは古河城の馬場だ。

 ここからは一の丸、本丸と通って奥の丸に移動する形だ。

 どこの誰が俺達の話を聞いているかはわからんのだし、重要な話は出来るものではないか。

 いかん、いかん。気が急いてしまっているか……。


 「……というわけだな。お主には、この交易の餌になる物について考えてもらいたいのだ」

 「なるほど……ただ、餌自体は香辛料と解っていることですからな。俺は、今の付き合いがある明の商人やスペインの商人達と如何に釣り合いをとるかを考えれば良いということでしょうな」


 古河に到着した俺は真っすぐに奥の丸に行こうとしたのだが、どうやら、上様は俺がこの時間にやって来るとは思わず、常の執務に手を付けだしていたらしい。

 キリの良いところまで終わらさせて欲しいとのことで、こうして一の丸の兄上の部屋にて説明を受けていたところだ。


 古河城は丘の頂上部分に本丸、北側に奥の丸、西側に一の丸、東側に二の丸、南側に馬場や武器庫があるという作りだ。

 本丸は大広間や執務室、書庫などが有り、奥の丸は上様と大御所様の屋敷。一の丸には兄上の屋敷。二の丸には俺の屋敷がある。

 つまり、古河に来た時の俺の滞在場所は二の丸内の自分の屋敷ということになるな。

 ちなみに、父上は古河城内に常設の屋敷がないので、原則として孫家飯店を丸ごとか、離れの一棟を借り切る形で滞在する。


 すぅっ。

 ふすまが静かに開けられ、女中が頭を下げながら伝えて来る。


 「統領様。上様の用意が出来たとのことでございます」

 「ああ、わかった……と、瑠璃よ……また、お前か……」

 「ぬ?おお!確かに瑠璃か!大きくなったな!パッと見ではわからんかったぞ!」


 なんと、瑠璃であったか……。

 瑠璃と俺達では一回り以上違うからな、こやつが勿来で動き回るような年になった頃には、俺は鎌倉に行っておったし……気づかなくても無理は無かろう!うむ。


 「中丸兄上とは正月にも会ってますよ?二の丸で……」

 「お?そうであったか?それは済まなかったな!はっははっは!」


 ここは笑ってごまかそう。


 「お?そうだ、そうだ。お前も兄上の所で侍女のまねごとをしておるのだ、時間はあるのだろう?今日の夕餉は兄妹三人で食べようではないか?……ということで、孫家飯店の予約でもしておいてくれぬか?」

 「あ!面倒なことを私に押し付けてる……」

 「良いではないか!頼んだぞ?」

 「はいはい。……ってか、中丸兄上は一人だろうけど、一丸兄上には家族がいるんだから、三人じゃなくて六人、しかも美波はまだ四つだからね!……まぁ、そのあたりを含めて予約しておきますよ。……父上もそろそろ来る予定だし、何とかなるかな?……あ、そうだ、一丸兄上が孫家飯店に行くなら、政宗様にも声を掛けなきゃダメか……やっておきま~っす!」


 む?

 政宗殿もなのか?兄妹の席に?


 俺は兄上を覗き込むように見やる。


 「……言うな。いずれわかる。……それよりも奥の丸に向かうぞ?!」

 「はい、はい。了解でございます」


 確かに政宗殿は、兄上が好きすぎて少々おかしなことになっている気があるが……。

 別に、兄上は衆道好みというわけでも無かろう?


天正十一年 春 古河 伊藤元景


 「待たせてしまってすみません、景基兄上、景広兄上」

 「上様、気にする必要はありませんぞ。その時間に兄上から此度の事情を聞けましたからな……で、早速ですが、大友領への接触はどのように?」

 「そうね……商人達への接触は商人を使ってのことでしょうね。教会勢力には教会を使って、そして大友殿には……二条晴良殿が存命だったら、朝廷に仲立ちを頼むのも手ではあったのだけれども……一昨年に亡くなってしまっているものね。そうなると……古河の大学に来ている公家で心根の良さそうな子はいるのかしら?」


 娘が二人、大学で学んでいる仁王丸に尋ねる。

 麻里も鈴音も人を見る目は厳しそうだから、彼女たちが良いと思う公家がいるのならば、その伝手を使うのもアリよね。


 「そうですね。娘たちが言うには、どうも皆パッとしないと……。ああ、そういえば晴良殿の末子の良房殿が半年ほど、大学で書の教鞭を執られておりました。伝手を頼るとしたら良房殿となりますかな」

 「しかし、麻里と鈴音がパッとしないと言うておったのでしょう?それならば、すっぱりと公家の線は諦めて、博多商人の伝手を頼る方が良いと俺は思いますぞ」

 「ふむ。私も中丸に賛成ではあるのだが……結局、ヨーロッパの者達に商売の餌をぶら下げるということは、明の商人達にしてみれば、商売敵が得をするということではないのか?さすれば、当家に含むところが出て来るかも知れぬのではないだろうか?」


 そうね……一丸の言う点は、私も気になっていた点ね。

 当家に一番近い博多の商人は阮小六になるのでしょうけれど、あの男は中々に強かな商売人。こちらの依頼にはそれなりの利を求めて来るでしょう。

 ……正当な対価を払うことに問題は無いのだけれど、果たして彼が頷く利を提示することが出来るかは……。


 「それについては俺に案が有ります」

 「景広兄上、それはどのような……?」

 「ありていに言ってしまえば、七尾城での交易の優先権についてです。……当家が七尾城を引き取って二年が過ぎました。信忠からの報告では、七尾湾の整備は粗方終わり、船渠や商人地など城下町の縄張りと建物は一通り建て終わったと……これからは実際に人を集め動かす段になっていると言うて来ております。ならば、ここは明の商人を大々的に呼び込み、七尾湾を使っての商売を彼ら中心に始めてみるのも一興かと考えます。もとより、日本海航路の最終的な目標は博多から明への航路です」

 「なるほどね。目標が決まっているのだから、始めの段階からそこに向かって動くのは悪くないわね。そうね、七尾での活動を特恵として、阮小六に動いてもらうとしましょう」

 「では、早速、信長殿が戻り次第その旨を伝えておきます」

 「頼んだわよ、一丸」


 これで、それぞれの勢力への伝手は出来たかしらね。


 「商人どもには東国での商いを、神父たちには布教活動の功績を見せれば良いでしょうが、して、大友殿には何を提示しますか?配下の者が独断で為したことならば、君臣の隙をつつくことが出来ましょうが、もし、大友殿自身がアントニオ卿を匿っているのだとしたら……」

 「そうね、その可能性はあるけれど、その線は考えなくてもいいのではないかしら?」

 「考えなくても良いですか?……少々、その理由をお聞かせ願っても?」


 あら?

 一丸と中丸は怪訝そうね。


 「兄上たちの心配はごもっともですが、私もその点の心配はしなくても良いかと思っております。何よりも、大友家はポルトガルと太い商売を現段階で行なっているのです。それこそ、アントニオ卿がインドから東の地域を治める支配者にでもなれば、大友殿の態度も変わりましょうが、今のアントニオ卿はただの権力闘争の敗者であり、国王の座を狙う一挑戦者に過ぎません。……状況が勝勢濃厚と見れば全力で手を貸すかも知れませぬが、今の状況、現ポルトガル国王であるスペイン国王フェリペ二世の勅命を受けたエストレージャ卿が五隻もの戦列艦を率いてアルベルト卿を捕縛に日ノ本に来ているのです。冷静に考えれば、五隻の戦列艦と向こうを張って戦う意味がありません」


 そう、五隻の戦列艦、しかも外洋を越えてこれるほどの性能と、練度の高い水兵で操られた船。

 信長もまっとうな状況では戦いたくないと言っていたわね。

 速度の勝る武凛久や少名で一撃離脱戦法での四貫砲を放ったとしても、五隻を沈める間に、かなりの数が沈められる羽目になりそうだと嘆いていたわ。


 「……確かに。大友家が南蛮船を建造できるという話は聞いておらぬし、大砲も全て、ポルトガルからの購入品だということだしな。ふむ。大御所様と上様がおっしゃられることは理解できましたぞ!」

 「確かに……しかし、そうなると、今度はそのアルベルト卿を匿っている勢力、領主がそれほど大きくないことを願いたいですな。その者達の戦力が大きくないのであれば、大友殿からの圧力と当家水軍にエストレージャ卿の戦艦で脅すことで、ことは簡単に済みそうですからね」

 「そうね、そこは祈るしかないところね。……まぁ、主家に黙って、それなりの人物を匿うことが出来るわけだから、ある程度は力のある領主なんでしょうけれど……」


 ……そう考えるとフアン殿との会話で出て来た薩摩辺りとかは勘弁願いたいところ。

 琉球を差配しているということは、人口の少ない南九州だとしても、銭で雇った兵とかがありそうだもの。

 島々を使って、長々と抵抗でもされたら面倒なことこのうえないでしょうね。

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