-第二部- -第二章- 風雲到来

第122話 関東の街道開発

天正十年 雨水 古河 伊藤景基


 正月の諸々も終わり、本来なら皆が任地へと戻っている頃合いなのだが、今年は古河滞在が十日程長引きそうだ……。まぁ、私の場合は、これからは古河滞在が長くなるので、別におかしなことではないのだろうが、大叔父上達を初めとする方々にとっては通年とは違う一月となろうか。


 「……で、簡単な所は文と伝令で報告を受けましたが、詳しいところを報告して貰えますか?忠豪」

 「はっ!もちろんです!上様!まずは、昨秋に儂が詰めております久慈城に七千の南部軍が迫りました。当方の兵は五千を欠ける程度でしたが、久慈城を初め、付け城、砦の建築は粗方出来ておりましたので、迎撃だけなら問題ありませんでした。実際に数回の戦闘では、そのすべてで当方が優勢に進め、南部方を一切寄せ付けませんでした」


 そうですね。安中一族からの報告では山上や、丘陵地に作った砦群が見事に機能し、南部軍を寄せ付けなかったと聞いています。一番の威力を発揮したのは、据え置き型の投石器だったとも聞いています。

 ……父上が聞いたら喜びそうですね。なんといっても当家の投石器は父上と先代村正との合作ですから。


 今でこそ当家各地の湊の守りは、備え付けられた線条砲群ですが、私が幼少の頃は投石器が現役でした。

 勿来の湊で、景能爺と父上が嬉々として、大石を海に飛ばしていたのが思い出されます。


 「して、丁度、年が改まるといった頃合いでしょうが、急に対陣していた南部勢が別れましてな、互いに武器の距離を取り出しました。おかしなものを感じた儂は、その夜に両陣に仕掛けました。「裏切りじゃ~、同士討ちじゃ~」と叫ばせながら……これが上手く嵌りまして、南部軍は盛大に同士討ちを初め、退路を抑えていた我らが、無事に敵方大将の南部信直殿を捉えることに成功したというわけです」

 「ほう、してその同士討ちを引き起こす、南部軍の分断とは結局何だったのだ?嫡男の軍で謀反もあるまい?」

 「それがですな、景貞様。捕らえた者達の申すところでは、晴政殿が戦傷から悪いものが入り、亡くなったと……また、それと同時に実子の晴継はるつぐ殿が南部家老の北信愛きたのぶちかに推され南部家当主に収まったとのことです」

 「……確か、信直殿は一族からの婿養子でしたね?」

 「左様です。大御所様。信直殿は年齢こそ晴政殿と三十程離れておりますが、血のつながりで申すのならば従弟となります。また、信直殿の後ろ盾となる妻は既に亡くなっており、また、実父で晴政殿の叔父である高信たかのぶ殿は、津軽為信つがるためのぶ殿の乱の折に討ち死にしております」


 晴政殿の下では静かに見えていた家督相続の問題が、本人の死亡により浮き出てきたというわけですか。

 当家では曾爺様より円滑に相続が行われているのですが、他家は大変ですね。

 戦での夭折が無い上に、当主に権限が集中されていないのが良いのでしょうか?


 ふむ。よくよく考えてみれば、私の立場なら何かしらの乱の元となる可能性があるのですかね?

 当家で相続争いなどという物は考えようもないことだったので、今までは考えてきませんでしたが……。私が悔しいと感じたのは、父上を息子として養えなかったことぐらいですからね。当主であろうとなかろうと、東国の安寧の為ならば些末な問題です。


 ……やはり、形ばかりの「家督」というものに乱を起こすまでの魅力があるとは思えません。

 自己満足のため、家中の者達や領民に混乱を巻き起こすのは愚か者の所業だと断じざるを得ませんね。


 「しかし、実子とはいえ晴継殿は年少だったはずで……嫡男の座は信直殿のままだったのでは?……もし、晴政殿が実子可愛さで、家督を晴継殿に継がせたかったのならば、惣領を信直殿から晴継殿へ変えれば良かっただけのこと。多少の混乱はあるでしょうが、一応の筋は通っていますからね、話は通ったと私は思ってしまいますが」

 「はぁ、ここよりは信直殿の言葉、考えとなるのですが、……晴継殿は幼少の頃に疱瘡を患い、身体の動かしに不便があるとのこと。馬には乗れる程度の障害のようですが、馬上で刀槍を振り回すのは困難であるらしく、伊達家や最上家と争いを続けている広大な南部領を治めるには能わないであろうとのことで、引き続き信直殿が惣領の座に就き続けていたそうです。また、南部家は大きく分けて、当主晴政殿一派、南部一門各派、北家一派、安東家一派、九戸家一派の五つに分かれておったそうで、信直殿はこの五つの内、南部一門と安東家の一派に推されていたようです」


 なるほど。

 当初は信直殿が優勢であったのでしょうが、九戸殿は伊達に降り、五つの力が四つに減り、今までの力関係が崩れたところに、戦と当主の死亡が続いて動きが出たということか。


 「信直殿曰く、南部家は北信愛に担がれた晴継殿に乗っ取られた状態であると、ついては伊藤家、伊達家の助力を得て自身の正当な地位を回復したいとのこと」

 「なんとも身勝手だな……」

 「しかし、兄上。南部が混乱していては色々と不便。もし、ここで四国連合に友好的な人物を当主に就かせることが叶うのならば、それにこしたことは無いのでは?」

 「流石は伊織だな……俺にはどうにも……ただ、そのように権力争いが生じているのなら、今までのように領内は治められまい。いっそのこと南部は分割してしまうのが良いのではないか?」

 「なるほど。……景貞叔父上の申すことは真実やも知れませんね。仁王丸はどう思いますか?」


 ふむ、俺も仁王丸の意見は気になる。


 個人的な思いとしては、景貞大叔父上の申されるように、南部領は今までのように大きくまとめるのではなく、それぞれの領主が自分の領域を守る形が面白いのではないかと思う。

 なにより、糠部に津軽は陸奥の北端だ。蝦夷地ほどではないが、寒さが厳しく、南部の作っておる農作物の実りはそれほどの期待が出来ない。これらを一つの領地とし、その中で完結させることは不可能に近い、と私は思う。

 それよりも、幾つかの城を中心とした町を街道や海路で繋いで行くのが良いように思えるな。

 ……さすれば、当家に友好的な町には、蝦夷地で作られている作物を紹介出来るであろう。そうすれば、今よりはずっと多くの食料を領民が得ることも可能であろうしな。


 「そうですね。対陣中の軍が別れてしまうほどの家中なのです。今までのように大きな南部領が治まるとは思えません。……我らが手を出さずとも、彼らの中で勝手に大きく乱れるでしょうから、ここは信直殿を無傷で南部家に戻すのも一手かも知れませんね」

 「!!……それでは、陸奥の北は荒れるでしょう。流血も増えるかも知れません!」


 思わず声が出てしまいました。

 私には、どうにも昏い策のように聞こえてしまいます。


 「……はい。確かに民の犠牲は増えてしまうかも知れませんが、全体の流される血、当家の者達から流れる血は減るかもしれません……が、やはりこの策はあまりにも陰謀じみておりますね」

 「……びっくりさせるでないわ。元清よ。俺としても考えつかないではなかったが、やはり、無用な混乱を自分たちの手で作りだすような所業は、京の公家連中にでも任せておけば良いのだ。我ら武家の者が採るような策ではないだろうと思うぞ」

 「……そうですね。私もその策の有効性は認めるところですが……いや、南部に仕掛ける手ではないでしょうね。それこそ、関宿で戦っていた頃の伊勢家相手なら有効でしたでしょうが、今の情勢には合わないと思います」


 己の正しさを守るために、流血も厭わないのが武家。

 これが逆転してしまっては、武家ではなくなってしまうと私は考えてしまう……私は甘いのだろうか。


 「ええ、ですので、ここは南部家を分割する形、南部家の各派閥にそれぞれの領地を持ってもらう形ではどうでしょうか?晴継殿には三戸城周辺、一門の方々にはそれぞれの城周辺、信直殿には実父が入られていた津軽周辺などを治めてもらい、四国連合の下についてもらう……この辺りを目標としたらいかがかと思います」

 「……そうね。輝宗殿も丁度良いところで南部家とは盟を結ぶ形を目指されていたことだし。当家としても、海路の保全が出来れば上々というところかしらね?そのためには沿岸部の確保になるのかしら?信長はどう思う?」

 「はっ、大御所様のご質問に応えまして……。そうですな、当家に友好的な拠点となってもらいたいところでは……勿来から見まして、八戸はちのへ函館はこだて徳山とくやま十三とさ染川そめかわの五つですかな?この五つの湊さえ自由に動かせるのならば、問題なく航路を庄内の酒田さかたまで伸ばすことが叶いましょう。……軍船以外の和船でもということですな」


 蝦夷地は……たしか、義父上、輝宗殿は伊達家で函館、徳山は抑えたいとも言っておったな。

 あとで、政宗にでもそのあたりを聞いておくとするか。


天正十年 雨水 古河 伊藤景広


 「では、北の方はこのような方針で行くとして……景基!忠豪に案内してもらって、信直殿と図ってみて頂戴。また、輝宗殿、政宗殿との調整も任せます」

 「「はっ!大御所様のご下命通りに……」」


 兄上と忠豪が揃って頭を垂れる。


 「では次の議題を私の方から……」


 今度は伊織大叔父上が話を告げられる。

 西の方か……どう考えても、北よりも面倒そうなことだ。


 「……面倒なことこの上ないのですが、どうやら徳川家が軍を興そうとしているようなのです」

 「「!!な、なんと!!??」」「いや、この間古河に……」


 ……やはり、徳川か。


 「ああ、ご心配なきよう。彼らの目的地は東ではなく、西。……しかも畿内のようなのです」

 「畿内ですか?」

 「はい。風魔の知らせと、北伊勢の滝川の知らせでは、どうやら徳川は朝廷の命を受けて大和の筒井順慶つついじゅんけいを平らげるために軍を興すようですね」

 「……伊織よ、なぜに大和に徳川の軍を向けるのだ?三河から大和ではどうにも遠いではないか?」

 「ええ、私も不思議だとは思うのですが、三好、六角は早々にこの話を断ったとのことで、大和征伐を長尾に持って行くかで宮中が割れたようです。そこに、一部の公家が徳川を使うことを提案したと……」

 「……どこの公家だ?」


 俺も気になる……。

 公家などと言う連中は、武家を顎で使うことしか考えていないような連中だからな。

 最近はおとなしくなったようだが、これで、武家を扱うことの旨味を思い出されでもしたら面倒で敵わん。


 「伝え聞くところでは三条の誰かとしか……」

 「三条か……断絶していたとのことと、どこぞの分家が継いだこと、あとは晴信殿の正室と本願寺法主の正室云々としかわからんな。何ぞ、徳川と繋がっていたのか?」

 「さぁ……私も公家の様子は……正直な所、興味の欠片もありませんから」

 「まぁ、そうか……」


 俺も公家の動きなどは、知らんし、知りたくもないから、皆目わからんというところだな。


 「で、どうやら、家康殿はその朝廷からの命を喜んで受諾し、東海の兵を集めて西に向かうとのことのようです。近々、古河にも挨拶に来るのではないでしょうか。陸路を取るのならば、伊勢路か近江路。伊勢路なら長野領から六角領を通過することとなりますし、近江路を使うのならば斎藤領、長尾領、六角領から京を通ることになります。……どちらにせよ、当家に臣従する者達の領内を通らざるを得ない以上は、古河に挨拶へと来ることに間違いはないでしょう」

 「……あの、狸の良く回る舌を見るのは嫌だけれど、それじゃ、仕方ないわね……」


 まったく。

 俺も伯母上と同じ感想だ。

 幸いなのは、職分的に、俺が同席しないで済むであろうとのことぐらいか?

 うん。家康殿が古河入りしたなら、その頃合いをはかって、俺は鎌倉に戻るとしよう。


 「それで、当家の対応としては家康殿の挨拶を受けることぐらいですか?……なにやら、大叔父上にはお考えがありそうだと承りますが……」

 「そう、上様のご推察通り。ここは徳川殿への牽制も兼ね、一つ新たな役職を造るのも面白いかと思いまして……まぁ、正月に新体制を発表したばかりでのことなので、少々急ではありますが、その一方で急であればあるほど、徳川殿への牽制にはなりましょう」

 「その案とは??」


 面白そうなので、思わず前のめりに尋ねてしまったな。

 いや、しかし、これは気になるだろう。

 なんといっても、徳川家に対する嫌がらせなのだ!面白そうではないか!


 「はっはは。景広も好奇心が旺盛ですね。……なに、甲斐・信濃・飛騨を東山道の国、東山三国として編成しているのと同じように、東海道の国の内、相模・伊豆・駿河を東海三国として編成するのは如何であろうかと考えたのです。更に、その中心を駿府にでも置けば……」

 「おう!それは面白い!徳川としても遠江・三河・尾張が組み込まれるかも知れぬと、気が気で無くなるか!」


 !!

 流石は伊織大叔父上!中々に強烈な嫌がらせではないか!


 それに、かの三国は、今まで、伊織大叔父上が小田原で見てきた地域。だが、それも大叔父上が諏訪に移られ、現実としては頭が不在であった場所……確かに、そういった面でも新たに編成をし直す必要はありそうだな。


 「なるほどね。伊織叔父上の考えはわかります……しかし、それだけの地域、誰を充てますか?」

 「私としては、景藤の娘たちに任せたいところではあるのですが、それでは今一つ、徳川殿への牽制になりかねないので、ここは兄上にお願いしたいと考えております」

 「む?俺か??しかし、俺は下野で北関東の兵を束ねていた方が……と、いや、そうだな。四国連合の形も変わってきたのだ。俺が下野でいつまでも抑止力を持することもないか……良し、引き受けよう。だが、俺の後任はどうする?」

 「配下はそのままに、景竜にその役職も兼ねさせれば良いのでは?」


 おお。俺も賛成だ。

 景竜叔父上ならば、北関東の政務に伊藤家の中核軍を抑える役目、そして造幣奉行と、全ての役職を十全に行えようものだからな。


 「……その、私の役職が相当に多くなりは……」

 「大丈夫よ!竜丸なら問題ないわね。私も伊織叔父上の意見に賛成します。仁王丸は?」

 「私も賛成です。……実務を行っている者達は移さずに、伊藤家の武の象徴でもある義父上が駿府に入る。これ以上ない牽制を徳川殿に与えることが出来ましょう」


 うむ。鎌倉と古河を行ったり来たりをすることになる俺と同じように、景竜叔父上も厩橋と黒磯を行ったり来たりとなるのであろうな。

 いやいや、これで、今以上に伊藤家の街道は栄えることになりそうだな。


 ……ただ、そうなると、俺として考えていたことを伝えても良いかもしれんか?


 「上様、大御所様。俺からもそれに関連して一つ、皆様に考えて頂きたいことが一つ」

 「なんでしょう?景広兄上?……どうぞ、お聞かせください」

 「では、失礼して……景竜叔父上が上野だけでなく下野も見られる。そうなれば、叔父上は厩橋だけでなく、黒磯にも滞在せねばならなくなりましょう」

 「……そうですね。父上の配下の者達も多く残るので心配はありませんが、私がずっと厩橋に居続けるというのは、いかにもまずいでしょうからね」

 「はい。そうなれば、厩橋から黒磯までの街道は今以上に整備をしなければいけないところ……で、このことは俺にも当てはまると考えるのです。鎌倉から古河までの街道を整備拡張し、今以上にこの二つの町の交通を便利にしなくてはいけません」

 「その通りでしょうね」


 皆が俺の意見に頷いてくれる。


 「厩橋城から黒磯城までは片道約四十里、馬を飛ばせば一日で駆けることも叶いましょうが、壬生か宇都宮で一泊するのが普通でありましょう。ですが、この道は全てが当家の領内ですので、街道の整備、宿場の整備は問題なく行えると思われます。……その一方で、鎌倉から古河までの道は三十里弱なのですが、これがどうにも不便でして……当家の領内を通る形ですと、深見城から多摩川を越えて石神井城、荒川、利根川を越えて古河という面倒な道筋となってしまいます」

 「……確かに景広の言う通りに、鎌倉から古河までの道には高低差があり、一方の新旧東海道はどうしても佐竹領を通りますしね」

 「そうなのです。大叔父上!……そこで、皆様に一考して頂きたいのは、十年前の大嵐の後、ほぼ廃墟となっている様の江戸城を改修し、利根川、荒川の道を当家の主街道に出来ないかということなのです!」


 そう。この関東の内海。

 ここを今一度大きく発展させてみたいのだ、俺は!

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