第120話 伊藤太郎丸
天正九年 冬 古河 伊藤元景
「……そう、取り敢えずはあなたが無事で良かったわ、一丸」
「ご心配をお掛けしました。当初の想定とは違う動きとなってしまったがため、我が軍の損害を思ったよりは出してしまいましたが、敵の策を無効化することにはなりました。その後の戦はこちらの想定通りに進みましたので、結果としましては、無事、沼宮内迄の地域を確保することが出来ました」
「戦に想定外の出来事というのは付き物だ……景基が無事で、戦にも勝てたのだから問題はない……のだが……で、お主の脇におる童は何者なのだ?」
流石は景貞叔父上ね。
この場の全員が疑問に思っても口に出せなかった事を真っ直ぐに聞くとは……。
「……」
一丸も忠統も黙りね……。
年の頃は十五六?右目の眼帯が特徴的な……。
「ほれ、挨拶せい」
一丸に背を押され一歩前に出る童……。
何だか寄り添う男女みたいに見えるけど、二人とも男よね?
「はっ!伊藤家の皆様には初めてのご挨拶となります。某は伊達藤次郎政宗、輝宗が息にございます。以後、お見知りおきを!」
声変わり前なのでしょうね、少々声が高いけれども、良く通る声で確りと挨拶してきたわ。
……けど、輝宗殿は家督をこの政宗に譲っているはずよね?どうしてここに?しかも一丸にかしずくかのような格好で……。
じろり。
私だけではなく、皆の視線が一丸に向く。
「いや……その……私にも……その……」
「某、前の戦にて己の力量不足を痛感いたしました。家の者達の言葉に酔って、己の力量を過信していたようです。この上は兄者……いえ、景基様の下で、今一度武士とは何かを学ばせていただきたく、こうして兄者の下に身を寄せている次第!」
うん。「身を寄せる」というのは、そういう物理的な寄り添いではないと思うわよ?
「その……私から言うのもなんですが……政宗殿は大身の伊達家の家督を継いだのでは?良いのですか?そのような身の上で所領を離れていても……」
「構いませぬ!お言葉を返すようで恐縮ですが、このままの政宗の器量では逆に伊達家の為になりませぬ!聞き及ぶ所では、佐竹殿は古河に館を頂戴し嫡男殿が伊藤家の政を学んでおるとか。ここは、我が伊達家にも館の建設許可を頂きたく存じます!」
伊織叔父上のやんわりとした拒絶も通用してないようね……。
どうしようかしら??
ちらっ、ちらっ。
仁王丸を見やってから、叔父上達や竜丸を見やる。
……こういう時の安中の年寄り達は、揃って寝た振りをしていて「何も聴いていない」と主張してくる。
全く、忠平の良くない癖が息子と孫に受け継がれているわよ!
「……政宗殿の決心は変わりませぬか?」
「変わるもなにも、政宗は兄者に付いて何処までも行くだけで御座る!」
「輝宗殿や御家臣、政宗殿の近侍の者達は?」
「父上も初めの内は渋っておりましたが、最後には某の説得に応じて下さいました!近侍の者、片倉は某の向かう所なら何処までも付いてくると言うておるので、問題ありませぬ!」
問題は大有りのような気がするけれど……何かしら、晴宗公のうつけ気質は孫に受け継がれたのかしらね?
酒乱の気まで受け継がれているのは嫌よ?
「しかしだな……当家としても古河に伊達家の館を建てるのは問題ないところではあるのだが……景基の居城は白河は羅漢山だ……流石に羅漢山に伊達家の館を造るのは……なぁ、伊織よ」
「えぇ?!そこで、私に振るのですか?兄上!」
「……兄者の下には居られないのですか……?」
止めなさい、政宗殿。そんなに涙を目に溜められても……。
どうしようかしら、流石に元服しているとはいえ、いまだ十六の子供にそんな顔をされると対応に困ってしまうわ……。
「ふむ。大御所様、予定からは数年早まりますが、ここは以前からの計画通りに一丸兄上を……」
予定通り……そうね。
それも手かもしれないか……。
よし、いいでしょう。
「政宗殿、そのように悲しそうな顔をしない。貴方も武家の男、しかも家督を継ぎ初陣も終えた男でしょう!?」
「武家の男……ああ!はい!そうです!」
政宗殿は目元を拭い、ぎゅっと正面を見据え直した。
何かしら、やっぱりこの子は可愛いわね。
童時分の太郎丸や竜丸よりも庇護欲を誘うわね。
「ここはいま少し、席を外してはくれぬか?政宗殿。……なに、悪いようにはせぬ。今日のところは宿でゆるりと湯でも浴びて、明日、また話をしようではないか?な?」
「……はっ!上様がその様に仰られるのならば、政宗に否は御座いませぬ」
「そうか、では政宗殿、また明日な」
仁王丸はそう言って、政宗殿を下がらせた。
……当初の計画通り、そうね太郎丸も身体が大分動くようになったし、問題はないかしらね。
天正九年 冬 古河 伊藤景竜
当初の予定通り……いや、五年も早めるのはどうだろうか?
私としては太郎丸様には、まだ勿来にて気楽な童時代を楽しく過ごしていただきたい所ではあるのだが……。
「竜丸は反対かしら?」
いつものように、私の心の奥底迄をも見透かしたような瞳をもって姉上は私に問うて来る。
「反対……ではありますが、上様と大御所様がこの件に前向きならば、それはそれでありかと……」
「なんだなんだ?俺には今一つ理解できておらぬ内容なのか?……竜丸、説明せい!」
いや、父上にも話を通しているかと思うのですが……。
「つまり、東山三国で行われているように、古河にも連合に与する緒将の館を造り、皆を古河に住まわせるのはどうだろうかと……また、さすれば、古河には多くの緒将が集まる事になるので、当家の一門衆も景基様を筆頭として整理をし直して厚みを増し、景基様を頭に政務を古河にて執って頂こうかと考えておりました」
「……なるほどな。確かに、諸将だけを古河に集めておいて、当家の一門がばらばらでは話の整合性がつかぬし、諸将らに変な勘繰りをされるか……別に、当家は空き巣のごとき真似をする気などはないのだがな」
「はい。それに、こう申しては何ですが、長年家老職を務め、家臣団を纏めてきてくれた忠宗、忠清も年を重ねております。忠法も出来る男ではありますが、今の任地の安房を外すのは如何にもまずいと考えますので……」
そう、安房の状況だが、思った以上に忙しくなってしまっている。
私も当初は、その領地の小ささから、そこまでの仕事量になるとは思っていなかったのだが、実際には奥州と東海を結ぶ大事な海上交通の要所としての働きと、珍しい産物を産する領地の統治が忙しい。
更に、当家が治めるようになってからというもの、つまりは獅子丸が城主となってからだが……館山城下は大いに栄え、水軍基地に博多や堺の商人達の商館だけではなく、明やスペインの商人街までもが出来始めている。
当家の三大都市、古河、鎌倉、勿来・岩城平には及ばぬ人口ではあるものの、その人種の多彩さは当家で一番の土地かも知れない。
やはり、ヨーロッパで生まれ育った男が領主、正確には違うが、そういうものを務めている土地というのは、彼らにとって、何かしらの親近感を抱くことになるのでしょうかね。
そうなると、此処までの道筋をあの時点で読んでいた兄上は流石としか……私もまだまだ未熟ということですね。
「それについては儂の方からも……」
おや、政宗殿がおられる間は寝たふりを決め込んでいた忠宗からも一言あるようですね。
「おお!ようやく目が覚めたか?忠宗よ!」
「ほっほほっほ。そう、意地悪を言わないでくだされ、景貞様。……これも主家の面倒を広げぬための処世術でございますよ」
……本当でしょうか?
「で、家臣の纏め、家老としての役割ですが、……これまでは棚倉時代の安中と柴田の二家が中心となってまいりましたが、やはり奥州は久慈から能登、飛騨、駿河などまで広がった当家の領地にはそれなりの数の家臣たちがおります。奥州や古河、鎌倉などの拠点は我らが十分に抑えておりますが、やはり多くの土地には地縁を持った武将たちが諸々の仕事をこなしていることも事実です。彼らにもきちんと勤め上げれば家老までは手が届く、と見せる必要がございましょう」
……そうですね。今や、四国連合の治める地域は、まさに日ノ本の東半分。人口だけで言ったら三分の二にも迫ろうかという大きな領地ですから。
それだけの広大な領地を抑える筆頭の家として、人材を求める方法、上に登ることが出来る姿を見せることは必須とも言えますか……。
……個人的な思いとしては、太郎丸様の邪魔になりそうな余所者が立ち入るような前例は造りたくないというのがあるのですが……。
「……つまり、棚倉時代から付き従う家でなくとも、伊藤家家中では上り詰めることが出来るのだと示すためにも、家老職には安中・柴田・北畠以外の家の者を入れる必要があると考えます」
「ですが、なんと言っても家老職、家老のその上、まとめ役にはどうしても一門衆の方が必要かと考えております」
忠宗の言を継ぐ忠清。
……そうですね、ある程度の思いと方向性は彼らから聞いてはいましたが、こうして評定の席ではっきりと言われると、事の重大さが身に沁みます。
「……ある程度は今までも話し合ったことではあったけれど……仁王丸。貴方にこの件の調べを任せていました。貴方の考えを改めて教えて頂戴」
「はっ!大御所様。……まずは、軍務方と政務方に大きく分け、軍務方には各地域の軍統括を置き、政務方には土木奉行を初めとする奉行を置きます」
「おう。それは今までとは変わらん姿だな?」
大きく頷く父上。
「左様です、義父上。ただ、組織として軍務方と政務方の上に長を置き、古河にて執務をしていただきます。……この役職こそ、コンスル、統領ということで考えております」
「なるほど。確かに今までのコンスルという役職は景藤が自由に働けるように作ったものでしかありませんでしたからね。言ってしまえば、役職名はあっても職分などは何も決めていませんでした。……そこを名実ともに決めてしまえ、ということですね」
「はい……ただ、本来であればこの役職は、兄上たちではなく、長年伊藤家の文武を支えてこられた義父上と大叔父上にこそふさわしいものではあるのですが……」
「元清よ、気にするな。俺も伊織もそのような名前になど、何の重きも持ってはおらぬわ」
言い切る父上と、大きく頷く叔父上。
まぁ、伊藤家の人間はそうでしょうね。
ただ、外からの見え方という物もあるにはあるのでしょうが……。
「それで、俺と兄上に軍務方と政務方の長としてのコンスルに就けと言うわけか……正直な所、古河でもこれまでの執務が行えなくなるわけではないが、……勝手はだいぶ悪くなることは確かだ。ある程度は古河と鎌倉を行き来しても構わないだろうか?」
「ええ、景広兄上には季節毎とか、三月毎のような形で古河と任地を行き来して貰えれば良いかと考えております」
「……なるほどな。私は筆頭ということで古河詰めか……では、奥州を……と、そうか、父上か」
「ん??」
景広はピンと来てないようですが、景基は理解したようですね。
「太郎丸には来る正月に、正式に伊藤家惣領としてのお披露目と……やはり羽黒山かしらね、羽黒山城城主として棚倉に入ってもらいましょう」
「左様ですな。大御所様も家督を継ぐまでは羽黒山城で城主をされておりましたからな、太郎丸様にも羽黒山に入ってもらうのが宜しいかと……」
やはり、安中の者達の兄上に対する思いは並々ならぬものがあるのですね。
阿武隈の山中ともいえる羽黒山に兄上が入られるのが、よほどに嬉しいのでしょう。忠宗も忠清も大喜びですね。
「……その職分ですと、水軍の扱いはどうなりますかな?景基様の指揮下に入るのは問題ないのですが、古河に常駐されるとなると、今までとは勝手が違いますからな」
「「それについては!」」
おや、姉上と声が重なってしまいましたか。
私は軽く目を伏せ、姉上に言葉を譲る。
「それについては、無理に景基の下に付けることもないでしょう。今までも水軍は勿来の水軍を頂点に土地々々の指揮下、奥州の指揮下で動いていたのですから。……つまりは太郎丸の下で信長、あなたが纏めなさいな」
「はっ!ありがたく!」
信長もこの辺りの考えについては共に作り上げてはいるので、事前に知っている内容のはずですが、やはり、評定の席で今一度確認をしたいところだったのでしょう。
きつい役目の七尾城城主に息子の信忠を送ってくれているのです。我らとしては、信長に無理は言いたくありませんし、なにより、信長は兄上の下でこそ輝くであろうということですから。
「では、少々話を戻して……まず、政務方の問題は奉行衆と家老衆の意見を評定衆が纏め、評定の席で話し合う。そして軍務方は統括衆の意見を家老衆と評定衆が纏める形。水軍衆は各提督の話を信長から太郎丸さ……太郎丸に繋げる形で良いでしょうか?」
「「ははっ!」」
形は決まりましたね。
あとは統括や奉行、増やす家老の人選といったところですか。
今と役割は大きく変わりはしませんが、何名かは伊勢家や武田家の流れから指名しなければいけないでしょうね。
「それでは正月の吉日を選んで、この旨の話を全家臣に行いましょう」
1582年 天正十年 正月 古河
何度生まれ変わっても、こうしてじっとしているだけの席というのは性に合わないな。
「……と、この時を以て、伊藤家ではこの新体制を組むこととする!以下、新たに軍統括、奉行衆、家老衆、評定衆を発表する!……上様……」
「ああ、……まずは軍統括、奥州統括、
「はっ!」
この辺りの人事は事前に姉上から聞かされていたし、特に意外な所もないので気にしない。
奥州は安中一族でなくては駄目だろうし、関東は景貞叔父でなければ駄目だろうさ。
「……東山三国統括、諏訪勝頼!」
「はっ!」「「おおぉ~!」」
う~む、やはり武田家からの抜擢ということでどよめいているな。
ただまぁ、武田家も晴信君が色々とやらかした感はあったけど、晩年には卑怯な行いなどはせず、武家の名門としての矜持を保ったまま長尾家、真田家の軍門に降った形だったからな。意外な人事とはいえ、反発する者はいないだろう……たぶん。
「……家老衆、筆頭家老、
「「おおぉぉ!」」
勝頼の発表よりもどよめいているな。
安中、北畠は言わずもがな、また真田の二人は別格として、大道寺政繁、福島藤成の二人は意外だったのだろうな。
大道寺政繁は北条家、伊勢家旧臣の中で一番早く当家に降った武将だ。
政繁自身は霞姉上(?)を娶り嫡男の
とはいえ、まったく重用されてこなかったわけではない。これまでにも幾度か数万の軍を率いたことがあったし、今でも岩付城城主として武蔵の南をよく治めてくれている。
けれども、こうして家老の一人として扱われるというのは抜擢ではある。
ただ、抜擢といえば福島藤成の方が目立つな。
名将、福島綱成……北条綱成の嫡男である彼は、小田原攻囲の前に帰順を申し込んできた男だ。彼の策によって小田原城は落城したし、後には風魔一族を当家に紹介した功績もある。
今は、父の綱成、息子の
……領主ではないが、地縁深き城主として政務を執っている男だ。伊藤家におけるこれまでの甲斐・駿河・伊豆方面への出兵に関しては、この二城の存在なくして計画は成り立たなかっただろうなぁ。
「……また、この新体制の要として、我が兄、景基が一門衆筆頭として古河に常駐し、私の補佐を行う。……そして、兄が奥州を留守にする形となるため、今後は伊藤家惣領、太郎丸を羽黒山城城主とし、奥州の差配を任せるものとする!」
「「おおおぉ!」」「「なんと!!」」「「わずか七歳、元服前の子にして!!」」
……やったね元清パパ。俺に関する発表が今日一番の盛り上がりじゃないかっ!
「では、太郎丸よ。……皆に挨拶を」
え?
挨拶?
ナニソレ、キイテイナイヨ。
「……太郎丸!適当でいいからなんかしゃべりなさい!」
小声にしてはナイスな圧が掛かった姉上からの叱咤激励。
まいったね。
「あ~、私が伊藤太郎丸である。これより羽黒山に入り、伊藤家の源である奥州、阿武隈を見ることとなった。……彼の地は高祖父、景元が拓いた土地である。私も伊藤家の男として、高祖父同様、彼の地にて東国の安寧の為、己の総てを賭け、邁進する覚悟である。……ついては皆の力を貸して欲しい。よろしく頼む」
……こんなところ?
「「おお!!」」「「まさに太郎丸様じゃぁ!!」」「ありがたや、ありがたや!」「……弱気ではないのか?」「何を!このような言いようこそ伊藤家の方々の証よ!」
……こんなところだよね。
思わず姉上と信長を目で探してしまう。
あ、二人ともしかめっ面をしながらも頷いてくれている。
良かった、良かった。
だって、目元は笑っているもんね。
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