第117話 日本海航路を考えよう

天正九年 正月 古河 伊藤元景


 「して、竜丸。畠山家からの申し出に関して、直江殿は何と?」


 年が明けて天正九年の正月、能登畠山家当主の義続よしつぐ殿から、所領献上の申し出があった。


 義続殿曰く、能登は地形上完全に孤立しており、主家の長尾家の支援も見込めずという状況に加え、足利の世が終わった。そこで、ここは一族で京に上り、畿内国の施政を手伝ってはどうか、との鷹司良房卿の助言に従うとのことだ。


 「はい。お互いに義続殿の言い分を照らし合わせまして……だいぶ兼続殿はご立腹でしたね。「支援が無い」とはどういうことかと……」

 「長尾家が介入した北陸騒動では、畠山はそれほど悪くない結果で終わったはずだがな。俺には今一つすっきり出来ん申し出だな」


 確かに、景貞叔父上が申されることには同意ね。


 あの頃の越中を中心とした地域は、武家に寺社一揆勢などが入り乱れ、誰が良いだの、悪いだのとは言えない状況ではあったけれど、結局の所、最初に軍を興し他領に侵攻を始めたのは畠山家。自分から戦を初め、戦に敗れても元の所領は安堵されていた。

 ……十分に納得のできる結果ではあると、私は思うけれど。


 「兼続殿が手に入れた話ですと、本当の理由は能登畠山のお家騒動のようです」

 「お家騒動とは?」

 「そもそもが、越中への畠山の侵攻は重臣同士の足の引っ張り合いと主導権争いが発端のようです。その権力争いも長尾家の仕置きで一応の落ち着きはしたのですが、そこからの二十年。主家と家臣での綱引きは引き続き行われていたようで、気が付けば主だった家臣は軒並み出奔、もしくは断絶。主家たる畠山家は血脈こそ残っておりますが、満足に領内を治めることが出来る人脈が枯渇してしまったようです。最後の機会を求めて上杉討伐に名乗りを挙げましたが、結果は能登一国安堵の現状維持でしかなく、むしろ上杉方との戦によって更なる人材難に陥ってしまったとのことです」


 本当に戦なんかする物じゃないわよね。

 私が経験した戦は軒並み伊藤家が勝利をして、当家もこの数十年で大きくなったけれども、ご先祖様達は何回にも渡って、文字通りに一家滅亡の危機を迎えている……。


 今の状況が良いとはいえ、無駄な戦はしないに限る。

 ……一方で、避けられない戦はなんとしても勝たなくてはならないわね。


 「畠山も足利一門の中でも、名門中の名門。……いえ、名門だからこその家中騒乱なのでしょうかね。して、どういう決着の案を直江殿はお持ちだったので?」

 「はい。伊織叔父上。兼続殿としては、義続殿の言い分を飲むことにすると。幾許かの所領を残し、公家の荘園のような形で維持させると……それ以外は全て、長尾家内で処理をするそうです」

 「ならば、話はそこまでだな。当家としては、穏やかに能登の仕置きが行われるのならば、関知するところではない話だ」

 「……ええ、本来ならそうなのですが……」

 「「本来なら?」」


 竜丸も嫌な言葉を使うわね。


 「兼続殿は、このまま能登の接収を行い、治めて行った場合、旧畠山重臣が豪族化して能登が荒れるのではないかと心配しております」

 「……出奔していた重臣というのは、その大多数が長尾家の武将たちの下に身を寄せていたであろうからな。当然、自分たちの旧領やら隣領とかは欲しくなって騒ぎ出すのであろうな」

 「そうなのです。兼続殿も父上と同じ懸念をしておりました。……私もまったく同じ懸念をしております。……今の長尾家は西に勢力を伸ばし、北近江から若狭、丹後までを制圧し、但馬、因幡の山名家を傘下にしております。戦により西に広がった土地にも限界が見えているので、一部の武将たちが次なる獲物を能登に定める可能性があると……」

 「自分の所にいる客分の畠山旧臣を使って能登を切り取りたい……そう考えている者が多いのね」

 「その通りです」


 それはなんとも……。

 そういえば、前関白殿も北近江までは認める形であったけれど、丹後・若狭、ひいては山名家までをも傘下にしたことには危機感を覚えている者が京には多いと仰ってたわね。

 前関白殿は「そもそも公家が武家の手綱を取りまわせると考えることこそ、時代錯誤ではありますな」などと仰ってはいたけれど、きっと、本心では前関白殿も同じ考えでしょうね。


 「そこで、当家に七尾城を治めてもらえないか、と言うのが兼続殿の提案なのです」

 「……提案は城だけなのですか?叔父上」

 「……いえ、上様のご推察通りに城だけでなく、七尾湾一帯を治め、能登から酒田に至るまでの北北陸の海運開発を手伝って欲しいとのことでした」


 ……なるほどね。

 やはり仁王丸はこういったことへの洞察は深いわね。


 「能登から酒田……どう考えるの?仁王丸」

 「はい、母上。……これらの地域の湊は、酒田、新潟、佐渡、柏崎、直江津、富山に七尾といったあたりが代表的な所でしょう。これらの湊は近くに城と城下町を抱え、それなりの商圏を持ってはいますが、正直、当家の湊に比べれば規模は遥かに小さいものです」

 「ふむ。しかし、元清よ、佐渡には金銀が豊富にあるぞ?越後の山中にも鉱山は無数にあるし、ある程度の規模の海運は考えられるのではないか?」

 「いえ、義父上。残念ながらそれほどには成りますまい。金銀は貴重なれど、それだけではただの綺麗な石に過ぎません。物に変え、銭に変えねば話が始まりませぬ。……更に、変えた銭を回さねば、まさに宝の持ち腐れ……結局は人が少ない彼の地には、その点でどうしても限界が生まれてしまうのです」


 そうね。比較的穏やかだった越後にはそれなりの人が住んでいるけれど、関東とは比べるべくもない。佐渡の金銀を手にしたところでそれを元に交易をするものが、あの地域だけでは無いわね……。


 「では、元清はこの話は断るのが最善と思いますか?」

 「そうですね……今のまま……いえ、五年以内の状況では断るより他にないと考えます」

 「……五年以後は?」


 なんか、太郎丸みたいな言い回しをするようになったわね。仁王丸。


 「上手く行けばこの航路……日本海航路を西へと伸ばし、敦賀、小浜から京への商業路、美保関みほのせきを使った山陰との取引、そして今よりもずっと短くなるであろう博多との海路が出来上がります。更にはその先、明との航路や朝鮮、沿海州などとも繋がることで、いままででは想像もつかぬ賑わいを見せる地域となる可能性があります」

 「沿海州??」

 「あ、ええっと、昔の渤海国のあたりです。そのあたりは寒さが厳しく、最近は人が少なくなって久しい状況ではありますが、近年力を付けてきている女真族の一部に組み込まれている部分です」

 「ふむ。……しかし、人が少なくなっているのならば、あまり交易相手としてはうまみが少ないのではないか?」

 「えぇ……そうですね。今のところは除外しても良いですかね」


 今のところ、か。

 なにやら、仁王丸なりに思うところはありそうだけれども……。


 「まぁ、沿海州とやらは今は忘れていいでしょう。それよりも、朝鮮と明を見越した港づくりを行うかどうかと言うことでしょう?日本海側には当家の拠点や湊、造船所は無いから、その点をどう考えるかよね。何より、能登は長尾領で分断される形となるわけだし」

 「そうだな。色々あったが、有難いことに何とか兼続殿を通じて長尾家とは良い関係を築けてはいる。だが……もしもの時は、七尾湾一帯で当家の本軍到着までの最大一月か……保たせられるだけの兵を養っていけるか?」

 「難しいでしょうね。それこそ、義続殿が越中になだれ込んだ時でも一万は大きく下回っていたはずです。当家が治めれば、水軍を動かして一万は養えましょうが、それも能登一国と考えての場合ですね」

 「そうなると、今回の七尾湾ではその半分が良いところですか……」


 七尾城は堅城だとは聞くけれど、五千で数万の兵を迎えての籠城とは、いったいどれだけの日数保つことが出来るかしらね……。

 また、それを為すためには半端な人物を七尾城には置けない……。


 「城主はどうする?元よ、何ぞ考えでもあるか?」


 景貞叔父上も答えにくい問題を寄越してくるわね……。


 「恐れながら、大御所様……」


 ん?聞き役に徹していた信長がどうしたのかしら?


 構わない、と一つ頷きを返して先を促す。


 「もし適うのであれば、私の息子の信忠では如何でしょうか。あいつは今では伊藤家の水軍では一角の武将となり、私の片腕として立派に働いております。何より、七尾城を預かるには水軍との連携が必須。その点では中々に頼もしい存在だと、手前味噌ながら考えます」

 「……良いのですか?信長?ことがあれば、信忠は一番つらい目に遭うことになりますよ?」

 「ははっは。伊織様からそのようにご心配頂けるとは有り難い。なに、大丈夫です。信忠ならばしかとお役目を成し遂げることが出来ましょう」


 そう、長尾と手切れ、交戦状態にでもなったら、真っ先に危険にさらされる城なのだけれど……実の父親がそこまで言うのならば間違いはないのでしょうね。


 「仁王丸はどう考えますか?」

 「……信忠殿なら間違いないかと……補佐には前田利家殿を付けての七尾湾の開発。これには一考の価値があると思います」

 「なるほど。上様の仰る通り、利家を付けられるのならば万全ですな」

 「……ならば、その方向で考えてみましょう。竜丸もその方向でどうなるかを考えてみて」

 「はっ。しかと!」


 ……そうね。とりあえずはこの話、孫さんのお店で待っている太郎丸にも相談してみましょうかね。


1581年 天正九年 正月 古河


 「……ということで、能登の七尾湾をどうするかという話があるのだけれど、太郎丸は何か思うところあるかしら?」


 数え六歳の正月、古河は陳さんの弟子の店、孫家飯店の離れである。

 そろそろ身体も思う通りに動かせるようになり、日々の運動も輝の指導の下で行っている。


 ……って、七尾湾ね。


 「そうだね~。意外と日本海航路の構築を考えるには良い話なんじゃないかとは思うよ?阿賀野川から新潟の湊を通って七尾湾まで繋げれば、奥州と能登が繋がるわけだしね。きっと陸路を使うよりも相当に時間を短縮できる道が出来上がるだろうし」

 「なるほどな。ならば、いっそのこと兼続殿に話を通して、新潟に当家の代官所でも作らせてもらうか?流石に城は作らせてはくれぬであろうが、ちょっとした代官所なら可能性はありそうだしな」

 「お!流石は吉法師、それは名案だな!」


 会津を拠点とすれば、新潟まで一日、海に出てから一日の最短四八時間ぐらいで繋がるんじゃないか?

 しかも七尾湾は、波よけ、風待ちの湊として最適だろう。大きな湾なだけに当家の帆船も十分に入れるしね。能登にドックを造って日本海航路の中心として機能させれば……なんて夢が広がるよね。


 これまでは太平洋を大回りしてから豊後水道に入っての博多だったもんね。

 これからも太平洋航路が当家の交易の主軸となることに間違いはないだろうけど、日本海航路が拡充できるのならそれに越したことは無い。


 「要するに太郎丸は七尾湾を貰うことに賛成なわけね?」

 「うん。伊藤家は今のところスペインとの交易で潤ってはいるわけだけれど、やはり、明との交易が可能ならば、それを行うに越したことは無いよね。なんといっても明は巨大なんだから」

 「で、あるな。やはり、商いをするのならば、人口の多いところと行うのが、儲けを大きくする一つの大事な手法であるからな」


 そそ、マーケット、パイは大きい方が強いというのは、間違いのないひとつの真理なんだよ。


 「……そういえば、仁王丸は沿海州とも言っていたけれど、何かそれについて思い当たる節が太郎丸にはある?」

 「お?沿海州か……う~ん。渤海国は滅びて久しいし、李氏朝鮮は沿海州までは力が及んでいない筈だしなぁ……っと、そうか。女真族か!」

 「お?!そういえば、その女真族というのは、上様もおっしゃっておったな?」

 「だろうね。女真族ってのは明が滅びた後に勃興する大陸の王朝の礎となる民族のことさ」

 「明が滅ぶ???」


 おや、仁王丸はそのことについて二人に説明しなかったのかな?

 姉上には鹿狼山の帰り道で、俺達は未来の記憶を持った存在だと話したと思ったけどな。

 ……と、あれ?吉法師には話したことあったっけ?なかったっけ?


 恐る恐る吉法師の顔を覗く。


 「……いいから、その話の続きを話せ。太郎丸よ」


 話したことあったっけ?……思い出せないな。

 まぁ、いいか。


 「明の建国は、確か室町幕府の成立から二三十年……もうちょっと?後の成立のはずだから、足利と同じように、そろそろ滅亡の足音が聞こえている頃のはずなんだよ。で、大陸でのいつもの歴史の流れ、中央が弱くなると地方が強くなり革命が起きる。その女真族というのが朝鮮の北にあって、次代の中原の覇者に成り得る……というわけ」

 「なるほどな。それゆえ、上様は次代の中原の覇者との間に、いち早く繋がりを持とうと考えたわけだ」

 「そういうことだね。ただ、今のところは明からは決定的な崩壊の話が聞こえてこないから、意外と女真族の勃興は遅れるのかも知れないけれど……阮小六からなんか聞いてる?」


 中国のことは中国の人に聞けってね。


 「いや、特には聞いておらぬな。……地方地域の腐敗というのは酷いものだそうだが、中央の宰相の地位にある者が優秀なために、国としては中興の相であるとか言うておったかな?」

 「そうか……」


 たぶんこの時代の宰相って張居正だよね?一条鞭法で有名な。

 それまで複雑怪奇だった税制を人頭税と地税にまとめて、それらを一括で銀にて納税させるというヤツ。納税方法の簡易化と貨幣通貨単位の新規統一。非常にオーソドックスな財政再建方法だよね。


 ……けど、あれだ。スペインは当家と貿易をしている関係だから、明との貿易は相当に細いよな。

 すると、銀納が出来るだけの銀が明にはなだれ込んでいるのかな?アレの元というか、明の銀子の材料って日本の銀とメキシコ銀だったはずだから……。


 まぁ、ある程度メキシコからの流入が減れば、それに比して日本からの流入は増えるだろうからね。

 実際に、日明貿易もかなり緩く、阮小六だけでなく多くの華僑商人たちが忙しなく博多と大陸を行き来しているようだし。……年一隻の交易船だとか、私貿易の禁止などは消え去って久しいとか言っていたような気がするしな、阮小六が。


 ふむぅ。そうなるとだ。


 「なぁ、吉法師よ。石見の銀山って未だに尼子が抑えているのか?」

 「ん?いや、違うぞ。今から三年ほど前に大友が制圧したはずだ」


 やっぱり、大友は銀での支払いが増えて、石見銀山がどうしても欲しかったんだろうな。


 「二年ぐらいをかけた大規模な戦の果てに、山陰は山吹城を攻略して石見までを、山陽は宮島までを大友が抑えているはずだ……おかげで数十名の鉱山技師を当家で抱えることが出来たからな。その者達は今頃は亀岡斎様の下で熱海の金を掘っておるはずだぞ?」

 「おお?知らぬ間に伊達家と熱海の金山に付いての話はついたのか?」

 「そうね……太郎丸が赤子だった間に、輝宗殿と一丸の間で話がまとまったわ。和賀に高炉を造ることを条件に熱海の金山は当家がそのままに利用する形となったわよ」


 ほほぅ。それはそれは。


 ……しかし、そうなるといよいよもって、金銀が大量に当家で採掘されるのね。

 使い道はどうなるんだろう……。これは早いところ竜丸に頼んで、銀貨、金貨の鋳造に手を出す日も近いのかな?

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