第118話 学問の都、古河

天正九年 春 棚倉 前田利益


 「お~い、暇だぞ?助十郎。……やはりここは明あたりにでも……」

 「行くな!馬鹿者が!……それよりもこやつらの始末はどうつけようか?」


 そう言って、助十郎は後ろ手に縛られた若者二人を蹴倒す。

 せっかく現実逃避の一つでもしようとしておったのに……無粋な奴め。


 「上泉様は何と仰っておった?」

 「心から反省すれば、更生の道を歩ませることも良いのではないかと仰っておる」

 「……更生ねぇ。……するかね?こいつら?」


 目の前に転がされているのは、鹿島神宮で修行に打ちこんでいる……いや、打ち込んでいた若者二名。

 剣の筋と根性は悪くなさそうなので、と上泉様が棚倉の鹿島神宮で最後の弟子として鍛えていたのだが……。

 どうにもなぁ……。


 いくら修行しても女子の美月様には勝てず、齢七十五を数える上泉様に扱かれ、しまいには年下の娘達にまで打ち据えられ、最後には暴発してしまった。

 ……神宮内にある巫女の居住棟に夜這いを掛けよった。


 もちろん、未遂というか、棟に立ち入った瞬間に美月様に打ち据えられ、こうして顔に青あざを幾つも作る形で縛られているのだが……。


 「むぐぐぐ」「む~っ!うぐっぐっ!」

 「何ぞ罪人共もしゃべりたいようだぞ?慶次郎」

 「……面倒だから、このまま首を打った方が世の為、人の為だと思われるが、一応はこやつらの言い分も聞くか」


 やれやれ、なんとも面倒だな。

 今までの鹿島神宮にはこのような阿呆共はおらなんだが……これも上泉様が高齢のために床に伏しがちなことが災いしているのだろうな。

 師匠……塚原様がおられたら、何とお嘆きであろうな。


 「ぷっ、ぷはっ!お、俺は何も悪くねぇ!」


 猿轡を外してやった第一声がこれだ。やはりこいつらは反省しておらぬな。


 「俺はこいつに連れられただけだ!悪いのは弥五郎一人だ!俺は悪くもなんともない!」


 ……実に悲しい。

 この二人の若者は、前原弥五郎と御子神吉明みこがみよしあきという。二人ともに、若君、太郎丸様の剣術指南役の候補として、心身を鍛えるべくここ、鹿島神宮へと住み込み修行していたのだがな。

 ……結果は、己の心を見つめることなど出来ず、一時の復讐心に駆られ女子の寝込みを襲うという卑劣な所業に手を染めた。


 「お主の弟分である吉明はこう言うておるぞ?何ぞいいわけでもあるなら、一応は聞いておくが?」

 「俺は……俺は納得がいかん!どうして男が女に負けるのだ!奴らは怪しい妖術でも使っているに違いない!さもなければ、地元では負け知らず!賊を何十人と切り殺してきた俺が負けるはずがないわっ!」


 ……救いようがないな。


 儂も昔の尖っていた頃は女子に負けるのなど、考えたことも無かったものだが……だが、それも大御所様と輝様に木の枝で打ち据えられる前までだ。

 確かに、女子に打ち据えられるのは、男子の沽券に関わるのかも知れんが、それよりも以前に、己の剣の腕が未熟だからとは考えられんのか?


 「はぁっ。……慶次郎ほどではないが、儂もこやつらを見切りたくなってきたぞ?」


 助十郎も儂と同意見か。

 しかし、儂も一応は伊藤家の剣術指南の役目を頂戴している身。伊藤家の下で修業をしておったこやつらに対し、少しばかりは責任があろうからな。


 「……で、本心で美月様に勝てぬのが不思議なのか?真、剣の腕で美月様よりも上だと思うておるのか?」

 「あ、当たり前ではないかっ!男は女よりも強い!女は刀なぞ握らず、男の帰りを家で待っていれば良いのだ!」

 「……大御所様は女子ながら、伊藤家の当主として二十年、初めて城主となられて三十年、戦に参加すること数え切れず、更には数万の軍勢を率いての大戦において何度も勝ちを納めておるぞ?それに剣の腕も儂に匹敵するというお方だ。……また、儂の姉弟子で、美月様の母上である輝様とて、未だに戦働きが出来るお方だぞ?剣の腕も儂が十回やって四五回勝てれば良いというほどの腕前だ。それでも男だからお主が強いのか?」

 「そ、そうだ!」


 うむぅ。

 これはあれだな。

 この二人のことを育てようとし過ぎて、現実を見せてなかったのが失敗の元だな。

 儂のように、勿来に付いた途端に木の枝で打ち据えられでもすれば、目が覚めたのかも知れんが……。


 「はぁ……」


 俺は深いため息をしつつ、二人の戒めを解く。


 ぱさりっ。

 縛っていた縄が解かれる。


 「良いのか?慶次郎」

 「構わん。一時とは言え、こいつらは伊藤家の飯を食ったのだ。少しでも更生の可能性が残されておるのならば、そこに掛けるのも悪くはあるまい……。さて、前原と御子神よ。お主ら二人はあまりにも未熟であり、世の理を何もわかっておらん童だ」

 「「なっ!!」」


 反射的に反論を始めようとする二人に殺気を放って黙らす。


 「まずは黙って聞け。そういうところが童だと言うておるのだ。……まず、自分が強者だと思っていることが愚か。男だから女よりも強いと思っていることが愚か。目の前のことをあるがままに受け入れることが出来ぬのが愚か。己が愚かであることを理解したくないと思うその心が愚かだ」

 「……言いたい放題だな、慶次郎よ」


 うるさい、助十郎は黙っておれ。


 「お主らは愚かであるがゆえに間違いを犯した。お主らは悪だから間違いを犯したのではないと、儂は思う。故に、今回に限りお主らの首は取らん。……だが、お主らが行おうとしたことは先代統領様の娘、現統領様の妹、上様の従妹への狼藉だ。本来なら問答無用で首を落とされても文句は言えぬことだ。……それはわかっておるな!?」

 「……」「……!」


 なんじゃ、御子神はことの重大さすら理解できておらぬのか……。


 「儂は伊藤家の臣。戦場では数多の敵を殺めて来たし、悪人共は進んで殺してきた。だが、儂の刀では無知な童を切ることは出来ん。お主らは二十前後。身体だけは大きくなっておるのかも知れぬが、心は無知無学な童に過ぎん。……故に命だけは取らん」

 「では……」

 「命は取らんが、これ以上伊藤家の領内に置いておくわけにはいかん。早々に領内から立ち去るが良い。諸国で見分を広め、学を磨け。少なくとも十年……いや、十五年経って儂や上泉様の心がわかるようになったら、もう一度、棚倉に来るが良い。儂が偉そうに言うのもなんだが、今一度、お主らの心を見てやろう」

 「「……」」

 「日が明けたら儂の下に来い、せめてもの餞別は用意してやる。それを持って早々に領内を出よ。……ほれ!もう夜も深い!とっとと、自分の布団に戻るが良い!」

 「「……」」


 儂がそうやって追いやると、二人は肩を落としながら弟子たちにあてがわれた部屋へと戻っていく。

 まったくな……。


 「……慶次郎よ。あの二人……生きて朝日を見ることが出来ると思うか?」

 「どうであろうな……五分五分というところではないか?」

 「五分か……良いのか?せっかく生かしてやろうと思ったのであろう?」

 「なに、他の弟子たちの怒りを買って討たれるのならば、そこまでの人物であったということよ。多少は鍛え甲斐があると見て取った、伊織様、信長様、上泉様に儂が無能であったというだけであろうさ」

 「そういうものか?」

 「そういうものさ」


 ……話を聞いただけで首を打とうとした儂もまだまだだということだな。

 人を放つは容易く、人を使うは難しく、人を育てるが困難であると言う。

 せめて二人の内のどちらかだけでも、人として成長して、将来の伊藤家に益ある人物に育ってほしいものだな。


天正九年 夏 古河 伊藤元景


 かんかんかんっ!

 かんかんかんっ!


 小気味良い音が聞こえてくる。


 ここは古河城にほど近く、武家屋敷が立ち並ぶ一角。

 そこの林を大きく切り開いて、今、一軒の大きな屋敷を建てている最中だ。

 最中?いや、敷地の詳細な縄張りと塀、母屋などは出来ているわね。現に今、私はこの屋敷の主人となる人物から件の屋敷で歓待を受けている。


 「この度は、城の傍のこのような素晴らしい一角に土地を賜り、誠に忝いことです。今後も上様、大御所様と轡を並べ、四国連合の一角として東国の安寧に力を注いで参りましょう」

 「いえいえ、そのような……。佐竹家のお力をお貸し頂いているのはこちらの方なのです。今後ともよろしくお願いいたします」


 元清がしっかりと頭を下げる。

 太郎丸の教育の賜物か、元清には偉ぶるといった悪癖は微塵も存在しない。


 「元清の申す通りです。そもそも伊藤家がここまで大きく成れたのは、棚倉に館を建ててくださり、それ以後も共に轡を並べて戦って頂いた佐竹家のおかげです。これからもより一層、両家の絆を強くしていきたいと思っております」

 「ははは。大御所様にそう言っていただけるのは有難い。これも曾爺様の決断が活きているのですな。いやぁ有難い有難い」


 そう言ってにこやかに笑う義尚殿。

 初めてお会いした時からそうだけど、義尚殿には嫌味な所がなく、話していて気が楽になるお人ね。


 「で、話は変わってこの屋敷ですがな。完成した暁には、私が古河に滞在するときに使うのは勿論のこと、常には息子の徳寿丸を住まわそうと考えております」

 「……前にもお聞きましたが、本当によろしいので?」

 「無論。口さがない連中は伊藤家の軍門に降るのか?などと言う者も確かにおりますが、いつぞやも言ったものですが、やはり、これからの四国連合は伊藤家を中心に纏まるのが一番だと思っております。それに古河は関東の中心であり、とても栄えております。寺社が立ち並び、南蛮寺も立派なものがある。そして、それらの僧や神職の者達は進んで塾を開き、領民に学問を教えております。日ノ本広しといえど、これだけ学問が進んだ町はどこにも有りますまい。なんといっても、日ノ本の学問や明の学問だけでなく、南蛮の学問までもが学べるのですからな。……これからの当家の発展を考えても、今後はこの屋敷に国元から多くの子弟を呼び寄せ、古河にて様々なことを学ばせる所存。ついては、その先鞭として息子を使わそうと考えているに過ぎませぬ」


 そうね。

 あれも太郎丸の発案だったかしら?勿来に女中塾を、古河に事務方塾を建て、大いに学問を学ばせることを考えたのは……。

 そのおかげで、今では古河には事務方塾だけでなく、多くの寺社による私塾が立ち並び、領民に読み書きそろばんだけではなく、様々な歴史や文学、技術や医学を教えている。

 また、当家には明からの人々やヨーロッパの人々も集まり、彼らも塾の講師として教えているものね。


 「義尚殿にそう言っていただけるのは非常に有難いことです。ただ、私としては今以上に学問を発展させるべく、「大学」を造りたいと考えております」

 「だいがく、ですか」

 「ええ、南蛮の国々では伴天連達が中心となって、国中の才をその場で鍛え、大いに国の発展に寄与しています。日ノ本では考え付かなかった南蛮船や鉄砲を造り、操る技術。それらも大学での学問の発展が無ければ生まれなかったでしょう。……これからの日ノ本、東国が更なる発展をしていくには、国中の才を集め、鍛え、そして活用していかねばなりませぬ。そのための一歩が「大学」なのです」

 「……なんとも、上様の描いている国の姿は壮大ですな。しかし、そうなればますます東国が栄え、日ノ本の中心としての役割が増すことに成りましょうな」


 そうね。

 たしか、前関白殿も東国の発展とその速度に大いに驚かれ、近いうちに若い公家を大量に送り付けたいとか冗談めかして仰っていたわね。……やっぱり、あれって冗談ではなく本気だったのかしら?


 「そうですね。私としては日ノ本の中心としてだけではなく、オリエントの、アジアの中心となることを願っています」

 「おりえんと……あじあ……ですか?」

 「あ!ええ、つまり……明や天竺、呂栄、朝鮮、越国や蒙古等、南蛮を西と見るならば、東の国々のことです」


 ……やっぱり元清は太郎丸と似通った精神を持っているのね。

 わからないヨーロッパの言葉が混ざるところなんかはよく似ているわ。


 「ははは!そうですか!明や朝鮮や天竺も含めてですか!それは壮大だ……なんでしょうな。上様と話していると、亡き鎮守府大将軍様と話した時のことを思い出しますな!」

 「……そうですか」

 「ええ、非常に似ておると私は思いますよ……と、そうですな。話のついでとは何ですが、上様、大御所様。その景藤様の娘と私の息子。どうでしょう、娶わせては頂けぬものでしょうか?」


 ……あら。

 まぁ、そういう話も出て来るとは思ったけれど……叔母としては、あまり彼女たちが望まぬ相手に嫁ぐようなことにはしたくないのよね。


 「それは有難い話ですが、徳寿丸殿も元服前。それにあの娘たちでは年が上になってしまうのでは?」

 「なに!そのぐらいが丁度良いのですよ、大御所様。武家の当主の嫁は生半可なことでは務まりませぬ。年上の女子が丁度良いと私は自分の経験からもそう思います」

 「義尚殿がそうおっしゃられるのならば、そういった物かも知れませぬね。……しかし、そうであっても当人たちの思いという物もありましょう。……そうですね、それでは徳寿丸殿も古河では学問を学ぶのでしょう?その塾で共に学ぶというのも良いかも知れませんね。互いに顔を合わせて行けば気心も知れるでしょうし、話はそれからでも遅くないでしょう。ねぇ、元清?」

 「……そうですな。丁度、大学の構想を練るための叩き台としての塾を始めようとしていたのです。そこで共に学ぶ形とすればよろしいかと思います」


 そうね……ただ、年齢が下の姪達。蘭と瑠璃と彩芽になるのでしょうけど……彼女たちは既に勿来の女中塾を卒業して、古河の事務方塾で勉強しているわよね。佐竹家の嫡男に対する教育を侮るわけではないけれど、一緒に学べるのかしら?自分で言い出したことだけれど、ちょっと不安ね。

 女中塾で教えている内容にしたって、私と母上が心血注いで作り上げた内容ですからね。それなりの武家の教育では敵わないものになっているわよ?


 「そう言えば、徳寿丸殿は今おいくつに?」


 重要なことを聞き忘れていたわね。これが肝心よ……元服前ということだから……。


 「おお、そうですな。それをまずはお伝えせねばいけませんでしたな。……徳寿丸は今年で十二です」

 「十二……なら、鈴音の方が年が近いのでなくて?」

 「確かに……」

 「鈴音殿というのは?」

 「私の娘で、当年で十となります」

 「なんと!上様の御長女ですか?!それは良い。もし可能でしたら、鈴音殿とも共に学ぶ機会を徳寿丸には与えてやりたいと思います」


 まぁ、こうなるわよね。


 「……そうですな。どのような内容を学ぶか……筆頭講師となる随風和尚と相談しておきましょう」


 そういえば元清の発案で、放光寺の随風和尚が古河での学問の長となることになったのだったわね。

 随風和尚のおかげで、多くの学有る立派な僧侶の方々が、比叡山から古河に来ているのだものね。

 なんにせよ、優秀な人材が集まるのは有難い話。


 徳寿丸殿も鈴音も蘭たちも、大いに学んで行って欲しいものよ。

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