第107話 三振目の神剣授与

天正六年 正月 古河 伊藤景基


 去年に引き続き、今年も明より歌劇団と雑技団が興行を打ちに関東にやってきている。


 去年の興行が大成功であったのだろうか、去年は一つだった座が増え今年は三つもやってきている。

 今年も引き続きやってきた杭州の座以外のふたつは、北京府ほっけいふ開封府かいほうふから来たとのことだ。地図を指さし、「ここから来ました」などと言うておったが、あまりの距離の離れ方に大いに驚いたというものだ。杭州と北京府など日ノ本が楽々一つ以上は入る距離であろうからな……大陸は大きい、大きいとは聞いていたが、ここまで大きいとは、未だに実感しにくいな。


 「コンスル様、なんとも大陸の「歌劇」なる物は優美でございましたなぁ。儂などは終演後に挨拶に来た女優の色香に、思わずクラっと行きそうになりましたぞ?」

 「まったく、秀吉殿は女性というものに弱い……奥州の政を束ねるお立場などですぞ?今少しは引き締めて頂かねば……」

 「はっはっは。これはお恥ずかしい、奥方様。その点は信長様からも、亡き後見様からもよう言われておったのですがな、これがなんとも……。鶴岡斎様からも人の性だからしょうがないがほどほどにせよ、などと言われておりましてなぁ。はっはっは」


 今日は夕餉の宴席までは、特に大きな行事が無いので、こうして古河の城下で妻の顕子と歌劇などを楽しんでいたのだが、知らぬ間に秀吉殿も合流し三人で散策を楽しんでいる。


 しかし、秀吉殿も過保護なことだ。

 私も二十五となったのだが、どうにも心配のようで、今日も偶然を装って私の警護をしている。

 妹達とは違い、私はそこまでの剣の達人というわけではないのだが、ここまででも数人の警護の者達の気配を感じている。

 わたしよりも鋭い顕子はもっと正確な所を把握しているのであろうが、細かいところをあまり気にしない女だ。護衛役が増えたことを素直に喜び、散策を目一杯楽しんでいるのだろう。


 「ところでコンスル様、腹などは空いてませんかな?この辺りからちょっと東側、古河の新市街に陳さんの弟子が出している飯屋があるらしくてですな。古河に寄った時には是非とも弟子の店に顔を出してくれ、と陳さんからも言われておりましてな。僭越ながら、予約なぞをしておりました」

 「あら、流石の手筈ですね、秀吉殿。旦那様、私も朝からの観劇で少々お腹が空きました。折角ですから、そのお店にご案内していただきましょうよ」

 「そうだな……私も羅漢山に移ってからというもの、久しく陳さんの……勿来の味から遠のいて久しい。ここは是非とも故郷の味を楽しませてもらうとするか」

 「そうそう、そういうことでございますな!では、どうぞどうぞ、ここからですと四五町ほどですかな?正面に見える高台の頂上裏手あたりになります」


 そう言って、正面を指さす秀吉殿。

 なるほど、城や各奉行所が見渡せる位置にあるのか……当家が近辺を抑えるまでは代官所でも置かれていたとしてもおかしくない立地だな。


 かの料理屋では誰が待っていることやら……。


 ……

 …………


 「おお!兄上も昼飯に招待されたか?」

 「誰かと思えば、お前か……他には?信長殿と……どうやら上様もな」

 「……上様もか」


 なんといっても秀吉殿の案内だ。信長殿がいることは予想していたが、……景広がいることもな。

 ただ、上様までいらっしゃるとは少々意外だった……。


 なんであろうか、元清への代替わりの宣言に先立ち、私たちの存念を城の外で聞きたかったのかな。

 だとしたら……少々、我ら兄弟を見くびり過ぎではないだろうか?

 我らは伊勢平氏伊藤家の男子。お家にとって最善と当主が判断されたことに異を唱えるような不心得者ではないのだが……。


 「呼び出して、申し訳ありませんでしたね。景基、景広」

 「何、夕餉の時間までは暇な一日でしたからな。なんということは御座いませんぞ、上様」

 「左様、我ら兄弟、上様のお呼びとあらば、どちらにでも……」

 「ありがとう……ただ、そこまで硬くならないで、今日は家族としての側面が強い話なのだから……」


 家族としての……?

 やはり元清の家督相続に関してであろうか?

 思わず、私は景広と視線を交わすこととなった。


 「信長、お願いするわ」

 「はっ」


 すぅっ。


 ふすまがゆっくりと開けられ、……なんだ?車輪付きの赤子寝具?


 「てる、すまないが、身体をおこしてくれないか?」

 「……はい」


 なんだ?

 輝殿も勿来からいらしていたのか……。

 そうすると、今の声は……?


 「よう、ひさしいな。一丸、中丸」


 そう言って片手を軽く上げたのは、元清の息子の……太郎丸?


 「はぁ……こちらこそ、久しいな太郎丸。お主は、まだ明けての三歳ではないのか?もう、そんなに喋れるのか!これは驚きだな!」


 なんだ……景広は大物なのか何なのか、普通に太郎丸が喋れることだけに驚きを示しているな。


 「まぁな。ようやく起きられる時間もふえ、しゃべっていてもそこまで疲れないようになったというものだ」

 「そうか、そうか、俺も叔父として嬉しいぞ。……で、上様。太郎丸が何か?」


 ……景広め気付かんのか?


 「……景広は相変わらずね。……ただ、景基は気付いたかしら?」

 「???」

 「……多少は……。して、太郎丸は何者なのですか?上様」


 三歳で古河まで連れてこられ、輝殿が傍に使え、脇に上様と信長殿がおられる……これではまるで……はっ!


 「そう言うことよ、景基。景広にもわかるように言うと、太郎丸は太郎丸ってことね。……あなた方の父親で、私の弟よ」

 「はぁ?!な、なにを言っておられるのです?上様?!」

 「……」


 やはり、そういうことなのか?

 確かに、私たちの名を呼ぶ、その時の間。手を挙げる仕草。けだるげな視線。

 どれもが亡き父上を彷彿とさせる……。


 しかし、そんなことが有り得るのか?!

 父上は卑劣なる京の公家どもの手に掛かってお命を失くしたのでは?!

 それに元清の息子として生き返られるとは……?


 「まぁ、なっとくするのはむつかしいよな。おれじしんもなっとくできてないし……まぁ、なんだ。今後はおい、おじとしてよろしく頼むぞ?」

 「え?……いや、え?ええ?」

 「……」


 景広は全く理解できておらんな。


 そうだな、ただの赤子に何らかの台詞を覚え込ませても……三歳でそのような芸当がこなせるとは思えんが。……万に一つ、そうだとしても。後ろには上様、信長殿、輝殿がいるのだ。

 これは伊藤家としての確定事項だということだな。私たちの最終的な意思に関わらず。


 上様がおられるということは、一門としての決定はなされていることを意味する。

 信長殿がおられるということは、伊藤家水軍、貿易部門、工業部門が賛成をしていることを意味する。

 輝殿がおられるということは、景文院様や母上を初めとする伊藤家の奥一切を預かる者達の同意を意味する。


 事後の報告であるというのが、中々に引っかかるが、たしかに、三歳の赤子が自分の父親かどうかを見極めろ!……などとは出来ようはずもないものな……。


 「えっと、その……あの?父上なので?」

 「そう言われると返事がしにくいのだが……すくなくとも、おまえたちの父だったきおくをもつあかごであることはたしかだ。……なんか、すまんな」

 「いえいえ、お気になさらず……父上もご自分の意思でこうなったわけではないでしょうからね。……複雑な気持ちではありますが、中丸はもう一度、父上と会えて幸せですぞ!日ノ本広しといえど、死した父親とこういう再会を果たす男などおらぬでしょうからな!……と、兄上との二人でしたな!あ~はっははは!」

 「……」


 なんだ。景広のやつは妙に受け入れが早いな。


 「景基、……あなたは受け入れ難い?」

 「……いえ、そのようなことは。……ただ、私は何でしょう。自分の心で消化しきれぬのです。父上が、前の記憶を維持されたまま四十も若く生まれ変わられた。それも、惣領たる……今日の夜には伊藤家の当主となる元清の息子として……。これほど喜ばしいことはありませぬ。……ただ……ただ、なぜに神仏は父上を……」


 ああ、そうか。

 私が納得しづらいのはそういうことか……。


 「……父上を私と顕子か有との間に授けてくれなかったのかと……」


 ああ。

 私は父上と再会出来てうれしいと同時に、自分の子として育てられず、悔しいのか……。

 そうだな、本当は元清に惣領と当主の座を取られるのが悔しかったのかも知れんな……。


 「ずっ!……ぢ、父上……お懐かぢゅうございまず……一丸は、ぢぢ上と再会出来てうれしゅうございます……」


 なんだ……恥ずかしいな。

 十数年ぶりではないか?

 こんなに人前で泣くなど……。


天正六年 雨水 宇都宮 伊藤景貞


 ぴ~、ひょろ~、ろりろ~、ぴゃぁ~!

 ぴゃゃぁ~、ぷぽぉぅ~ぷぅぺぇ~!


 宇都宮二荒山神宮での神剣授与の儀。

 祖の秀郷公が受けたとされる故事を復刻すること三回目。

 一回目は兄上、二回目は元、三回目は元清か……。

 俺が死ぬまでには太郎丸が受けるであろう四回目が見れると良いのだがな。


 しかしなんだな、この儀式の時はいつも季節外れに暑い日になるな。

 今日も、この日差しなら、下野の雪は全て解け切ってしまいそうな勢いだぞ。


 うむ。この調子なら、今市城に通ずる街道も、今年は復旧の手を開始するに、早くに取り掛かれそうだ。

 ただ流石に、黒磯から白河の関の方は未だ厳しいであろうがな……。


 ふむ。そういえば俺も参加するのは三回目であるが、儀式を執り行う広綱殿も三回目か……確か、初回の時には未だ十代であったな。

 それが、今ではいいお年……。そうだな、俺も年を取るわけだ。

 ……還暦を過ぎ、孫も五人いるわけだからな。


 俺も年を取って大いに変わったが、伊藤家も大きく変わった。

 父上から数えて四代目の元清が当主となり、領地も棚倉の館一つだったところから、今では何国だ?

 直接差配する国でも……十一か……。

 今日のこの場所で、元清の神剣授与を見守る国数で言えば、三十国にもなるのか?数え方は諸々あるだろうがな。


 ふむ。

 あとは参列者の中で変わった者達と言えば、京より公家衆が十数名。

 九条、一条、二条に鷹司の当主が勢揃いか……。

 前関白殿もだいぶ頑張っておられると見えるな。

 商人たちの話では、三好の丹波攻めは上手く進まず、逆に四国では長曾我部に三好が追いやられていて、大変な状況と聞いているがな。自分たちで始めた足元での火遊び、無事に着地出来ると幸いだが?


 儀式の方は元が神剣を広綱殿に戻すところまで進んでいる。

 この後で、神剣を受け取った広綱殿が神前で祝詞を上げ、元清に渡すことで儀式は終わる。もう少しだな。


 俺は軽く首を揉み解した後、姿勢を直し表面上は清淑に式の進行を待つ。


 そう、元清だ。

 俺の娘の真由美の婿。

 うむ。あいつは色々な意味で面白いやつだ。


 太郎丸のように、誰に教わるでもなく異国の言葉を操り、常識にとらわれない柔軟な発想をもつ変わった子だ。ただ……発想は柔軟なのだが、行動というか、大元のところでは頑固で古風なのよな。


 また、あいつは意外と他人を信用できない質なのであろうな。

 慎重も行き過ぎては、不信を買うことになるのだが……そのあたりは、俺や元が教え込まねばならんかな?こちらが相手を信用しないときは、往々にして、向こうもこちらを信用してないというもの。

 信用などというものはどこかで、心を開く必要があるのだが……そうだな、養父の景藤を毒殺されているわけだからな、中々に人を信用するというのは難しかろうな。


 実母の鹿狼の加護に対する一件もあるわけである、か……。


 まぁ、そのあたりは置いておくと、元清は良い当主であろうさ。

 当家の当主の役割は対外的な折衝窓口、外政が任となる。あの世代の伊藤家の者としては、性格的に一番向いているであろうな。景基では昏過ぎ、景広では軽すぎ、用心深すぎるきらいはあるが、元清が一番向いていると俺は思う。


 そう、外政と言えば、今日の参列者の中の武家、伊達と佐竹は良いとしても、長尾は胡散臭いし、徳川はあからさまにどうしようもない部分がある。斎藤と長野は従順だが、六角は東国ではないからな、彼ら自身も畿内の方しか見ておらん。


 公家連中は、景藤の一件でひけめがあるからだろう、今のところはだいぶ大人しいものだが、奴等はその存在自体が権力闘争そのものを体現しているようなところがあるからな。

 前関白が亡くなられでもした後は、その本性を現してくるであろうな。……ついては前関白には出来得る限りの長生きをしてもらいたい。


 お?そろそろ終わるか?


 祝詞を上げ終わった広綱殿が立ちあがり、元清に神剣を授ける。

 元清は謹んで神剣を受け取り、腰に佩き、元の位置に戻る……。


 「これにて恙なく、すべての儀式を終えました。おめでとうございます」

 「「おめでとうございます!」」


 参列者一同、声を合わせる。


 「ありがとう。これより、私、伊藤信濃守元清。懸命の志を以て東国の安寧に邁進する所存。どうか皆の力を貸して欲しい」

 「「ははっ!!」」


 再度、参列者一同、声を合わせる。


 こうして元清は伊藤家の当主と相成った。


天正六年 春 xxxx xxxx


 「して、皆様方が大挙して関東に向かってしまわれていましたが……如何でおじゃったので?東国は」

 「……悔しいのでおじゃるが、洛中よりも数段、栄えておったの……」

 「然り、洛中の至る所に居るような不浄な者どもなど見当たらなかったの」

 「麻呂は宿の風呂が気に入ったの。……初めは、宿坊の用意も出来ぬものかと落胆したものだが……」

 「左様でおじゃりますの……気の利かぬ子坊主共が多い宿坊とは違って、中々に気が利く女中共が揃っておったの」

 「麻呂は……あのような女中は趣味ではないでおじゃる!ふんっ!」

 「お~ほほほ。卿は、女中を口説こうとしてすげなく断られたのが気に食わぬだけであろう?」

 「おや?なんとも、面食いな卿がの?これは善きことを聞き申したの!」

 「……な、そんなことは……ないでおじゃる!」

 「お~ほほほ。あの宿には麻呂も泊まっておっての。宿の主人から相談を受けた故に、そのように言い逃れるのは無理でおじゃるぞ?」

 「「お~ほっほほ!」」

 「しかし、これはある意味、近衛様には感謝申し上げねばならぬかの」

 「ほぅ?それはいかような意味でおじゃるか?」

 「なに、近衛様が存命であれば、麻呂たちにはこのような機会が舞い降りなかったであろうことが一つ。もう一つは、近衛様が悪徳の限りの一切を引き受けてくれたので、麻呂たちの善人っぷりが際立ち、東国の待遇も柔らかになったということでおじゃる」

 「お~ほほっほ。然り、然り。敵の敵は味方ということでおじゃるな」

 「……それで行くと、敵の味方は敵でおじゃるな……して、麻呂たちが留守の間、丹波や四国、吉備、山陰の様子は如何でおじゃったので?」

 「……その前にでおじゃる。皆さまは東から来たとはいえ、海路であったので、もしかしたらご存知ないかも知れぬでおじゃるが……北近江にまで長尾の若造が勢力を伸ばしましたぞ?」

 「な、なんと!それでは麻呂たちの荘園は!!!」

 「ご心配なく。そのあたりは長尾の家臣の樋口と申す若造が、きっちりと管理すると約束してきましたぞい」

 「ふむ……しかし、近江まで長尾が伸びて来ると……三好殿で対抗できるのでおじゃろうかな?」

 「然り。三好殿は大言を吐いてはいたが、今までの所、丹波も抑えられず、河内も紀伊も大和も……更には、讃岐と阿波も浸食されていると聞くでおじゃる」

 「……京では、並ぶもの無き権勢を誇ってはおられるが、内国大夫と呼び畿内の天下を平定させるには力不足でおじゃるのかの?」

 「……しかし、それではどなたが代わりを?」

 「大友では力が大きくなりすぎるであろうし、あの切支丹傾倒は危険でおじゃろう。京の仕来りに無関心の伊藤は遠くで元気な分は有難いが、畿内にまで出張られるのは御免被りたいでおじゃるし……」

 「……しからば六角?……では、いかにも小粒で力不足。すると……」

 「ふむ。どうやら、そろそろ、長尾にも近衛の悪行を詫びに誰ぞを遣わす時期になったということでおじゃるかな?」

 「おお!それは名案!……されど誰が参りますので?」

 「そこでおじゃるな……」

 「「う~む……」」

 「近衛の悪行を詫びるというのであれば、近衛の流れ、鷹司を継いだ麻呂が行くのが妥当ではないでおじゃろうか?」

 「「おお!行って下さるか?!」」「「それは名案!!」」「「流石は末子様!」」

 「うむ。ではその方に頼むとするかの」

 「はっ。お話、承ったでおじゃる」

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