第106話 太郎丸一人
1577年 天正五年 夏 勿来
「う~ん。信長から話を聞かずとも、この万事、かったるそうな目つき。まさに太郎丸よね」
「え~!義姉上様。南は旦那様の目線はきりりとしつつも慈愛に満ちた、素晴らしく男前なものだったと思うのです。太郎丸のはどちらかと言えば……かわいらしい?みたいな」
なんだよ、阿南。その半疑問形で「かわいらしい?」って、いうのは!
鏡が無いからわからないけど、きっと俺はキュートな赤子だと思うぞ?
母親の真由美も美人さんだし、父親の元清も中々の二枚目だ。
そうだな……不意に思ったんだが、どうにも伊藤家の男女って大柄な人間が大きいからか、肉食の影響が多いからなのか、はたまた単なる栄養状態が良いからなのか。
前々世世界的な美男美女が多いよな?
目鼻立ちパッチリくっきりで、鼻筋通ってて……いわゆる彫深系の美男美女。
あとは、石鹸やシャンプーに温泉とか銭湯の効果なのか、清潔なのもプラスだよね。うん。
ああ、そういえば、伊藤家領内は領民までもが美人揃いで羨ましいとかなんとか支倉殿が言ってたかな?
そのおかげかどうか、領内の人口増加率は周辺諸国……はそこそこ高いか、この時代の平均よりも断然に高いようだからな。
総人口ではだいぶ関東が関西を引き離しているみたいだったよね。
まぁ、食料生産力を考えればそうなるのは自明だけれど……。
うん。衛生環境に栄養面も優れているからだと信じよう。
自分の施政方針が間違っていなかったんだと思いたい今日この頃。
「阿南は夫の太郎丸を贔屓目に記憶し過ぎよ。清と輝はどうなの?義は?」
「うーん、確かに南ちゃんは兄上が好きすぎたってのがあるよ?……だって、僕にも顔つきは別人に見えるからさ?……まぁ、目の前の太郎丸はまだ二歳だからね。正直なところ、顔つきどうこうという年じゃないと思うよ?」
「わだしは……優し気な雰囲気がなんだが似でいる気がじます」
「……輝は?」
「……うん。刀を構えてくれないと良く分かんない……」
うん?
構えで人を判断するのかよ!輝さんや!
達人の思考回路はようわからんな……。
「私には瓜二つに見えるけど……そうね、大きくなって構えを獲ったら一発でわかりそうね!」
びしっ!
姉上もわかるんか~いっ!
「あら?起きたみたいね?」
……思わず裏手でツッコミを入れてしまったがために、狸寝入りがばれてしまったではないですか!
「おはよ……みんな」
「「おお!本当にしゃべった!」」
信長と会話し出してから半年近く経ってるわけだしね。
そりゃ、ま、しゃべれますよ。ゆっくりならね。
「あねうえもひさしぶり。にねん、さんねんぶり?」
「……あんたの葬式を鎌倉で行ってからだから、三年ぶりよ!……まったく……生まれ変わるなら、生まれ変わると先に言っときなさいよ。色々と大変だったんだからね」
「あはは。ごめんごめん。おれもうまれかわれるなんて、しらなかったから……つぎはどうなるかしらないけれど」
「「……」」
おや、場の雰囲気を凍らせてしまった模様……。
けど、実際そうだよね。記憶を持ったままの生まれ変わりなんてのが頻発してたら、世の中が恨みつらみで溢れかえって大変な修羅地獄になっちゃうよ。
……そうしてみるとだ。
「おもしろいね。おれは、きおくがのこってるんだけど、ふしぎとうらみはのこってないよ?くげのひとたちにも、べつにとくべつなかんじょうはないんだよな……ふしぎ」
「……恨みの念が無いというなら結構なことじゃないの。私も太郎丸に習って、そのあたりの物は捨てることにしたわ。……もう少し大きくなったら、忠清に会いに行ってあなたの口でその事を直接伝えなさい。……太郎丸がああなって、一番怒りを覚えたのはたぶん忠清だったわよ?」
「……そうか、ただきよにはつらいおもいをさせちゃったね。そのおもいをかんじたのかな?ちちうえは……」
「でしょうね……安中の怒りを鎮めるのが一番大きな目的だったのでしょうね。父上の最後は……。後は……いえ、何でもないわ」
?
そこで止められると気になるけど……。
「それよりもです!何か南たちに言うことは無いんですか?旦那様!」
おおぅ。
そうだった、そうだった。
ついつい姉上と話し込んじゃったけど、マイプリティエンジェル南ちゃ~んにも挨拶せねば。
「おなみ……ただいま。てる、よし……ただいま。……なんだ、おれはあかごなもんで、いままでのようにはいかないだろうが、またあえてうれしいぞ!ほんとうに」
一番年上の輝で三十九、次いで阿南が三十五、義は三十一。
俺の女性を見る目線的にはなんていうの?皆さん美人でまだまだお素敵ですけど……俺数えの二歳だからな……流石に、諸々無理が出るよね。夫婦としては。
「……お帰りをお待ちしていました。……これからは、おむつから何から、私が世話をします!」
「義も、旦那様のお世話をじまず!」
「……南ももう、お乳は出ませんけれど、旦那様のお世話はしっかりと見ますからね!」
「……きもちはありがたいが、おれにはまゆみというははおやが……って?まゆみは?」
「真由美は麻里と鈴音の二人を連れて古河へと戻ったわ。太郎丸の世話の一切を阿南達に託してね」
む?
二歳にして実母との別れ?
微妙に悲しいぞ。
「……そのことは俺から謝らねばならんな」
「どういうことだ?きちほうし?」
なぜに吉法師が?
わからんぞ?
「俺がお前に再会出来たあまりに……嬉し過ぎ、喜び過ぎてな……どうにも、お前に前までの太郎丸と同じ形で接し過ぎてしまった。……母親としては息子を知らない人間に取って変わられてしまったような感覚なのであろう。景文院様からも色々と諭されていたようだが、一旦お前とは距離を置いて気持ちを落ち着かせることにしたらしい。……すまん」
「……そうか……。まゆみには、……いや、ははうえにはもうしわけないことをしたな。……だが、おれにはよんじゅうねんじゃくのきおくがのこっているわけだからな、そちらにひっぱられるのは、おおめにみてほしいところではあるのだが……」
「何、真由美も伊藤家の女。時間が経てば、自分の中で折り合いも付くでしょうし、娘の二人もいることだから大丈夫でしょう」
……姉上の「大丈夫でしょう!」は「大丈夫にならなかったら、成敗っ!」ってのが潜んでいそうで怖いんだよね……。
あふぅ。
「む?旦那様はおねむのようですね?」
「今日は沢山しゃべられまじだから……」
「そうね。……とりあえず、勿来に来た目的の半分は太郎丸の確認で、それは達成できたから……あんたはもう寝なさい。太郎丸。子供には睡眠が必要だからね」
「そう……させてもらうよ……あねうえ……」
ああ、ねむ。
でもね、姉上。「子供に睡眠は必要」その言葉は前世の子供時分にも聞きたかったよ?
……おやすみ。
天正五年 夏 勿来 伊藤元景
「で、上様。いかがでしたか?」
「そうね……不思議だけど、今の太郎丸は毒に倒れた太郎丸そのままね。あの冬のみぞれで寒い日の翌日のような気がしたわ。あの様子なら、身体が出来てくれば問題ないでしょうね。……信長、あなたの意見に賛成しましょう」
「では、近々?」
「ええ、家督を元清に譲り、太郎丸を惣領とする旨の宣言を行います」
この世は戦国。
どこの家でも暗殺、毒殺は当たり前の時代だけれども、前世で太郎丸が伊藤家の当主だったら、ああはならなかったかも知れない。
その思いは私と竜丸、信長にはいつまでも渦巻いていた。
伊藤家憎し、の思いは近衛の系統には確かにあったのでしょうが、あの時の実行犯は二条の息子。
天正元年、二年の段階では、近衛に満足な活動が出来たとは思えないものね。そうなると二条の息子は、あの時に太郎丸が伊藤家の当主だったら、毒を盛ろうとは思わなかっただろう……それが、私たちの結論。
故に、今回は誰にも有無を言わさずにとっとと、太郎丸に家督を継がせるのが最善……。
「しかし、こうして見ると「近衛の毒」「近衛の毒」と言ってきてたけど、本当に近衛前久にそこまでの力があったの?」
「……俺の意見で良いのなら……」
「……聞かせて頂戴」
こういう推理は竜丸が得意とするところでしょうけど、あの子は太郎丸が絡むと視野が極端に狭くなっちゃうからね。
「近衛の手が回ったと思われているのは、大きく分けて五回。まずは長尾輝虎の篭絡、次いで佐竹義重の篭絡と香の中毒死、三つ目が太郎丸の暗殺未遂、四つ目が里見義弘の篭絡、最後に太郎丸の毒殺。……このうち完全に近衛が関係していないのは五つ目の毒殺。これは二条昭実の手によるもので間違いないでしょう。ただ、これは毒殺とはいっても、あの時の太郎丸の身体では持たなかったからだけだとは思いますが。……というわけで、……確実に近衛の手によるものと言えるのは輝虎の篭絡だけでしょうな」
……私も同意見ね。
だけど、話をもっと聞きましょうか。
「二つ目、三つ目、四つ目は?」
「義重の篭絡……確かに近衛の養女が嫁いでおり、怪しげな香と酒に女色で篭絡はしたようですが……殺したのは十中八九、佐竹家中の者達でしょう。義重殿への評判と、その後の義尚殿の台頭具合と反対勢力が皆無だったあの状況。典型的な当主の交代劇ですな。妻だった近衛の養女が行方不明のままなのが極め付けですな」
こくり。
私もまったく同じ意見だったので、頷きで返事をする。
「三つ目の太郎丸暗殺未遂。これも近衛は関係ないでしょうな。そもそも、あの場面で太郎丸を殺しても、京の公家にはなんの益もないこと。……唯一益があるのは、輝虎とその周りの者達だけだったでしょうな。これは利益が後に言っていたことですが、太郎丸は確かに上様や輝殿に比べれば数段、剣の腕は落ちますが、それでも幼少より塚原様直々の剣を習ったお方。身のこなし、心持ち、すべてに置いて昏睡状態、しかも薬物で意識を操作されたような人物に害されるような腕ではないと……俺は、あの時に越中から離れて久しかったですが、話を聞く限り……特に翌朝までに、降伏の意思を示していた武将までの悉くを直江殿と真田殿が成敗しております。これも何かしら、家中騒動の種があって、それを消し去るための皆殺しでしょうな」
「そうね……思い返せば、あの時のお二人のやり方は徹底が過ぎていたわね。……多少は拷問にでも掛けて口を割らせようと思った近衛の方もすぐに真田殿が持って行ってしまったし……」
「今となっては真相はわかりませぬが、もし機会があったら直江殿に尋ねてみるのも一興かもしれませんな」
そうね。
真田殿がご存命だったら、色々と教えてくれたかも知れないけれど……いや、あのお方は結構なタヌキ爺だから駄目か。
それだったら、直江殿の方が、何かを伝えてくれる可能性は高いわね。
「で、最後かしら?四つ目は?」
「義弘に関しては……あれは、ただの薬物中毒でしょうな。特段に何かしらの洗脳を受けていたとは思えませぬ。……確信を持てたのは二年前なのですがな、利益が堺の商人達から銭を引き出している最中に、二三の堺商人達と深い話をしましてな。その時に彼らはこう言っておりました。近衛前久が全国行脚を行えた、その資金の源は御禁制の大陸からの薬品、香だと。その香を自分の息がかかった丹波者に売らせ、莫大な富を得ていたと……。堺の者達も、その輸送に一役買っていたようです。香を積荷に忍ばさせることを約束すれば、明との貿易許可が簡単に出る朝廷の書状と明の高官への渡りが付くのだとか。堺の商人達だけで明との正式な貿易が出来たのはそういった絡繰りがあったようですな」
「……要するに、生実の足利の姫は近衛の薬の顧客で、義弘はその流れから、自身が中毒者になったということ?」
「左様で。……義弘の周りに近衛の者がいなかったのは、そもそもあやつらはただの一顧客、ただの金蔓でしかなかったということですな。そもそも、関東の支配体制の転覆を狙うならば伊藤家をどうにかしなければ話になりませんからな。里見を動かしたところで、現実が示したように佐竹家と伊藤家の領地が増えるだけです」
ふぅ。
私が思っていた通りの内容ね。
ただ、私は信長のように裏取りをしてはいなかったから、ここまで確信を持ててはいなかったけれど……。
「……そうなると、前関白が持って来た二つの首。あれって本物かしら?」
「どうでしょうな~。たぶん偽物ではありましょうが、本物として扱う気ではあるのでしょうな」
「というのは?」
「宮中での近衛は断絶扱い。近衛の家礼は須らく主替えを命ぜられた。……本当の近衛前久がこれから現れたとしても、公家社会では偽物扱いされるのでしょうな。同じように二条昭実もでしょう。……こちらは父親が生きておりますからな、もしかしたら、今頃はどこかの寺で経でも挙げておるかもしれませぬな」
「……相変わらず、彼らの責任の取り方に「切腹」は存在しないのね」
「で、ありましょうな。……ゆえに、我らと彼らの間には、天と地ほど生き方に違いがあるのでしょう」
「そうね……太郎丸じゃないけれど、交わらず、遠いところでお互いに平和でいたいものね」
「で、ありますな」
……ああ、そうだったわね。
もう一つ、蛇足ではあるけれども伊勢のことを聞かなくてはね。
「あと一つだけ聞いておこうかしら。北伊勢の長野家はどうしたの?正月の席では、かなり六角殿が嫌そうな顔をしていたけれど?」
「ははは。六角家は、当家にべったりの斎藤家とは境を接しておらぬので、これからも好き勝手をしようと考えていたのでしょうが、長野工藤家は六角の領地と境を接しておりますからな。国としての規模は話にならんほど違いますが、両家は長年に渡って和戦を繰り返してきた間柄。特に、今の長野家の一門衆筆頭として家政を束ねておる滝川一益は、利益と同族でしてな。……まぁ、そのあたりを六角殿は邪推して、嫌な目付け役が隣にいる、と気もそぞろなのでしょうな」
「なるほどね、つまりは嫌がらせとして、長野工藤の臣従を合わせて認めて欲しいと提案してきたわけね」
「左様。ちょっとした嫌がらせでござるな。わ~はっははは!」
一応は前向きに検討と両家には返答していたけれど、この辺りの対応を信長が意識しているのなら、正式に彼らの臣従を認めるのも悪くないわね。
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