第72話 佐竹動乱 ~前編~

1567年 永禄十年 正月 太田 正宗寺


 むにゃ~むにゃ~むにゃ~、む~にゃ~にゃにゃ~むにゃ~!


 ここは常陸太田の北にある正宗寺、臨済宗のお寺とのことだ。

 今日は佐竹氏代々の墓所である正宗寺にて葬儀が行われている。


 昨年の冬、隠居として家中で権勢を振るっていた佐竹義昭殿が亡くなられた。享年三十七。

 近年は体調を崩しがちで政務は主に御三家、佐竹北家、南家、東家の三つの分家による合議制となっていたのだが、若き当主の義重が専横を図り、度々家中で衝突していたとの話だった。

 その荒れた家中を病床とはいえ、義昭殿が統率し、佐竹家を率いていたのだが……。


 その佐竹家を長年に渡って支え、義昭殿の右腕となって働いてきた義里殿も時を置かずにして亡くなった。享年五十五。


 しかし、義里殿の死に関してはどうにも胡散臭い話がついて回っている。

 真相は量りかねるのではあるが、亡くなるその寸前まで、精力的に内政・外交にとその手腕をふるい続けていた。また、俺自身も秋口に造船所で話をしている。

 その時の様子では、身体を壊している様子は微塵も感じなかった。

 未だ困難はあるが、義重殿が家中で一本立ちした後には、「自由な隠居の身で武凛久を駆って呂栄にでも行ってみたい」、などと仰っていた。


 ……所詮は他家のことだ。深入りはすまい。


 そう、佐竹家の事情に深入りはしたくないのだが、ただ、どうにも佐竹家の支配下になるはずの東下総、北上総周辺がきな臭い。


 大規模な衝突こそここ数年は控えてはいたが、上総武田家の椎津城周辺と生実公方の小弓城周辺は、言ってみれば紛争地帯、火薬庫だ。

 いつ何があって暴発するかはわからない。


 一般的にみて、特におかしなことは無いと思うのだが、彼らは現地の統治に当たって旧主の血筋、真里谷家と足利家の縁者を旗頭にしている。

 つまるところ、地縁のある家を形の上とはいえ領主、言ってみれば国人領主としておいている。


 端から見れば、厄介事の匂いしかしないよな~。

 実際に衝突は秒読みのようだ、と風魔の調査結果が伊織叔父から送られてきている。


 まいった。まいった。


 ざわざわ。

 ざわざわざわざわ。


 おっと。式も終わったようだな。

 ある程度の挨拶は済ませているし、厄介事に巻き込まれないうちに失礼しよう。


 ここから羽黒山までは十二三里だ。供回りの者達も全員が馬で来ているので、昼過ぎの今からなら急げば日が落ちる前に羽黒山に着くだろう……少なくとも棚倉盆地の入り口、東館のあたりまでは行けるよな?たぶん。


 「これはわざわざ、伊藤家の後見殿。父の葬儀に来ていただいて感謝する」


 あ、これはアカンやつや……。

 義重殿に捕まってしまったな。

 なんだかんだと一刻は話して、日が落ちましたので……とか言われて一泊する羽目になるやつだ……。


 「いえいえ、当家は佐竹家には大恩があります。特に先代義昭様には良くしていただきました。本来であれば、義昭様とは義兄弟となる我が叔父景貞が参るのが筋なれど、現在、叔父は南信濃に布陣しておりますれば……」

 「ああ、そういえば西では一向宗を旗印に、加賀、美濃、三河が手を組んで長尾殿の支配領域に手を出しているとか……」

 「はい。その関係で手薄となった南信濃の諏訪家と高遠家から助力を要請されまして……直接的な兵力を動員するというよりは街道の整備を手伝い、彼らの領内交通を円滑にすることを手助けしております」

 「それはそれは。流石は土木がお家芸の伊藤家ですな。当家ではそのような真似はできませぬな」


 あ、なんかカチンとくる言い方だね。


 「そうですな~。今も阿武隈では街道整備に終わりが見えませんので……それでは義重殿、私はこれで失礼を……」

 「あ、いや。しばらく。出来ましたら、景藤殿、別室にて少々ご相談したき儀がございます」


 ぶっちゃけうざいっす!


 こっちは羽黒山に子供たちを集めて、椎茸工房、製紙工房、酒工房、鍛冶工房などを案内する、いわゆる社会科見学会を計画しとるのよ……。早く帰りたいお父さんの気持ちをどうかわかっておくれよ。

 って、義重殿は未だ独身か……前世世界では晴宗殿の娘を輝宗殿の代替わり後に迎えるはずだが……現状では、輝宗殿が家督を継いだとはいえ、伊達家の実権は晴宗殿の下、この婚儀は無いか……するとどこから迎えるんだろ?


 当家には似合いの姫はいないからな~。

 清は生涯独身宣言をしちゃってるし、姉上は当主で四十を越えたしな。

 寅清の養女のゆうは上野は岩櫃の柴田一族から来た人間……一応は伊藤の姫ではあるが、義重殿の正室にはちと難しかろうね。


 「早速ではありますが、相談したき話とは小弓足利と上総武田に関してでござる」


 寺内の一室に着いた途端、義重殿はそう話し始めた。

 だから、火薬庫で火遊びなんかしたくないのよ。当家としては。


 「ご存知かとは思いますが、当家と里見家は小櫃川を領境とし、北を当家が南を里見家が治めることで合意しております。これは、伊藤家先代の景虎様の署名にもあるように……」

 「あいや、しばらく」


 本格的に巻き込まれる前に、事実確認と逃げ道はしっかりと作っておかなきゃね。


 「私も書状は読んでおりますが、三家で署名している書状では、勇露川と小櫃川で境を決めておるのは上総武田、真里谷家の領地に関してでしょう。更に付け加えるならば、勇露川の北は生実公方おゆみくぼうの小弓足利家、小櫃川の南は里見家との境でありましょう」

 「しかしだな、後見殿。両家は長年当家の臣としてな……」

 「禄は食んでいないでしょう。佐竹家との力関係はわかりますが、両家ともに独立した家。かように扱うことは、それこそ佐竹家の方針だったのでは?ならば、どのような決定であれ、上総武田と小弓足利が家として決定を下した事に対しては、それなりに尊重しないといけないのでは?」


 別に喧嘩をしたいわけではないが、どうにも義重殿の俺に対する敵愾心は……どうにもね。必要以上にキツい返答になっちゃうかな?気を付けねば。


 「……では、後見殿はみすみす里見をのさばらしておけと?!」


 義重殿は顔を赤くしてそう言う。

 いやいや、殆ど睨んでるよね?君。


 「当家にとって佐竹家は大恩ある家であり、当主の叔父の妻の実家……されど、里見も当主の大叔父の妻の実家です。どちらかに肩入れなどは出来ませぬ……そういった立場だからこそ、両家のいさかいに対して仲裁が行えるのだと思っておりますが?」

 「……では、武田と足利がうんと言えば文句は無いとの事ですな!」

 「はい。当家が口を挟む立場ではございますまい。ただ、願わくば血を流すことなく、平和的に事が収まる事を祈っております」


 紛争の後処理とか御免だからね。

 それよりも勿来で造っている新型帆船が気になっているんだから、国内で余計なことはさせないでいただきたいよ。


 「左様か!おい!後見殿はお帰りだ!しっかりとお送りせい!」

 「それには及びませぬ。供の者もおりますれば……それでは」


 俺は一礼をして辞する。


 ……。


 面倒だな。一応は安全策を取るか……。


 「忠法!」

 「はっ!」

 「お主は馬を飛ばして袋田の忠豪に俺を迎える軍を久慈川沿いで用意させてくれ」

 「はっ!ならば、御前を失礼します!」


 言うや否や、忠法は下馬所へと走って行った。

 当意即妙。流石は忠清が嫡男。この辺りの対応の早さは忠平の血のなせる業だな……。


 忠平……忠平は昨年に羽黒山で静かに息を引き取った。

 本人は、「こうして子孫に囲まれて畳の上で死ねるとは、ついぞ考えたことなどありませんでした。これもご隠居様と太郎丸様のおかげでございます」なんて言いながら、眠るように息を引き取った。

 俺にとっては二人目の爺様だったような人だったからな……。


 いかん、いかん。

 それよりも目の前のことだな。


 「輝、このまま東館に向かうのは止めにする。今日は大宮に寄って義里殿の跡を継いだばかりの義尚殿の館にお邪魔しよう。そして日の出を待って当家の商船に同乗して久慈川を上がり、忠豪と合流するぞ」


 こくり。


 相変わらずの無口っぷりだが、こういう時には実に心強い。

 なんといっても、塚原卜伝をして最強の弟子との評価を貰った腕前だからな。


 本人曰く、三十路を前にしてようやく剣術の何たるかが見えてきたとのことです。

 ……うん。達人の境地はようわからんですよ。


 「では、慌てず、騒がず。されど急いで大宮に向かうとしよう」


 念の為ではあるが、義重殿のあの表情はちょっと危険な香りがしたからな。


永禄十年 正月 大賀 安中忠豪


 「ムぅ……忠法!まだ後見様のお姿は見えんのか!!」

 「叔父上……いくらなんでも、日が昇って一刻かどうかのこの時間に後見様のお姿が見えるというのは……」

 「何を言うか!後見様は常日頃から、兵は神速を持って尊ぶべしとの教えを守っていらっしゃる。日の出と共に大宮を出るのならば、そろそろお姿が見えてもおかしなことはあるまい!」


 まったく!

 忠法は兄上の嫡男。次々代の安中頭領となるべき男なのだ。

 それが、こんなのほほんではいかんぞ!

 緊張感が足りんのだ!緊張感が!


 しかし、佐竹め!

 まさか、後見様が己の身を案じるような事態になるようなことをするとは……。

 これは、国境を守護する儂としては、今一層、兵共を鍛え上げねばな!


 どっどっどど。

 どどどっど。


 これは騎馬軍団の音。北からか。

 数は千といったところ……さすれば烏山から駆け付けた寅清か。


 「忠豪殿!後見様は?!」

 「……まだだ。しかし、寅清殿。素早いご助勢感謝する」

 「何を言うのだ!後見様は儂にとっても大事なご主君。何を持ってしても駆けつけるのが当たり前ではないか!ただ、急いで城から出てきたもので、騎馬のみの千百、しかも馬防具は付けておらんぞ」

 「いや、問題あるまい、感謝する。今は重装備よりも数だ。俺が連れてきた袋田の全軍三千と合わせて四千百。この地形でなら、相手が何万であろうとも一歩も通さずに戦えるというものよ」


 歩兵でもって道に蓋をし、山間から久慈川へ追い立てるように逆落としを掛ければ、何の問題もあるまい。

 まぁ、そのような事態にならねば良いのだがな。


 「下野留守居役の忠敬殿にも話はしておるので、今頃は兵を纏めて那珂川に待機しておるであろう。狼煙の色によっては、そのまま川を下って茂木から水戸までの那珂川を制圧できる構えを取ってもらっておるぞ」

 「さすがは寅清殿だ。素早く、そして正確な指示に感謝をするぞ」

 「……いや、叔父上、寅清殿。後見様は義重殿の暴走に備えての万一として……」


 喝!!!


 「何を言うておる!万一の備えだからこそ、一撃で佐竹を滅する構えを取らねばならんのであろう!儂が城を出る前、勿来におられる忠清兄上にも連絡を入れておいたので、今頃は水陸両面から全佐竹領を制圧する体制を整えられておることであろう!」


 きっと、信長にしたって水軍の準備をしているに違いないわ!


 「いや……そこまでの事態なら、私が太田を出る時にもう少し違った指示を……」


 ん!!!!??


 「……なんでもございませぬ」


 よし!それでよし!


 「むっ!忠豪殿!!川を上っておるあの船を見よ!儂らを見て、狼の旗を揚げたぞ!」

 「おお、間違いない。あの風早は尾張屋の物のようであるしな。ふむ。船から見えるのは信長ではないか?」

 「……間違いありませぬな、あれに見えるは信長殿かと……おや、手旗信号ですかな?どれどれ……ハ、グ、ロ、ヤ、マ、イ、ク」

 「ぬ!羽黒山に直接向かうということだな。よし!寅清殿、兵を順に引き上げてくれ。そして寅清殿自身にはご足労だが、羽黒山までの川筋の警護をお願いする」

 「承知した……行くぞ!」


 やはり、寅清殿の鍛えた兵共は中々のものよな。

 一糸乱れずに指示に従って移動しておる。これは袋田も負けてはおられぬな。


 「よし、我らも順に引き上げるぞ!」


 後見様が領内に入ったとはいえ、まだまだ安心は出来ぬ。

 山が得意な者達を集めて、山の警戒をさせながら引かねばな!


永禄十年 春 古河 伊藤景元


 「……なるほどな。景藤よ、正月の葬儀参列ご苦労じゃった。しかし、それでは佐竹は危ういの」


 書状では経緯を聞いておったが、こうして実際に景藤の口から佐竹の様子を聞くと色々と危うい雰囲気が出てきているのがわかるわい。

 若き当主の暴走。

 代替わりしたばかりの当主など、景藤のようにのんびりと構えておればよいのだ。変化を急かすことが、変化が早まることにはならんのだが、義重殿にはご理解頂けていないのであろう。


 「しかし、街道沿いの大町では兵の動きがあったということか……実際に景藤に危害を加えるかどうかは別として、危険な状況であったな。よくぞ無事に戻った。大宮の義尚殿を訪ねたのが良策であったな」

 「はっ。ありがとうございます、父上」

 「私としても、こうして直接に景藤から説明を聞いて合点が行きました……実は横浜の造船所のことなのですが……」


 横浜か、なんとも嫌な予感がするの。


 「どうやら、佐竹は造船所から人員を引き上げる予定のようですな。ある程度の作り方がわかったので、当家と共同で造船所を運営する利点が無いと判断したようですね」

 「なんだと?自分から頭を下げてきておいて、ある程度技術が盗めたら逃げ出すというのか?なんとも節操無しの仕草だな。俺には理解できんわ!」


 理解できんのは儂も一緒じゃが……景貞め、景藤が危険だった時に、自分が近くにおらなんだ事を相当に悔やんでいるようじゃな。まぁ、そう熱くなるでないわ。


 「なに。向こうがその気ならそうさせておけば良いだけじゃ。それにあやつらが横浜で技術を学んで、実質一年と少しであろう?景藤よ。佐竹単独で船が造れると思うか?」

 「……いや、無理でしょう。骨組みと設計は出来るでしょうが。決定的に製鉄の技術がありません。木造の帆船は作れるでしょうが、速度、耐久力に攻撃力と、どれをとっても当家の敵になるような水軍は組織できないでしょう」

 「……ということじゃな。それでは、横浜の造船所と今組み上げておるであろう船の売り先をどうするかじゃが?」

 「それならば、私に案が……」


 やはり、船やら交易に関することは景藤が一番早いの。


 「聞こうではないか」

 「はい。まず、建造中の武凛久ですが、すぐに考え付く売り先は伊達家ですが、彼らとは室蘭で作業を進めております。ですので、ここはいっそのこと長尾家。しかも北越後を纏めている直江殿に売るというのはどうでしょうか?」


 !!

 ほう!ここにきて長尾と関係を深めると申すか、面白い。


 「して、造船所の方は?」

 「そちらは、当面のところは当家で使用するにしても……意外と里見家を引っ張り込むのも面白いかもしれぬと思っているところです」

 「ははっは!それは面白い。俺は賛成だぞ。佐竹がいらぬと申したのだ。それが里見に渡ったとしても文句を言うような筋合いではあるまい!」

 「里見は水軍が有名ですので、彼らを当家に引き込めるような情勢になれば、帆船で装備させるのも一興かと考えます」


 なるほどの。連合の枠外に置かれているような立場の里見をもっと中心に引き込むか。

 悪くないの。


 「しかし、まずは武凛久の売り先でしょうね。景竜。あなたにその交渉はお任せできる?」

 「はい、信濃守様、お任せください」


 左様、まずは船の売り先じゃな。

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