第73話 佐竹動乱 ~中編~

1567年 永禄十年 春 古河


 「はい。今の長尾家は頚城平野から西を当主輝虎が、東と南の佐久盆地、長野盆地、松本盆地、越後平野を真田殿や直江殿が治める土地と大きく二分されております。西側は三國通宝の流通を禁じるなど、当家とは距離を置く姿勢ですが、東側は積極的に当家と絆を深めようと動いている土地です。そこで、ここは建造中の武凛久を直江殿に売ってしまうのはどうだろうかと提案します」

 「……その、素朴な疑問なのですが、彼らに買えるのですか?」


 伊織叔父の疑問はもっともだけど……。


 「はい。問題ないかと……。じつは真田殿と直江殿は坂戸城、安田城が管轄している金山も監督しており、輝虎殿のおられる富山には、この数年送り届けていないとのことです」


 俺は一息おいて、この情報をもたらせてくれた景竜の方を見る。


 「ええ。私が直接、真田殿より聞きました。また、その時に真田殿は金の扱いに困っていて、なにか良い買い物が出来ないかと、しきりに嘆いておりました。今思えば、あれは当家に船を売ってくれないか?との意味であったと考えています」

 「なるほどな……儂も箕輪城におって、大体のところは聞いてはおったが……そうか、金山までもをか」


 たしかに、金山から出てきたものまで自由に使えるとはびっくりしたね。

 ……はたして、その状況が輝虎殿の了承の下なのか、どうか。

 この数年、特に近衛の姫を迎えてからの長尾殿は理解不能な行動が多くて……。公家と付き合うと碌なことは無い、という良い見本になっちゃってるよ。


 「しかし、武凛久を売ってしまって良いものか?俺は、篤延を扇動した長尾の動きを忘れることは出来んぞ。やつらは味方面して何をやるかわからん。公家との付き合いが深いのも気味が悪いからな」

 「父上のご心配はもっともかと思います。ただ、先ほどの後見様の言葉にあったように、武凛久はおいそれと真似できるような船ではございません。彼らが独自の船を造りだすまでには数年の歳月がかかりましょう。その間に真田殿、直江殿には大きく儲けてもらい、力を付けてもらいましょう。越後は元来豪族の力が強いお国柄。昨年も家中の統制が取れずに輝虎殿が隠居を宣言された、という事件もございました。ここはせいぜい、当家に対して反感を抱いている勢力には悔し涙を流してもらいましょう」

 「左様か……元景は如何思うのだ?」


 うん。こういうどちらの面もあるような事柄を判断する能力、姉上に勝る人間にお目に掛かったことなんか無いです。

 どういう意見かが気にきになるな。


 「そうですね。私は彼らに売るのも良いと思いますよ。なによりこちらの海側……太平洋だっけ?太郎丸……太平洋側と日本海側の商いの規模が不均衡に過ぎるのは危険のように感じますから。どうしても、偏った力がかかったものは、元に戻ろうとする勢いが強くなってしまいます。ここは、彼らに頑張ってもらって、日本海側の力を付けてもらうのが良いと考えます」


 確かに、当家が太平洋側にしか面していないからか、どうしても今の日本は異常なまでに太平洋側が発達しちゃってるよな。

 なんといっても明の私貿易船のほとんどがこちら側に来てる。


 ここ最近は一年の半分は勿来にいる阮小六に聞いたところでは、明の私貿易船の八割方がマカオ-博多-勿来の三か所を結んだ商いをしているらしい。

 基本的に堺は荷主がいなければ飛ばす形らしい。なんといっても、堺でなければ出来ない商いが存在しないかららしいな。

 彼らが欲しいものは博多と勿来に有る上に堺で買うよりも安い。更に、今までとは違って物を売っても代金の心配がない、とのことだ。


 ああ、そういえば。堺を通らないおかげで瀬戸内海を通る必要がないので、無駄な通行料を取られなくて済むとも言ってたな。

 なにやら、博多で大内家に税を納めれば、大友家にも話が通じるらしく豊後水道から太平洋に出て、外海を一気に勿来まで上がって来れるのだそうだ。


 この話を聞いた勿来村上衆の紅なんかは、「武吉も先見の明が無いね。これじゃ、屈辱に耐えてまで瀬戸内に残った意味がないじゃないか。こりゃ、近いうちにうちの親戚連中が大挙してやってくるのも時間の問題さね」とのことだ。腕の良い水軍の担い手はいつでも歓迎ですよ!村上衆の皆さん!って感じである。


 「なるほど。元景が言うておることも一理あるな。力の異常な偏りは乱を招く原因にもなりかねんからな……よし、儂はお前たちの意見に賛成しよう」

 「私も賛成しますよ」

 「そうだな。お前たちの話を聞いて、俺も納得した。直江殿に売るのも悪くないな」

 「うむ。では、その方向で交渉するか……交渉は景竜が真田殿と行う形で良いかの?」

 「はい。ご隠居様、お任せください」


 よし、これで一つ目の懸念は解決だな。


 「では、次の議題ね。佐竹と里見が衝突しそうな件です。これは私から報告した方が良いかしら?」

 「いや、儂の方から報告しよう。いうても、これまでの両家の仲裁は儂がしてきたのだしな、事情は一番詳しかろう」


 上総の件は父上から話すようだな。


 「これまで、何年にも渡って佐竹と里見はぶつかりながらも、義昭殿の方針で全面的な戦は行わないで来た。一応は千葉、足利、真里谷を立てる形じゃな。だが、今年に入って佐竹が代替わりをした。また、それと同時に、これまでは真里谷の当主とされてきた、佐竹が擁立する信隆殿が亡くなった。このことで佐竹が擁する真里谷の血というのは信隆殿の娘の紫殿だけになったのだが、彼女は四十を超え、子も夫もおらぬ。そこで、真里谷家では里見に身を寄せていた信高殿、信隆殿の甥じゃな、彼を当主として立てた」


 真里谷の家臣団としては佐竹に完全吸収されない為の苦肉の策だよな……。


 「もちろん佐竹としては文句を言ったそうじゃが、結局のところ他に候補がおらん。佐竹の言い分は通らなかった。そこで、せめてものということで、佐竹に連なる姫を妻として迎えるよう動いておったのじゃが、今度は椎津城よりも北、生実で驚くべき話が先日出てきた……形ばかりの城主として置かれていた、亡き足利義明殿の娘の弓殿が里見家の嫡男、義弘殿と結婚をし、城に里見家の者達を引き入れ、佐竹家の者達を追い出したらしいな」


 ……なんとも、まぁ。

 足利の弓殿と言えば、四十も半ばだよな。

 ここにきて、なんとも大胆、豪胆な仕事っぷり。


 「おかげで、この十年佐竹に奪われたままだった北部上総を里見が取返し、見事上総を再統一したというわけじゃ」

 「……まぁ、佐竹からしたら代替わりを狙われたということで、それは怒り心頭でしょうね」

 「……戦になるか……」

 「……であろうな」


 でしょうね。

 また、これまでの当家と佐竹の関係なら、多少は援助要請の話を聞いてあげる形となりそうだったけど、先日の一件があったおかげで、今回は完全に静観だろうな。


 「私としては勝手にしなさい、といった思いです。万に一つもないでしょうが、仮にどちらかの家が滅びる形になろうとも介入しないのが最善と考えます」

 「これまでの経緯からだったら、佐竹に援助するのも吝かでは無かったが、義重殿の方針を受けては、当家として手助けする義務はないな。わしも静観に賛成じゃな」


 ……姉上が皆をぐるりと一瞥する。

 反対はなさそうだね。


 「では、当家は上総での戦には一切介入、仲介をしないということで動きます」

 「「はっ!」」


 一同礼!

 以上、解散!


永禄十年 夏 厩橋 伊藤景竜


 「全く……自然の摂理とは言え次々と爺共が儂を残して死んでいくわい……」


 今日は業篤殿と景能爺の葬儀です。


 場所は厩橋と箕輪城の中間程でしょうか、飛鳥の頃の創建と伝えきく放光寺。ここは、伊藤家が上野を領する頃になってから再建した寺です。


 不思議な話なのですが、父上が武田勢と戦を始めるにあたり、陣を立てるに良き場所を探していた時のこと、一人の僧侶が当時は廃墟となっていたこの場所に案内をし、陣を立てて戦に臨むよう勧めたそうです。


 父上は一目でここの立地を気に入り、深く僧侶に感謝の意を伝えたそうです。父上の謝意に対してその僧侶は、「ここに陣を立て、見事、戦に勝利された暁には、この場所に天台宗の僧侶を呼び放光寺を再建して下され」とだけ伝え姿を消したそうだ。

 しかる後に、戦に勝利した父上はここに寺を再建し、厩橋に入った私に、くれぐれも大切にこの寺を扱うよう言い伝えたのです。


 「しかし、人生とは儚いものじゃなぁ。竜丸よ。二人とも病に倒れるまでは、百まで生きてやると豪語しておったのにのぉ」


 二人とも去年までは年相応に元気ではあったのですが、夏を迎えて体調を同時に崩し、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

 二人とも長命ではあったのでしょうが……親しく接していた人が無くなるのは非常につらいものですね。

 先年に忠平殿が亡くなった時もそうですが、私としてはお爺様が気落ちして体調を崩されないかが非常に心配です。


 「なに。竜丸よ。儂はあやつらの分まで長生きして見せるからな、そう心配そうな顔をするでないわ。大丈夫じゃよ」


 なにやら、逆に慰められてしまったようですね。

 お爺様の手はあったかいですね。生きた人間の血潮を感じます。


 「旦那様。あちらに真田幸隆様が見えられています……」

 「ああ、ありがとう。多恵……それではお爺様。ここはお任せいたします」

 「うむ。任せておけ……それよりもお前の方こそ大仕事が待っているであろう。気張って行くのじゃ」

 「はい」


 私は一つ返事をして、真田殿の下へと向かった。


 「……この度はご愁傷様です。業篤殿は上野の地にて高名を伺っておりましたし、景能殿には製鉄の技で驚かして頂いておりました……なんといっても某の太刀は村正の銘入りですからな、なんとも残念な気持ちで一杯です」

 「ご丁寧に、いたみ入ります。二人も真田殿に偲んでいただけて喜んでいることでしょう……よろしければ、あちらで少々……」

 「これはこれは……それではお邪魔致します」


 私は寺の小坊主にお願いして、あらかじめ用意していた一室に真田殿をお連れする。


 「戦でなくとも、人が死ぬことは悲しいことですが、生きてる我らは、我らなりの務めを果たしましょうぞ?」

 「……そうですね。では……以前お伺いした大口の商品の話ですが……」

 「お伺いしましょう」


 やおら、真田殿は目を光らせましたね。

 どうやら、我らが思っている以上に、この話題に興味があったようですね。


 「横浜の湊で造っている南蛮船……我らは武凛久と呼んでおりますが、この船を真田殿と直江殿にお売りしようかと、家中で話が上がっております」

 「おお!それは有難い申し出ですな!伊藤家の皆さまが良いと仰られるならば喜んで買わせていただきますぞ!……ただ、多少の値引きは欲しいところですがな」


 ……なんでしょう。真田殿はこういうところがしっかりしていますね。


 「材料が材料なので、値引きらしい、値引きは出来ませぬが……後見様より、質の良い水夫を二十名ほど横浜に寄越してくれれば、操船を叩きこみつつ津軽を回って新潟に届けても良いと言付かっています」

 「ありがたい……実にありがたい。それでは、早速、国元に戻り次第、皆と相談して横浜に送る人選を進めます……引き渡しの時期などは何かありましょうか?」

 「特には、……船自体はあと十日ほどで出来上がる予定ですので、人選が出来次第、小机城の伊藤伊織まで訪ねて頂ければ良い形になっております」


 そこからは信長の配下から数名が教官役として同乗する予定だ。

 もちろん、その一隻だけでは無く、警護も兼ねて数隻が新潟までついて行くとのことだ。


 「忝い。では、返事は十日ほどで出来るかと思います……ではまた後日」

 「はい。良い返事をお待ちしておりますよ」


 これで横浜から佐竹が手を引いても問題ないですね。

 次の問題は室蘭の開発具合ですかね。佐竹が変に暴走する前に形が見えてくれれば有難いのですが……。


永禄十年 夏 xxxx xxxx


 「なんぞ、東の方の家臣共が騒いでおじゃるとの報告が上がってきておるのじゃが?」

 「……気にすることは無かろう。その方等は京の周辺以外は頭になかろうが……」

 「なんじゃ、なんじゃ、麻呂たちを阿呆呼ばわりでおじゃるか?」

 「けしからんのぉ。其方には世話になっておるが所詮は武家でないでおじゃるか!」

 「お屋形様がおっしゃったのはそういうことではありますまい。どうぞ皆様には落ち着いていただきたく思います」

 「ふん。麻呂たちが力を貸し与えているのは、殿下がどうしてもと頭を下げてきたからでおじゃる」

 「左様、左様。本来であらば麻呂たちのような高貴な者がこのような田舎に下向するなぞ……」

 「まったくでおじゃるな。ああ、汚らわしい!」

 「なにやら不浄な匂いが漂ってきたようでおじゃるな」

 「左様、左様。ほれ、妹御よ。早う追加の香を焚くのじゃ、田舎びたる空気なぞ、麻呂たちは愛でる気がありませぬぞ?」

 「ええ、ええ。公卿様方にはこのような田舎びたる空気は気味が悪うございましょうとも」

 「……止めぬか……これ以上、この香などを吸いたくはない……」

 「何をおっしゃいますか?お屋形様……ささ、御臣下の方々も力を抜いて、どうぞお楽しみくださりませ?隣部屋に妾の義姉妹を呼んできておりますれば、どうぞそちらでご発散なされませ」

 「おお!それでは、某は早速!」

 「なんと!抜け駆けするか!」

 「どけどけ!儂からだ!!」

 「おほほほ。流石は武家の方々じゃ、香を嗜むより、いち早く女子を求めるとはの」

 「さにあらん、さにあらん。麻呂たちのような雅な楽しみよりも即物的な物の方が良いのであろうの」

 「ほほほ。適材適所というものかと思いまするぞ」

 「「おーほほほほ」」

 「どちらにしろ、麻呂たちの手は日ノ本中に伸びているのでおじゃる。心・配・御・無・用でおじゃる」

 「「おーほほほほ」」


 ……

 …………


 「ご家老!あのような公家どもなど、どうして切り捨ててしまわぬのですか?!」

 「……口惜しいが、あやつらがもたらす朝廷の権威と京、堺の商人どもの力、……近年は衰えていると申しても、依然として大きい……特に西に勢力が延びた我らにはな」

 「西に延びたのではありませぬ!東から切り離されただけでございましょう!」

 「言うな……これもお屋形様が上洛するのを止めきれなかった儂らの責任よ……」

 「しかし!このままでは!」

 「奴らを切り捨てるか?しかし、それを行なえば、今は大人しくなっておる一向宗が大挙して越中に押し寄せるぞ。さすれば、今一度畠山は背くであろうし、神保も背くであろう……当家は終わりだ」

 「……どうすれば……」

 「こうなれば、せめて東の者達が力を蓄えるまでの時間稼ぎを儂らがこの地でするよりほかはあるまい?周りを見てみよ。先年に三好の手によって将軍が弑されたばかり、次代の将軍宣下をしたは良いが、挨拶の為に上洛した者達は全て三好の配下のみ。儂らも出向いておらん……これでは畿内の混乱は増すばかりで、今以上の荒廃が続くであろう……」

 「……荒廃が目に見えているならば、なおのことあやつらは切って捨ててしまえば良いのでは?!」

 「……先ほども申したであろう?我らはもう手遅れなのじゃ。今は時間を稼ぐことしか役目が無い」

 「……口惜しゅうございます!」

 「……儂もじゃ」

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