第55話 大工事

1560年 永禄三年 正月 古河


 「お目通りかないまして恐悦至極にございます。某、蠣崎季広かきざきすえひろでございます。この度は伊藤家が蝦夷地との交易を開始されると聞き、微力ながらこれをお手伝いをさせて頂ければと、新年のご挨拶に伺いました」

 「いやいや、季広殿。どうかお顔をお上げ下され。聞けば季広殿は南部によって追われた浪岡家の御子息をお救い下さっているとのこと。本来であらば、顕家公の御恩に報いるため、伊勢より付き従った当家がなさねばならぬ事……この通り、感謝いたしまする」

 「あ、いや!当家も南部には苦しめられておる次第。顕家公のご子孫であられる顕範殿を当家で保護できたことは、ただただ僥倖であっただけでござる。信濃守様こそお顔をお上げ下され」


 今年の正月は遠方よりの使者がやってきた。

 松の内の宴では、例年通り伊達家・佐竹家・長尾家に里見家を加えた四家が古河に集まり宴を開いたものだが、四国連合プラスワンの後は古河公方・関東管領上杉家・宇都宮家との宴、そして今日、吉法師が蝦夷地より連れてきた蠣崎季広殿を歓迎する席が行われている。


 ちなみに姉上は関宿から東に行った守谷の津で女子会を開いている。

 守谷は霞ケ浦(現地ではなんとか沼とか呼ばれているが、現地呼びが激しいので霞ケ浦で統一している)に鬼怒川が流れ込む位置にあり、下野からの伊藤家の物資を鹿島湊に運ぶ際の中継地となっている。

 勿来から関東に向かう時には、この守谷の津まで船を回すのが最近のお気に入りだ。

 相模に向かう時には三崎を使いたいので、亀岡斎の叔父上による三崎湊開発には大いに期待しているよ。


 母上や阿南も守谷にいて、この度、試験的にではあるが、ちょろっと採取出来た甜菜糖を使い、お菓子などを作って楽しんでいる。

 大部分の甜菜は種を取るために、まだ畑に埋まっている状態なので、本格的に砂糖の生産に取り掛かれるのは……三年から四年後といったあたりだろうか。

 とにかく、女性陣の関心が集まれば那須高原の西南側では甜菜畑が広がるはずだ。

 ……景貞叔父上も伊藤家の女性陣を敵には回したくないだろうさ。


 さて、この伊藤家女性陣とは母上を大将に、参謀を祥子と蕪木が固め侍大将を姉上、外交を忠平と業篤の妻が務めるというドリームチームである。

 冗談抜きに、兵の動員力から補給を含め、佐竹家辺りなら一年以内に征服できるんじゃないだろうか?

 ……実に恐ろしい世界である。


 「つきましては、この季広。伊藤家が蝦夷の民との交易を行なう上でのお手伝い、全力で手伝わさせていただきまするぞ!」

 「それは、なんとも忝い……当家の蝦夷地交易は全て嫡男の景藤に任せることにしておりますれば、ことの仔細は景藤と話し合っていただきたい」

 「承知しました……景藤様。何卒よろしくお願いいたします」

 「こちらこそ。この景藤、若輩の身なれば季広殿には色々と教えていただきことが沢山ございます。何卒ご教示いただければ幸いでございます」


 深く礼。

 通訳に補給港の都合、水と食料、薪の販売と色々とお世話になるつもりです。主に吉法師が!


永禄三年 xxxx xxxx


 「して、今年は久方ぶりに伊藤家に行ったわけだが、如何であった?」

 「はっ。関東の豊かなるところを悉く手中に収めているだけあって大層な繁栄ぶりかと……」

 「うむ。古河までの道のりで、道々の田畑を見ていきましたが……あれだけの規模の田を上野から延々と……古河からはさらに武蔵、相模までにも続いているとのこと、その生産力は当家とは比べ物に……」

 「また、南蛮との交易も既存商人たちを介さずに直接始めだしたとか……時がたてば、堺や博多を超える湊が伊藤家の領内に出現するかもしれませぬ」

 「また、南信濃、伊那郡の諸将たちの時と同様に、越中の神保家も伊藤家に頭を下げたいと申し込んできたとか……伊藤家からは当家との繋ぎをすると言ってきております」

 「くっ!神保家も当家に直接言うのでなく伊藤家を経由するとは舐めた真似を!」

 「このままでは当家の武威が舐められっぱなしではないのでは!?」

 「しかし、今、伊藤家とことを荒立てて何の得が我らにあるというのだ?四国連合の一員となっているおかげで当家は北・東・南と安定し、此度は西にも支配領域が広がるのだ。文句を言う筋合いではあるまい?」

 「されど!」

 「そう、されどでおじゃる。確かに伊藤家はそれなりに古い武家でおじゃるが、なんども山に逃げ籠り、その貴き血も薄めておじゃる。そこもと達が風下に立つ謂れは何処にも無いと思うぞよ?」

 「……と、申されても、今の伊藤家は実力が伴ってござる」

 「ほほほほ。そのようなもの、麻呂たちの力で奪ってしまえばよいだけのこと。柿というものは、木の上で熟れるだけ熟れた方が、もいだ時に美味なる柿になるのでおじゃろう?せいぜい麻呂たちの舌を満足させるために熟れて貰おうではないですかの?おーほほほほ!」

 「「おおぅ!確かに!」」「それは名案!」「然り、然り」

 「……あまり、皆を焚き付けないで頂きたい!……お話しは承った。今年こそは上洛することに致すので、どうかおかしなことをせずに京でお待ちいただきたい!」

 「ほっほほほ。漸く重い腰を上げて頂きましたか。麻呂は京にて、貴方様の到着を心よりお待ち申し上げましょうぞ」


永禄三年 春 古河 伊藤景虎


 ちゅるっちゅるっちゅちゅちゅる。


 春の嵐も通り過ぎ、日差しも暖かくなってきたしな。

 メジロであろうか。小鳥の囀りも良いものよな。


 「メジロですかな?鳥たちも春の訪れを喜んでいるようですね、信濃守様」

 「そうよな、この数年は兵を大規模に動かすこともなく、こうして領内の繁栄にその力が振るえるというものだ。有難いことよ」

 「左様ですな。そのおかげでこうして大規模な河川改修にも人手が十分に割けるというもの」


 忠宗の言う通り、今年は周辺諸将との大きな戦いも無さそうだということで、土木奉行所の人足だけでなく、多くの兵をも動員して河川改修に充てている。

 今までも伊織率いる土木奉行所が治水を行なってきたのだが、新年の評定にて、今年は大々的に河川の改修をしたいと伊織が言ってきおった。


 確かに関東の西はそうでもないが、東に行くにしたがって川が複雑に入り組み、整理された田畑を作り出すのが困難となっておる。

 佐竹領には手出しできぬが、せめて守谷に至るまでの河川を整理し、川の道と田畑の拡充を行いたいとのことじゃった。

 もともと、この辺りの領主である政繁などは一にも二にもなく、もろ手を挙げての賛同を示した。

 もちろん、儂にも否応は無い。農地が増えるのは有難いことであるし、川の道を整えられれば、すなわち兵の投入も速やかに行え、火急の事態にもすぐに対処ができるというものだ。


 「して、忠宗、業棟よ。伊織からの計画では、我らが担当するのはどのようなものだ?」


 安中忠宗、柴田業棟、この両名はこの春をもって、それぞれの家老職を父より受け継いだ。

 忠平、業篤は共に隠居という形で、両一族の棟梁の座からも同時に身を引き、忠平は羽黒山で元の補佐を、業篤は厩橋で景竜の補佐をしておる。


 「土木奉行所の計画では関東の西を流れる河川を大きく四本にまとめたいと。南より多摩川、荒川、利根川、渡良瀬川。このうち多摩川から南を伊織様が、渡良瀬川から東を清様が、そして、我らには荒川と利根川を……」

 「相手が坂東太郎ですからな、生半可な仕事ではありますまいな」

 「まぁ、一番多くの人員を動かせるのが我らなのじゃ、仕方がないの」


 そう、一番の人員じゃ。

 今回の工事に当たって三万人規模の人員を動かしておる……諸将の動きには細心の注意を払い、よくよく分析に分析を重ねたうえでの動員じゃが……ちと、怖いのも事実。

 たのむから、静かにしておれよ?伊勢氏康よ。


 「今回の工事では、まず深谷、松山、忍の中心。荒川と利根川の一部が交わる地点の扱いでしょうな。利根川本流への流れを大きくし、かの一帯を治めたいと考えております」

 「まずは、かの一帯に遊水池を作り合流の衝撃を和らげた後、羽生のあたりの利根川を広げ、川の道を真っすぐに、また広くいたします。今年はこの工事を終わらせることと、周辺の河川を統合させることが目標ですな」

 「まさに、大工事じゃな。ともあれ、まずは遊水地の造営にすべての人員を投入する、しかる後に 二万で羽生の利根川を、残り一万を割り振って河川の統合を進めるものとする。よいな」

 「「はっ」」


 大まかな方針と人員の割り振りをして、忠宗と業棟は持ち場へと向かう。

 儂は別室へ移動だ。


 「……すまぬな。待たせたか?景竜」

 「いえ、さほどのことは」


 珍しいことに、景竜から時間が欲しいとの連絡を貰ったのだ。

 こうして、景竜の方から面会を申し込んでくるなど、今までにあったかな?


 「先ずは、お祝いの言葉を。阿南様と輝が懐妊したとのこと、これで若殿にまたお子が産まれれば伊藤家も盤石となりましょう」

 「おお、ありがとう。景竜にとっては甥か姪が産まれてくることになるな。一丸も中丸も年が明けて六歳、冬産まれ故、その方らが六歳の春の時のように、動き回ったりが出来るという年ではないがな。されど、二人とも非常に利発な子だと、文から伝え聞いておる。誠、有難いことよ……」


 有難いことではある……だが改まって時間を貰ってまで話したい内容ではあるまい?


 ふむ……どういうことなのだ?

 冒頭の話題とはいえ、今一つ意図が読めぬな。


 「それは何より。して、一丸様と中丸様も利発ながら、仁王丸様はそれに輪をかけて利発だとお伺いしましたが?」

 「……何が言いたい?その方は景藤の一の腹心ではないのか?」


 一時は儂と景藤が不仲になった、それは認めよう。

 されど、景竜にどうこう言われるようなことは無いと思うがな。


 「いえ、信濃守様。どうかお気を悪くなさらないで頂きたい。ただ、私は柴田の者達と上野を見ている立場……何かと北からの噂話が入ってくるのです……」

 「!!??」


 北だと?!越後で何ぞ動きがあるのか?


 「しかとは申せませぬが、どうやら長尾家の忍びが当家の切り崩しを狙って、盛んに柴田の者をけしかけている様子。ご隠居様の指導のもと、私が引き締めに掛かってはおりますが、一部の者達の動きに度を超す気配がございます……」

 「度を超すとは?」


 ……兵を挙げるにも上野は東西南北すべてが伊藤家か長尾家に囲まれておる。

 長尾家が四国連合から正式に脱退でもせぬ限り、武力によって立ったとしてもすぐに抑えられよう。


 「彼らは土地を持ち、領主となることを求めております。伊藤家の領地に住まう旧領主や豪農たちを焚き付け、旧来の国人領主復活を夢見ております」

 「……そのようなこと!それでは足利の過ちをただただ繰り返すだけではないか!」

 「彼らにはそのような未来は見えておりませぬ。ただ単に自分たちが「領主様」と呼ばれたいだけの浅はかな虚栄の塊なのです」

 「……排除できぬのか?」


 申し訳ないが当家の考え方と大本から違うのじゃ、いなくなってもらう他あるまい。


 「残念ながら……ある程度は刈れましょうが、根こそぎは難しいかと……」

 「ふむ……根こそぎ狩ることを望むか?」


 見せしめとして一部を狩るだけでも効果はある、左様に儂は考えるが?


 「はい。此度の不満が彼らの自発的な欲求から起こっているのであれば、一部の過激な者達を狩るだけで事は足りましょう。ただ、今回は背後に長尾家がおります……これはまだ不確定ですが、さらにその後ろにも何やらかがある気配。ここは彼らの企みを一網打尽とし、当面の介入を諦めさせるが肝心かと考えます」

 「工作の根が残ると面倒か……」

 「……左様に考えました」


 長尾家は越後を佐渡の金銀によって富ませるを第一としていると考えておったのだが……。

 どうやら、関東や西への色気があったか……。

 まぁ、色気なくば沼田を抑えることなどはせぬか。


 「して、如何なることを儂に求めたいのじゃ?」

 「はい。若殿の廃嫡を……」

 「景藤をか?!どうしてそのような?!」

 「……若殿は幼少の頃より神童よ神の使いよと称され、今の伊藤家の統治方針を掲げた象徴にございます。その象徴を取り除くことで油断を誘い、蠢く連中を見極め、一網打尽に致します」


 油断を誘うためとはいえそのような伊藤家に益の無いこと……?


 ん?待てよ……?

 確かに、益もないが、不利益もない……のか?


 今の立場でも、景藤がやることに制限はない。

 父上も儂も、景貞も伊織も景藤が言うことに反対をする気は毛頭ない。

 儂の後の世代、景藤が継がないとなると、元、清、景竜の三名……三名とも景藤に反する考えは微塵も持たない人間か……。


 「……なるほどな。だが、お主の次の世代は如何するのだ?」

 「一先ずは、仁王丸がよろしいかと。一丸、中丸、仁王丸の三名は兄弟として若殿の下で育っております。若殿が申すには、仁王丸は自分と近しい考えをあの年で持っているとも仰っておりました。また、産まれた時に鹿狼の加護を得ていたとかで……安中も反対はしないとの話でございます」

 「忠平と業篤もか……」

 「はい、納得しております。ただ条件というわけではないのですが、若殿を伊藤家の後見とし、政務一切の権限が若殿の下にあるのであれば、形は気にしないとのことでございました」


 廃嫡をし、当主とならずとも、今と同じ立場を用意すれば良いということか。

 前から思っていたが、忠平と業篤の忠誠の先は伊藤家ではなく、父上と景藤に向いておるように感じるな……。


 「しかし、そうすると……晴宗殿をどう納得させるかが肝要だな。なんといっても一丸と中丸は孫。その立場が嫡子の子かどうかは大きな違いだろう……」

 「そこは信濃守様にご説得いただくしかないのですが、伊織叔父上に相談したところ、勿来城主に一丸様、鎌倉城主に中丸様が入れば問題ないのではないかと言われました」

 「……なるほど。晴宗殿も目先の名分ではなく、実が何かを考えられるお人と言うことか……伊藤家の力の源泉となる二城を二人が治めるとなれば、我らの意思を推してくれるというものか」


 傍から見た今の伊藤家は、阿武隈川流域と那須の牧場、上野の鉄、関東の人と米。それらが力の源泉と、かように見えるのかも知れぬが、実のところは阿武隈と勿来の富よ。

 父上と儂が守った彼の地に、景藤がもたらした勿来の富が我らの力の全て。


 形ばかりの石高など阿呆の見る夢。

 今行っておる大規模工事も阿武隈と勿来が無ければ、いかにも手の付けようがないわ。


 「なるほどな。考えてみれば、景藤を当主などと言う堅苦しい立場に追いやって、自由に行動させぬなど、害有って利無しじゃな……本人も昔から、当主には成りたくなさそうだったからな。丁度良いのかもしれぬか」

 「若殿の器に対し、残念ながら伊藤家の当主というのは小さすぎるというものかと……」

 「はっはは!言うではないか、景竜よ!良かろう、その方と伊織の策を採用するとしようではないか。詳しく聞かせい!」

 「はっ!……ならば……」


 しかし、こうまで面倒なことをさせるのじゃ。

 長尾殿の背後にいる者には精々悔し涙を流してもらわねばならんな!

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