第56話 武家の魂

1560年 永禄三年 夏 勿来


 「おお、久しぶりだな。元気にしておったか、両城代!」

 「我らを揶揄わんでくだされ、信長様」

 「そうそう。そういうのは良くないと思います」

 「かはは、許せ許せ!」


 久しぶりの尾張屋勢揃いで、吉法師も心なしか浮かれているようだな。


 藤吉郎改め浪江秀吉二十五歳、犬千代改め前田利家二十四歳。ともに一城の城代である。

 前世世界の織田家にいる時よりも出世してないか?

 まぁ、城代と言っても形の上では俺が派遣した代官ではあるのだが、城の規模と担当していている仕事内容は立派に城代だよ。


 飯野平の小川城も、権現堂城も千五百からの常備兵を抱える城だ。

 どちらでも農地の開発に治水、年貢の取り立てに街道の敷設、拡充。権現堂に至っては、相手が身内の伊達家とは言え、他家との領地境を守る役目もある。

 尾張屋の番頭をしていた時よりもさらにハードな仕事に追われているのだろう。顔つきも精悍に……というかげっそりしとるな。


 一方、織田信長様は二十八歳。海の男的、焼けた黒い肌にほっそりとした甘いマスク。

 この、ザ・イケメンさんは五隻に増えた勿来武凛久の船団長として、元気に太平洋岸貿易に精を出している。

 ……信長さん。実は去年に、帰蝶との間に元気な息子が産まれていたりする。

 奇妙丸と名付けられた彼は勿来城の赤子部屋で杜若と一緒に世話をされていたりするのだった。


 ぱたぱたぱたぱた。

 汗が零り落ちるぜ。


 「しかし、お前たちが城代とはな……城主は岩城家の姫さんだし、実質お前たちが城主だ……俺が親父の後を継いで尾張下四郡を治めていたとしても、ここまでの役職を用意できていたとは思えんな。うむ。お前たちの能力に適した役職を与えてくれた太郎丸に忠誠を誓うのだぞ?」

 「もちろんですとも。農家の子倅だった儂があれほど立派な城の城代などと……伊藤家の、若殿の御恩には儂の全身全霊をもって奉公させていただく所存」

 「俺も前田の家を奥州で持てるとは思っていなかった。それに慶次の面倒までをも見てもらっている。なにがあろうとも若殿を支える所存」

 「そうか……お前たちがそこまで言ってくれるとは……俺としても長年連れ添った部下を手放すのは、正に断腸の思いであったが、二人がそこまで太郎丸の事を思ってくれているとはな……くっ!涙腺が緩んで仕方がないなっ!」


 ぱたぱたぱたぱた。

 汗が零れ落ちるぜ。夏は暑い……当たり前か。


 「そんな、太郎丸様に引き合わせてくれたのも信長様です。儂らにとっては若殿も信長様も同じく殿でございます!」

 「たまには藤吉郎も良いことを言う」

 「……なんと嬉しいことよ……今日は飲むぞ!乾杯!」

 「「乾杯!!」」


 ぱたぱたぱたぱた。

 汗が零り落ちるぜ。そろそろ次の魚が焼きあがりそうだな。


 「お~い!そこで、何か良い雰囲気になっている三人!いい具合にスズキが焼きあがったぞ。早く持って行け!」

 「「「は~い!」」」


 今日はバーベキューあっと勿来海岸である。


 鮫川の流れこむ辺りは遠浅になっているとのことだったので、大き目の網を作って地引網漁でもやらないか?と地元漁師と村上衆を誘ったら、何故かこんな塩梅となった。

 取れたて海産物を塩・胡椒・柑橘水などで味付けしたシンプルな網焼き料理である。


 「中丸、一丸、仁王丸。ちゃんと手を石鹸で洗ってから食べるのですよ?」

 「「はい!(義)母様!」」


 阿南も大きくなったお腹を大事にしながら、そして子供たちの世話をしながら参加中だ。


 「うん。やはり、この相模から届けられた柑橘の汁を掛けながら食べる焼き魚は最高ね!」

 「(うん)むしゃむしゃ」

 「それより、輝は悪阻とか大丈夫なの?あんまり食べ過ぎて気持ち悪くなっても知らないわよ?」

 「(大丈夫)むしゃむしゃむしゃ」


 輝さんや……咀嚼音と会話が逆ではないのかや?

 何とはなしに姉上と会話が成立しているようだが……。


 「義父上もお食べになったら如何ですか?火の管理は仁王丸がさせて頂きますが……」

 「ははは。気にするな。俺もそろそろ料理番を交代させてもらうさ……ほれ、陳さんがこっちに戻ってきたからな」


 俺は数え六歳とは思えぬ気遣いを見せる仁王丸の頭をくしゃくしゃとしながら、そう答えた

 俺が言ったわけでも、阿南が言ったわけでもないのだが、いつの間にか仁王丸は俺のことを「義父上」、阿南のことを「義母上」と呼ぶようになっていた。

 養子にしたわけでもないのに、父母呼びなど寅清夫婦に悪いと言ったのだが、「私がここにいる理由こそが若殿様を義父と呼ぶ理由でございます」などと言い返された。

 どうにも年齢にそぐわぬしゃべり方をする子供である。


 一度、俺と同類の心を持っているのか?と試しに前世世界の話を振ってみたのだが、それについてはなんの反応もなかった。

 どうやら、純粋に脳の発達が早いタイプの子供らしい。

 一方、一丸と中丸は阿南と一緒に石鹸で手を洗った後は、ひたすらに大口を開けて焼き魚を頬張っている……可愛い。


 「若殿!あの小魚どうするの?捨てないよね?捨てないよね?勿体ないよ?陳さん魚醤作りたいよ?」

 「おお!魚醤か!畑の肥料にしようかとも思っていたが、魚醤が作れるなら、陳さんの好きに使ってくれ!」

 「ありがとさんよ、若殿。肥料は食べれなくても肥料作れる。だけど魚醤は食べれる魚でないと魚醤作れない。だから、肥料後回し正解よ……そう、だから、浜からは離れた場所に、風通しの良い小屋。大き目の樽に人を何人か。それで、陳さん魚醤工房作っちゃうよ!」

 「それは良いな!よし!製塩工房の近くに魚醤工房を作ろう!ちなみに、このぐらいの小魚でどのくらい作れるのだ?」


 俺はとりあえずは、と数多くの桶に山と積まれた小魚を指さし、陳さんに尋ねる。

 魚醤工房の規模と地引網の回数や、量、行う場所とかも考えないとね。

 勿来で足りなきゃ、ここから権現堂までの浜で良さそうな場所を探してやんなきゃいけないしな。


 「そうね、中樽一杯ぐらいか?城で使うと四か五か月くらい思うよ?」

 「となればだ。とりあえずは大樽を四つ用意して三か月ごとに作れば、ある程度の量を販売に回せるということだな」

 「ははは。魚醤は好き嫌い別れるけど、保存とてもいい。きっと博多ではすごく売れるよ」


 それは良いことを聞いた。

 阮小六も定期的に勿来に船を寄越すようになったしな。魚醤が出来上がり次第売りさばくか!


 「まずは城に小魚を持って帰ってもらって、仕込みを始めてもらおう。俺の方は後で忠清に話をして土木奉行所の一団を貸してもらうとするか」

 「多謝、大君。それでは、陳さんは早速城で魚醤を仕込んでくるよ!」

 「おお!頑張って頼むぞ!」


 魚醤……本当は醤油が欲しいところではあるが、まずは魚醤で俺の欲求はかなりのところが満たされるな!


 「あの……義父上。火の番は、結局……?」


 あ!


永禄三年 夏 古河 伊藤景虎


 「そうか、それはなんとも……お父上の心よりのご冥福をお祈りさせていただく」

 「ありがとうございます。ついては、わたくしが義氏と名乗り古河公方を引き継がせていただきたく、信濃守様にご挨拶をと参上しました」

 「お気遣いなく。当家は足利家についてとやかく言うつもりは全くありませぬ。足利家でよろしいと思うようになされるのが良かろうと思います」


 どうやら、晴氏殿は先だって亡くなられたようだ。


 当家は足利家の臣従を認め、形としては保護しているのだが、特段、古河公方を利用したり介入したりはせず、配下の一領主として扱っている。

 晴氏殿は当家に臣従の申し出をしてきた当初こそは不満に思うところもあったらしいが、晩年は付き従う家臣ともども、小山の地にて領民と混じり合い田畑で汗を流していたらしい。


 義氏殿は今年で二十一歳。物心ついた時から古河公方に実権はなく、逆に父親の無謀な復権案に呆れ果てていたそうだ。

 自分が古河足利家を継ぐからには、隣領である山内上杉家と宇都宮家と手を携え、仲良く土地の発展に努めたいと言うておる。

 本心がどこまでかは微妙じゃが、きちんと政情分析は出来る頭を持っているようで何よりだ。


 「忝い。一応、私は形の上では古河公方を継ぎ。室町公方様から義の字を頂き、義氏と名乗ること、朝廷と室町殿からお墨付きを得ているが、信濃守様に仇成すことは一切考えておりません。私が願うのは、ただただ東国の平穏です」

 「それは素晴らしきお考えかと。当家も志すことは只、東国の安寧と発展のみでござる」


 無用な諍いになぞ巻き込まれたくないからな。

 嫌が応にも敵視してくる者は居そうなのだから……。


 「そこで、室町とやり取りをした中で、一つお耳に入れたき儀がございまして、本日は私一人でお邪魔した次第……」

 「ふむ……済まぬが忠宗よ。人払いをして戸を空け放っておいてはくれぬか?」

 「はっ。かしこまりました」


 只の人払いだけでなく、隠れた者もいないことを示す。

 まぁ、儂は太刀を携え、義氏殿は懐刀のみであるので、安全には十分配慮していることになってしまうが、このぐらいは立場的に許してくれよう。


 「実は……信濃守様はご存知かも知れませぬが、ただいま京は荒れているようでして……形としては戦もなく室町公方様も京に戻られており、畿内も三好長慶殿の下に平穏が訪れてはや数年となっております……されど、彼の地に住まう者達はそのような平穏を平穏とは見做さぬようでして……」

 「ふむ。戦もなく、領主同士の仲も悪くはない。大変結構な状況だと儂などは思ってしまいますがな」

 「私も同じ気持ちです。どうにも……所詮は京の公家武士同士の争い。関東の壮絶な争いなどとは比べることも馬鹿らしい程度の諍いであったのでしょう。彼らは平穏の時を怠惰な時としてしか受け取れぬ様子。己の意のままにならぬ平穏などは、所詮偽りの平穏だと思うております」


 なんとも、はた迷惑な……。

 いっそのこと、きゃつらの戦は当人同士の切合いで決めれば良かろうさ。


 「公家は公家で自分たちが思い描く形での政の実施を願い、室町公方は幕府の権威を義満公の時代に戻したいと願って暗躍しております。本来は巻き込まれている形の京周辺の三好家を初めとする諸将も、自分が天下第一の将となれるのならばと、水面下での喧嘩に余念がございませぬ」

 「……なんとも寂しいことではござるが、別に数万の戦死者が出るような戦が毎年続いているわけでもありますまい?児戯は児戯らしく畿内で繰り広げてもらえばよろしいではありませぬか」


 この百年で、人の数が五分の一以下にまで減ったと言われる関東に比べれば可愛いものよ。

 好きなだけ同士討ちをしているが良いわ。


 「畿内だけで遊んでいればよい、との考えに私も賛成ですが、どうやら、彼らが東国を離したくはないようでして……」

 「離したくない……とは?」


 義氏殿は懐から一通の書状を取り出した。


 「ご覧下され、室町公方義輝殿からの書状でござる。曰く、古河公方から伊藤家・佐竹家・長尾家・伊達家に命令を下し、関東の兵を以て六角、三好を討ち滅ぼし、真の天下平定を成すべし、さすれば古河公方管轄の東国十国に駿河・遠江・信濃・越後・越中・飛騨・能登の七国を新たに加える約束をし、正式なる鎌倉公方として立たれるが良い、と」

 「……正気の沙汰とも思えませぬな」


 呆れるしかないとはこのことだ。

 開いた口が塞がらぬわ。

 ん?しかし、これは公方の書状。ということは……。


 「さようです。お気づきの通り、公家からは関白殿下が東は長尾殿を筆頭に西国、南国までに檄を飛ばしております。務めを果たせぬ足利将軍家を打倒し、真なる幕府を建てるべし、と」


 なんと……顕家公を見殺しにして、政を行う資格なしと天下万民に知れ渡った公家がどのような面でそのようなことを……。


 「私に力はないとは言え古河足利を継いだ身。これからもかような情報は入ってきましょう。わたしの全身全霊をもって東国の安寧を守るべく努めてまいりますが、力及ばぬと思った時には、どうか信濃守様のお知恵とお力に縋らせていただかねばならぬことも起きるかも知れませぬ」

 「……東国の安寧を願う気持ちは儂も義氏殿も同じと解り申した。何か情報が入り次第お知らせいただければ幸いでございます……」

 「忝のう御座います……それでは私はこれで」

 「小山までお気をつけて……」


 義氏殿が帰られてからも、儂はしばらく身動きが出来なかった。


 ドンッ!

 ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!

 ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!


 なにゆえ、京に住まう人間は他人を操り、その生き血をすすることで己の欲を満たそうとするのか?!

 なにゆえ自らが先頭に立って動かぬのか?!

 人を扇動することが行動することなのか?!

 人を自分の欲を満たすために操ることになんら恥を感じぬのか?!

 儂には理解できぬ!理解したくもない!

 我らは武家ぞ!王家の犬ではない!

 !!!!!!


 …………

 ……………………

 ………………………………


 「!!!信濃守様!!!お気を確かに!!!!」

 「いかん!気を飛ばされておる!!!顔色も青い!!!!そっとだそっとだ!妙棟!もそっと静かにお運びせんか!!!」


 うるさいわ。忠宗。

 儂は別に死んでは……おらん……ぞ。

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