第51話 信長の仕官
弘治四年 冬 勿来
「おう、珍しいな!冬の奥州は寒いからと、いつものように尾張にいるのではなかったのか?」
「ふむ。言うてくれるではないか……まぁ、それはそれとして、ちと、二人で話がしたいのだが良いか?」
「ん?もちろん構わんぞ?」
今日は勿来の湊、倉庫が立ち並ぶ港湾地区の北東側、その一つの山頂に建てる教会の建設現場の視察に来ていた。
古河での父上との謁見も上手く行き、古河城下、関宿城下、河越城下、岩付城下で教会が建てられることとなり、そちら関東の教区はフアンが担当し、勿来の城下に建てられる教会はビクトルが担当することとなった。
なぜそういう割り振りなのかと尋ねてみたら、純粋に人口や教会の数が多い方を先任のフアンが担当することとなったと言っておった。
ちなみに、「南蛮寺には良い思い出がありませんからな~」というので、海蔵院衆には羽黒山に行ってもらってる。
羽黒山には高炉やら実験工房がいくつも立ち並んでいるので、彼らも思いっきり試作が出来るというものであろう。とりあえずはライフリング入りの銃身づくりをお願いしてある。
アベマキの栽培も目途が立ったのでミニエー弾の作成も順に始めていきたい。
絡繰弓と同じで、多数の配備は無理だろうが、ある程度のまとまった数を奥州軍には配備して行きたい。
あ、大砲の方にはライフリングは刻まなくていいけど、大砲それ自体は大量に作ってもらうしかないんだよね。
数は力。
山地が多い日ノ本の陸上では、幾ら打撃力が高かろうとも、機動力が伴ってなければ宝の持ち腐れとなっちゃいそうだけど、船に搭載するのならば、そのあたりの弱点は大分軽減される。
う~ん。だけど大砲も威力を上げる研究は必要か……線条あれば距離も威力も上がるもんね。
それにリベットを弾に使えばいけるんだっけ?……うん研究だけはしてもらおう!
未来への研究投資も重要、重要。
アルベルト卿とは仲良くできそうだから、すぐにはスペイン艦隊やらのヨーロッパ艦隊とドンパチをしなくて済むだろうしね、ここはゆっくりと開発をしてもらおう。
因みに、この辺りの新型銃・砲の作成には、どうしても鋳鋼の威力工場というか、品質向上と調整諸々を期待しなくてはならないので、景能爺には厩橋から羽黒山に戻ってもらった。
本人は「かぁ~!またもや無理難題かよ!腕がなるじゃねぇかよ!」とのことでした。
ありがたや、ありがたや。
と、そうだった。
二人だけで話があるんだったな……さて、吉法師と二人で話せそうなのは……。
「わざわざ山を登ってもらって悪かったが、下の倉庫街の一室でいいか?伊藤家の倉庫事務所を借りるとしよう」
「わかった。何の問題もないわ」
?
なんとも殊勝な態度だな。
……
…………
「で、用件とは?」
事務所の一室に腰を落ちつかせて話を進める。
「ふむ。今年は秋まで勿来にいてから尾張に戻ってな。そこで清康殿から呼び出しを受けた。約束の期限が近々来るので……ざっくりいうと、自分の娘と結婚して尾張衆を率いてくれないかとの誘いだ。俺としては今更、尾張の一地方、しかも松平家の入り婿家臣として働くなどまっぴら後免なので、すぐに断ったのだが……そうしたら、妹の市を清康殿の孫の竹千代と結婚させ、尾張衆を率いさせると言う……」
「……特に悪い話ではない、というか当たり前の話のように思うのだが?」
旧主の血族を引き込んで支配させる。洋の東西を問わずに繰り広げられてきた占領政策だよな。
まぁ、織田弾正忠家はあれだけどな。
「うむ。普通の縁談ならな……だが、我が妹ながら市は……その、なんだ。根が正直過ぎるなところがあってな?」
「なんだその苦虫を万匹も口の中に入れたような言い方は」
「……あやつはその話を聞いたときに、清康殿、広忠殿、竹千代という本人達を目の前にな「市は人間でございます。タヌキの嫁になどに成りとうはありません!」と言い放ちおって……なんと、その場から走り去ってしまった……」
……
…………
「どうすんだよ!」
「俺が聞きたいわ!」
え?逆切れですか?吉法師さん?!
勘弁してくださいよ?
「本当に、俺が聞きたいのだ……で、この話はまだ続くのだ。一応その場は旧織田家臣も沢山おったので、無理やり笑い話にしてごまかした」
それしかないよな……。
けど、家康って本当にタヌキなんだ。
申し訳ないけど、それを知れてなんだか嬉しいな。
「とりあえず、後のことは叔父上や弟たちに託して俺はこっちに来たわけなんだが……実は……?」
「実は?」
なんとなく読めるけどね、その後の展開。
「実は尾張屋の船に密航しておった……」
うん!でしょうね!!
話を聞いた限りでもお市さんは行動力が有りそうだもんね!
いや、待てよ……でも?
「一人でか?」
「いや、太郎丸の想像通り、協力した者が居った。……形としては犬千代の従兄にあたる慶次郎というやつが手引きしてきおった。慶次郎、あやつは面白いやつではあるのだが、俺以上のひねくれ者でな。松平の風下に立って生きるのは勘弁願いたい。俺の下で世界を相手に大喧嘩をする方が楽しそうだとか言ってな……」
「自分が勿来に密航するついでに、市殿も連れてきたのか……」
「そういうことだ……」
……
知らない内に前田慶次とお市をゲットしていました!
……って、松平家は怒らないよね?
「尾張を出てきた理由が理由だ。せめてほとぼりが冷めるまでは……どうか、この二人をお前のところで預ってはくれぬか?」
「……まぁ、かまわんが。二人にとっても勿来から権現堂までの土地には見知った顔も多いだろうからな。多少は心も落ち着くかもしれんし……もしかしたら、里心も付くかもしれんしな……」
「そうして貰えると助かる。後は、改めてになるが……織田三郎信長、是非とも、今後は若殿の下、狼の旗の下で共に戦わせて下され」
おおぅ。そういえばそうだったね。
年が明けて松平家への義理を果たし終わったら、当家に仕えてくれることになっていたな。
「こちらこそ頼む。信長殿。ともに日が昇る水平の先、沈む大陸の果てまでも行こうぞ!」
「ああ!」
硬い握手!
ん?
……握手なんて習慣あったっけ?
永禄二年 正月 古河 伊藤元
「改めてご挨拶させていただきます。某、織田三郎信長。これより謹んで伊藤家の為に働かせて頂く所存。何卒皆様にはよろしくお願いいたしまする」
「「お願い致しまする」」
本当に改めてだけど、ついに吉法師が太郎丸の下で正式に働くことが決まった。
父上もお爺様もいつかはこうなるものだとわかっていたらしいけれど、こうして吉法師の部下が一堂に揃うと中々なものがあるわね。
吉法師改め織田信長の配下は四人。
藤吉郎改め浪江秀吉、その弟の秀長。
犬千代改め前田利家、その従弟の慶次。
四人のうち三人の名前は景藤が決めたらしい。それらしい理由を言ってたけど、覚えてはいないわね。
ただ、確かにしっくりくるからいいんじゃない?とは感想を聞かれた時に答えたけど。
ただ、難航したのは藤吉郎の家名みたいね。
結局のところ、景藤曰く「権現堂城の城代として働いてもらうから、その近くの地名、浪江を名乗らせることにした」だそう。
一方、犬千代は生家の前田をそのまま名乗ることにしたようね。
父親とかはそのまま松平に仕えてるようだけど、本人は前田を伊藤家中で名乗ることに何の抵抗もないようね。
「いやいや、そのように硬くなるでないわ。お主たちのことは何年も前からよう知っとるからな。尾張屋には色々と当家の懐具合の助け貰ったのじゃ、どうかこれからも景藤を助けてやって欲しい」
「はっ。ご隠居様にそう言っていただけるとは、この信長、望外の喜びでございます。今後は今まで以上の働きをもって景藤様、ひいては伊藤家の為になると誓わせていただきます」
「これはこれは、なんとも頼もしい言葉だ。景藤の父として、儂からもよろしく頼むと言わせてくれ」
あら?父上ったら、景藤の為に頭を下げたわね。
知らない間に景藤に対する蟠りは解けたみたいね。
良かったわ。後で母上に伝えておきましょう。
「で、景藤は信長殿達にはどのような仕事をしてもらう予定で?」
そうね。伊織叔父上じゃなくてもそこは気になるわ!
……まぁ、伊織叔父上としては内政に使えそうな人材がいたら自分のところに回して欲しい、っていう下心が丸見えだけどね。
ただ、ここ数年の伊織叔父上の仕事量を考えると、一人でも多く土木奉行所での配下が欲しい、その気持ちは良く分かる。
「はい。彼らとは何回か話しをしまして、まず信長には、今後、次々と完成するであろう勿来村上衆の造る南蛮船を使った交易、その船団長として切り盛りをしてもらうつもりです。北は蝦夷地から南は
「ははは!蝦夷地から呂栄!!それだけの航海が出来る船を造るか……なるほどな。今までとは違い船からなにまで、そのすべてを当家で用意するというのだな」
「はい。そうなります景貞叔父上。ただ、船団の人員は勿来の領地だけではどう考えても足りぬので、尾張屋からも数十名、また三浦半島の村々からも人を集めたいと思っております。ただ、総ての準備が整うまでには、最低でも数年は掛かると思います。ですので、それまでは尾張屋の力を借りつつ、今までと似たような形で商いを行っていくことになるかと思います」
まぁ、そうなるわよね。
村上の紅とも話をしたけれども、一隻目の南蛮船の完成は、どんなに早くても夏ごろになりそうだと言ってたし……。
けど、実物の南蛮船を見学させてもらったので、当初に考えていたよりは早く、一番船を造れそうだとも言っていたわね。
……そうなると、次の問題は人員か。
勿来の人員で長距離の航海を経験したことある人間なんていないでしょうし、内陸の人間は長距離航海とかは怖くて、志願なんてしないでしょうしね。
けど……三浦一族に縁がある者は軒並み伊勢家に殺されたと聞いていた。
今でも三浦半島には海の民が残っているのかしら。
「わかりました。私の方でも鎌倉から三浦半島の村々に対し、長距離航海のための乗組員を募集している旨を伝えておきましょう」
「はい是非ともお願いいたします」
「それで、信長殿が船に乗るというのなら、そっちの四名もともに乗るのか?」
「いえ、秀吉には権現堂城を、利家には小川城の事務を見てもらい、ゆくゆくは城代として活躍をしてもらいたいと考えています。城主としては岩城家の姫二人それぞれを充てて行こうと考えています。秀吉と利家、必ずや彼女たちの心強い助けとなってくれるでしょう」
岩城家の姫は、確か藍と毬とか言ったかしら、私の前後三つぐらい離れている娘だったわよね。
二人ともいい子だったとだけは覚えている。
「ふむ、では慶次と言ったか、その者のことは如何考えておるのじゃ?」
「はい。慶次は特にこれといった役職に就けるつもりは御座いませぬ。非常に腕の立つ男ですので、当分は鹿島大社の塚原様の下で修行をしてもらうつもりです。その後は、海も陸も関係なく戦働きを主にしてもらうつもりです」
「ほほぅ?慶次よ、その方はそれで良いのか?」
「はい!ご隠居様!某、それなりに腕には覚えがありましたが、勿来に、伊藤家に来てから考えが改まりました。こちらには私より強い女性が二人もおられた。更に、本日この場で伊藤家の方々にお会いできましたが、この場での私の腕は下から数えた方がよさそうな気配。尾張で伸びきった鼻もぽっきりと折れ申した。この度は景藤様よりいただいた機会を大切にし、日ノ本最強と名高い塚原高幹様に教えを頂き、己を一から鍛え直す所存!」
そう。初対面の時の慶次郎って生意気だったのよね。
女だからって馬鹿にしてくるし……。まったく、あんなへっぴり腰をしておいてよくも「腕に覚えが」、とか言えたわよね。
ちょっとだけイラッとしたから、そこらに転がっている木の枝を拾って散々に打ち据えてあげたわ。
私に打ち据えられたその翌日には、輝にまで突っかかって行って……輝って私より剣の才は上よ?
予想通りというのかしらね、これまた木の枝で打ち据えられたみたい。
ただ、その経験を以て素直に心を入れ替えられるってのは凄いと思うわよ?
多少ひねくれてはいるけど、心の芯は真っすぐなのでしょうね。
高幹様に鍛えられれば、心身ともに凄く伸びると思うわ。
一心に修行を重ねれば、五年で私を、十年かければ輝を抜くことも出来そうよね。
高幹様も骨のある弟子が減ったと嘆いておられたから、慶次郎が鹿島大社に住み込めば、日々の生活に張りが出てくるんじゃないのかしらね。
「で、残る一人はどうするつもりなのですか?」
あらあら……一縷の望みをかけて伊織叔父上が景藤に尋ねているわね。
「はい、小一郎改め秀長は、是非とも伊織叔父上の下で、土木奉行所の何たるかを教え込んでいただきたいと考えてお……」
「いいでしょう!喜んで預かります!なんといっても景藤の推薦ですからね。これは仕込み甲斐があるというものです!」
「……お願い致しまする」
伊織叔父上の食い気味の反応に小一郎のヤツ、だいぶびっくりしているわね。
「ははは。伊織も見込みのありそうな配下が出来てうれしそうじゃな!……それで、そちらの女性は信長殿の奥方かの?」
「はい。妻の蝶と妹の市でございます。両名とも景藤様のおかげをもちまして、勿来で静かに過ごさせていただいております。蝶、市、ご挨拶せい」
「はい。信長の妻の蝶と申します。以後、夫ともども伊藤家に誠心誠意お仕えさせていただきます。皆様、何卒よろしくお願いいたします」
蝶も勿来に来て四年目?かしら。
こちらに来たての頃は、まるで嫁いできたばかりの阿南みたいに線も細過ぎ、肌色も青かったものだけれど、今ではふっくらとして赤みも出てきてるわよね。
やっぱり勿来の風土が身体に合ったのね。あれなら、身体もだいぶ楽に動かせるでしょう。
「市でございます。今年で十三になります。よろしくお願いいたします!美男揃いの伊藤家に来れて市は幸せ者です!」
ん?
なに?この娘?
だいぶ、何と言うか……。
「あ、いや!これは、なんとも……」
吉法師も大変ね。
妹の世話は兄の仕事でしょうから……頑張るのよ。
「くくく。お気になさらずに信長殿」
「そうだぞ。俺たちも美男と呼ばれて悪い気はせぬわ!ははは」
「はい!そうです。私は心に思ったことをそのままお伝えしただけなのです!お兄様もそのように慌てなくても大丈夫ですよ。こちらの皆さま良い方ばかりですもの。尾張ではタヌキと結婚させられそうだったので慌てて逃げてきましたが、伊藤家の皆様がお相手ならば……そう、どなたの元へでも私は二つ返事で嫁ぎますよ!」
悪気は無いのでしょうけれど……なんか微妙に癇に障る娘ね。
今度じっくり稽古でもつけてあげようかしら?
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