第48話 不穏な気配
弘治四年 初夏 勿来
「しかし、伊藤家では未だ弘治を使っておるのか?京では三好の号令のもと永禄を使っておるところが大半だぞ?」
「まぁな、俺としてはどっちでもいいのだが、形の上では古河公方が当家に臣従している関係もあってな、元号程度のことぐらいは足利に配慮せねばならんのだ」
「くくく、そうよな。元号程度で騒がれては堪らぬものな」
まったくもってその通り。
いっそのこと西暦を使いだそうかな……宣教師がこっちに来てくれれば、俺の文章からでも西暦を使いだすというのに……。
「それよりもだ。そんなことより、どうだ。船大工と鉄砲職人は何とかなったか?先ほど奥の丸から沖合を眺めていたら、結構な数の船が来てるのが見えたぞ!」
そう、こっちの方が大事。
実は勿来城、奥の丸の三階部分には望遠鏡を設置している。先年に陳さんと一緒に来た中国の陶工御一行様にガラスのことを尋ねたら、二つ返事で時間さえくれれば作れると言ってきた。
そこで、すぐにレンズ製作に取り掛かってもらい、出来上がった望遠鏡第一号が勿来城の奥の丸に設置してあるというわけだ。
勿来の沖を往来する船も一望出来て、素晴らしい眺望を誇る展望台となっております。
して、この技術、鶴岡斎の大叔父上に聞いてみたら、日ノ本でも昔はガラスを作っていたらしい。
だが、大昔に失伝してしまい、技術が途絶えて久しかったらしい。
大叔父上曰く、失伝した技術を復元するのも僧籍の仕事なんだそうだ……本当かね?
「かっかっか。城から見えておったか。まぁ、多少時間はかかったが、確かに勿来に連れてきたぞ!博多から造船技術者として村上衆が百二十名、鉄砲鍛冶師として薩摩から海蔵院衆二百五十名だな」
「……む?以前に博多に逃げたという瀬戸内の村上衆の話は聞いていたのでわかるが、海蔵院衆とは?しかも二百五十名だと?!」
九州の郷土史は前世世界でも抑えてないから良く分からないんだよね。
院、というくらいだから何かしらの寺院が関係しているのだけはうっすらと理解出来るけどさ。
「海蔵院は薩摩の島津家ゆかりの真言の寺でな。先代か先々代の当主が若いころに学んでいたとか言っておったな。その縁があって、種子島に鉄砲が持ち込まれてすぐに手に入れておったらしいわ……どうやら、内々に島津家から鉄砲の調べを依頼されていたらしいな。そんなこんなで、寺の周りには鉄砲に詳しい、鉄砲に興味がある鍛冶師が集まって鉄砲の里が出来ていたらしい」
「ふむ。その海蔵院衆は島津家とは仲が良かったが、その後の大友家とは仲良くできなかったのか?確か、大友家は鉄砲をはじめとする南蛮技術には積極的な姿勢を示すお国柄であろう?」
大友の国崩し……だよな、有名な大砲エピソードだ。
「その、大友の南蛮かぶれよ。大友義鎮は九州の戦が一段落したと同時に、どうにも不抜けてしまったようでな。最近は南蛮坊主どもに入れあげて、領内の寺社を南蛮坊主どもが接収するのを見て見ぬふりをする場合が増えておるらしい。表立って領主の命令でやっておるわけでは無いようだが、坊主たちが証拠・証文を揃えて訴え出ぬ限りは、やったもの勝ちの状態のようだな」
うむ。今や九州の情勢は覇者たる大友一色だからな、その大友がそこまでキリスト教に傾倒してしまうと、当然の如く宗教問題が勃発するだろうな……。
「ではその海蔵院も?」
「ああ。切支丹共に本堂やら本尊やらを盛大に壊されたらしい。怒った坊主どもは大量の証拠を大友の領主に突き付けたらしいのだが……どの書類も署名が島津の名前であり、大友の物ではないと突っぱねられた」
「……そりゃ、頭に来て土地を捨てても文句は言えないな」
「そういうことだ。それで、新天地を探していた海蔵院の者達が阮小六の情報の網に掛かったというわけだ……そこからは俺が現地に行ってトントン拍子だな……小舟で沖合の船に乗り移させるのが大変ではあったが」
ご苦労様である。
しかし、そのおかげで鉄砲鍛冶の村が丸々手に入ったわけだ。ありがたや、ありがたや。
「一応は湯本に鉄砲鍛冶の拠点となるような施設は揃えたつもりだ。製鉄の高炉と転炉、鉄鉱石と石炭、木炭の貯蔵庫に鍛冶場を数棟……ん?なんだ?」
「なんだではない。なんだ?その高炉とか転炉とか、石炭とか?知らん単語が出てきておるぞ!」
おや?吉法師に説明してなかったっけ?
「吉法師に説明してなかったか?……まぁ、品質の高い鉄を作り出したり、純度の高い金属を作り出す装置のことだな。あと、石炭は燃える石だ。蒸し焼きしたやつは高い熱を出して燃えるので製鉄が楽になるぞ……と、吉法師よ、今回の滞在は時間が取れるか?二か月ほど時間が取れるなら、そのあたりもしっかりと紹介するぞ?まずは羽黒山に向かい村正一門の実験工房、その後は厩橋の精製工房をみれば大体はわかるであろう」
「……なんとも盛りだくさんだな。良し、いいだろう!今回の船団は塩釜には全部は向かわせないからな、運べる限りの壺焼塩と磁器を勿来から積んでいく予定だ。そのあたりの差配は俺がやらずとも問題なかろう。ふむ。けど、そうだな藤吉郎、犬千代、小一郎も共に連れて行くか」
「蝶殿は?」
「言うまでもない。儂がこっちにいる間は常に一緒じゃ」
……御馳走さまです。
俺も阿南も子育てで忙しくなければ夫婦で動くんだけどなぁ。
「あとは、アベマキの苗木と甜菜の種、家畜は羊と豚の番を何組か持ってきているぞ。家畜の世話は薩摩から連れてきた者の中に詳しい者がおったから、そいつに任せればよかろうさ……これで太郎丸から頼まれたものは一段落付いたかな?」
「ああ、助かる!これで後はこちらの開発だな。海蔵院の鍛冶師たちと村正一門で鉄砲と大砲の開発を、家畜と甜菜は那須に持って行く形だな。景貞叔父上には話を通しているので牧場と畑を新たに大田原の南の丘上に作らなくては!」
クローバーが入って来れば土壌改良と牧草の一挙両得ができるんだけどな。
まずは、飼料用甜菜から砂糖を作ることと、牧場の牧草について鶴樹叔父上に頼みに行かないと駄目だな。
新型鉄砲は徐々にだな、アベマキがある程度育ってくれないと話にならないからな~。
弘治四年 夏 古河 伊藤景虎
「では、上総武田家は真里谷信隆殿が当主となり真里谷城に戻る、ということでよろしいですな」
「ええ、そのような形でお願いいたします」
「ふん。致し方ありませぬな」
やれやれだわい。
義昭殿は満足気に、義堯殿は不満そうに頷いて、それぞれ念書に署名を行った。
これで、年初からの武力衝突にひとまずの決着がついた。
結果、地力に勝る佐竹家が椎津城までの内房を抑え、影響力を南に相当広げることとなった。
上総内房の大部分を佐竹家が抑え、これにより、関東の内海は佐竹家、相模の入り口を伊藤家、安房の入り口を里見家が管理する形となった。
景藤などは口酸っぱく、内海の開発を唱えておったが……果たしていかなる仕儀となろうな。
しかし、此度の戦。始まる前から、当家から両家には話し合いでの決着を提案してきたのだが、どうにも里見家が話し合いに乗り気ではなかった。
両軍が衝突するのは上総、地の利があり、佐竹家も本領からは距離があるので、自分たちに分があると睨んでいたのかも知れぬが……。
結局国力差がそのままに戦況に現れたな。
里見家としては、劣勢の中でなんとか
もう少し早く耳を傾けてくれれば良かったのじゃが……。
せっかく亀岡斎と義堯殿の娘の間に縁が結ばれたというに、年も跨がずに佐竹家の軍門に降られるのではないかと気をもんでしもうた。
「それでは、椎津城の領地には真里谷家の者を除いて、佐竹家、里見家ともに引いて下され。当家で見届けさせて頂いたのち、三通の念書に某が見届けの署名をして、両家に一部ずつお渡しいたし申す」
「うむ」「ああ、わかり申した」
「では、ご両名くれぐれもお願いいたす」
念書の条件を確認し、最後は儂が頭を下げる形で会談は終わった。
ふぅ。肩が凝るわい。
折角、伊勢が小田原に引きこもり領内の整備と開発を進めると思っていたのが……佐竹殿も里見殿も配下、もしくは影響下に置いている勢力の突き上げには対抗できなかったのか……。
この点では、伊藤家の統治の方が上手く行っておるな。
地縁のあるものに統治はさせない、徴税、徴・募兵、土木工事は全て伊藤家が行う。
それだけの政を主家が自ら行っておるので、他家と比べれば数倍の事務方人数を抱えておるはずじゃが、支払いの銭は塩、酒、鉄、綿布の専売に商人からの税で過不足なく回っておる。
年貢として納められた農作物は、兵や土木奉行所、で回っておるし、交易で儲けた分は築城などの大型土木作業に使っておる。
ふむ。初めに領地を与える形での支配方針を行わないと決めたのはいつであったかな?
確か……黒羽か!
おお、そうだったそうだった。
鹿島大社の塚原殿が小栗殿を紹介してくれたのだったな。
儂も父上も最初は「伊藤家に友好的な領主がつけばよい」程度に思っていたものだが、強硬に景藤が領主を置くことに反対してきたのであったか……。
あの出来事も、はや十五年前ほどになるのか……時が経つのは早いものよ。
「のぉ、忠宗。懐かしいとは思わぬか大田原城を落としてから、もう十数年の時が流れておるのだ。あの時に景藤の献策を父上が容れなければ、佐竹殿や里見殿のような不毛な争いを当家の領内でも行っていたかも知れぬな」
「さようですな、信濃守様。某たちも五十を超え、お互いに孫もできた身。彼らのように不毛な戦に駆られずに済む、領主を置かぬ統治とは、有難い方法を若殿は考えてくださった……ご本人は大陸の書物に書いてあったと言っておられますが……」
まったく……そんな便利になんでも書いてある書物があるのならば儂が欲しいわ!
「あれは儂らが元服も遠い、まだまだ童の頃だったかの。忠平の部屋にある黒い箱が気になって、気になって仕方がなく、黙って開けて……」
「鹿の角と狼の牙ですからな……確かに不思議な雰囲気は感じはしましたが、あそこまで怒られるとは梅雨知らず……でしたな」
「全くだ。忠平はただでさえ怖い顔をしておるのだ。それがあのような怒声を童に浴びせるとはな」
「はっはは。息子で怒られ慣れてるはずの某でさえ、危うくちびりそうになりましたな」
懐かしい思い出だ。
あの頃は、棚倉の裏山から山菜やら山芋に果実などを採ってくるのは儂ら童の仕事じゃった。
「忠平から受けた箱の中身の説明にしても、当時はまったく信じておらなんだ……」
「某も実際に若殿がお生まれになられるまでは一切……」
そういえば、景藤……太郎丸が産まれた時も山で狼が大合唱しておったな。
忘れておったわ。
「……これは信濃守様に言うべきか迷っておりましたが……こうした話題を我々二人だけでしておるのも何かの機会なのでしょう」
なんだ?忠宗が言いにくそうにするなど珍しい。
余人を交えた時には嫌になるぐらいよそよそしいが、二人の時には幼なじみの時分に態度が戻るというに。いかがした?
「一部の柴田の者……特に当家が大きくなってから加わった者達の中に不満が広がっている様子があります」
「なに?!不満だと?儂らは彼らの働きに十分報いてきていると思っておったし、実際それらしきことを言われた覚えもないぞ」
「はい。文様と同時に棚倉に付いてきた者達にはそのような考えの者はおりません。ですが、一部の新参者たちには「これだけの働きをしても土地を貰えぬのはなぜだ?我らは武士になりたくて里を出たのだと」、かように申す声があると、里の者達が伝えてきております」
なんとも……。
これも地侍をも武家として扱ってきた日ノ本の歴史の弊害か……。
武家は土地を持っておるのではない。
領地を持っており、そこを治める力を持つ家があるだけなのじゃが。
まったく……それではまるで、岩城重隆のごとき考えではないか……。
「その者達の人数は如何ほどだ?排除できるか?」
「……確かに少数なれど、強硬策はお勧めできませぬ。なんといっても伊藤家はその領地に対して人が足りませぬ。不心得者と言えど、排除ばかりを続けてはいずれ人が足りなくなりましょうし、また、今後に人が集まりませぬ」
「……残念ながら、その通りだな」
時間をかけ、彼らにも武家の考えを持ってもらわねばならんか……。
戦働きの恩賞で土地を貰う。その考え方は武家ではない。野武士や地侍の考え方じゃな。
「彼らの中には、某と息子たちが詰めておる三坂城や袋田城が安中の領地に見えるそうで……」
「……そもそもあのあたりは阿武隈の安中の里に、こちらが城を建てさせてもらっているに過ぎんのだが……同じ山の民でもわからんのか?」
「残念ながら、越後と奥州では山の民の意識も違うようですな」
「……ではどのように対処するが良いと思うか?」
「今はあやつらを固めぬようにし、おかしな話し合いを無駄にさせぬ事、当家の領地経営の考えを教え込むことでしょうか」
こちらから積極的に何かを起こせない以上、多少は迂遠でもかようなこととなるか。
「わかった。業棟と話し合い、新しい配置を考えておいてくれ。儂は父上のお耳に入れておく」
「はっ。承知いたしました」
なんとも面倒な事よ。せめて、今は他家から攻められるような情勢に無いことが救いか。
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