第49話 夢の造船計画

弘治四年 夏 厩橋 伊藤景竜


 「すまんな景竜よ。少し時間を貰うぞ?」

 「何をおっしゃいます。ご隠居様。わざわざ厩橋においで下さらずとも、一言お声を掛けていただければ、すぐにでも箕輪城へ参りましたものを……」


 今日はなんの前触れもなく、ご隠居様がここ厩橋城にお越しだ。


 箕輪城と厩橋城は三里ほど、利根川を渡るのに苦労をしなければ、馬で一刻はかからない距離なので、今日のようにご隠居様がお忍びで来られることはままある。


 「なに。先だっての評定で景藤が銅貨鋳造の話をしておったろ。そこで、厩橋の設備がどのくらいで、実際に鋳造が出来る資材と技術があるのかを景能に聞きたくなっての。それで、今日はここにおるというわけじゃ……ああ、景能にはさっき会ってきたので大丈夫じゃぞ」


 景能爺を呼んで来ようかと、腰を浮かしかけた僕をそう言ってご隠居様がとどめる。


 貨幣の話だけれども、この話は小さい時から若殿は良くおっしゃっていたし、僕が厩橋の城主となってからは、各鉱石の重要性とその使用目的についても手紙をしょっちゅう送ってくるので、ある程度は理解しているし現状も把握している。


 けど、若殿って……送られてくる手紙を見るたびに、物騒な唸り声を上げる景能爺の相手をするのは僕だってことを忘れているんじゃないだろうか……。

 おかげで、二十を超えたばかりだというのに、だいぶ酒に強くなりましたよ……。


 「そうですか。一応若殿には、前々から貨幣鋳造の話は聞いていたので、ある程度の準備は出来ています……しかし、それだけではないのでしょう?ご隠居様」


 そう、それだけの話なわけがない。


 貨幣鋳造の話だけだったら、それこそ景能爺を箕輪城に呼んで酒を飲みながら話を聞けばよいだけの事。こうして、ご隠居様がわざわざご自分で僕のところに来るのは別な理由があるのだろう。


 「ま、そうじゃ……して、今日は篤延は城におるのか?」

 「いえ、篤延は領内の巡検を兼ねて、増水のこの時期、利根川と渡良瀬川にかかる橋の状況を確認しに、金山城、唐沢山城、古河城までを一回りしております」

 「さようか……」


 ?なんだろう、柴田に関わる問題か?

 特に問題はなさそうに見えるけど、何かあったのだろうか?


 「ではだ……景竜、お主が今傍に置いておる女子は幾人おる?」

 「え?質問の意味がわかりかねますが……勿来から付いて来てくれた多恵、篤信の娘の虎、小弓から逃れてきた舞と椎津から逃れてきた智の四人とは今も関係が続いておりますが?」

 「ふむ。四人か……子はまだできておらぬよな?」

 「はい、残念ながらまだ出来ておりませぬ」


 どうしたのだろうか?嫁取の話でもされるのかな?


 「……その四人の内添い遂げるつもりの女子はおるのか?」


 やはり、嫁取の話か。


 父上が佐竹から正式に嫁を貰い、生まれた妹が七歳。佐竹との縁組は無いか。


 若殿と阿南様は夫婦仲も良いし一丸様と中丸様ご兄弟も健やかにお育ちだ。

 伊達家からもないな。


 椿の方様はまだまだお元気だし、伊藤家の奥向きの一切を勿来におられながら取り仕切っておられる。長尾家もないな。


 里見家?いや、亀岡斎様との縁が結ばれたばかり、これもないだろう。


 すると、何処になるというのだ?


 「舞と智が三十も過ぎております。子もできてはおりませぬので、このまま時間とともに同衾する機会は自然と無くなり、そのまま事務方として仕えてもらうことになっております。多恵と虎は私よりも年下ですし、相性も良いので今後も私の傍にいてもらおうとは考えております」


 多恵は椿の方様のご薫陶よろしく、厩橋城の女中頭として城の管理をしてもらっているし、虎は非常に腕も立つので護衛役としても傍にいてもらっている。


 「では、来年には虎と祝言を上げるが良い。そして多恵を傍に置き、これまで以上に城の管理を纏めてもらうのじゃ、そして、城の様子はつぶさに勿来の文に連絡させよ。良いな!」

 「はっ。しかと心得ました」


 ご隠居様が厳しい目をなさって物事を決定される時には、いつも僕では考えが及ばぬ事態が裏で進行中なのだ。今回も虎を娶ることに意味があるのであろう。


 「虎を妻とし、柴田の者の引き締めの役。しかと承りました」

 「……ふむ。お主は景藤に鍛えられ過ぎじゃ。二十そこそこで気が回り過ぎじゃわい……ただ、そういうことだ。柴田全員とは言わぬ。業篤、業平と協力し、出来得る限りの上野におる柴田の者を其方の下で動かせるようにせよ。良いな!」

 「はっ。承りました!」


弘治四年 秋 湯本


 「う~ん?なんだいこのけったいな船底は?こんなに船底を深くしちゃ瀬戸内は満足に渡れないし、港に寄せるのも一苦労じゃないか!本当にこんな船底を南蛮船はしてるっていうのかい?おい!三平!お前は博多で潜ってその目で南蛮船の底を見てきたんだろ?どうなんだい!」

 「へい。姫様!あっしも真昼間に潜ったわけじゃないので、そこまではっきりとは見てませんがね。若殿が持ってきなさったその模型並みに船底が深かったのだけは覚えていやす」

 「ふ~ん。そうかい……その船底が外海を平気で動き、逆風でも進める秘密ってわけかい?……今一つ納得しかねるが……模型とはいえ実物を見せられてるわけだからね。ちょいと考えを改めて取り掛かってみるか……」


 本日は湯本に建てた造船所(稼働前)に集まって、村上衆と打合せである。


 ねじり鉢巻きをした釣り目の姫様。能島村上のしまむらかみの姫様で紅という。

 初対面時に「能島の紅姫くれないひめとはあたしのことよ!」との名乗りを受けたが、正直、何言ってるのかわかんないっす!だった。


 どうやら、能島村上、今では毛利家に仕えている村上武吉むらかみたけよしの母違いの姉で、博多に逃れた村上衆の女親分だということだ。

 船や海のことにそこまで詳しいというわけではないが、博多に逃げた村上衆を良く束ね、勿来まで百二十四名、一人も欠けることなく率いてきているのは大した統率力とカリスマだと思う。

 今後は当家の湯本造船所の管理をお願いね!


 「帆を斜めに風を受ければ前に進むってことだね。おい、模型の前から団扇を仰ぎな!」

 「へい!」


 大きなタライに水を入れ、木をくりぬいて作ったうろ覚え模型を浮かべ、キールの意義を見せている。

 バラストや復原力の証明は先ほど、模型を横に傾ける動きで体感、納得してもらった。

 お次は抗力や前進力の実験である。


 バタバタバタ。

 つ、ついーっ。


 バタバタバタ。

 つ、つ、ついーっつ。

 

 「「おおおおぉ!」」「「ほんとうだな」」「前に船が進んでいるぜ」「それもそうだがこんだけの帆があるのに横滑りしてねぇぞ」


 バタバタバタ。

 つ、ついーっ。


 「「おおおおぉ!」」


 ご納得いただけたようである。


 「よし。大体のところはわかったよ。後はこれを実際の船の形にしていく作業だな。で、南蛮船はあの大きさで……帆柱は三本あったけか?」

 「へい!姫様!博多にあったでかいのは三本でしたぜ!」

 「なら、三本の帆柱付きの船でいいのかい?」

 「いや、最終的にはあの大きさのものも作って欲しい思いはあるが、それよりも二本柱で長さが百尺からの船を目標にして欲しい」


 二本柱のブリガンティン。完全に俺の好みではあるのだが、目標は新型大砲を十から二十門装備の快速船だ。この時期のヨーロッパ諸国の主力はガレオン船だからな。小回りの利く快速船からの砲撃で仕留めていきたい。

 実際にガレオン船の天敵は小回りの効く海賊船だったのだし、この方向性は間違っていないだろう。


 「ほう。良く見かける南蛮船よりも小型で帆柱も少ないと来たか。とすれば、その新型大砲とやらの威力が奴らの船より優れていて、船足、小回りを効かせるという方針だな?」


 おうぅ。以心伝心だな。


 「その通り。あやつらの戦法は、海の上なら相手の船に乗り移り乗っ取る。陸が相手なら、敵拠点に大砲を撃ち込む。この二種類だ。これに打ち勝つには、海の上では大砲を撃ち込んでやり、陸の上では船の大砲が届かぬ距離からこちらが撃ち込んでいく。こう考えたわけだ」

 「なるほどな。これは実戦が待ちどおしい!……そういうわけだ!紅よ、頑張って勿来村上の新型船を作るが良いぞ!」

 「まったく、吉法師様も若殿も無茶を言って下さる……こちとら手探りでの船作りなんですよ?」


 そう言われると丸投げの甲斐があるというもの……?


 「まぁ、そう言うな紅よ。資材から何からは先に説明したその紙、「注文書」に書いて城の事務方に届ければ最優先で届くようになっておる。かかった費えもそちらの紙に、先ほど教えた方法で書き残しておけば都合がつくようにしておる」

 「……なんだい?さっきの貸方やら借方?よくわかんないけど、使った銭を書いておいて、欲しい時に今までに書いておいた分を持って行けば良いんだね?……でもうちの事務方、理解できてっかな?」

 「「慣れろ!」」


 声を合わせる俺と吉法師である。


 前世世界では経済学が専門だった。

 商学や経営学ではなかったが、運よくそのあたりの知識は飛んでいないので、いわゆる簿記三級程度はほぼ完璧に理解できてるし、二級もほとんど理解できている。

 以前に暇だった冬の間に藤吉郎と犬千代に教えていたら、いつの間にか尾張屋の会計はTフォーム管理されていた。

 吉法師をして、「尾張屋の管理がこれで万全になった!これからの時代の帳簿はこの方法で付けられるべきだな」とまで言わしめた三人の理解力に脱帽である。


 まぁ、伊藤家の事務方の管理方法自体はそこまでのものでなく、簿記のエッセンスを少々入れたものとなっているので、村上衆には頑張って伊藤家方式を覚えていただきたい……。

 だってさ、造船とか費用が莫大になるに決まってるじゃん?以前みたいに「築城の銭が足りん!」とか「資材が!」とかは繰り返したくないのよ。


 「では、頑張って仕事に励んでくれ!」

 「おう、そうだな!来年の夏には俺も尾張より戻るからな。その時までには一隻目を完成させておけ!」

 「「がははは!」」


 息の合ったがはは笑いを繰り広げる俺と吉法師。

 造船所では紅が「鬼」とか「ひとでなし」とか、喚いているがそんなものは知らん。

 第六天魔王と築城魔王だからな、しょうがない。


 「と、若殿。造船所の方は終わりましたか?……ならば至急城の方にお戻りいただきたく」


 馬を急ぎで走らせてきたのか、汗を額から流して忠清が言う。


 「何かあったか?」

 「はい。裏磯の沖合に南蛮船が来ておりまして、南蛮坊主と通訳の切支丹。それと南蛮商人が是非伊藤家の殿に会いたいと言っております」

 「ほう!」「それは好都合!」


 にやりと笑う俺と吉法師。


 「輝!済まないが造船所に戻って、紅に「南蛮船が勿来に来たから手の者に好きなだけ船の見学させて来い」と伝えてきてくれるか?」


 こっくり。

 相変わらずの口数の少なさである。

 さっきもずっと護衛役として俺の傍にいたのに一言もしゃべらなかったもんなぁ。


弘治四年 秋 古河 伊藤景貞


 伊藤家の領地も北は本宮、南は平塚と簡単に行き来できる広さではなくなったので、今回からの評定はここ古河で行うこととなった。

 下野の諸将も俺たちに臣従したので安全に鬼怒川を使える形になったので、夜明け前に黒磯を出れば俺は日を跨がずに古河へと着く。


 一番遠いのは景藤だな。勿来から羽黒山で一泊、烏山でもう一泊の道中二泊が必要だ。

 本人は元と打ち合わせをしてから来れるので特に気にしていないとは言っておったが……。

 まぁ、その後すぐに、「新型船が早く出来て欲しいです。そうすれば道中は鹿島辺りの一泊で済むので」などと言っておったか。


 「……というわけで、諏訪郡からは諏訪家、伊那郡からは高遠家、筑摩郡からは木曽家の三家が当家に臣従を申し込んできたのだが、如何するか?これを第一の議題としたい」


 ああ、いかんいかん。

 眠気と戦うために色々と考えを飛ばしていたら、少々話を聞き逃してしまっていたようだな。

 もう少しで完全に聞き逃すところだった。


 「しかし南信濃の三郡と当家は境を接しておりませぬ。これをどうとるか……接していないからこそ、三家は当家に臣従を申し込んだのでしょうが、普通に考えれば彼らが頭を下げるべきは長尾殿に対してでありましょう」

 「俺も伊織の意見に賛成だ。彼らの臣従を受けたとしても当家に何ら利は無い。彼らから何らかの産物を受け取るにも困難だし、それにだ、もし何か事があれば軍をそちらにまで出さねばならん。それを長尾殿の領地を横断する形でしか動かせないとなると、これは非常に不便だぞ。俺は反対だな」


 俺には全く利が見出せん。彼らには彼らで自分を守ってもらわねばな。


 「儂も似たような意見じゃな。信濃の南は当家には遠い。長尾殿に判断してもらう他あるまいて」

 「そうですな。儂も父上と同じ考えです……ならば、当家が間に入って長尾家と話す用意がある。と返事をしておきますか……景藤は何ぞ意見があるか?」


 ……ふむ。

 兄上も景藤への蟠りは解けたのかな?自分から話を聞いておるな。


 「はい。私も長尾殿に任せるのが一番だと思います。ただ、甲斐を攻め落とす気があるのならば、この臣従を受けるのも一興かとは存じます」

 「甲斐か……」

 「景藤は甲斐に興味がありますか?」

 「いえ、特には……ある程度の人口と金山、それと諸々の川の上流であることは魅力ですが、治める苦労に見合うだけの物があるとは思えません。それに……やはり甲斐は遠すぎます」


 まぁ、そうなるよな。

 当家の現状では関東の西半分に阿武隈で手いっぱいだ。これ以上の苦労をしょい込むのは、利口だとは思えん。


 「では、長尾殿へ話を繋ぐということで良いな。後のことは彼ら自身に任せることとする」

 「「はっ」」


 無難な落とし所だな。

 彼らも直接長尾家に頭を下げるよりは、一度当家を頼った方が条件が緩くなる……とでも思ったのかもしれぬ。


 「次いでは、松平家と今川家が浜松で大戦を始めたようじゃな。なんぞ聞いておるか?景藤よ」

 「はい。尾張屋から聞いた話だと引馬城周辺の領主たちの諍いからことが起きた模様です。三河の東の森と白須賀では松平清康殿の肝いりで鉄砲を作っているそうなのですが、この鉄砲が畿内で高く売れていると聞き、今川方の井伊衆、西ヶ崎衆が松平家に近づいたようです。それに気づいた今川家が両家に問い詰めたところ、西ヶ崎衆は今川方に井伊衆は松平方に組みする形となって争う基になってしまったとか」


 ふむ。わかる話だな。

 小領主はどうしても周りの勢力に影響を受けざるを得ん。

 そして、そういった小領主の動きが積もりに積もった結果、大身領主すらをも動かす力となる、か。


 「その後は、敵対することとなった井伊衆と西ヶ崎衆の争いに松平家と今川家が巻き込まれ、此度の引馬城での戦いとなったと……」

 「なるほどな。ならば、戦はその後どうなるとみておるのだ」

 「これも伝聞ではありますが、おそらく遠江を抑えるまで松平家は止まらぬだろうと」

 「そうなると、今川家に不安が出てきますね。松平家に駿河まで攻め取られるか、三国同盟が崩壊して甲斐、小田原から攻められるのか……」


 ふむ。去年、一昨年までは伊勢がどこまで持つかの話だった三国同盟が、ここにきて盟主の今川家が一番怪しくなったか……。


 「とりあえずは伊織よ」

 「はい」

 「其方には済まぬが、そのまま伊勢原にあって、平塚の忠嘉とともに小田原の様子に気を配っておいて欲しい。松平家も駿河より先に野心を伸ばすにしても、まだまだ先の話であろうが、用心に越したことは無いからな。小田原を攻め取るかどうかは信濃守、其方に一任する」

 「承知しました父上。むやみに手は広げず、まずは領内の発展に努めます」


 もしも、松平家が相模まで来ると言うのならば、その時は五国太守となっておるわけか、動員される兵はかなりのものとなろう。

 これは今まで以上の精兵となるべく鍛えていかねばな!


 「うむ。各々、まずは領地の発展に努めるのじゃぞ」

 「「はっ」」


 そう、まずは領内の発展だな。


 ……そういえば、景藤の奴に家畜牧場と砂糖用の畑を那須に作りたいと言われておったな。

 帰りに黒磯まで連れて行って、そのあたりを詰めておくか。

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