#30 本の中のゴブリン

 本を元の場所に戻したサヘラは、その足で琥珀を探す。


 タルトの場合、目が届く場所にしか目を通していない。

 そのため、見逃しが多いのだ。


 サヘラは本一冊の、一ページから、隅々まで探す。

 立体的な琥珀が平面の集まりである本に挟まっていれば、見た目で分かりそうなものだが、

 本の『中』に入っている場合もあるため、やはり一冊一冊、目を通さなければ、それは分からない。


 とある本を開く。

 すると、半透明の青色をした楕円形の琥珀が、ぽろっと床へ落ちる。


 床に触れる前に、なんとか手で掴むことができた。

 国宝を床に落として砕いてしまっては、打ち首が冗談では済まなくなってしまう。


 ――タルト姉が見つけなくて良かった……。


 サヘラが心の底からそう思う。

 本を開け、出て来たのは琥珀だけではなかったからだ。


 薄汚れた体に破れかけた布を巻いただけの、見た目が老いたゴブリンが、サヘラの背中にしがみついた。

 子供のような大きさだが、その力は強く、サヘラでは振り解けない。


『――願いを言え』


 サヘラが取った本は、背表紙が他の本と変わっていた。

 大図書館の所有物だという証明の刻印がされているはずが、この本にはなかった。


 だからこそ目についたとも言えるが……、

 同時に大図書館の所有物ではない、勝手に持ち込まれたものでもある。


 ただの本である証明もなかった。

 開くのに勇気もいる。


 ――呪われた本なのか、こういう仕様の本なのか、分からないけど……。


 どちらにせよ、ただ読めるというだけの本でないのは明らかだった。


 背中にしがみつくゴブリンの力が、さらに強まる。

 黙っているサヘラに、ゴブリンの気も短くはなかった。

 耳元で繰り返される、一つの要求が、ガラガラ声と共に耳に残る。


『願いを、言え』


 ――願い、って……。


 改めて、考える。

 自分が最も望むことは、なんなのか、と。


 サヘラならば、ここでゴブリンが登場したことや、ゴブリンが願いを要求したこと――、

 言った願いが、もしも叶うのならば、その後の代償がどういうものなのか……、

 今、起こっている事態を把握し、分からなくとも、ルールを予想しようとしたはずだ。


 しかし、今のサヘラは、欲望に染まっていた。

 改めて考えた結果、自分が最も望む願いが、言って叶うのならば、と、思考が一色に染まる。


 震える口で、顔を少し赤くしながら、サヘラが願いを口に出す。


 ゴブリンは、それを急かすことなく、じっと待っていた。


「――タルト姉と、もっと仲良くなりたいっ!」


 一瞬の間が開き、サヘラがちらっと、首だけを使って後ろを見る。

 肩に手を置いていたゴブリンの顔が、振り向いたすぐ近くにあった。


 不気味な顔が、ニヤァ、と歪む。


『その願い、聞き届けた――代償を、払ってもらおう』


 サヘラは後悔をした。

 ただ願いを叶えてくれるわけではないのは、自明の理だ。


 願いを叶えてくれるかもしれない、と期待に目が眩み、

 そんな初歩的なことを忘れていた不用意さに、自分が許せなくなる。


 一体、どれほどの代償を払わなければならないのか、

 戦々恐々としていると、ゴブリンはあっさりと、代償の品を要求してくる。


 耳慣れた言葉が、場違いなこの場面で出ていた。

 サヘラは硬直をする。

 しかしゴブリンは、手を伸ばし、要求の品を催促してくる。


『その願いは、すぐに叶うだろう。

 代償は、だから、お前のパンツでいい……』


「え、と……なんで、パンツ――」

『パンツだけで、構わない』


 願いによってはパンツ以外も要求するつもりだったのか、と、どうでもいいことを考えるサヘラ。

 パンツ以外なら……と思うが、しかしその時もこうして、渡すのに躊躇していただろう。


 下着を渡すのは、やはり抵抗がある。

 しかし、渡さなければ、ずっとこのゴブリンは背中にいるままだ。

 一生、一緒に過ごすよりは、パンツの一枚、渡した方が良いだろう、とサヘラは割り切った。


 ゆっくりと、スカートの中に手を入れ、

 肌を晒したくないため穿いていた黒いタイツに手をかける。


 タイツを脱ぎ、パンツに手をかけた。


 誰にも見られていないと分かっていても、恥ずかしさのあまり動きが遅くなる。


 それがまた、魅せるような動きになっていた。


 片手でスカートを押さえ、躊躇いながらも、片手でパンツをゴブリンに渡す。

 手に取ったゴブリンは、『確かに受け取った』と、契約成立を証明する。


 背中から降りたゴブリンは、床に着地し、手に持つパンツを頭に被った。


「ちょっとっ!」

『やはり、女子の匂いは、全身を優しく包まれているようだ』


 実際に、頭が包まれているからなのではないか、と思う余裕は、サヘラにはない。


 自分のパンツを頭に被られ、匂いまで嗅がれている。

 羞恥により、サヘラの顔が真っ赤になり、思わずゴブリンを踏みつけていた。


 一瞬で、羞恥ではなく、怒りによって顔が真っ赤になる。


「コイツだけは、早く私の手で始末しないと……ッ」

『ま、待て……冗談だ。すぐに被るのをやめる、だから足をどけてくれ』


 言われて、ぐぐぐっ、と踏みつけた足に力を入れる。信用できなかった。


 苦しむゴブリンが、ぐええ、と呻き声を上げる。

 そんなゴブリンに、駆け寄る人物がいた。

 一部始終を見られていたのか、と心配になったが、

 駆け寄った人物は、この状況だけを見て、ゴブリンがいじめられているのだと判断したらしい。


 サヘラが戸惑いの声を上げる。

 言い訳の言葉が、咄嗟に思いつかない。


「いじめじゃないよ、信じてタルト姉!」

「疑ってないよ。とりあえず、この子が可哀想だから、足を離してあげようよ、サヘラ」


 タルトに優しく言われてしまえば、サヘラの怒りも逸れて、どこかにいってしまった。


 正す側のサヘラが、タルトに正されてしまえば、言い返せない。

 理由はどうあれ、

 子供にも見えるゴブリンを踏みつけにするのは、人としてどうなのかと思わなくもなかった。


 足をどけると、ゴブリンが、助けてくれたタルトに歩み寄る。

 律儀にパンツを頭からはずしていたのは、サヘラも安心したが、

 タルトの背中にしがみつこうとしていたのは、許容できなかった。


 勝手な行動をするゴブリンを止めようとしたら、片腕が力強く引っ張られた。

 不意打ちの力に、サヘラはされるがままだった。


 真後ろに忍び寄っていた男がいたことに、サヘラはまったく気づけなかった。


「動くな。お前らが持っている、『それ』を渡して貰えれば、なにもしないさ」


 小太りの男だった。

 体に巻き付けているポーチには、小さいが致命傷を与えられる武器などが多数収納されている。

 その上から、耐衝撃性のジャケットを羽織っていた。

 武器を持っているとは、思いにくい容姿だった。


 一般人ではない、と――姿もそうだが――、

 音を殺したサヘラへの近づき方や、こうして腕を掴まれ、分かる。

 隠密行動に慣れており、獲物を仕留めることを生業としている者だ。


「ハンター……?」


「そうさ、『トレジャーハンター』だ。

 ……俺のことはどうでもいいだろ。その手で握っている物を、渡してくれればそれでいい」


 サヘラはぎゅっと、手に力を込める。

 握り締めた青色の琥珀を、奪われないようにするために。

 それをサヘラの反発と受け取った小太りの男は、舌打ちをし、

「バカがッ」と吐き捨てた。


「抵抗されたら、俺も攻撃をしなくちゃならないじゃないか」


 掴まれた腕が引っ張られ、サヘラの体がふわっと浮く。

 後ろから男の腕が回され、首を絞められるが、決して、琥珀を離すことはなかった。


「か、はっ……」

「サヘラッ!」


 タルトが叫ぶだけで動きが止まったのは、タルトを手で制止した者がいたからだ。

 サヘラは首を絞められ、朦朧とする意識の中、足元を素早く動く影を見た。


「あ?」


 男が背中を振り向くと同時、力が弱まり、サヘラへの拘束が解かれる。

 地面に手をつき、呼吸を整えるサヘラに、タルトが駆け寄った。

 背中を擦ってくれることで、サヘラも落ち着きを取り戻す。


「タルト、姉……っ」

「ゴブリンくんが、助けてくれたんだよ」


 後ろを見れば、ゴブリンが男の背中にしがみついており、耳元でなにかを囁いていた。

 サヘラの時と同じく、男に願いを聞いているのだろう。


 助けてくれた、と判断するのは、早計かもしれない。

 男の願いによっては、いま以上に悪い状況になるかもしれないのだ。


「願いか……それはなんでも叶うのかよ?」


 男が、琥珀のことを忘れ、笑みを作る。

 欲望に素直になった時の表情だ。


『なんでも叶う――それがルールだ』

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