通学バスの観察者は、「バスの君」に酔いしれる

黒辺あゆみ

通学バスの観察者は、「バスの君」に酔いしれる

毎日学校へ行くまでに乗るバスの中、ここはみやこの元気を充電してくれる空間であった。

 ちなみに、「行き」のバスであって、「帰り」のバスでは意味がない。

 何故なら、そちらのバスには彼が乗っていないから。

 彼とは、いつも通路の端に佇んでいる、隣街にある進学校の制服を着た男子である。

 短めの髪の毛に、スラリと背が高い立ち姿、そしていつも抱えている剣道具に、みやこはニマニマを抑えられない。


 ――ああ、まるでシュウ様みたい……!


 みやこは祖母と一緒に視聴する時代劇チャンネルでの、お気に入りの俳優に似た彼のことが、すごくすごく眼福であった。

 心の中で「バスの君」と呼ぶ彼は、剣道具を持っているからには剣道をするのだろう。

 きっと剣道着姿がとても似合うに違いない。

 いつか和装に刀を持って、「切り捨て御免!」とか言ってくれないだろうか?

 朝から妄想が捗り、今日も一日やっていける気がする。


 ――くふ、今日も良い日だわ。


 しかし惜しむらくは、みやこは中学三年生なため、このバスに乗って通学するのもあと少し。

 隣町の進学校に通うような成績ではないので、彼を観察できるのもあと少しということなのだ。

 制服の校章から二年生だと知れるので、彼はあと一年このバスに乗るはず。

 だったら己は一年留年すればいいのか? などということを考えてしまうが、そんなことができるはずもない。

 なにせみやこはこれまで健康優良児の無遅刻無欠席でやってきたので、これから留年まで持っていこうとなったら、どんなことをすれば間に合うというのか?

 そしてそんな努力が不毛だということくらい、さすがのみやこにだってわかるのだ。

 ゆえにみやこがあと少しの楽しみとなったバスの君の盗み見で元気チャージをしていると、バスの中がザワザワしてきたことに気付いた。


「うん?」


みやこは「バスの君」の盗み見を止めて、なにごとなのかと情報収集をする。

 するとわかったのは、前方で事故が起きて道を塞がれているらしく、現在警察が対応中らしいとのこと。

 やがてバスからもこの先の到着が遅れる旨がアナウンスされた。


「マジかよぉ~」


学生の通学時間であるので、バスの中にはみやこのような学生が多い。

 そしていつバスが動くか分からないようなので、皆ここで降りて歩いていくようだ。

 幸いみやこの学校の近くまで来ているので、中学生たちの歩く距離はさほどではない。

 しかし隣町の高校生たちは、朝からお疲れ様である。

 そして、みやこはというと。


「うげぇ~……」


同じようにバスから降りたものの、トボトボと重たい荷物を抱えて歩いていた。


 ――よりによって、なんで今日事故ってるの!?


 今日は友だちから借りたラノベのシリーズものを返すべく、それが入った紙袋が荷物になっているというのに。

 これを抱えて、あと少しとはいえそれでもそこそこの距離な学校までを歩けというのか?

 バス停で降りれば校門前まで行けたというのに。


「事故ったヤツ、許すまじ!」


みやこが呪詛のように呟いた時。


「確かに、重たい荷物を持って歩かされるって辛いよな」


後ろから男の声がした。


「ふぇっ!?」


まさか誰かに聞かれていたとは夢にも思わず、みやこはピョン! と跳ねた。

 驚いたら跳ぶなんて漫画の中だけの現象かと思っていたら、本当に跳んでしまうとは新発見である。

 いや、それはともかくとして。

 誰が背後にいるのかと、みやこが恐る恐る振り返ると、そこにいたのはなんと。


 ――バスの君ー!


 そう、みやこがさっきまで盗み見していた高校生男子であった。

 まさか、彼に話しかけられるなんて。

 しかも彼はバスの中で独り言を大声で話す質ではなかったので、みやこは今初めて声を聴いたのである!

 想像通り、いや、想像よりも彼に似合う涼やかな声で、みやこは昇天しそうになり、慌てて我に返る。


 ――ここで昇天するなんて、勿体なさ過ぎる!


 せっかく話しかけてくれたのだから、会話を成立させなければ! と意気込むみやこであったが。


「あ、ど、こ……!」


けれど残念ながら、みやこの口から発せられるのは意味不明の音だけで、単語すら出てこない。

 実はみやこは、極度の恥ずかしがり屋の口下手で、慣れない人を目の前にするとキョドるのである。

 しかし今は恥ずかしい気持ちよりも「このチャンス逃がすまじ!」という気持ちの方が勝っていて、この場に踏みとどまれている。

 これがいつもであれば、たぶん話しかけられた時点でどこかに隠れようと行動した挙句、不審者になっているだろう。

 いや、意味不明音声を発するだけでも、十分不審者か。

 しかし、彼はそんなみやこにも気味悪がるでもなく、目元を和ませた。


「ああ、急に話しかけたら驚くよな?

 これじゃあ俺って不審者だ」


 ――いえ! 嬉しいです! 不審者バンザイ!


 みやこが心の中で彼の勇気ある行為を湛えつつ、頭をブンブンと横に振ると、彼は小さく「クスッ」と漏らす。

 バスの君は笑い方にも品があるなんて、凄すぎる。

 そしてさらに彼が言うには。


「でも、ずっと見てたらその紙袋が重そうだなって思って。

 そこの曲がり角まででよかったら、持ってあげようか?」


なんとなんと、みやこの心配をしてくれたのだという。

 彼は他の学生たちを先に降ろして、自らは最後に降りたようだった。

 剣道具が邪魔にならないようにと、隅っこに小さくなっている姿を見て、「健気……!」と感動していたのはみやこである。

 その姿を最後まで焼き付けようと、彼のすぐ先で降りたのだ。

 すぐ目の前の生徒だったから、みやこのことに自然と目が行ったのだとしても、なんという親切な人物であろうか。

 そして彼の言う曲がり角とは、みやこの学校の校門へ続く角であり、バス停がある場所でもある。

 つまり、角を曲がればもう学校の校門前なのだ。

 しかも彼自身、剣道具といういかにも重そうな荷物を既に抱えているというのに。


 ――こんないい人、他にいるっ!?


 みやこは興奮して鼻血を吹きそうになるが、ハタと我に返る。

 彼が重そうと評しているのは、ラノベである。

 決して教科書とか辞書の類ではない。

 このいかにも真面目そうな彼に、果たしてそんなものを持っていると悟られていいものか?

 不真面目な奴だと軽蔑され、「顔も見たくない」とバスの時間を変えられやしないだろうか?

 そう思うと、血の気がスゥ―っと下がっていく。


「い、そ、え……!」


しかしやはり残念ながら、みやこの口は滑らかに動いてはくれず。


「遠慮しなくてもいいから、ほら」


スマートは動きでみやこの手から紙袋を奪い去ってしまった。


「それにしても妙に重いけど……ああ、コレか」


そして自然と紙袋の中身に目をやり、一応上からハンカチを被せて中身を隠していたものの、ちょっとズレていたところからラノベがポロリをしてしまっていた。


 ――あああ~!


 終わった、これで軽蔑されると項垂れるみやこであるが。


「俺も友人から借りて読んだよ、面白いよな。

 けど、先生に見つかるなよ?」


なんと彼はそう言って笑いかけてきた。


 ――くわぁ~、神ぃ!?


 ついに尊い存在にまで成り上がったバスの君を、みやこはこれから盗み見ではなく拝みたい。

 それから二人して会話が弾む訳ではないが、みやことしては楽しい時間が過ぎ。

 あっという間に校門への曲がり角までやってきた。


「ほら、気を付けてな」


「あ、りがとう、ござ、います」


彼に紙袋を返されて、みやこはかろうじてお礼だけはちゃんと言えた。

 かなりカミカミであったが、単語になっただけ凄いのである。


「どういたしまして。

 こちらこそ、君と並んで歩けて幸運を授かりそうだよ。

 ……本当に座敷童っぽいな」


彼はニコリと爽やかな笑みを浮かべてそう言うと、道を真っ直ぐに歩いて行った。

 しかし、最後のところが小声でなんと言ったのか聴き取れなかったのが、悔やまれる。

 ちなみに、みやこは真っ黒髪のボブスタイルに日焼けしない白い肌で、いつもバスの一番後ろの端の席に陣取っているため、乗客から「座敷童」とあだ名されているのは、本人だけが知らない事実であった。



そんな幸せな朝から、その後は特に代わり映えのしない日常が続く。

 ……と思っていたのだが。

 その出来事があった日の、週末土曜日の午前中。

 みやこは自宅で録画を溜めていたテレビ番組をダラダラと観ていた。

 その時。


 ピンポーン♪


家の玄関の呼び鈴が鳴る。


「みやこ、出てちょうだ~い!」


「えぇ~?

 今、ちょうど面白いのにぃ!」


ベランダでなにか作業をしていた母からそんな怒鳴り声が届いて、みやこは不満を漏らす。

 見ているのは録画なのだから、また巻き戻して再生すればいいのだけれど、そうなると面白い気持ちが途切れて、次に見るのを再会した時に、「そうでもないかも」と面白さが消えてしまうかもしれないではないか。

 この辺りの感性を、みやこは自分で信用していなかったりする。

 しかし母に逆らって本日の昼食がショボくなるのも嫌なので、みやこは渋々停止ボタンを押して、玄関まで行く。


「どちらさま?」


まずは不審者であってはいけないので、みやこがドア越しに声をかけると。


「西城戸です。

 母の実家から野菜が大量に届きまして、そのおすそ分けに来ました」


そんな礼儀正しい返答が帰って来た。

 西城戸というのは父の会社の同僚のおじさんで、そこそこ近所に住んでいて、みやこも数回会ったことがある。

 しかし、今の声はそのおじさんではなく、かなり若かった。

 息子がいると聞いているので、そちらだろうか。

 いや、それはどうでもいいわけで。

 みやこが気になるのは、ぶっちゃけ今のが聞き覚えのある声だという点である。

 つい最近、一週間以内に耳に焼き付けたあの声。

 バスの君の声とは、こんな声ではなかっただろうか?


 ――まさか、まさかの!?


 みやこはドキドキしながら、覗き穴から外を見る。

 しかし古いからか、覗き穴のレンズが曇ってよく見えない。

 何故にこの家にはモニター付きインターフォンというものがついていないのか。

 それがあったら、自分は玄関でこんなに慌てることはないのに。

 しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。

 そろーっとドアをほそーく開けて、隙間から外を見ると。

 その隙間に気付いたのか、相手もすき間を覗いてきた。

 そして、バチッと目が合う。


「……座敷童ちゃん?」


ドアの外にいたあのバスの君から、謎の言葉が漏れた。

 そう、外にいたのは確かにあの彼であったのだが、「座敷童ちゃん」とはなんなのか?

 首を捻ったその時、みやこは今の自分の格好がちょっとマシなパジャマというものだという事に気が付いた。


「うぎゃあ!? おかーさーん!!」


みやこは恥ずかしさで顔どころか全身真っ赤にしながら、家の中に走り込んで行く。

 玄関を開けっぱなしにして。


「座敷童ちゃんって、ちゃんと喋れたんだな」


そのバスの君は、みやこが意味不明な音じゃない言葉を発したことに、驚きのあまり呆気にとられていたことなど知る由もなく。

 この後、野菜が大量に入った袋を抱えたままの彼を玄関に放っておいたことに、母からしこたま叱られるのだが、それはそれとして。

 タンスをひっくり返してマシな服に着替え、リビングにて寛いでいるバスの君と自己紹介をし合い、バスの君がバスの君ではなくなるまで、あと五分。

 おかげでみやこは彼を盗み見ではなく、今後永続的に正面から観察する栄誉を賜ることとなるのだが。

 しかし一方で、彼の「座敷童」発言の方をみやこがスポッと忘れてしまい、この謎が解けるまでかなりかかってしまうのは余談である。


Fin

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通学バスの観察者は、「バスの君」に酔いしれる 黒辺あゆみ @kurobe_ayumi

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