第2話
だが、惹かれたのはそれだけが理由ではなかった。“昼は淑女、夜は娼婦”それがピッタリの表現だった。眼鏡をテーブルに置いたアンは、ブロンドの髪からしゃれたバレッタを取り外す。そして、髪を振り乱して、
だが、帰り支度を終え、眼鏡を掛けると人が変わる。
「あら、大変。もうこんな時間。それじゃ、また電話するわね」
置き時計を見た後に冷たく微かな笑みを作ると、ドアを開ける。
「……ああ」
俺はベッドから返事をする。
結婚の話を口にした時、アンは顔を曇らせた。
「……俺じゃ、駄目か」
「そんなことないけど、……父が」
「だよな。こんな学歴のないタクシードライバーじゃ、反対するよな」
「……」
「けど、君の気持ちは? 俺のことどう思ってる?」
「勿論、好きだからお付き合いしたのよ。……でも」
「結婚する気はないってことか?」
「ええ。……どなたとも」
「けど、君だって、俺同様に若くないじゃないか。結婚して落ち着こうとか思わないの?」
「……どなたとも結婚できないわ」
「親父さんのせいか?」
「ええ。父は厳しい人だから」
「結婚するのは俺たちだろ? 親父さんの許可は必要ないよ。立派な大人なんだから」
「……ごめんなさい。帰るわ」
そう言ってベッドから降りようとしたアンを力ずくでねじ伏せた。体をくねらせながら抵抗するアンを強引に抱いた。アンは再び燃え上がり、髪を振り乱した。俺は荒々しく抱きながら、結婚の承諾をさせた。――
久しぶりにスーツを着た約束の日、迎えに来たアンと
そして、連れて行かれたのは、郊外の閑静な住宅地にある豪邸だった。予想はしたが、予想以上だった。分不相応の相手だと知り、引き戻したい心境だった。その言葉を吐こうとした瞬間、ドアが開き、メイドが出迎えた。もう、成り行きに任せるしか
中に入ると、シャンデリアが垂れた応接間に案内された。
「……まさか君が、こんな大富豪のお嬢様だったとは」
メイドが置いたティーカップに
「隠してたわけじゃないのよ。……財産目当てで求婚する殿方が多いから。でも、あなたは違ってた。私の素性はご存じなかったでしょ? それなのに求婚してくれた――」
その瞬間、彫刻を施した重厚なドアが開いた。そこに現れたのは、ロマンスグレーの
「あ、お父様。ジャックを紹介するわ」
アンに合わせて腰を上げると、
「ジャック・ホールデンです。初めまして」
と、自己紹介をした。
「……ジーン・スチュアートです。どうぞ、お掛けになって」
そう言いながら、アンの横に座った。
「アンとは、いつから?」
メイドが置いたティーカップを手にした。
「まだ、最近です」
「結婚したいとか?」
「はい」
「悪いが娘はやれませんよ」
ジーンはきっぱりと言うと、ティーカップに口を付けた。
「……」
すぐに下された判決に、俺は反論ができなかった。
「どうせ、財産目当てでしょ? あんたも」
ジーンは薄ら笑いと共に
「心外ですね。アンに財産があるなんて、ここに来るまで知らなかった。それに、僕が惚れたのは、アンの教養と色気です。それ以外のものに興味はない」
「フン、口は重宝ですな。とにかく、嫁にやるつもりはありませんから。かわいい一人娘を、どこの馬の骨とも分からん流れ者に――」
「お父様、やめて、そんな言い方」
アンは辛そうに俯いた。
「……そうですよね。確かに不釣り合いだ、あんたの家系と僕の家系では。けど、結婚するのは、あんたの家系とではない。アン・スチュアートという、一人の女性とだ。それにアンは、親の承諾を要する年齢でもない。決めるのはアンだ。アン、返事を待ってる。君自身の決断を。では、失礼します」
一秒もここに居たくなかった。俺に続くように腰を上げたアンの腕を、ジーンは引っ張った。アンは自分の気持ちを押し殺すかのように言葉を発せず、部屋を出る俺を悲しい目で追っていた。――
数日経ったが、アンからの連絡はなかった。もう終わりかと思いながら、家族の一つも作れない自分の境遇に
そんな時、ノックがあった。その、不意に訪れた真夜中の客に心当たりがあった俺は、ベッドから飛び降りると、急いでドアを開けた。そこには、スーツケースを提げたアンの
「……逃げてきちゃった」
アンのその一言で、事情が飲み込めた。
その夜は、脱獄囚のように息を潜めて夜を過ごした。そして、朝日と共にアパートを出ると、俺たちはニューヨークから逃げた。
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