Case.60 好きだと言った場合
「──本当にいいのか」
「はい。三学期から学校に通います」
冬休みに入り、生徒のほとんどが来なくなった時期に彼女は約九ヶ月ぶりに登校した。
今、話している相手は
「まさかいきなり登校してくるとはな。俺が今日いなかったらどうするつもりだったんだ」
「先生は生徒指導部の先生だから、基本的にいますよね」
「そうだよ。なんでこんなクソったりぃとこに就いちまったんだ。鍵開けとか教頭の仕事じゃねぇの?」
高砂は基本的に面倒臭がりな男だ。年齢は四十代半ば。生気の失った目に無精髭。猫背に、体臭は煙草の臭いと、とにかく教師としての熱情は死んでいる。
「けど、先生いつもプリント届けてくれたり、お母さんと何度も面談とかしてくれてたんですよね。ありがとうございます」
「クソだるい教師の仕事の一環だ。さっさと学校に来いと思ってた」
職員室では吸えない煙草の代わりに、シガレットのお菓子を食べながら言う高砂を見て、彼女は笑う。
「けどよ、今から来るっつっても、毎日補習受けたところで出席日数足りねぇけど──」
「大丈夫です。ワタシ留年します。そのことはもう覚悟してましたから」
「そうかい。それにしては、なんかスッキリした顔してねぇか」
彼女は、昨日までとは打って変わり、髪をバッサリ切って、首辺りまでの長さに髪型を整えていた。それだけでなく、表情も前向きに明るかった。
「ワタシ、一個下の学年に会ってみたい男の子がいるんで、大丈夫です!」
「そうか。……ま、それはいいが勉強も頑張れよ。出席代わりの課題も出してねぇし、以前から成績も下から数えた方が早いからよ」
「うっ、がんばります……」
「ほらよ」
高砂は彼女に鍵を投げつける。
「これ何ですか?」
「空き教室の鍵。三階の端っこにあるやつだ」
「あー、開かずの間があったようなー。で、何でこれ?」
「どうせ今からクラスに戻ったところで、勉強は付いていけねぇわ、クラスには馴染めないわで、また引きこもられても困る。どうせ三ヶ月経てば留年して下の学年に合流するんだ。三学期はそこで一人で特別授業を受けとけ」
「おぉー、なるほどー。それって高砂先生が教えてくれるんですか?」
「そんな面倒なことするわけねぇだろ。春からここに赴任する新米教師がいるんだけどよ。そいつが、実践積みたいから早く学校に行きたいって駄々こねてうるさいんだわ。だったらそいつに任せてやるかと」
高砂はシガレットを噛み砕き、喉に流し込む。
「面倒な手続きは面倒だがやってやる。その鍵もくれてやる。とりあえず三ヶ月はキツいだろうがリハビリとして頑張れや」
「わかりました! ところで、いいんですか〜? そんな勝手なことをして〜?」
「面倒な役職だが、生徒のためだとか何とか言えば意外と何でも通るんだよ、うちの学校は。あとは煙草さえ吸えりゃいいんだがな」
「このご時世タバコはダメでしょ」
「うるせぇ」
「ふっふっふっー、高砂先生! ありがとうございました!」
「おう。まぁ、気張れや」
「はい‼︎」
**
「七海くんは……七組かー」
四月。
クラスガチャは外してしまったが、これからは同じ学年になる。
いきなり話しかけていいものか、しかし見た目が変わっている以上、相手は分からないかもしれないし覚えてないかもしれない。
(けど、それでもいっか。今のワタシとこれから出逢うんだから)
そして、彼女は知る。
ある女子に恋をしていた七海が、近々告白するかもしれない噂を。
口が風船のように軽いクラスメイトの女子が話していたことを耳にした。
(七海くんの好きな人って彼氏いるんだ。じゃあ、きっと七海くんは失恋するんだね。──うーん、なんとかして七海くんを励ませないかな……)
「じゃ、失恋更生頑張れよ」
(そうか。失恋した人を応援しよう! 泣いても挫けても、前も向いて歩けるように……七海くんがワタシにしてくれたように……!)
そして、旗をたくさん作り、決め文句を考えて迎えたあの日。
彼女は七海の前に現れた。
「──ワタシの名前は日向日向‼︎」
「え、あ、お、俺は七海周一……。え、なに?」
「ふっふっふっ、聞いて驚くなかれ。ワタシたちは! 失恋で傷心した人を救うため! 理不尽な絶望に打ち克つため! 秘密裏に結成された秘密結社──〝失恋更生委員会〟!」
◇ ◇ ◇
「──俺には好きな人がいる。馬鹿でアホで引っ掻き回す迷惑な奴だけど……けど、一緒にいると楽しくて、馬鹿みたいに笑い合って、それでいて可愛くて、元気が出るんだ……俺はあいつが好きだったんだよ」
「……あいつって?」
「日向日向だよ」
俺は初めて、日向への気持ちを語った。
「そっか……自分じゃ敵わなかったんだ」
「仄果……。まぁ、七海くんは好きな人と結ばれなよ。それはあたしらPUREの目的でもあるんだし」
「ああ、そうだな──けど、こっちもまだやることがある」
俺は自分のリュックサックから縮んだ棒と『失恋更生委員会』と印字された折り畳まれた布を取り出して、組み合わせた。
「俺は失恋更生委員会の旗持ちだ。俺たちの目的は励まして元気にするだけとか、そんな無責任なことはしない。いずれ、自分一人で歩けるようになるまで支えるのが俺たちの仕事だ」
俺は旗を天に掲げ、そして大きな声で叫んだ。
「失恋更生三三七拍子‼︎ せーの! ド・ン・マイ。ド・ン・マイ。フ・ラ・れ・て・ド・ン・マイ」
「え、なに煽ってるわけ?」
「す、すまん、俺ら応援歌これしかねぇんだよ」
金城は溜息をつく。
確かに振った側の人間が、この素っ頓狂な三三七拍子をするのは嫌がらせでしかない。
「けど、それでも続ける‼︎ たとえ自己中だろうと偽善者だろうと構わねぇ! それでも傷付ける者の責務として、俺はお前らを応援し続ける‼︎」
誰も来ることはない校舎裏。そこに職員室はあるけども、変人集団扱いされている俺たちの元にわざわざ注意しに来る教師はいない。
真夏も差し掛かった頃にこんな全力で応援すれば、汗は流れ、喉は枯れ、腕が上がらなくなる。
それでも俺は続けてやる。
「──ふふっ、あはは」
心木が思わずといった形で笑った。
そして、目に涙を浮かんだことを隠すように、背を向けて振り返り言った。
「失恋更生、ありがとうございました。これからは笑顔で前を向いて歩いていける気がします」
「お、おう」
「それでも自分は、七海くんのことが好きですから。忘れないでください」
心木はこの言葉を言い残し、少し駆け気味に歩いて立ち去ってコケた。が、すぐに一人で起き上がり去っていく。
「……じゃ、あたしも行くよ。あー、そういや七海くんにはからかってただけというか、だからモテ期来たとか調子に乗らないでよ」
「めっちゃ辛辣⁉︎」
「けど、色々ごめん。その、あたし実は七海くんを貶めようと──」
「あぁ、いいよ。んなこととっくに気付いてた」
「そっか」
本当は土神から聞くまで、俺のこと好きなのでは⁉︎ と、ちょっと期待していたが、いい思いはしたので咎めなしにしておこう。
「仄果のことは後はあたしに任せて──あたしも同罪みたいなもんだからさ」
金城も心木の後をついて行くように去った。
……これが、人を振るということか。
後味はフラれた時と同じように悪かった。
誰かの幸せが叶う代わりに、誰かが辛い思いをする。
恋愛とはそういうもんだ。
けれど、俺は日向が好きだと宣言した。
自分の好きな気持ちを大切にすることが、振る側の責任だと思った。いや、そう思い込むようにした。
「いつか、俺はあいつに告白できんのかな……」
見上げた先にある太陽が、目が焼け切れるほど眩しく輝いていた。
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