九章 日向日向

Case.59 失恋した場合


 ──全国各地が大寒波に襲われ、豪雪地帯だけでなく、普段雪の降らないような地域でも昼から数センチ積もるほどだった。

 この日はクリスマスイブ。

 縁のない者は雪降るこの日を憎たらしく思い、恋人や家族がいる者は「ホワイトクリスマスだね」と空を見上げる。

 分厚い雲に覆われて、もう夕方だというのに太陽が一度も顔を出すことなく、しんしんと雪が降り積もっていく。


 寒い──心も身体も冷え切った彼女は、ただ一人、公園の遊具に隠れて泣いていた。

 少し離れた場所では、子供たちが雪玉を投げ合って遊び、雪だるまをワイワイと作って遊んでいる。

 その声が鬱陶しかった。

 家に帰ればいいものの、せっかく半年以上ぶりに外出したのだから、もう少しここにいたい。いや、もう帰りたくなかった。

 自分がいなくなったことに気付き、いずれ家族が捜しに来るかもしれない。

 けれど、このまま雪が降り積もり、春の訪れと共に溶けて消えてしまいたい──そう考えていた時だった。


 彼と出会った。


「えっと……大丈夫か?」


 遊具の一つである、土管の中で蹲って泣いていた彼女を覗き込むように現れた男。背伸びして染めたような茶髪に降り積もる雪の白さが何とも似合わない。


「なにが……」

「何がって……いや、泣き声が聴こえて辺りを探してみたら、お前が泣いてるからさ」

「……泣いてないし」


 胸まで伸び切ったボサボサの髪が目元を覆い隠してくれているが、それでも泣いているのは誰が見ても明らかではあった。


「その、嫌なことあったんならさ。俺が話を聞こうか? 実は待ち合わせまで結構時間があって暇なんだよ」

「いい。別に話すことなんて何もないから」

「……あ、そう」


 男はその場から立ち去った。

 何だったのだろうか。さらに身を縮こませながら寒さに堪えてさっきの男を思う。

 太陽は沈んでいき、寒さに痛みが増していく。


「……寒い」

「なら帰ればいいだろ」

「わぁっ⁉︎」


 また男が現れた。

 今度は呆れた顔をしている。


「ん」

「……これは?」

「ミルクティー。このままだったら風邪引くだろ」

「……こういう時ってコーヒーが定石じゃないの」

「おいワガママな奴だな。仕方ねぇだろ、まだ俺が飲めねぇんだから……」

「ふーん……まぁ、ワタシも飲めないけど」

「なんだよそれ」


 すると、強引に男は狭い土管内に入ってくる。

 嫌がるものの、「このままだと俺が風邪引くんだよ」と言われて、男は隣に座る。

 この狭さじゃ、密着してしまうが、少し暖かく感じてしまった。


「で、何で泣いてたんだよ」


 男は再び聞いてくる。


「……しつこい男は嫌われるよ」

「えぇっ⁉︎」

「冗談だよ。──まぁ、よくある話。失恋したんだ、ワタシ……」


 ミルクティーの温もりを握りしめながら、彼女はそう言った。


「そうか。まぁ、元気出せよ。諦めずにもう一回アタックしてみたら行けるかもしれないぞ?」

「無理だよ。一生叶いっこない」

「なら、新しい恋を探すとかどうだ。恋してたらさ、なんか分かんないけど楽しいだろ」

「そんな簡単に人を好きになれない」

「なら、恋なんて忘れて自分が楽しいことを──」

「あぁもう、うるさい‼︎」


 彼女の叫び声がトンネルの中で反響して、より大きさが増す。


「何にも知らないくせに! 何にも分かんないくせに! いい加減なこと言わないでよっ‼︎ 初対面のくせによくもそうズケズケと言えるよね⁉︎ もうどっか行ってよ‼︎」

「……無理だ」

「はぁ?」

「さすがに泣いてる子をこのまま一人にするわけないだろ。たとえ何の役に立たなくても、気味悪がられても、せめて誰かに次を任せられるまでは、このままにしておけない」

「……くっさ。偽善者じゃんか」

「臭くて結構。偽善者でも別にいいよ。ただ単に俺が後でモヤモヤすんだよ」

「自己中」

「はは、そうだな俺は自己中だ」


 しばらくの間、二人は黙り込む。

 また寒さが増していく。それにつれて、買ったミルクティーも温もりが徐々に消えていく。

 男は蓋を開けて飲むと、真似するように彼女も飲む。

 少し冷えたとはいえ、身体の中からじんわりと温まるような気がして、心が落ち着いた。


「……ねぇ、どうすれば失恋から立ち直れると思う」

「えっ、そうだな……。髪を切る、とか……?」


 急に低いトーンで話しかけられて、男は少し驚きつつも捻り出しながらも答えを出した。ありきたりなものにはなったが。


「髪か……。もう一年くらい切ってないかも」

「あぁ、あと新しい物を買ってみるとか? 服とか本とか、とにかく好きなものを」

「ヤケ買いみたいな?」

「そうそう。ならヤケ食いもいいんじゃないか? 甘いものとかさ」

「あぁ、ワタシ甘いもの好き。ケーキとかすっごく食べる」

「おぉ、いいじゃないか。それと──海に行くとか」

「海?」


 すると、男は土管から出て行くと、遠くを指差す。

 その先には海が見える。ここの公園は小高い丘の上にあるため、距離はあるもののうっすらと水平線が望める。


「海で思いの丈をぶち撒けたらスッキリするんじゃねーの?」

「海で……」


 いつの間にか雪は止んでいた。

 靴の中に浸水してしまう程、水気の多い雪を踏みしめて、彼女も続いて土管から出てくる。


「それ、何のドラマに影響受けたの」

「うっ……なんか失恋といえばそういうイメージがあったんだよ!」

「ふーん。けど、行ってみようかな」

「今からか?」


 傷心しきった彼女が心配で自分もついて行こうかと提案しようとすると、男のスマホに着信が入る。


「あーちょっとすまん──もしもし?」


『もしもしー? 今どの辺? みんな集まってるよー』


「えぇっ⁉︎ もうそんな時間か……。えっと、今……」

「行ってきなよ」


 彼女は色々と察して、そう言った。


「一人で大丈夫か?」

「大丈夫だよ。さすがに用がある人をそこまで付き合わせたりしないし、てかいきなり絡んできた不審者だし」

「うぐっ」

「それに、人ってどこまで行っても一人だからさ。自分で歩かないといけないから。これ以上誰かに頼ってなんかいられないよ」

「そうか──悪い、今すぐ行くから先に店入っててくれ」


 男は電話相手にそう言って、切った。


「じゃあ、俺行くよ」

「うん。そっか。そっちは今から何するの?」

「クラスのみんなと焼肉食うんだよ。クリスマスイブだけど。まぁ、今日終業式だったからその打ち上げ的な感じで」


 男が私服なのは、学校が終わって一度家に帰って着替えたかららしい。

 着の身着のままで来たような彼女と違って、男はバシッと服装を決めていた。


「……まぁ、その中にさ、好きな人がいてだな……」

「へー」

「興味0かよ! まぁいいや。またいつか、お前にも好きな人ができるよ。誰かを好きでいられるなんて、やっぱなんか分からんが楽しいからさ。じゃ、あんまり夜遅くまで海でふらつくなよ」


「──待って!」


 男が去って行くその後ろ姿を見て、つい呼び止める。


「ん? 何?」

「名前……なんて言うの?」

「あぁ、そういえば名乗ってなかったか。俺は七海周一。そこの友出居高校の一年生だよ」

「七海、くん……」

「そっちは?」

「あ、ワタシは別に名乗るほどのものじゃないので」

「えぇ⁉︎ 聞いといて⁉︎ てか、どちらかと言えばそれ俺のセリフじゃね⁉︎」

「……ふふ、七海くんって面白い人だね」

「そうか。まぁ、よかったよ。最後に笑顔見れて。これで失恋を更生できたかな」

「失恋、更生……?」

「そう、失恋から立ち直るから失恋更生。なんか急に思い付いた。造語にしては語呂良くね?」

「たしかに。いい言葉かも。じゃ、ありがと」

「おう」


 雪道でも足取りが軽い七海は、急いで集合場所へと目指す。

 今度こそ彼を見届けて、彼女は海へと足を運んだ。



   **



 もう日は沈んでいた。

 空と海は黒い色をしているが、街頭と大きな橋の照明で暗くはなかった。

 気温はもっと下がったが、不思議と寒くはない。

 何とはなしに、靴と靴下を脱ぎ捨て裸足になり、海に入る。


「冷たっ」


 当然の反応をしてみせたが、しばらくこのまま、足が波に攫われるように浸ってみたいと思った。

 見上げればどこまでも高い空。このままどこへでも行ける海。

 ここで大きな声を出せば誰かに怒られるだろうか。けれど、何も言わずして好きな相手にまでこの気持ちが届くとは思わない。


「…………うっ、あっ……大好きだったよ……」


 小さく出た言葉は、零れ落ちる涙と一緒に波に攫われて消えてなくなった。

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