第58話

「ご苦労様です」


 いつものように、王宮の扉の前に警護として立つ騎士に王族付きの侍女が頭を下げる。

 けれど、通り過ぎるタイミングで頭を上げた侍女は、目が合った瞬間にとびきりの笑顔を見せてきた。


「・・・・・・っ」


 思わず声を出しそうになり、ダニエルは慌てて口を噤む。そうして目線だけでその侍女の後ろ姿を追いかけていると、誰かに肩を叩かれた。


「仕事をしろ」


 同僚からの叱責だと思ってそちらを見れば、今度は目を見開いた。


「おいおい、俺の事ぐらい分かるだろう?」


 以前に比べて、随分と口の悪くなった学友は重たそうな書類を抱えていた。


「分かっているし、知っていた」


 ダニエルの答えを聞いてトーマスは人の悪い笑顔をうかべた。


「アレのことは知らなかったのか」


 行儀悪く顎で示すから、ダニエルは呆れるしかない。知り合いではあるけれど、今は立場が違う。


「今、知りました」


 お行儀よく答えれば、トーマスの口角が上がる。


「俺も最初は驚いた。まさか推薦状をもって王宮に乗り込んでくるとは恐れ入ったよ」

「今更?」

「そう思うだろ?でも、違うんだと」


 トーマスも、最初は思った。王太子妃教育を受けていたのに、今更花嫁修業が必要なのか?と。


「二人揃ってヤラシイわね」


 トーマスの背後から、聞きなれた母国語が聞こえた。驚いて二人がそちらを見れば、ワゴンを押したヴィオラが立っていた。


「・・・・・・」


 驚きのあまりダニエルは言葉が出なくて、ただヴィオラを見つめるだけだ。


「そんなに驚かないでちょうだい。私だって自由が欲しいわ」

「自由?」


 ダニエルは聞き返した。アルフレッドの婚約者から解放されて、ヴィオラは自由になったのではないのだろうか?


「そうよ、職業選択の自由よ」

「は?・・・え?」


 もちろん、ヴィオラは冗談で言ったのだが、この世界にそんな言葉はまだない。だから二人には笑い所が伝わらなかった。


「私だって、恋がしたいじゃない?」


 ヴィオラがそう言うと、驚いたダニエルは瞬きを繰り返した。事情のわかっているトーマスは、またもや人の悪い笑みを浮かべる。


「なるほど、与えられるんじゃなくて、ってことか。欲張りだな」

「ええ、そうよ。私、女伯爵を目指しているの」


 ヴィオラが、至極真面目な顔でそう告げると、トーマスがたまらず吹き出した。


「お前、凄いな。騎士伯の称号より難易度高いぞ」

「あら、そうかしら?伊達に王太子妃教育を受けていた訳ではなくてよ?」


 ヴィオラがそう答えると、ダニエルは小さく頷いた。そう、この扉の奥にいるのは第一王子だ。そう簡単に仕えられる相手ではない。


「そうだね」


 ダニエルはそう答えると、扉の前から一歩離れた。ダニエルに絡んでいたトーマスもそれに習う。先程まで黙っていたダニエルの同僚は、静かにヴィオラの押すワゴンを確認した。


「通ってよし」


 それを合図にヴィオラはワゴンを押してダニエルの開いた扉に近づいた。


「覚悟して、私負けないから」


 ダニエルの鼻先に人差し指を突きつけて、ヴィオラは扉の中に入っていった。

 残されたトーマスがダニエルに問う。


「一体、なんの勝負をしてるんだ?」

「え?さぁ、なんだろうな?」


 答えながらダニエルは扉を閉めた。そうして同僚と目線を合わせ一礼をした。

 それをみたトーマスは薄く笑う。


「楽しそうで何よりだよ」


 トーマスは書類を持たない方の手を上げて、軽い挨拶をするとダニエルに背を向けた。向かう先は執務室だ。その背中をダニエルは目線だけで追いかける。そうして、そっとポケットにしまってあるお守り代わりのハンカチに触れた。


 あの日貰ったハンカチには、布地と同じ色の色で文字が刺繍されていた。


『私はこの世界を生きていく』


 彼女らしい言葉に相槌を打つのだった。


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悪役令嬢、断罪ルートの果てを見る ひよっと丸 @hiyottomaru

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