第26話

 扉が開かれ、大勢の侍女が入ってきた。

 そして、扉は開け放たれたまま、ゆっくりと豪華なドレスを身にまとった女性が入ってくる。


「母上」


 アルフレッドは小さく呟いた。

 侍女がソファーを整えると、そこにゆったりと腰を下ろす。


「誰が誰の母と?」


 扇で顔を隠しトゲのある言い方をされ、アルフレッドは言葉をなくした。


「ご無沙汰しております」


 実の親子であっても、妃と男子である以上二人っきりで会うわけにはいかない。大勢の侍女と開け放たれたままの扉が二人の距離を示していた。


「久方ぶりに話が来たと思えば、何たるか」


 その言い方でアルフレッドは母親が何を言わんとしているのか理解した。


(アンジェの事か)


 隠しようもなく、言い訳もできない。なんといえばいいのか迷っていると、


「キレイな体にしてやった」

「え?」


 唐突な言い方に、アルフレッドは理解が出来なかった。


「喜ぶがいい、キレイな体にしてやったのだ」


 扇に隠され、その表情の全ては見えないが、その微笑みは決して優しいものではない。


「そ、それは、どういう?」

「お前が欲した下級貴族の娘のことよ」


 決してこちらを見ず、顎を逸らしたその仕草に高慢さを感じつつも、それでこそ後宮で暮らす妃なのだと思い知らされる。


(アンジェの名前を、口にするのも嫌ということか)


 薄々は分かっていた。

 自分は側室である母の希望で、王位に付けなければ意味がない存在なのだと。正妃との間に女児しか産まれなかったため、急遽向かえられた側室である母は、期待通りに男子を二人産んだ。

 しかし、その随分あとに正妃が執念で男子を産んだため王太子となるべく婚約者が定められたというのに。


(そんなことを忘れてしまう程にアンジェに絆されていたか)


 思い出した時には全てを失っていた。だからこそ、この母の態度が恐ろしい。


(不義の子は始末されたということか)


 母の言葉の意味を理解して、アルフレッドは背筋が寒くなった。同じ女として、同情なんて微塵もなかったのだろう。自分の希望を打ち砕いた穢らわしい小娘なのだ。


「…礼を、言うべき、なのでしょう、ね」


 話すのが苦しかった。アンジェリカが体験したことは、アルフレッドにはまるで理解は出来ないが、母の微笑みから察するに母が下したのだろう。


「大したことではない。お前の望みが叶うよう手助けをしたまで」

「あ、ありがとうございます」


 まるで心の伴わない言葉を口にして、アルフレッドは目眩を感じた。今目の前にいるこの人が恐ろしい。


「礼にはおよばない」


 そう言って、不意にアルフレッドに向き合う。

「これは母からの最後の贈り物。しかと、受け取るといい。そして、今後この母を母と呼ぶことは許さない」


 ぞわりとした空気が流れて、アルフレッドは急に息苦しくなった。

 返事をしようにも、喉の奥に何かが張り付いて上手く言葉を出すことができない。


「小娘と共にあることは許そうぞ」

「承知致しました」


 必死で返事をすると、満足そうに微笑んで立ち上がる。大勢の侍女を引き連れて、開かれた扉から消えていった。


「あ、あぁ、あ」


 崩れ劣るように床に膝を着く。嗚咽が止まらなくなり、呼吸がしづらい。

 本当に全てを失い、アンジェリカしか残らないのだ。その現実を受け止めきれずにアルフレッドはもがいた。

 胸の辺りを掻きむしりたい衝動に駆られて、不意に顔を上げると、扉の辺りに見知った顔があった。


「いまさら、なにしてんの?」


 砕けた口調が現実を教えていた。


「どういう意味だ?」

「本当に知らなかった?アンジェのこと」


 ゆっくりと近づいて、トーマスはアルフレッドの傍らに膝を着く。


「知らなかった、とは?」

「とことん女を分かってなかったわけだ」


 からかうように言われて、アルフレッドはトーマスを睨みつけた。


「意味が無いよ。今更だ。本当に君は呆れるほどに分かっていなかったようだね」

「お前がなにを分かっていたと?」


 ギリギリのところで言葉にして、アルフレッドはトーマスを睨みつけた。この間まで自分の側近候補として傅いていたのに、随分と変わったものだ。


「分からなかったということは、アンジェの初めては君だったってことかな?」


 トーマスが言う言葉が理解できなかった。



「そうだよ、知らなかったんだね、やっぱり」


 愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべて、トーマスが言う。


「アンジェが君だけど関係を持っていたと思っていたのかい?」

「どういう…」

「普通気がつくよね?だって、全員と愛称で呼びあっていたんだよ?」


 何度もヴィオラにたしなめられたことを、今更ながらに思い出す。はしたないと言われたが、アンジェリカが望んだことを否定するヴィオラが憎くて、聞く耳を持たなかったのは、自分だ。


「それにさぁ、君は王太子なのに、自分に近づく女の素性を、調べもしなかったのかい?」

「それはお前の役目だろうっ」


 アルフレッドは今更ながらにトーマスを叱責した。


「やだなぁ、聞く耳持たなかったくせに。俺は調べたよ。アンジェは俺だけでなくクリストファー、ダニエルとも愛し合っていた」

「!」


 素直に驚くと、トーマスは満足そうに笑った。


「俺は教えたよ?王太子である身分には相応しくないですよ。って」


 言われたような気がするが、その忠告さえも自分からアンジェリカを奪おうとする口実だと聞かなかった。アンジェリカに熱上げて、王太子としての矜恃を忘れ、婚約者を見向きもせず、回りの忠告を聞かなかった。

 第一王子だから王太子になれたわけではない。ヴィオラという婚約者がいなければ、王太子にはなれなかった。

 胡座をかいていた。


「第三王子が成人する前に後継を固めたかっただけなんだろうけど、本当に分かってなかったね」

「………そうだな」

「今頃素直になってもね。君はもう王太子ではないし、俺たちは廃嫡されたし、アンジェは修道院行きだよ」


 トーマスにサラリと言われて、アルフレッドは目を見開いた。


「修道院?」


 先程、母が言っていたことは?


「俺たちの元婚約者たちに示しがつかないでしょ?外に出られるわけないじゃない」

「で、では…」

「王位継承を剥奪された君も、だよ?」


 母の言葉をようやく理解して今度こそ本当に、アルフレッドの目の前は暗くなった。

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