第27話

 心穏やかに過ごしていたヴィオラに、変化が訪れたのは突然だった。

 昨夜は何も無く、至って普通に家族と晩餐を迎えたというのに、朝食を終え自室に戻ると着替えをさせられた。

 初めて見る黒いドレスは、無駄な装飾がなく簡素な作りだった。ただ、使われている素材は上等なものだと分かった。

 ヴィオラは、何故それを着るのか分かっていた。だから何も言わずに黙って着替えした。

 なぜか編み上げブーツを履かされたのは不思議だった。


(どれだけ、歩かされるのかしら?)


 普段ならヒールが高い靴を履くのに、歩きやすいそこの平らな編み上げブーツを履かされて、ヴィオラは考える。


(例の件で何かしらお咎めを受けるのよね?)


 アルフレッドと婚約が解消されたのは知っていた。それなりの慰謝料が支払われたと聞いた。それが、誰のものかは知らないけれど。

 思いっきり殴ったアンジェリカのことは、何も知らされてはいない。

 玄関ホールで、母が泣きながら抱きしめてくれた。

 王族に楯突いたのだから、それなりではあるけれど、そもそも裏切ったのはアルフレッドで、その経緯は誰もが知っている。


(ここにはもう、帰れないって事かしら?)


 下級貴族の娘を殴ったぐらいで、侯爵令嬢たるヴィオラが咎められるのはおかしいのだけれど、王太子の婚約者として正しく行動ができなかった。と言う点ではダメだったのは分かっている。


(婚約破棄で傷物とか、ナンセンスだこと)


 この一ヶ月、外部から遮断した生活を送ってきたけれど、王太子との婚約破棄というのは醜聞だろう。


「まさか、修道院送り?」


 笑えない考えに、ヴィオラは身震いした。




 初めて足を踏み入れた城の地下は、暗くてジメジメしていた。

 控え室のような簡素な部屋で待っていると、前をアルフレッドが歩いていくのが見えた。

 前後を騎士に挟まれて、アルフレッドは俯き加減で普段より早足だった。

 まるでヴィオラに、気づかない様子で通り過ぎると、前方の扉に消えていった。

 アルフレッドが、戻ってこないまま時間が過ぎていくと、ようやくヴィオラが呼ばれた。なぜかヴィオラは軽食を食べていた。しかも、ヴィオラが食べ終わるまで待ってくれたのだ。


(随分と親切なのね)


 口元の汚れを丁寧に拭き、ヴィオラは軽く身だしなみを整えて、騎士のあとをついて行った。

 地下はカーペットが敷かれておらず、ヒールが高い靴では歩き辛そうだった。



 裁判官なのか?初めて見る人物に、何かを確認されたが、異様な雰囲気にヴィオラはその書類を読むことに集中した。


(侯爵令嬢たる地位の放棄、国外へ移住?)


 書類を読んでヴィオラは目を疑った。移住とは?移住先が書かれていなかったので、どこの国に行くのか皆目検討がつかなかった。

 それに、部屋の中を見渡してもアルフレッドたちはいなかった。もちろん、アンジェリカの姿もない。


「…おい、もう少し小さい……」


 向こうの方で兵士が何かをやっていた。

 ムチとは少し違う何かをもって、あーだこーだと言い合っている。


「形式なんだから、どれでもよかろう」

「しかし、当たり所次第で…」


 なんだか、ものすごーく嫌な予感しかしなかった。


「ヴィオラ嬢、その、形式だけなので」


 ものすごく困った顔をした兵士が、ヴィオラにキレイな布を渡した。

 受け取ったものの、何に使うか分からない。ヴィオラが困ったような顔をしていると、兵士がもごもごと口を開く。


「あの、口に…」


 セルフ猿ぐつわをするということらしい。

 と、言うことは?


(まさか、アレで?)

「儀式なので、御容赦を」


 よく分からない、なんだか分かりづらい棒のようなムチのような物をもった兵士がヴィオラの後ろに立った。

 椅子を用意され、前にある棒を掴むように促される。


「ここに、ヴィオラ・モンテラート侯爵令嬢の身分排除を」


 何かが背中に触れて、ヴィオラは体をビクリと震わせた。産まれてこの方背中を誰かになにかされるなんて経験のない事だ。


「こ、こら、もう少し手加減を」

「は、はい」


 おっかなびっくり行うものだから、ヴィオラも痛いのか痛くないのかなんだか分からなかった。ただ、兵士は知らなかったのだろう、貴族令嬢たるヴィオラが、コルセットをガッツリと締め上げていたことを。

 よりにもよって、そのコルセットにバッチリと当たってしまい、その衝撃がヴィオラの背骨にしっかりと響いてしまった。


(え?な、何事?)


 その衝撃が背骨を、いわゆる脊髄をかけぬけたからなのだろうか、こんな場面でヴィオラは前世の記憶を取り戻した。



​───────


 恐らく、簡潔に書いてくれたようなのだが、所々に国王の私情が挟まって、少々読みにくかった。一応文官あたりが添削したとは思うのだけれど…


『---セルネル辺境伯の養女となられ、健やかにお過ごし頂きたい。馬車に積んで置いたのは慰謝料の一部であり、そちらで必要なものを購入するのに使用して欲しい。隣国への送金に時間がかかるため、残金については今しばらくお待ち頂きたい』


 いちばん肝心なところだけをもう一度読み返す。


(平民じゃなくて、養女になるの?)


 色々思い出して、一番の関心事だったそれは、案外とあっさりしていた。


(私だけが優遇されたわけか)


 傷物になった令嬢が、心安らかに過ごすには醜聞が届いていない外国にいくのが一番いい。国に戻りたければ、何食わぬ顔をして、外国貴族の養女となり、戻ってきて国の貴族と結婚すればいいのだ。

 そうすれば、別物として堂々とやっていける。の、だが、

 ふと、顔を上げるとアルベルトが穏やかな笑顔を向けていた。


(この人が義父ってわけはないわよね?)


「どう?ヴィオラ嬢。私と結婚する?それとも義妹になる?」


 随分と極端な話だ。

 ヴィオラはあんまり過ぎて頬が引きつった。


「急なことで…」


 どうしたらいいかなんて、分かるはずがない。恐らく、娘が可愛くて仕方がない父親が、手配をしたのだろう。祖母の実家で、辺境伯で、慰謝料がたっぷりあるからお金に困ることは無い。海の見える美しい街を眺めながら暮らすのも良いし、社交界にデビューしてこちらの貴族と結婚するのもありだ。


「あの、なぜ皆さんはこちらに?」


 自分だけ用意された第二の人生が申し訳なくて、思わず聞いてしまった。


「ああ、心配しないで、俺とアルフレッドは明日帰るから」


 トーマスがこともなげに答えた。


「いまさらアルフレッドが逃げ出すことも無いとは思うけどね」


 言われたアルフレッドは、黙ったままだ。王都に帰ったら、そのままアンジェリカのいる修道院に向かうらしい。


「俺は、こちらの国で騎士を目指す。明日この国の騎士学校に入所する予定だ」


 ダニエルは、そう言って一通の書状を見せた。恐らく紹介状の類なのだろう。


「俺は、ゆっくりと帰るよ。廃嫡されたけど貴族だからね。学校は卒業しておかないとあとあと面倒だ」


 クリストファーはやる気のなさそうな言い方をした。


(そうだ、クリストファーって、攻略対象の中でのお色気担当だった)


 ヴィオラは改めてクリストファーを見てみるが、廃嫡されたせいなのか、アンニュイな雰囲気が増した気がする。


「ヴィオラ、君の人生を台無しにしたことを詫びる。君は王太子の婚約者として誰よりも相応しかった」


 唐突にアルフレッドが詫びてきた。


「あ、え、ええ」


 ヴィオラはなんと答えていいか分からず、おかしな声が出た。


「王位継承権がなくなったが、王族である私が外にいるとよくない。だから私は修道院に入る。アンジェリカもいるそうだが、顔を合わせることも難しいだろう」


 言い方はなんだが、アルフレッドの言わんとすることは何となく理解出来た。

 ヴィオラは、曖昧に微笑むしか出来なかった。


「じゃあ、君たちは食堂に行って食事をして、ヴィオラ嬢はここに残って」


 アルベルトに支持され、四人は部屋を出ていく。きっと明日の朝には出立するのだろう。


「ごきげんよう、皆さまが心穏やかに過ごされますように」


 ヴィオラは笑顔を貼り付けて精一杯の言葉をかけた。四人は返事の代わりに頭を下げて出ていった。


「さて、ヴィオラ嬢」


 当たり前のようにアルベルトがヴィオラの隣に座ってきた。


「ひぁっ」


 驚いて思わず変な声が出る。


「傷付くなぁ」

「ご、ごめんなさい。その、免疫がなくて」


 ダンスの時以外でこんなに男性が近くに来たことなんてない。ヴィオラは意識的にアルベルトとの距離をとった。


「さて、ヴィオラ嬢はどうしたい?」

「ええ?」


 さっき時間が欲しいって、言ったのに。せめて明日までとか待てないのだろうか?


「ヴィオラ嬢がゆっくりとこちらに来ただろう?そうしたらさ、ライオネス遊びに来たいんだって手紙をよこしたんだ」


(え?早くない?)


 ヴィオラはライオネスのことを必死に思い出した。次期公爵で、それなりに美丈夫ではあった。


「まぁ、一応ね、ヴィオラ嬢はうちに養女として入ってはいるから…」


(んん?そうなの?)


 ゆっくりと考えられると思っていたのに、そうでは無いらしい。


「それで、俺の呼び方なんだけど」


 ああ、そういうことか。とヴィオラは理解した。ライオネスに牽制するのに、ヴィオラがアルベルトをなんと呼ぶかで対応が変わってくるわけだ。


「では、お義兄様とお呼びします」

「そうなの?」

「私、男性と接したことがなかったんです。だから、お義兄様のことをどこまでお慕いできるか不安ではあります。けれども、ご都合が宜しくないのでしたら、ライオネス様の前ではアルベルト様とお呼びします」

「優等生だね」

「これでも王太子の婚約者でしたから」

「それもそうだ」


 ヴィオラは久しぶりに笑った。


(でも、これってエンディングなの?)


 悪役令嬢の独自ルートなんてあったのか?ヴィオラには分からない事だった。なにせ、前世の記憶には悪役令嬢ルートなんてものはないのだから。

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