第23話

「ヴィオラ様、火傷だけは気をつけてくださませ」


 モンテラート侯爵家の厨房で、メイドたちが手を出せずにただただ見守っているのは、こちらの邸の大切なお嬢、ヴィオラが厨房でおかし作りを始めたからだ。


「心配してくださってありがとう。でも、大丈夫よ、わたくしは嫁ぎ先を無くしてしまったのだもの」


 笑いながら、笑えないことを本人が言うので、回りは返答に困るというものだ。


「困らせてしまってごめんなさい」


 そういって、ヴィオラはお菓子作り始めた。

 どうせ自主的に謹慎しているだけなのだから、とりあえず邸からでなければそれでいい。

 そもそも学園を、騒がせて風紀を乱したのはヴィオラではなく、アルフレッドたちなのだ。

 女にうつつを抜かして冷静な判断が出来なかったアルフレッドは、ヴィオラの父モンテラート侯爵の後ろ盾を失って王位継承が下落したことだろう。もう誰もアルフレッドの後ろ盾に、なろうとなんてしないはずだ。第一、アンジェリカの家は男爵家だ。王太子の後ろ盾になれるわけが無い。アルフレッドの生母となったお妃は、さぞや肩身の狭い思いをしておることだろう。


「お可哀想に」


 生地をこねながらおもわず呟いてしまった。

 アルフレッドには弟が二人いたはずだから、そのどちらかが王太子になるだろう。残念ながら生母はアルフレッドとは違うので挽回は出来ない。今後後宮で肩身の狭い思いをするのだろうと思えばこそ、先程の言葉が口から出たのである。

 体を動かしていれば、余計なことを考えなくて済むかと思っていたのに、お菓子作りは以外と考え事が出来てしまった。

 出来上がったお菓子を並べ、一人でお茶会飲むのもつまらないので母親と二人で小さなお茶会をすることにした。


「せっかくこんなに美味しいのに、誰も呼ばないの?」


 娘の作ったお菓子が大変良いできであったため、夫人はいささか不満である。


「自主的とはいえ、謹慎している身ですから」


 ヴィオラは、そう言って自分の作った焼き菓子を一つ口に運ぶ。


「美味しい」


 やはり素材にいいものが使えたから、焼き菓子からはとてもいい匂いがするし、鼻から抜けるバターの香りもたまらない。


「お茶も美味しいわねぇ」


 夫人はケーキひと口食べたあと、娘がいれたお茶飲んだ。とても上手にお茶が入れられる自慢の娘である。しかも、親の目からでも大変美し顔立ちをしている。

 焼き菓子を摘む手の動きも、お茶のカッブを運ぶ所作も、全てが美しい動作であり、一枚の絵画を見ているような気分になれる。


「本当に、何を見ていたのかしらね?あの王子は」


 夫人は思わず口に出していた。


「なにがです?お母様?」


 突然のことにヴィオラは小首を傾げて聞いてきた。その仕草のまた愛らしいこと。


「ヴィオラ、あなたが、とても美しいと思いますよ」

「ありがとうございます」


 突然母親から褒められて、ヴィオラの頬はほんのり赤くなった。それがまたたまらなく愛おしいと夫人は心の中で拍手喝采をおくるのだ。自慢の娘を要らないと言ったバカ王子には、それなりの報復をしなくてはならない。



 文官たちのまとめた書類に目を通しながら、宰相であるヴィクトリオ公爵は深いため息をついた。

 こうなる前から度々学園からの報告で経緯を知ってはいたけれど、改めて、本人たちなんと浅はかな考えで行動していたことか。

 特に、アルフレッド王子は諌められたことを全て真逆にとらえていたのたからどうしようもない。


「呆れ果ててものも言えない。、とはこの事か」

「我が娘の事をどうしていただけるのか、最善の策を提示していただきたい」


 一人ご立腹なのは、ヴィオラの父モンテラート侯爵である。

 ヴィオラは自分の立場から出来うる事をしていた。見て見ぬふりとか、まして虐待のような真似事などしていない。

 王太子の婚約者として、きちんとした態度で望んできていた。それなのに、そんなヴィオラを悪し様に言い、さげずみ悪人としたのはアルフレッド王子の方で、婚約者がいながら、平然とほかの女を見ていたのだから弁解の余地はない。

 しかも、その女は、あろうことか王子の他にもいいよっていたのだ。道徳上有り得ない行為をしていたのだ。


「言っておきますが、次の王太子の婚約者に据える。なんて言うのはお断りしますからね」


 モンテラート侯爵に先手を打たれ、国王は困り顔をして見せた。もちろん、宰相も同じくである。

 倫理上、婚約を解消した後に直ぐに婚約者を決めるなんてはしたないことである。たとえそれが王族相手だとしても。


「まずは、こちらに誠意を見せていただきたい」

「分かっている。婚約解消の慰謝料だろう」


 国王はそう言って、文官からの書類に目を通す。


「それだけではありませんよ」

「我が息子たちからの、誹謗中傷もだな」


 宰相はそう言って、肩を落とす。何度も息子を諌めたのに、結局は周りに流された。いや、女にいいように使われたのだろう。


「各自の婚約者たちに相当な要求をされているでしょう?」

「それはもう、しっかりとな…学園ないで起きたこととはいえ、大層ご立腹だ」

「私もですよ?」


 モンテラート侯爵が、笑顔で告げるのが一番恐ろしかった。金で解決できることはなんとでもなるけれど、出来ないことをどうしたらいいのか?

 表には絶対に出せない醜聞は、いまはまだ国教会に隠してある。


​───────


「アンジェには会えないと?」

「ええ、もう二度と」

「くっ…」


 アルフレッドは己の無力さに悲しみを覚えたけれど、それと同時に裏切られていたことに気づかなかった己の思慮の無さに打ちのめされた。

 冷静にことを見ていれば気づいたことだった。アンジェリカは、自分以外も愛称で呼んでいたではないか。


「残念なことです」


 そう言う文官は、まったく同情なんてしていない目をしていた。


(晴れて正妃の息子が王太子になれるということか)


 自分より十歳は年下の弟は、まだ幼いということで婚約者もいない。後ろ盾がないために、王位継承については産まれた順で第三位にはなっているが、今回のことで王位継承第一位になることだろう。


「そもそも、王位に付けなければアンジェは俺に興味など持たないか」


 野心を隠さないアンジェに好意を持っていた。いつでも自分を褒めてくれるのが良かった。

 柔らかな髪、滑らかな肌、潤んだ瞳。もう見ることも触れることも出来ない。

 ほんの少し我慢が出来れば、何も失わなかったのではないか?


「今更だな」

「左様で?」


 返事を要求した訳ではなかったので、思わず文官を睨みつけていた。

 考えることがとても面倒になり、アルフレッドは書類をろくに読まずにサインした。


「よろしいですか?」

「ああ、構わないよ」


 こんな態度ではいけない。そうは分かっていても、まだ若いアルフレッドは取り繕うことができなかった。

 せめて、この場に父である国王が立ち会ってくれたなら……

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