銀河帝国の巨人

青葉台旭

1.(第1話:青春の旅立ち)

 惑星ナバリカヴン北半球の自由都市サッカイーに、市民たちが『要塞』と呼ぶ建物がある。

 窓の少ない堅牢な石積みの外壁は、なるほど要塞の名に相応しく思えるが、実は四階建ての大きな宿屋だ。

 中庭を建物がグルリと囲むように建てられていて、全ての部屋の窓が中庭に面しているため、外からはほとんど窓が無いように見える。

 一階には帳場の他に大きな飯屋がある。宿泊客に対して朝・昼・晩の食事を提供するのがこの飯屋の主な目的だが、金さえ払えば宿に泊まっていなくても利用できる。ただし、酒と料理の値段はこの都市まちの相場よりも大分だいぶ高い。

 銀河標準暦132022年、惑星の北半球で秋が深まり始めた、ある晴れた日の午前、私は中庭に面した窓際のテーブルで、チーズと黒パンをつまみに葡萄酒を飲んでいた。

 朝食には遅く昼食には早すぎる時間のため、広い店内に客はまばらだ。

 少し離れたテーブルに、二人の女が座っていた。

 一人は三十代半ば、もう一人は二十代前半くらい。どちらも美しい女だ。

 女たちは、甘い菓子と茶をりながら真面目そうな顔で何やら話していた。

 いや、話し合っているというより、年上の方が一方的にしゃべっているように見える。

 若い方は、ややうつむき加減で茶をすすりながら、時どきチラチラと年上の顔色をうかがっていた。

 年上の名は知っている。リナという高級売春婦だ。

 たぶん若い方も同業者だろう……などと思い、あんまりジロジロと見続けるのも失礼だと気づいて、あわてて窓へ視線を移した。

 中庭が秋の日光を浴びて白っぽく輝いていた。

 下手なうたでもんでみるかと思い、ポケットから感圧式のメモ帳と真鍮の棒を出す。

 メモ帳に詩の一節を書き、葡萄酒をちびりとり、またメモ帳に文字を書き、葡萄酒を飲む……あれこれ言葉をいじくり回しているうちに熱中してしまった。

 ふと人の気配を感じて顔を上げると、リナが目の前に立っていた。

 彼女がさっきまで居たテーブルを見やる。女給が食器を片付けていた。若い女は居なかった。

 再度、リナの顔を見た。

 私と目が合ったのを確認して、彼女は少し口角を上げ「ご無沙汰ね。ゾック伯爵」と言った。

 私は、この自由都市まちでゾックと名乗っている。『伯爵』というのは娼婦連中が面白がって私に付けた称号だ。彼女たちが言うには、私の所作振る舞いにどこかしら貴族的なものを感じるらしい。

『ゾック』という名であれ『伯爵』という身分であれ、実際、それをに受けている者はこの街に一人も居ないだろう。

 本人がそう名乗ったのだから、とりあえずそう呼んでおく、というだけの事。

 ここは自由都市、何事も深く詮索しないのが夜の社交界における不文律。暗黙の了解というやつだ。

 私は「いい加減、そろそろ『伯爵』なんて呼び方はめて欲しいものだな。小っずかしくてかなわん」と言いながら、手振りでリナに相向いの席に座るよう勧めた。

「そりゃ、今さら無理でしょう。私らの仲間も『伯爵』って呼ぶのに慣れちゃってるし」リナが豊満な尻を椅子の上に落とす。

 私は女給に目くばせの合図を送ってテーブルへ呼び、追加の葡萄酒を注文し、向かいに座る高級娼婦へ視線を移した。リナは紅茶を注文した。

 女給が調理場へ去ったところで、娼婦リナが「それよりさ、ねぇ、また前みたいに御贔屓ごひいきしてよ」と言った。

「もう、女の肌にキスをするのには飽きた」と答えてやる。「いや、正直に言うと衰えたんだよ……私も銀河標準暦で五十歳だからな。大台に乗ったら急に枯れてしまった。体力も情熱も」

「そんな情けないこと言わないでよ」

「なんだ、リナ?」あんまり生々しい所に立ち入るのはルール違反だとは分かっていたが、思わずいてしまった。「売り上げが足りてないのか?」

「まあね……私も良い年齢としだし、本当は、ここらが潮時だって分かっているんだけどさ。色々あって、もう少し稼がなきゃならないのよ」

 正確に彼女が何歳なのかは知らないが、おそらく三十代の真ん中あたりだろう。そろそろ娼婦稼業から足を洗っても良い頃合いだ。このままずるずる続けてもは下がる一方……安い場所に移って安い男を相手するより手が無くなる。

 その先に待ち受けるのは路地裏での小銭かせぎ、そして肉体と精神を蝕む厄介な病気だ。

 若く美しく閨房けいぼうの術にけていれば貴族なみの暮らしが可能な一方、め時を見極めて自分で区切りをつけないと、際限なくどこまでも落ちてしまうのが彼女らの業界だ。

 女給がリナの紅茶と私の葡萄酒を持ってきた。

 葡萄酒を飲む私を見ながら、リナが「死んだ父ちゃんが言ってた」とつぶやいた。「父ちゃんが言ってたよ……昼前から酒をあおるヤツは飲んだくれの中でも最低の部類だ、って」

 私は何と返していいのか分からず、曖昧な顔で彼女を見た。

「まあ、その父ちゃん自身が最低の飲んだくれだった、ってオチなんだけど」とリナが続けた。

「分かった。今日で最後にするよ」と答える。「昼前から酒を飲むのは、これで最後にする。これが最後の一杯だ。ありがとう。私の体を気遣きづかってくれて」

「ありがとうなんて言わないで。ただ、伯爵相手に自分語りがしたかっただけ」

 ここらで話題を変えることにした。「さっき、向こうのテーブルで同席していた若い娘、彼女も同業者か?」

「うん。まあね」

「ずいぶん綺麗な娘だったな。名前は何というんだ?」

「何?」リナが少し怒ったように眉根を寄せる。「私のことは振っておいて、若い女と仲良しになろうっていうの?」

「そんなんじゃない」

「名前なんか知らないよ。知っていても教えない」

「だから、そんなんじゃないって言っているだろう。繰り返すが、もう五十歳だぞ。そんな気力も体力も今の私には残ってない。腰の剣がなまくらで使い物にならない、なんて事がバレたら大恥だ……まして、あんな若い娘に知られるのは……若い女は残酷だからな。それに口が軽い」

 この私の言葉を聞いて、今度はリナの方が曖昧な表情になった。「分かった、分かったって……だから、そんなに自虐しないでよ、伯爵」

「私は、あの若い娘よりもお前に興味があるんだよ、リナ……お前が彼女に向かって話していた事にな。何やら随分ずいぶんと真剣に話し込んでいたじゃないか」

「老婆心ってやつかな……あの、アニーって言って、ご覧のとおり若いし見た目もピカイチ、たぶん売り上げも相当なものでしょう。まあ、それは良いんだけど……ちょっと浪費癖があってさ」

「浪費癖? それで、説教していたのか」

 リナがうなづく。「この業界って、見た目よりずっと残酷だからね。若くて美しいうちは幾らでも稼げるけど、花の命は短いんだから浪費なんかしてる暇は無い……体力のあるうちに稼げるだけ稼いで、贅沢は程々にして貯蓄に回すのが定石。なるべく若いうちに充分な蓄えを作ってサッサと引退した者の勝ち。娼婦稼業ってのは、そういうゲームなのよ。けどアニーには、それが理解できない。元から知能おつむが足りてないのか、欲望で目が曇っちゃってるのかは知らないけどね……さっきの私のお説教も、どこまで真面目に聞いていたのやら」

「若者なんて、そんなものだろう」

「そうかな? まあ、でも、そんなものかも知れない。自分が彼女くらいの年齢だった頃を振り返ってみても、浮かれまくって自分を見失っていたと思うわ……私がアニーに言ったことをそっくりそのまま昔の私に言っても、絶対に聞く耳を持たなかったと思う」

「言っても無駄なやつには何を言っても無駄、って訳か?」

「うん……でも、それって、救われない感じがするなぁ」

「まあな。頭の悪いやつらに向かってどんなに忠告をしたところで、連中は何時いつまでっても変わらない。苦い薬を飲みたがらない……その一方で、頭の良いやつらは忠告するまでもなく最初から最後まで道を踏み外さない。仮にちょっとハメを外したとしても、手遅れにならないうちに真っ当な道に戻ってくる……だとしたら、人間ひとの優劣は最初から決まっているのか? オギャーとこの世に生を受けた時には既に決められていて、死ぬまで変わらないのか? って話だからな」

「なんか残酷だね」

「とはいえ、百人が百人とも救われない、って訳でもないさ……現に、リナは『阿呆な若者』から脱皮して『堅実な大人』になったんだろう?」

「はは……だと良いけど」

「向こうのテーブルで後輩に説教するお前の姿、ずいぶん貫禄があったぞ」

「それで褒めてるつもり? 伯爵は、どうなのよ?」

「私は、まあ、もうこの年齢としだ。死ぬまでどうにか生きられるだけの蓄えがあれば良い。それ以上は望まん」

「へええ……これから死ぬまで、お金の心配をしなくても生きられるんだ? やっぱりゾック伯爵は貴族だね。少なくとも上流階級なのは間違いない」

「別に贅沢し放題ってわけじゃない。ここに来るのも半年ぶりだ。普段は小さな貸し部屋に少しの黒パンと水で慎ましく暮らしているよ」

「だとしても、ね」

「何だ? リナ? さっきは貯蓄の大切さを力説してたんじゃないのか? まさか自分自身には蓄えがない、って笑えないオチか?」

 その私の問いかけには答えず、美しき売春婦は、ふと窓のほうへ視線を移し、二、三秒のあいだ秋の日差しに輝く中庭を見つめたあと、また私の目を見返した。

「ねぇ、私、見物したい物があるんだけど、連れて行ってよ」とリナ。

何処どこへ? 何を見たいんだ?」

「市庁舎の女神像」

「ああ、あれか。まだ見ていなかったのか?」

「うん。ねぇ、良いでしょう? それとも予定があるの?」

「今日は特に無い」

「じゃあ行こうよ」

「フムン……」

 市庁舎までは少し距離があるけれど、天気も良いし、リナのような美人を連れて散歩と洒落しゃれ込むのも悪くない。

「分かったよ。ご一緒させてもらおうか」

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