第449話てめえは俺を怒らせた

 状況を把握した山下は歯を食いしばりながら身を捩じらせる。それでも間宮は止まらない。


「おーまーえー。おまえのせえで手打ちうどん食えなかったじゃねえかよおー」


 目に前のキチガイに恐れを抱きながら必死で抵抗する山下。


「舐めてくれんじゃん。まさか俺をこんなに舐めてくれるとはねえ。傷つくわー。おお、この凡人君よお」


 怖い、山下はそう思った。


 逃げなければ、山下はそう思った。


 刺されたのか、山下はそう思った。


「おいおいおいおい。逃げんじゃねえよ。手打ちうどん君よぉ」


 なんだ?手打ちうどん?痛い、山下はそう思った。


 逃げる?背を向けて?ここからどこへ?山下はそう思った。


 ビルの中の事務所へ?事務所には池田がいる。でも袋小路になる、山下はそう思った。


 ビルから離れる?走ればなんとかなる?いや、自分は手負いで間宮は自分を逃がしはしない。背を向けて逃げれば後ろから刺される、山下はそう思った。


「山下ぁ。あんたよぉ、この絵は世良の描いた絵だろ?なあ、お前ひとりじゃあここまで綺麗な絵は描けねえよなぁ」


 そうだ、世良さんは?山下はそう思った。


 世良さんは用意周到だから。こういう状況も織り込み済みのはず。きっとこの場の間宮も止めてくれるのだろう、山下はそう思った。


 世良さんはこの展開も読んでいるはず、山下はそう思った。


 世良さん、助けてくれよ。世良さん、山下はそう思った。


「ツイッターでさあ。インフルエンサーに中山の情報を募ってさあ。そこにタレこんで来たのはよかったよ。そりゃあ信じるよ。それもこの街の金融屋さん情報なら信じるよ。うまいね。見事だったよ。中山に『エアタグ』つけたってのもすごいよ。信じるよ」


 グサッ。


「ああああああああああああああああああああ」


 しゃがみ込んだ山下の太ももにアイスピックが刺さる。


「うるせえよ。近所迷惑だろ」


 パーカーを深々と被った間宮が引き抜いたアイスピックを山下の顔面すれすれに突き付ける。山下でも分かる。「次に大声を出したら容赦なく目にいくよ」との無言の脅し。


 こいつは間違いなく迷わず俺の目を刺してくる、山下はそう思った。


 こいつの目は狂っている、山下はそう思った。


 怖い、山下はそう思った。


「一生懸命こっちに協力してきたのはよかった。お前が『たぴおか』の人間だってのもよかった。真木っての?あいつは本当に暴れん坊だなあ。あいつが邪魔だってのも理屈が通ってた。よかった。尋問で我慢する奴はバカだと思ってる。あんたは賢いよな。だってあんな嫌がらせをやってくれちゃんうだもんなあ。命令だ。あの真木ってのにも仕込んでたんだよね。『エアタグ』」


「…はあ、はあ、その通り…」


 ガンッ!


 間宮の肘が山下の顔面を捉える。


「俺さあ、あんま顔に出るタイプじゃねえから分かんねえと思うけどさあ。今、すげえムカついてんだよね。敬語使えよな。お?」


「はあ、…はい」


「それをバックで糸引いてたのが世良だよな」


「…はい」


「舐めてんの」


「はあ、…いえ」


「それで中山はどこ?」


「…はあ、はあ、…逃げられました」


「どうやって?」


「…はあ、分かりません」


 ガンッ。


 間宮の肘がもう一発。


「あんた状況分かってる?次はねえよ。中山はどこ?」


「はあ、本当に知らないんです…。世良さんの…、弟が…」


「義経が?」


「そうです…。はあ、はあ、…その人と一緒に、暴れてた真木さんから…」


「義経が?」


「はあ、はあ、はい…。確かそんな名前でした…」


 イラついていた間宮の表情に冷静さが戻る。


「ホントのユダはあいつだったのか…」


 一瞬、ほんの一瞬、間宮の意識がこの場から消え去る。


 どういうことだ。義経が?義経には自由行動を許している。軍紀や慈道とは立場が違う。俺が義経の立場ならどうする?報告するか?なぜ俺に言わない?あいつは敵か?あいつは俺を裏切っているのか?裏切られたとかセンチな気持ちではない。あいつは俺の邪魔をするつもりか?そんなつもりじゃあないと言われたら?俺は「だよな」とか言ってこの話を流すのか?分からねえ。分からねえよ。クソ。なんでこうなる。世良はここまで計算して?それはねえ。出木杉君だろ。分からねえ。結果オーライだろ。義経はもともとそういうスタンスじゃねえのか?俺は義経に期待してたのか?


「…うるせえよ」


「はあ、はい?」


「うるせえっ!つってんだよ!」


 間宮の顔が修羅に代わる。


「す、すいません!」


「世良はお前を使って俺を上手く躍らせたようだがよお。一つだけ計算違いがあったわ。お前さあ、俺をここまでおちょくってよお。無傷でいられると思ってたの?」


「はあ、はあ…」


「お前の心の拠り所の世良さんはさあ、この状況でお前を助けてくれんのかって聞いてんだよ。助けてくれるっつうなら待ってやんよ。そこまで織り込み済みなんだろ?なあ」


「…はあ、はあ」


「天才軍師の世良さんはすべて計算してんだろ?そうじゃなけりゃあさあ。お前も俺を舐めてんだろ?俺を怒らせても大丈夫だろってことだろ。俺らの世界ってよお。舐められたら終わりだよなあ。お前もそれぐらい分かるよね。俺のことが怖くねえからこんなことが出来たんだよなあ。怖くねえってことは舐めてるってことだろ?なあ」


「ちが、違います!舐めてるとか、そうじゃありません!」


「あんたは勘違いしてるよ。あんたがしてることは裏社会『ごっこ』だ。遊びだ。遊びだと想像できねえよなあ。自分が殺されることとかよお。今の俺にゃあさあ、人殺しても身代わりが出んだよ」


「や、やめ…!止めてくだ!」


 グサッ!グサッ!グサッ!


 間宮のパーカーに山下の血が飛び散る。なにかを山下が叫ぶが今の間宮の耳には届かない。

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