第346話残念な勝利

『ケンカの最中に何かに気を取られると敗ける』


 これを世良兄も間宮も体で覚えており、徹底していた。最初はホームグラウンドでの戦いに有利さを感じていた世良兄もそれを有利とさせない間宮の猛攻、少しでもこいつから別のものに気を取られるとその瞬間やられる、それを肌で感じていた。この『拷問部屋』に隠してあるエモノは使えない。それに頼ろうとしたらそれを手にする間にやられる。パターンB。事務所には他の人間がいる。外部にも部下はいる。ただ連絡は取れない。それをしようとした瞬間にやられる。店の女にはどうしても不安というものにだけボタンを押せば店に異変を知らせる防犯ブザーのようなものを持たせているがそんなおもちゃを自分が持とうと思ったことはない。そもそもこいつがここにいる時点で事務所にいる部下はやられたのか。そんなことを考える世良兄。問題なし。自分が目の前のモンスターを叩けばそれで終わる。そして別の考えが世良兄の頭に浮かぶ。


「お前、暴れるのはいいがこの事務所には至るところに防犯カメラが取り付けてある。お前の行動はそのまま残る」


 タバコの灰を手にしたクリスタルの灰皿へ丁寧に落としながら世良兄が言う。


「イコールあんたが俺にぶちのめされる惨めな証拠が残るだけじゃね」


「その言葉、そのままお前に返す。お前はここで終わる。お前の無様を世にアナウンスするのに最適な人間を俺は知っている」


 『組チューバー』のことである。


「動画。そっか。あんたもあの人に会ったのか」


 間宮が『組チューバー』の、飯塚のことを口にする。直接名指しはしない。互いにカマの掛け合い。


「そうだ。『あの人』だ」


 そう言いながら世良兄がクリスタルの灰皿にタバコを押し付ける。そしてクリスタルの灰皿を机の上に置き、新しいタバコを咥え、火を点ける。


「それよりあんた。タバコの吸い過ぎじゃね。俺も吸うけどあんたはもう年だろ。もうろくしてんだから長生きしたけりゃまずは禁煙した方がいいと思うぜ」


「ご忠告ありがとう。以後検討する」


「あんたはタバコを吸うより食う方がいいんじゃね。馬鹿みたいにむしゃむしゃ食ってる方が今より賢く見えるぜ」


 そう言って間宮が近くに合った椅子を世良兄目掛けて思い切りエンジニアで蹴り上げる。決して軽くはないキャスター付きの椅子が宙に浮く。第二ラウンドの合図。世良兄も自分に向かってくる椅子を掌で払い、間宮との間を詰める。その場にいた忍も決して弱くはない。むしろ強い。元藻府藻府であり、元模索模索幹部である。弱いわけがない。修羅場も何度と潜り抜けてきた忍が呆然と立ち尽くして静観するしか出来ない。忍が心の中で強く願う。世良兄の勝利を。世良兄の敗北はモンスター間宮とサシになってしまうことを意味する。手負いだろうと間宮には逆立ちしても勝てない。人を支配するのに一番手っ取り早いのは自分を恐れさせること。恐怖政治。間宮は忍を洗脳に近い形で心から支配していた。「敗ければ不良を引退するか、極道になるか、他の幹部の下に入る」。その約束から逃げ出した自分を間宮が許すわけがないと理解していた。じゃあ世良に加勢すればいい。そんな考えは微塵もない。例え自分が世良に加勢しようと一対一が一対一・〇〇〇〇〇〇〇一に、ほぼ力にならないと、逆に足を引っ張ると、いや、これ以上間宮に逆らうことは自分には出来ないと理解していた。目の前で繰り広げられる攻防。過去にたくさんのタイマン勝負を見てきたがここまで実力が拮抗したタイマン勝負は見たことがない。京山が二人いてぶつかっているような戦い。ものすごくリアルな音と素早い動き、取っ組み合いではないケンカが観戦している自分をここまで緊張させるとは。普通ならどっちが優勢で一分後にはどっちが勝つか分かる。それがこのケンカは分からない。どっちが優勢でどっちが勝つかさっぱり分からない。それほど譲らない世良兄と間宮。情けないが忍は祈ることしか出来ないことを自覚していた。世良の勝利を。そして勝負は意外な形で一瞬にケリがつく。


「正兄ぃ…」


 ここまで間宮から一ミリも意識を切らずに集中していた世良兄にたった一言が隙を作らせた。


「…義経」


 『タピオカ』の拷問部屋に現れたもう一人の男。実の弟である世良義経だった。すべては間宮の準備したシナリオ。その一瞬の隙を間宮は逃さない。渾身の蹴りが世良兄のわき腹を捉える。エンジニアの先端、一番堅い部分がものすごい勢いでめり込む。


「ぐおっ…!」


 わき腹を両手で抑えながら膝から崩れ落ちる世良兄。そこへ間宮のエンジニアラッシュが襲う。エンジニアの先端はコンクリートを破壊するほどの強度がある。鉄骨が落下しても足を守る靴。それを履いた間宮の手加減ナシのエンジニアラッシュである。


「正兄ぃ!」


 ただ声を出すことしか出来ない義経。間宮のつま先が崩れ落ちた世良兄の頭部を、顔面を、背中を、太腿を、ドコンドコンと蹴る。蹴る。蹴る。


「やめろぉ!死ぬだろぉ!」


 ようやく義経がその体で間宮の動きを取り押さえようとする。蹴ることを止め、義経を片手で制しながら間宮が言う。


「世良ぁ。わりい。でもこうするしかなかったんだよ」

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