第286話ハッピーターン症候群

「図書館ってあの…、街の図書館?」


「ええ。そうっすよ。飯塚さん。いつだったかなあ。あれはすげえ暑い夏の日だったのは覚えてるかな」


 そこから義経の話に聞き入る宮部や飯塚たち。


「別に俺も本が好きとかそういうのはなかったよ。ただ街の図書館ってさあ、クーラーがすげえ効いてるじゃん。すげえ静かで。椅子も自由に使っていいし。他の人間に邪魔されない自分だけの空間とか作れるし」


「まあ、確かに。僕もたまに涼みに行ったかな。それだけのために」


「別にパチ屋とかでもよかったんだけどさあ。パチ屋はうるせえし。なんで図書館だったのかは覚えてねえけどさあ。最初にツレと行ってからはたまに行ってたんだよね。一人で行く時もあればツレと行く時もあってさあ。本は読まねえけどよく寝てたなあ。あそこで。そしてその日かな。その日はツレといつもと同じようにガッコサボってさあ、昼寝行こうぜってなって。そんでそのツレが知らねえ奴を連れてきてさ。そいつが図書館で大声で騒いだんだよ。『めっちゃ涼しい!』とか。大学生のお姉さんとかに声かけたりしてさ。俺も『うわー、こいつうぜー』って思ってぶん殴ろうと思ったらさ。そこで間宮君だよ。ほら、間宮君って見た目がああじゃん。普通に図書館の空気に馴染んでその辺の真面目な学生さんと変わんねえんだよ。難しそうな本を涼しそうに読んでてさ。そんな真面目そうな学生さんがいきなり俺らの前に来て『表出ろ』だぜ。びっくりしたよ。あの頃って俺も兄貴の影響とかあってお前らみてえなナリしててさ。ボンタンだから中学ん時か。そんで俺もそいつに『謝れ』って言ったわけよ。どう考えても俺らがわりいじゃん。でもそいつんことは俺も知らねえからさ。言うこと聞かねえでよ。ま、そこでそいつは間宮君に外でぼっこぼこにされたんだけどさあ。俺のツレも間宮君のケンカ見て逃げ出したんだわ。んで、そいつをボコり終わった間宮君が俺に『お前は逃げねえの』って。だから俺はこう言ったのを覚えてる。『いや、ここは俺の大事な場所だから』って。それからだな。間宮君とツルむようになったのって」


「へえ…」


「まあ、間宮君はすでに俺のことは知ってたみたいで。やけに静かに爆睡する馬鹿がいると思ってたって。まあそうなんだけどね。俺っていびきもかかないし、寝相もいいみたいなんやって」


「あいつって読書家なんすか」


 田所が義経に質問する。


「そうですよ。あいつはああ見えて昔っから相当本を読んでて。それも海外の。洋書ってやつかな。あと、昔の…、日本のなんだっけ」


「『万葉集』とか『古事記』じゃね」


 宮部が義経に言う。


「そうそう。それそれ。てかよく知ってんねえ」


「ああ、俺も実際に見たことはねえけど先代の京山さんから聞かされたことがある。京山さんがあいつからおススメですよって難しい本を持ってこられたってな。まあ、京山さんも無下に断らず『ありがとな』って借りてたみたいだし。実際、京山さんも宮本武蔵を尊敬してたから『五輪書』とか読んでたからなあ」


「ま、あいつは昔っから分かんねえとこがあったけど本質は変わんねえと思うかな。俺らの頭として『模索模索』を作って不良として駆け上がっていくのも間宮君だし、図書館で静かに本を読んでる間宮君がいたとしてもそれは同じあいつであって。ちなみにあいつの一番の愛読書は覚えてるよ」


「知りたいなあ…」


 飯塚の言葉に正解を即答する義経。


「カミュの『異邦人』。そしてその続編である『幸福な死』」


「人間の先入観の愚かさやこの世に本当の理解は存在しないことに絶望するお話ですよね」


 田所が義経へ言う。


「そうそう。なんか主人公が母親の葬式の翌日に恋人と海水浴に行ってさあ。んで、拳銃の暴発事故で友達が死んで捕まって裁判になって。『この男は自分の母親の葬式の翌日に女と海水浴へ行くような冷酷な奴です!』と決めつけられて何を言っても聞き入れてもらえず死刑判決を受ける話だって教えてもらったな。なんだっけ、主人公のすべてを諦めた時のセリフ」


「世良さん。『太陽が眩しかったから』じゃないですか」


「そうそう。それそれ」


 田所と義経のやり取りを見ながら「さすが神内さんの教えは本当に幅広い…。洋書にまで守備範囲は広がりますかあ!」と思う飯塚。


「そうなりか…。間宮君はいい奴なりね」


「うーん。まあ、俺はそれ以来の付き合いだし長いからさあ。今でもどっちが本当のあいつなのか分かんねえかな。それでもどっちのあいつも俺は好きだし。まあ、面白いのは退屈しねえあいつの方なんだろうけど」


「あいつはその京山さんを今でも狂ったように崇拝し、日本の裏社会を自分が牛耳ってそのトップの椅子に京山さんを座らせようとしてんだぜ」


 新藤が義経へ言う。


「へえー。そこまでその京山さんって人をあいつは」


「俺ら『藻府藻府』にとっちゃあ京山さんは神みてえな存在だからよ」


「単なる縦社会ってわけじゃあないみたいね」


「いびつなピーターパン症候群ってやつっすね」


「何ですかそれ?田所のあんさん」


「年を取って成長しても心が大人になることを拒むってことです」


 ほへえええええ、と思う飯塚。と、同時に、神内さんの教えは本当にためになる!自己啓発本を出した方が儲かるんじゃないの?と思う飯塚。


「ハッピーターン症候群にしてやりたいっすねえ」


 は?と思う飯塚。


「田所のあんさん。何すかそれ?」


「ハッピーターンの粉だけ売ってないかなあと思ったことはありません?あれって万能でしょ!いやあ、昔、おまけのシール目的でメインのお菓子を捨てて怒られてた子がいまして。それを勿体ないなあと見てましたが、自分が大人になってからハッピーターンの粉だけ舐めて本体のせんべえの部分を捨ててたらおやじにめちゃくちゃ怒られたのを思い出しまして。まあそういうことっす」


 とても大事な話をしてるのに『ハッピーターン症候群』とは何事ですか!と思う飯塚。そりゃあ神内さんも激怒しますよとも思う飯塚。


「まあ、たなりんに『お友達になって欲しい』って言ったのはあながち嘘じゃないと思うよ。あの時俺にあいつが興味を持ったように、たなりんからも何かを感じ取ったんじゃないかねえ。俺もたなりんとは気が合うしおもしれえもん」


「つねりん…」


「まあ長話になっちゃったね。たなりん、また連絡すっから。宮部っちパイセンもあんま『ぶっかけ』てっと後片付けが大変だぜ」


「こ、この世良ぁ!」


「じゃあ俺はふけっからよ。天草の単車借りてくわ。じゃあな」


 そしてこの場から去る義経。残された宮部たちもすぐにこの場から立ち去る。

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