小鳥と狼は、春に逢う。

穂村ミシイ

プロローグ 拝啓、神様。

 あれから8年が経ちました。


 私に日記を書く趣味は無いのだけれど、今の気持ちをどうしても残して置きたいと思ったのです。差し当たって拝啓は、信じていない神様、とでもしておこうと思います。


 彼がよく言っていたから。

 『この世界には俺を試す神がいると。』



 巡る季節は月日を重ね時代を動かす。

 後ろに戻る事も止まる事も許されない。前に進めば余計に首が締まって行くのを知っていながらも進み続けるしか無い、生きづらい世の中。


 飢餓を知らない子供達は簡単に死を口にする。

 命の重みを知らない大人は簡単に他を殺す。


 その小さな一歩で簡単に死ねる時代に私達は生きている。


 私もその1人。生きたいと思えなかった。



 親が決めたレールの上でしか生きていけない人生。生まれつき弱い身体はすぐに壊れかける。何度も死のうとした。



 私の人生に価値はない。



 絵師が美しい風景をキャンパスに描く様に私は、私が美しいと思う文字をここに残そうと思う。


 私の人生は間違いなくあの春、高2の春に分岐した。憂鬱な転校、片言の日本語、不良品の私。全てが些細な事だと思えるような、そんな瞬間があったの。



 赤い狼みたいな彼に目を付けられたあの瞬間。



 今になって思う。あれは偶然の出会いなんかじゃない。圧倒的必然だったと。見上げた夜空に満点の星が輝いていた様に、甘梅雨を飲む蕾の朝顔が一気に花開く瞬間を目撃した様な、そんな奇跡的な必然だったんだ。



 もう一度、彼に逢えるなら伝えたい事がある。



 もうあの頃には戻れない。利益より感情を優先していた幼い私には戻れない。


 緑の廊下、小さな靴箱、土煙が上がるグラウンド、汗の匂いが染みついた体育館。それから彼と私が過ごした落書きの多い教室。

 壁にはカンニング用の計算式やら漢字がいくつも書かれていた。あれはまだ残っているだろうか?


 瞳を閉じると未だに昨日のことの様に思い出せるのに、あの場所はすでに私の物では無くなってしまっている。



 彼はもういない………。


 

 私は明日、彼じゃない別の人と結婚する。


 そこには愛も情も無いけれど私は、彼と過ごせたあの短い1年を永遠にビー玉に閉じ込めて愛でてさえいれば、何とかやっていけると思うのです。



 私の人生は幸せより後悔の方が何倍も大きい。



一番の後悔は、あの時、あの場所で、どうして私は、


『死んでよ。』


なんて言ってしまったんだろう………。


 あの時の彼の顔が思い出せない。何も知らなかった馬鹿な私はその言葉が、どれだけ彼を傷付けたのかも分かっていなかった。


 伝えたかったのはそんな事じゃ無かった。


 後悔は私の胸に酷く抉るように突き刺さり抜く事はもう出来ない。簡単に伝えれた筈なのに、私は本当に言いたい事を最後まで言えなかった。



 私の願いは………。


 

 純白のドレスも飾り立てるサファイアの宝石も欲しくは無いの。私が欲しかったのはもっと小さくて、春の花を一緒に見上げてくれる、それだけで愛おしいと思えるささやかな幸せ。


 私は、私の願いは………、

 悲しくて涙が出そうになる程に好きだった彼にもう一度だけ逢いたい。叶わない事ぐらい知っているわ。ならば、



 どうか、彼には幸せになってほしい。

 


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