列車の中での独り言・・・

川村直樹

第1話 列車の中で

十七時五十二分発の列車が、ホームに到着した。

学校が終わると、大体同じ時間帯の列車に乗るのが日課になる。

列車のドアが開くと、何時も同じ場所に座り本を読む彼女が居た。


メガネをかける彼女は、視界を遮る前髪をかき上げながら、黒く艶やかな髪を耳にかけた。見かけない制服を着ているが、年齢は自分と同じか一つ下ぐらいだろうと、啓太けいたは思った。


駅を出る列車が、前後に揺れると同時に、乗客の体は後ろに引っ張られる。

手すりを持つ啓太は振り返り、気になり始めていた彼女を見た。

最近、彼女とは良く同じ列車に乗り合わせる。


最初は、彼女の存在に気が付かなかった。

毎日同じ時間帯の列車に乗っていると、利用する乗客は大体同じ車両に乗って来る。だから、必然的に彼らの顔を覚えてしまうものだ。そんな事は、単に偶然が重なっただけだし、啓太は気にも留めなていなかった。


それなのに、今まで退屈だった帰り道で彼女を見つけてからは、啓太の心に変化が訪れた。


彼女に会いたい・・・。

今日も同じ車両に乗っていると良いな。

何時も何の本を読んでいるのだろう。

どんな声をしているのだろうか。

話しかける切っ掛けが、欲しい。


淡い思いに心を支配された彼は、遠目から彼女を見るのが精一杯だった。


最寄り駅に着いた啓太は、今日も何も出来なかった。いや、何もアクションを起こせなかった。もっと積極的な性格だったら良かったのに。気になる異性に話しかけるのが、こんなにも難しい事なのかと、彼は思い知らされる。


走り去る列車の窓越しに彼女を見つけ、はあと、残念そうにため息をついた。


手すりを持ち直した啓太は、首を曲げ自分の背中越しから、今日も本を読む彼女の姿を見る。膝を少し曲げつま先立ちになった右足を小刻みに動かした。


やっぱり彼は、彼女に声をかける勇気が見出せないでいる。


ああ、やっぱり話しかけられない。

こういう時は、何て声をかけたら良い?

本を話題に話しかけられないだろうか?

自分の事を知らない彼女に不審がられないようにするには、どうする?


彼女は、一体、どこから通学しているのだろうか?

 

名前も知らない女子学生と、どうすれば知り合いになれるのだろうか、啓太はあれこれ思いを馳せる。


いっその事、誰か答えを教えてくれないかな。


そんな考えが彼の頭の中を過った瞬間、ホームからゆっくりと動き出した列車は、急ブレーキをかけた。

いきなり襲い掛かってきた衝撃に、床から足が離れ体が吹き飛ばされそうになった。

中途半端な位置で停車した列車の車内に、アナウンスが流れた。


「ご乗車のお客さまには、大変ご迷惑をお掛けします。ただいま、車両にトラブルが発生した為、緊急停車しました」


天井のスピーカを眺めながら、啓太はふと我に返る。


さっきの衝撃、彼女は大丈夫だったのだろうか?


彼女の事が心配になった彼は、体を捻って振り返った。

何事も無かったかの様に、俯いた彼女は、静かに膝の上に置いた本を読んでいる。

 

ああ、良かった。大丈夫そうだ。


再び、車内にアナウンスが流れて来た。


「大変ご迷惑をお掛けしています。この車両は、点検の為、車庫に戻す事となりました。ご利用の全てのお客様は列車を降り、後続の列車をご利用ください・・・」


ざわざわと騒がしくなった車両から、乗客が降りて行く。頭を掻きながら仕方が無いかと、啓太も列車を降りる乗客の後に続いた。

 

ホームに並ぶ列に加わろうと振り返ると、乗客の居なくなった車内に取り残された彼女の姿が目に入った。もしかしたら、本に夢中の彼女は、アナウンスに気が付いていないのかも知れない。そう思った啓太は、再び列車に乗り込むと、彼女の腕を引っ張った。


「故障だって。この列車は、車庫に行くから早く降りないと駄目だ」


腕を引っ張られた彼女は、周囲を二、三度見渡し、啓太の顔を見上げた。目を大きく開いて驚いた様な表情を見せる彼女は、口を少し開けたまま立ち上がった。


「あなた・・・、私が見えるの?」


「何言っているの? 当り前じゃないか、動き出す前に早く降りよう」


彼女の手を取った啓太は、予想しなかった冷たさに驚き、手を離しそうになった。


冷たい、彼女の手からは温もりを感じない。


首を横に振る啓太は、そんな事、今は関係無いと思った。

ドアの方へ向いた彼は、しっかりと彼女の手を握る。

後退りしそうになった彼女は、彼の背中を見ながら歩き出した。


「あっ!」、後ろから声が聞こえたと思うと、彼女は啓太の手を離した。


啓太が振り返ると、車内に彼女を残したまま列車のドアが閉まった。

別々の世界に分断されたように、あっち側とこっち側に、二人は分かれてしまった。


「ダメだ、まだ女の子が乗っている」、ドアの窓の向こうから彼女は、小さく右手を振った。


誰も啓太の言葉を気にする気配も無く、列車は車庫へと向かって走り出した。


彼女・・・、大丈夫かな?


昨日は家に帰ってから、列車に取り残されてしまった彼女の事が心配だった。

その事が今日も気になって、授業に集中できないまま一日が終わってしまった。

何時もより人が少ないホームに、帰りの列車が入って来る。

ドアが開くと、いつもの場所に彼女は座っていた。


話す切っ掛けを得た啓太は、足早に列車に乗り込むと、彼女の隣に座った。

いつも通り本を読む彼女は、彼が隣に座っても姿勢を崩さなかった。


「やあ、昨日は、大丈夫だった?」


「えっ?」、ゆっくりと顔を上げた彼女は、話しかけて来た啓太を見た。


「車庫に向かう列車に乗ったまま行ってしまったから、大丈夫だったかなと思って」


「あ、ああ・・・、ありがとう。大丈夫だったわ」と、彼女は優しく微笑んだ。


「えーと、僕は、林啓太はやしけいた。高校二年の十七歳です」、緊張で強張った顔をする彼は、早口で自己紹介をした。


「ふ、ふふふ。初めまして、私は、小澤幸おざわさち。あなたと同じ十七歳よ」と、細く白い指でかき上げた髪を耳にかけた。


ふわっと、彼女から漂ってきた微かなお香の香りに勇人は、古風な人なのかと思う。


「何時も同じ電車に乗っているよね」


「え、ええ。同じ電車よね」、彼女は本を閉じ膝の上に手を置いた。


「僕も、良く君と同じ列車に乗っているよ」


「そうなの、偶然かしら」


「偶然・・・、だよね」、言葉に詰まった彼は苦笑いした。


「でも、良かったよ。昨日は、あれからどうなったのか心配だったけど。無事に帰れたんだね」


「帰れたか・・・、そうね、無事だったよ。心配してくれていたのね」


二人で何気ない会話が出来たのは、僅かな時間だった。


「ここで降りるから、じゃあ、また明日」と、列車を降りた啓太は、列車の窓から見える彼女に、恥ずかしそうに手を振った。


列車の中で幸と話をしながら帰宅するのが、当たり前の様になってきた頃、クラスメートが自分を避けている事に啓太は、気が付いた。


幾ら考えても、どうして彼らがそのような行動をするのか分からなかった。


自分に問題は、無いはずだ。

悪い事もしていないし、彼らに迷惑をかけた事も無いし。


日に日にクラスメートの行動は、あからさまになった。

自分を見ながら、何やらヒソヒソと話す女子達。話しかけても、悪いなと、軽く肩を叩いて立ち去る男子達。明らかに、何かがおかしかった。


クラスメートの異変は気になるけど、毎日、幸と話をする方が楽しかった。

改札口を抜けると、啓太は階段を駆け上った。


「はあ、はあ・・・、やあ、今日も一緒だね」


「どうしたの、息切れしているけど」


「ちょっと、走ったからね・・・」と、彼は後頭部に手を当てた。


「いつもと様子が、違うけど、何かあったの?」、彼女は本を閉じた。


「うん、気になる事があってね」


幸が見せる優しい表情に促されて、啓太はクラスメートの異変を話した。


「そうか、大変だったね。でも、もう直ぐ、みんな元通りになると思うわ」


「どうして? そう言い切れるの」


「私が、原因かも知れないから」、首を傾げた幸は考え込む様に下を向いた。


「幸が、原因じゃないよ。クラスメートに知り合いが居る訳じゃないのだから」


「う、うん」と、彼女は首を横に振り、「ごめんね。君と話すのが楽しくて、長居しちゃった見たいね。もすでに私の思いは、満たされたのに」


「満たされた?」


「そう、私は死んでいるの。私の姿は、多分・・・、あなたにしか見えていない」


「そ、そんな! こうして会話だって出来ているし、君に触れる事も出来るのに?」


「混乱しちゃうわよね。今となっては、どうして死んじゃったのか、忘れてしまったけど。ただ、私は皆と同じ様に、普通の生活を送りたかったの」


「嘘だろ・・・そんな事・・・」、思わぬ彼女の告白に頭の中が真っ白になった。


「でも、君が私を見つけてくれて、私が望んでいたありふれた日常を送る事が出来た。もう思いは満たされたから、もう直ぐ、私は消えて無くなる。本当に、ありがとう」


笑いかけてくる彼女の右目から、涙が流れ落ちた。

啓太は、思わず親指で彼女の目尻の涙を拭った。


やっぱり・・・、彼女の肌は冷たかった。


「今日が最後になると思うわ、これあげる!」


彼女は、両手で持った本を啓太に差し出した。


「この本・・・、大切な物じゃないのか?」


「気になっていたんでしょ? 何時も横目で覗き見していたし」


手渡された本は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』だった。


「あ、ありがとう・・・」、それ以上、言葉が出なかった。


列車を降りホームに立つと、窓越しから見えた彼女は、小さく右手を振った。

まさか、彼女の話が本当だなんて、彼は信じられなかった。

また明日になれば、彼女はいつもの列車に乗っているに違いない。啓太の手には、彼女から受け取った本が存在していたからだ。


翌日からぱったりと、彼女と出会う事は無くなった。

同時に、クラスメートの啓太に対する態度も徐々に元に戻って行った。彼らの話しから、どうやら啓太は、列車の中で独り言を話す変人だと噂されていたそうだ。


彼女がくれた詩集を膝の上に置き、ぼんやりと彼女が座っていた場所を啓太は見る。彼は考えていた、彼女は本当に、自分との他愛もない日常を満足してくれたのだろうかと。


さっきまで雨を降らしていた灰色の雲が、流れ去っていく。

誰も居ない青色の席に夕日が差し込む。

窓の外の風景は、オレンジ色に染まった。


 

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列車の中での独り言・・・ 川村直樹 @hiromasaokubayashi

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