第十五話・我が家(C)

「どうしてもおまえの力が必要だ」

「くどいですね、あなたも」

「フヂナはここに残すのか? 危険だし、助かったとしても歪むぞ」

「どうもしません。あれはあれです」

「薄情すぎる」

「そうですね……否定はしません」

「なぜだ? オマエはあの子を大切に思って――」

「あなたと同じなのですよ」

「……同じ?」

「詳しく話すつもりはありませんが、私は自分の信念に従い、あれを力ずくで生涯にわたって孤独にしたのです。ですから、むしろ、いっしょにいることの方が不自然なのです。私の行動も、あれなりに解釈すればいいだけのこと」

「だが……いや、そうなのか」

「ええ、そうです」

「しかし、それでおまえは満足なのか?」

「私は完璧主義者じゃありませんよ。予定を立てて、それに従う。当たり前のことをしているだけですから。それより、私からもいいですか?」

「ああ」

「あなたは自分の居場所が欲しくはないのですか?」

「なにがだ?」

「知人だけなら、連れて逃げ延びることも可能なはずです。やり直しはきくんですよ? あなたがその先に居場所を求めれば、そこが安住の地にもなる」

「わからない。でも、オレは……誰かを憎むことも、それで誰かを切り捨てることもしたくない。オレは、誰かではなく、憎しみの元そのものと戦いたい」

「罪を憎んで人を憎まず、ですか? ですがね、『誰か』と『憎しみの元』は切っても切り離せませんよ? 悪徳の概念だけを取り出してそれと戦えるなら、皆そうしています。事実それを人は夢想してきました。たとえば悪魔などと呼んでね……もしかして、あなたは悪魔と戦いたいのですか? それは白昼夢ですよ?」

「俺は皆を救いたい。悪魔のせいにしてでも、白昼夢を見てでも。鎖に縛られて逃れられない人々のために働きたいんだ」

「それが幼稚な愛情の吐露だと気づいています? 辛くてイヤな思いをしたくないがゆえに、すべてを愛そうとする逃避だという自覚はありますか? メサイアコンプレックスですよ。さんざん経験して思い知ったはずです。人はそれぞれの理由で簡単に他人を道具にし、標的にできる。人は誰でも己の中に悪魔を生み出せるんです。例外はありませんよ。違いは立場だけです」

「だからって」

「非難するつもりはありませんが、あなたこそがそうではありませんか。あなたは自分の意思を通すために力を振るっている。無理がありますよ、あなたの理屈は」

「だからこれからも同じ手段を使えというのか? そんな生き方を続けろと?」

「やはりわかっていませんね。意趣返しのためにそうしろと言っているのではありませんよ? ましてや腐っていろと言っているのもありません。自然なことなんです。そうやって皆生きているのです。言ったでしょう、非難するつもりはないと」

「なら、やはりオレは戦う。オレの中にもある、そのナチュラルな悪意と」

「一人で、意固地に、稚拙な戦いをしてむなしく散るのですか? もう一度指摘します。あなたのそれは過去から来る罪悪感からの逃避です。話のすり替えですよ」

「オレにはそれが正しいことのように思うから、そうする。うまく言えないが、誰かを食い物にしたり、悪意をもって利用したり、自分の自由にしてやろうって思うのはやっぱりいけことだ。幼稚だって言われてもオレはそう思う。誰も、誰からも、なにも強制されてはいけないんだ」

「信じられません。誰もが建前にしか使わない強行規範を、あなたは自分をその対象にしてまで守るというのですか? 枠組みを壊すために、その唾棄すべしと考えている行動を取るというのですか?」

「そうだ。簡単なことじゃない。一人ではおそらく無理だ。だから、朱塔、オレに力を貸してくれ。お願いだ。俺はあの子を助けたいんだ。独りよがりだとしても、そうしたい」

「ええ、たしかにまたずいぶんと身勝手なことです。いや、まあ、それはいいとしても、これは……やはり違和感があります。嘘をついていますね? いえ、あなたがそうありたいと思い、そうあろうとしていることは信じてもいいのですが。そうですね……どこか、あなたらしくないのですよ」

「……」

「この際ですから率直に聞きましょう。前から思っていたことなのですが、あなた、ここの人間のこと、嫌いなのではないですか? おそらくは私以上に。どうも明確な嫌悪感を持っているように感じるのです」

「…………」

「ぜひ、答えを聞かせていただきたい」

「……ああ」

「やはり。もっと言うと、この町の人間だけではありませんね?」

「そうだ。オレは人間が嫌いだ」

「特筆して弱者が嫌い、と」

「……醜くて、みっともなくて」

「そのうえ図々しい?」

「そうだ」

「ふうん。わかりますよ」

「そうか……」

「もちろん。それこそ我々が利用しようとしている部分でもありますからね。そういうものです。そして、王都の人間としてはごくごく当たり前の考え方です。どうやら、あなたはこれ以上ないほどに王都の人間だったようですね。これは皮肉なことです。好かぬ者のために、自分まで勘定に入れて悪習を否定する。しかも、結局はその好かぬ者と同じような立場となってしまっている」

「だから撃てるんだ。しかし、撃ててしまうんだ。どうして撃ってしまったんだ……片桐さんが謝る必要など、礼を言う必要など微塵もなかった」

「ジレンマですね。後悔しようにも後悔しきれないようで。悔やもうにも、冷静に、冷徹に処理できてしまう。『百戦鬼』であることが辛いのですね?」

「生存権などという戯言を信じて、自分自身の力で生きることを放棄した屍ども。生殺与奪を他者に握られても平気な顔をしているゾンビども。オレはそれが我慢ならないんだ。生物は生まれた瞬間から死に向かって進んでいるというのに、そんなことさえ教わらなければ理解できないのか……どうしても、そう考えてしまうんだ」

「意外には思いませんよ。『生きて当たり前』という思い込みはデファクトスタンダードにすぎません。それに、他者を肯定するのは難しいことですが、否定しなことは案外簡単なことです。極端な話をすれば、真面目に取り合わなければいいのです。そうすれば、否定するところまでたどり着きもしませんからね。ところが、あなたはそれができないのですね。それを善しとしていない。そうなると、向き合った自分を肯定することのなんと困難なことか」

「〝命は平等〟などという謳い文句はどこででも聞く。それには同意見だ。しかし、平等なのは命だけなんだ。それ以外の一切は平等じゃない。そんなのわかりきってることだ。だからこそオレは思うんだ。どれほど価値のないゴミがいても、オレはきっとそれ以下なんだろう、と」

「実に面白みのない厭世感です。一つ言えることは、あなたは断じて正義ではない。正義など、信じてもいない。なぜなら、そんなものを超える信念があったから。ところが、そんな倫理を超えて持ち続けてきた信念を、あなたは自ら否定してしまった」

「正義や信念だと? 信じたい気持ちはある。しかし、害悪にもなるものだと今は思っている。そんなもの、犬も食わんさ」

「うーん。どうしてそうなったのでしょうね。自分ではどうお考えなので?」

「……おまえは何度か、オレは死ぬだろうと指摘したな? 肉体的な意味ではなく、流れとしてそうだと」

「ええ。正直言って、あなたには失望したんですよ。これがあの『百戦鬼』なのかと、そう思いました。あなたは年下ながら、私の一つの理想像でしたからね。無論、『百戦鬼』の噂には尾ひれが付いていたというのは承知の上でしたが」

「そうか」

「そう言えば、理由は違えど何人か同じ評価をしていましたね。〝かつてのあなたではない〟〝あなたは変わってしまった〟という類の。思ってみれば、これ、全員あなたの過去を知る人物というのが特徴でしょうか。なにかあるのですか?」

「それらの指摘は半分アタリで半分ハズレだ。『百戦鬼』なんてものは、そもそも死者に与えられた名前なんだからな。いや、百戦鬼と呼ばれるほどにオレが振り回した屁理屈は、ただの世迷言にすぎなかった」

「ん……どういうことです?」

「記憶の中のあの世界は、平和で、美しくて、完璧だが……それは、こっちとなんら変わらないものだったんだ。ハリボテだ。オレはそれを知ってしまった」

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