第三章 復讐者

第十四話・追憶の音色(A)

 血をぬぐったゴーグルが油の線を残す。

 赤い色は落とせても、奪った命の飛沫は消えない。

「承服しかねます! なんの嫌疑があるというのです!」

 反王制の中核人物のうちの二人を仕留めた後、耳の中から返ってきたのは冷徹な言葉だった。

「これでは話がまるで違う! 子供はいないはずだった! ただの男女ではない! 彼らは明らかに家族だ!」

 今度は、少しばかり飾られた、言い訳がましくもある指示がくる。

「……聞けません」

 かえって冷静になりつつある頭は、しかし、混乱の渦中に自分を落としていくのだった。それは、自分に対しての、自分の行為に対する混乱だ。

「決まっているでしょう。逃がします。ここの人間にゆだねます」

 恫喝どうかつと警告とが交じり合った言葉が決定的にする。自分の行く末が、おそらくはつまらない結末になるであろうことを。

「そう呼びたければそう呼んでいただいて結構です。好きに扱ってください」

 それを最後に、通信のすべてを切った。

 動かなくなった二つの体を前に、少女は恐怖のあまり体が硬直してしまっていた。すがりつくこともできないままで、ただ呆然と地獄を見つめている。

 思わず視線を逸らしたくなる。だが、仮面にやった手は、決して視界を遮るために使ってはならないのだ。

 その手は――

「いっしょにきてくれ」

――差し伸べるために。 

 恐怖におののく少女を前にひざまずき、少しばかり力ずくで手をとると、頭を下げた。

「お願いだ」

 この子にあわせる顔などない。しかし、そんな顔を見てもらうしかない。顔を見たくないと言われれば、面の皮を剥ごう。

 少女は泣きじゃくり、手を振りほどいて膝を抱えてしまった。

 理解できなくてもいい。この子の安全が確保できるまで、その間だけでいい。目を瞑っていてくれ。

 腕に抱いた命の重さを噛み締めて、震えそうな自分の喉を押さえて、走り出した。

 あと数分、あと数時間、あと一日……

 戦い続け、倒し続け、逃げ続けた。あてもなく、自分がそれまで追い続けていた『敵』達を求めて。

 飲まず食わず、与えても受け取ってくれない中、心を凍らせて、独りよがりに守り続けた。

 泣きつかれて、疲れ果てて、人形のようにぐったりとしてしまった少女を信頼できそうな者に預けることができたのは、72時間以上経ってからだった。

 百戦鬼はこうして『堕落』した。動禅台事件の日に、細歩地区で行われたゼ号作戦で。

 そして、それから、鉄ヶ山は毎晩同じ夢にうなされていた。取り返しのつかない罪を、夢の中で何度も繰り返していた。

「もういいのよ」

 誰かの声が聞こえる。

「もう、いいの」

 優しい声が悪夢を終わらせる。

 鉄ヶ山が、自分の頭にこびりついてはなれない地獄から覚めた。

「あ……はぁっ……」

 声が出ない。体が動かない。視界がぼやける。音が遠い。喉が詰まる。

 地獄から地獄へと鉄ヶ山は渡り歩いてきた。その地獄を、ときには自分が生み出した。だが、それも、もう終わりが近いようだ。


「どうなんだ? あれだけやったんだ。少しは毒もぬけたんじゃないか?」

「ウォッシュアウトを受け付けるなら苦労はないわ。沈着した感応剤は抜けない。そして、多臓器不全を持ちこたえさせてるのも感応剤。切り離せるわけない」

 言葉をユリアが沈痛な面持ちで搾り出す。

「……考えようかもな。これで、もう戦わなくてすむ。全部、終わったんだ」

 四柳が鉄ヶ山の顔を横目で見ていた。

「どうして、こんな状態でブーストレベル3なんて……」

 部屋には沈痛な空気だけが溜まっていた。

 自然なものではない臭い。自然なものではない汚れ。自然なものではない幕引き。

(終わり、か)

 二人の会話はほとんど聞こえなかったが、鉄ヶ山はなんとなくわかっていた。


 本条を殺した後、鉄ヶ山は無意識に自分に銃を向けて引き金を引いていた。

 最後の一発は、もともと自分に向かって使うつもりだったのだ。

 銃を使わなかった理由は、予備の弾がないからではない。せめて文化的な死を。そんな思いから一発だけ残しておいたのだ。

 だが、それは叶わなかった。鉄ヶ山の宿命は、それさえも甘えたものとして奪い取っていたのだ。新たな罪を鉄ヶ山に与えるのと引き換えに。

 そして、死ねないことがわかると、本条の死体を抱えて、山を降りはじめた。

 のそのそと、のたのたと、少しの笑顔を本条の顔に向けながら、頼りなく、歩いた。

 朱塔とクルミが鉄ヶ山に気づいて駆け寄ってきた後、鉄ヶ山は倒れた。

「殺してくれ……頼む……」

 しまいには、そんな言葉を口走っていた。


 部屋に誰もいなくなってから、鉄ヶ山はゆっくりと体を起こした。

 ゆっくりと、ゆっくりと、動かない体を動かす。普段は意識せずに行っている動作を意識して、力いっぱい動かして、やっと少しだけ動けるのだ。

 まるでシャンデリアのようになっている自分の周りにある器具を取り外すと、鉄ヶ山は立とうとした。膝は、腿は、もう自分の体重を起こすこともできないようだった。

 手探りで、床や手すりになるものにもたれかかるようにして起き上がる。

 薄暗く、目も霞む中、窓に向かった。

(町は、どうなった)

 このユリアの家からなら大きな通りを見ることができる。例え詳細に見えなくとも、雰囲気はわかるはずだ。

 見てどうしようというものではない。どうにかできるものでもない。だが、もしかしたら、それを見て、最後にとしようと思う気持ちが鉄ヶ山の中にあったのかもしれない。

 町の通りは数人がぽつりぽつりいるようだった。

 戒厳状態だったときにはまるで人影はなかったのだから、少しはいいように見える。

 しかし、鉄ヶ山は窓から滑り落ちるように崩れた。

 通りを歩いているのはガーダーだ。だが、本条の隊から守るために配置された朱塔の部下ではない。

 焦点の合わない目で、鉄ヶ山はガーダーの上腕につけられた部隊章と、その文字を捉えていた。

 

 DAHLIA

 

 かつて自分のいた部隊。本条がいた部隊。五人の最前線。そして、耐え難い命令を下した部隊。

 町を練り歩いていたのは、班にすぎなかったものが大きくなり、部隊という名前にふさわしい規模となったダリア隊であった。

嘉島かしま杉光すぎみつ……」

 鉄ヶ山は朱塔の裏にいたディプロクラスが、あの悪魔の命令を出した隊長なのだと知った。

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