第十三話・探求者と暗殺者(C)
「シン! ここは隔離地域なんだ! 反王制の人間が何人どうなろうと知ったことじゃないだろう! ボク達はガーダーなんだぞ!」
ブーストレベル3は常識を超えたものだった。
壁を、天井までを走る。その速度は重力との戦いになるほどのものだった。
物理法則への肉体の挑戦と言えるような身体能力。人ならざる力。
「ガーダーにとって、罪のない人を救えないのは罪だからだ!」
「……シン! 今も昔も変わっていない君のその理想こそ犠牲を欲するものだ! まだ血が足りないのか! 仲間達の血でさえも啜ろうというのか!」
「ムツ! どうしてこんなことを! いつからそうなった!」
「ボクも、シンも、ずっと前からこうだった!
「違う……! オレがそうなったのは!」
本条は崩れた壁からさらに奥へと向かう。
間髪いれずに追いかける鉄ヶ山だったが、わずかに挙動が乱れた。
部屋には磨きぬかれた鏡が立ち並んでいたからだ。
鏡の向こうから鞭がとぶ。鋭い切れ味を帯びた攻撃は、地面を切り裂いて鏡の間を縫った。
「シン! ボク達が守るべきなのはここじゃない! 守るべきは王都だ! 子殺しは人間しか行わないと信じている者達のいる、あの箱庭だ!」
少し欠けた鏡の切断面から、鏡が大きなコンピュータであることがわかった。おそらく、これで忌まわしい装置を制御しているのだろう。
ここに誘いこんだのは、本条がそれだけ鉄ヶ山の実力を買っているということである。現在の状況の有利のために、後に連なる不利を飲んだのだ。
レベル3が、自分の、もっとも深い部分を消耗させていくのが鉄ヶ山にはわかった。
背骨の中を霜柱ができていくような感覚。肋骨が溶けて泣いているような感覚。腰の先端に螺子を取り付けて引っこ抜かれるような感覚。
感覚のすべてが、痛みを除いたただの情報として頭の片隅に蓄積されていく。
自分が奈落に落ちていくのを報告書にまとめさせられるような、拷問めいたみじめな感覚だった。
人間を超えて、人体を超えて発揮された潜在する力を、鉄ヶ山は誰が聞いても眉を潜めるような殺しに使っているのだ。
今までもずっとそうだった。そして、ここまで来てしまった。
迷いを断ち切ることなどできはしなかった。
達観じみた思考の実態は、本質は、諦めと変わりがない。苦痛は消せない。方向を変えた苦痛が残るだけだ。
苦痛と悔恨とを引き換えに、鉄ヶ山は飛ぶ。殺すために飛翔する。
「人間こそがもっとも残酷だと考えることこそが抑止となる! 内罰を維持することで、ようやく本当の悪徳から人を守ることができる! あの、忌まわしい残党の集落のような、究極の悪徳から!」
本条の仮面、額の印が輝く。第一世代がなせる業か、本条もまた人知を超えた速度の中に入っていった。
鏡が世界を混乱させる。
本条は本条と、鉄ヶ山は鉄ヶ山と、自分自身と戦っているかのようである。
鉄ヶ山は背中からアームランサーをついに引き抜き、本条の鞭に対抗する。
強く張り詰めた鞭は柔軟性を欠き、弾くことができるものだった。
だが、それは、怒涛の攻撃すべてと同じ重さを一撃一撃に与えているということだ。
「シン! 無駄だ! ボクは君の一歩先を進んでいる!」
槍と鞭の双方に流れる場が、衝突し四散しては収斂する。
バイオブースターなしでフィールドを作り出す本条はやはり特殊なのだ。
感応剤の定着。本条は進化していたのである。おそらくはキーパーである澤本よりも。
鉄ヶ山は体を仰け反らせながら、攻撃に耐え続ける。
「これ以上おまえにゾ号など遂行させはしない! おまえを、オレのようにさせはしない……!」
鉄ヶ山の、本条に対しての呼びかけだ。
「……疑わしきは罰するのが君のはずだ! 情が油断を、地獄をうむんだ! 見せしめは、過ちに向かおうとする流れの出鼻を挫くために必要なこと!」
「これは見せしめなのか! ムツ! 違うだろう! これは犬の仕事だ! いや、犬でさえ意思を持っている!」
「そうとも! これは兵隊の仕事さ! 思考も意思も目的のために隅に追いやり、行動に専念する兵隊の仕事だよ!」
「ならば、オレが納得すると思うか! 善良な市民を生贄に捧げるような行為を、オレが認めると思うか!」
「善良な市民など世迷言にすぎない! そのことを君も知っているだろうに!」
雨のように鞭が降り注ぐ。
本条の鞭は長さが変わる。細く、長く、より鋭利に。そして速く、重くなって敵を襲うのだ。
この鞭のすべてを避けきることは不可能だ。
寸断される鏡に中に映る鉄ヶ山の像。それは未来を映す鏡なのかもしれない。
人ならばそうだろう。人ならば。
「おおおおお!」
鉄ヶ山の仮面、額の輝きが強さを増していた。
それは、命の輝き。
アームランサーの割れた先端から光が吹き出る。暗い光の刃である。
「ムツ! ……おまえの番がきた!!」
本条の姿はこの部屋に入ってから一度も目には見えていない。
「な……に……! シンはそんなことは言わない!! おまえは! シンじゃない!!」
ただ、激昂する声が、本条の苦しみを力として発露させていることを示していた。
鏡の中の鉄ヶ山が叫んでいるかのように本条の声が響いて、本条が叫んでいるかのよいうに鉄ヶ山の声が響く。
「もう作戦なんて知るもんか! シンは死んだ! 百戦鬼の亡霊を消す! いま! ここでぇ!」
空間を満たすように縦横無尽に鞭が広がる。生命を寸断する切っ先が四方八方に花開く。
「一撃だけでいい! もってくれ!」
いつだって思いは無茶を求める。いつだって思いは道理を超えようとする。
過剰なまでに切り刻もうとする蛇の群れに鉄ヶ山は飛び込んでいった。
凶気の糸は力場でできた刃にまとわりついて、アームランサーを持つ鉄ヶ山の腕までも巻き込んでく。
鉄ヶ山の顔の横を、指が数本舞った。
「シン……!」
本条の眼に、鏡に隔てられて見えないはずの鉄ヶ山の姿が、はっきりと見えた。
茨の茂みを掻き分けて、自分のもとへ来ようとしているかのようだった。
眼窩に涙が満ちる。
そして、鏡の向こうから、優しく、優しく、刃が突き立てられた。
痛みはなく、暖かくて、なぜか、嬉しかった。
鏡の中の己に向かって突き立てたアームランサーを伝い、赤い血が流れてくる。
赤い水は鉄ヶ山の手からあふれ出る血と混ざって、とめどない紅の流れとなって地に沈んでいった。
砕け落ちる鏡の向こう、本条が立っている。
切れ端のような時間、鉄ヶ山と視線を交わすと、崩れ落ちる鏡とともに、本条の膝は折れた。
最後のエースは、落ちた。
「あ……やっぱり強いね、シンは……」
鉄ヶ山は倒れた本条に近づいてはじめてわかった。本条の左腕には小型化されたチャージャーがあったのである。
本条はチャージャーを使わなかった。ゲージアップをしなかった。
使ったならば、結果は逆だったかもしれない。いや、逆だっただろう。使わなかった理由も、おそらくそれなのだ。
本条が倒れ、鉄ヶ山が立っている。この結果のために、本条はチャージャーを使わなかったのだ。
「ムツ!」
鉄ヶ山は察した。本条睦丸は、やはり鉄ヶ山の知る本条睦丸だったのだ。
本条の体を注意深く抱え上げた鉄ヶ山は、
自分の胸に抱く。
「ムツ……! 大丈夫だ、ユリアに診せてやる。あいつならきっと! 少し待ってろ!」
「待ってシン……! そんなのいらない……いらないから、ここにいてよ」
「ムツ……ごめんな、ムツ」
「謝らないで。これでいいんだ、これで」
「オレはおまえまで……」
「ねえ、シン。間違ってたのはボクの方だよ。きっとね……ゴメンね、シン……」
「そんなことない……そうだ、ムツ、一緒に行こう。一緒に逃げよう」
「いいの? 連れてってくれるの?」
「ああ……! おまえがいれば百人力だ。オレ達は無敵のコンビだからな!」
「嬉しいな。きっと楽しいだろうな。シンと一緒なら、きっと、どんなことでもすごく楽しい……」
「ああ、きっと楽しくなる……なるから……」
「……シン、これ、覚えてる? 一緒につくった制動
「ああ。苦労したよな。失敗しまくって、結局買うより高くついた」
「ボロボロだけど、今の戦いでもちぎれなかった。新しい官給品はすぐにもげちゃったけど、こっちは無事なんだ」
「ああ、オレのもだよ。オレのもだ……」
「これ、ボクだと思って……持っていってくれないかな……?」
「ムツ!」
「泣かないでシン……ボクの願いは叶ったんだ……だから、ありがとう……シン……ボク……幸せ……」
淀んだ死の空気が、かつてあった二人の時を思い出させる。埃さえ燃える業火の中の、あの穏やかな時間を。
――うーん、そうだな……真面目に聞いてくれる?――
――いいから言えよ。笑ったりしないって――
――ボクは、どうせ死ぬなら……――
時よ
――シン、君に殺されたいな――
汝は
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