第三話・涙の荒野(B)

「た、たす、た……」

 喜劇と呼ばなければならない光景だが、それでもやはり、それは血なまぐさい惨劇にほかならなかった。

 助けられた男は、安堵を感じるはずの場面であるのに、自分を襲っていた者達の様を見て、体の硬直を解くことができなかった。助かった、という言葉すら出てこない有様である。

「助け、だよな? 助か……そう。そうだ。私は間違ってない。従ったんだから、助けは来るよな……」 

 それでも言葉にしようと繰り返し呟く。自分を落ち着かせようとしているのだ。

「来い」

 フォールの手を借りて、男が立ち上がる。

 その加工された声は、やはりどこか冷たい。

「なあ、私は合っていただろ? 間違っていたのはこいつらだよな?」

 すがりつくように男がフォールに詰め寄る。どうしても確かめたいことがあるようだ。

「……か? そうだ。あんたが正しい」

 少しの間を置いてフォールが答えた。

「そう! そうだよな! こいつらの勘違いだ……こんな奴ら! こんな奴らを使うから駄目なんだ、区長は……!」

「ほう。区長は駄目、か?」

「そうとも! あんたらもそう思うから直接私のところに来たんだろ? 『黒いわし』がなんだって言うんだ!」

「あんたにしかできない?」

「まあ、そうだろうな。私が適任だ。こういうのは基準が厳しいものだろう? パイプがあるだけの区長じゃ無理だね。あの人は取りつくろうことしか考えてないよ」

 男は少しずつ落ち着きを取り戻しはじめていた。同時に、反動からか、少しばかり饒舌になりすぎていた。

「ほかにも色々知ってそうだな」

「知っているとも! そうだな、たとえばあの人の書いた『次代への舵』って小説を知っているよな? 隔離地域の実態を描いた哀しくも美しい物語だとか言って流行したが、ありゃゴーストが書いたんだ。もっとも、あんなもの、細歩の人間は読まないがな!」

「……ハハッ、ハハハッ! そうか、そんなことまでしていたのか。『次代への舵』、本当の作者はこの土地の人間だ。女の子だった。ゴーストじゃなく、盗んだんだ」

「……へえ」

 男がにやけるような顔をした。フォールも自分と同じだと思ったからだろう。

 しかし、それは間違いだった。

「一つわかったことがある」

「なんだ?」

「あんたは助かってなどいない」

 フォールの冷たい声が、冷たい言葉を唱える。

 突然の言葉。唐突な言葉。はき捨てるような言い方だった。

「もう一度言う。あんたは助かっていない」

 フォールの言葉を聞いた男は目を丸くした後、周囲を見回した。まだ敵がいるのかと思ったのである。

「違う。ここだ」

「どこだ? おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃない。あんたの敵はここにいるんだからな」

「……なにを?」

「オレはあんたを助けに来たガーダーじゃない。たまたま助けることにはなったがな。それも気が変わった。加えて、あんたに話を合わせいて気になったことがある。あんたには洗いざらい吐いてもらうぞ」

「え、おい、なに?」

 男はほんの少しだけ後ずさったが、しかし、フォールに胸倉を掴まれ、動けなかった。

 人間一人を簡単に振り回すだけの筋力である。逆らいようがない。

「安心しろ。あんたの番はどうやらまだだ」

 フォールは男の襟首を掴むと、そのまま宙に浮かせた。

「あ、あんたガーダーだろ? 私を助けにきたんじゃないのか……?」

「違うとさっき言った。まずはこの場で二つ答えろ。黒い鷲とは何者だ? あんたに話を持ちかけたのは誰だ?」

 首が絞まっているのだろう男は苦しそうにもがく。

「は、話……?」

 拠点の出入り口のすぐそばで、もうすぐ開放されるという手前で、男は地獄に戻った気になっていた。

「影の七星の行動を、静町の自警団に流すよう指示した奴らのことだ」

「そ、それは」

「大方予想はついている。先に言っておくが、そいつらは王都の、いや、『カンパニー』の意思で動いていないぞ」

「なんだと!」

「だからあんたが襲われたんだ」

 フォールは無造作に男を壁際に投げ捨てた。

 信じられないといった風に男は地面を見ていたが、フォールがせかすように片足を踏み鳴らすと、ゆっくりと窓の方を向いた。

「ちくしょう……」

 男はふところから煙草を取り出すと火をつけた。ぽっと明かりが照らす。

 壁にある窓の外を覗きながら、男は何かを考えているようだった。当然、この状況と今後のことであろう。

「さて、なにをどこまで話そうか? こいつと取引材料になるものはあるか? いや、取引は可能なのか? では、取引するためには? そもそも、取引する必要があるのか? といったところか。感心しないぞ、そういう考えは」

 フォールの言葉はいささか刺々しいものである。男の考えそうなことを挙げて逃げ場をなくそうとしているのである。

「やめてくれ。言うから」

 覚悟を決めたらしく、大きく息を吸い、窓の外を見る男。

「私に話を持ってきたのは……ある組織の……」

「ガーディアンの誰なんだ。クラスと名前を言え」

 濁そうとした言葉をフォールがストレートに問い直す。

「う……名前は……わからない。ただ、クラスは、ディプロだということだった」

「ディプロクラスだと!? 馬鹿な! ガーダーの最高位だぞ!」

「ああ、嘘じゃなければな」

「くそ……!」

「あんた本当にガーダーじゃないのか?」

「オレのことはどうでもいい……じゃあ、黒い鷲について話せ」

「いや、だが、それは」

「はっきり言う、区長は終わりだ。区長が使っていた七星も終わりだ。庇うより今吐いた方が得だぞ」

「うう……ん……あいつは……あいつの正体は……」

 男は無意識に見ていた窓の外に少し気を取られた。急に窓の外の明かりが見えなくなったからだ。

 もともと明かりが少ないので、小さな光る点にしか見えないのだが、それが消えた。急に景色が陰ってしまったのだ。

「ん……」

 この状況でそんなことはどうでもいいことだ。しかし、そのどうでもいいはずのことに意識が傾いた。

「ちょっと……」

 この違和感の正体を探るべく、窓の外を凝視する。この建物も薄暗いので、とにかくよく見えない。

 煙草を吸うと、強くなった火が窓を照らした。

 小さな光はほとんどが窓に反射されたが、窓の先もわすかに照らされていた。

 その光が浮かび上がらせたものを、男の脳が処理する前に、体の方はもう動きを止めてしまっていた。

 思考が後から追いついてきて、男の中を言い知れぬ恐怖が駆け上ってくる。

「おい!」

 フォールの声で、男は完全に体が固まってしまった。

 陰りの正体は人影であった。

 夜にまったく溶け込んでしまうほどの黒い人影が、男の高さに合わせて、その顔を覗き込んでいたのだ。

 助けて、と言う暇もなく、思う暇もなく、窓をつき破って、影の手が男の首を掴んでいた。

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