第83話 あかべこの牛ホルモン
「あ、目を開けたよ」
「芽衣紗、大丈夫か?」
診察室に寝かせられた芽衣紗が、目をパチクリさせてガバッと起き上がった。
「トワ⁉」
目覚めたばかりの芽衣紗が周りを見て現状を把握すると、顔をクシャっと崩して脈を取っていたエマに抱き着いた。
「エ……エマー。トワがスプラッタにされちゃったよー。龍人のやつ……マジで覚えてろよ」
声を上げて泣く芽衣紗に、エマが「よしよし」と言って頭を撫でている。
いきなり倒れたから心配していたけど、とりあえず意識が戻って良かった。まだ気持ちは落ち着かなそうだけど。
ひとまず芽衣紗の無事を確認した私は、みんなの邪魔をしないようそっと診察室を出た。
そして向かったのは、もう一つの部屋。そっとノックをして扉を開ける。
「シルビアお母さん、お父さん。入っても大丈夫?」
「もちろん。入ってきてください」
朝の様子を思い出して恐る恐る中に入ると、私を見て満面の笑みを浮かべる母のシルビアが両手を広げてくれた。歓迎の合図に、喜びを溢れさせた私が母の胸に飛び込んでギュッと抱きしめる。
暖かくて柔らかくていい匂いがするシルビアに包まれ、私は心の底から安心するのを感じた。
「お母さん、調子は大丈夫なの?」
「ええ! かわいい娘の顔を見たら元気になっちゃいましたよ」
「もう、お母さんったら」
クスクス笑う私とシルビアに、横に座っている父のエーファンが焼きもちを焼いた。そんな父を慰めるようにハグをした私は、両親との幸せなひと時を噛み締め、あまりの居心地の良さにいつまでもこのままでいたいと願った。
しかし、今はその時ではない。そう自分に言い聞かせ、私は今後のことを伝えるために姿勢を正して座り直した。
そして、芽衣紗がヒステリーで倒れた後の話し合いで確認した、今後の方向性を両親に伝える。
「二人に話があるんだけど……」
他人の魔石で力をつけた上に、永遠の命を手に入れるジュダムーアと対抗するには、かなりの戦力が必要だ。勝負は奴のゲノム編集が終了する120日間。その間にこちらの戦力を整え、ジュダムーアを王の座から引きずりおろさなくてはならない。
それに必要なのが私の力。
私のアマテラスで全員の戦力を底上げし、一気に攻め落とす。これを確実に成功させるために必要なのが、魔力を増幅させる杖なのだが。
龍人の話だと、最後の戦いで壊れてしまった私の杖は、以前別のシルバーの人が使っていた杖を再利用して作ったそうだ。
美容整形手術の代金として龍人が杖を譲り受けたのだが、滅多に手に入るものではない。それに、素材が古いと耐久性も低く、また壊れてしまう危険がある。
だから、新しい杖を手に入れるため、まず最初に私たちはその材料を調達する旅に出ることにした。
その場所は、ガイオンの祖国イルカーダ。
遠く離れた異国の地。
きっとしばらくここには帰ってこれないだろう。
「お母さん、お父さん。またしばらく会えないけど、必ずみんなで幸せに暮らせる国にするから。それまでに元気になってね」
「本当は一緒に行きたいんですが……自由にならない体が今ほど恨めしく思ったことはありません。シエラ、気をつけて行ってきてくださいね」
「お母さんのことはお父さんに任せて、安心して行っておいで。そして、平和になったらお父さんにも色々な世界を見せておくれ」
「はい。お父さん、お母さん」
少しでも一緒の時間を惜しむように親子三人で抱擁を交わしていると、部屋の外からユーリの声が聞こえてきた。
「おーい、シエラ! 今日の夕飯は外でバーベキューだぞ。早く来いよ!」
少し調子の良くなったシルビア、エーファンと一緒にトライアングルラボの外に出ると、すでにみんな集まっていた。
次々に肉と野菜を串に刺しているのは、腰から下だけのエプロンをつけたサミュエルとユーリだ。
そして、一足先に地酒コウフクの樽を開けて宴会を始めているガイオン、グリルの火を起こそうとうちわで
氷で飲み物を冷やしていたアイザックが私たちの到着に気が付くと、手を止めて小走りで近寄ってきた。そして、右手を胸に当ててシルビアの前にひざまずく。
「シルビア、動いて大丈夫か」
「はい。心配をかけましたね。ここまでシエラを助けてくれて本当にありがとうございました。さあ、堅苦しい挨拶は終わりにして、もう立ってくださいな」
アイザックの礼儀正しい姿に、「そういえば昔、シルビアの護衛をしていたんだっけ」なんて思い出していると、今まで横にいたはずのエーファンの姿がなくなっていた。
どうやらエーファンはガイオンに拉致されたらしく、がっちり肩を組まれたままグリルの前に座り、差し出されたコウフクで乾杯をしている。そして、戸惑いながらグイッと酒を飲み干した。
『枯れ木』と呼ばれ続けた私は、父と自分の心境を重ねながらその光景に思いを馳せる。
エーファンは少し前までエルディグタール城の薄暗い地下で暮らし、シルバーやガーネットの下で働いていたのだ。
人種差別が根強いこの国では、シルバーであるガイオンは下働きが気軽に口を利くことも許されない相手。それが今では、肩を並べて酒を酌み交わしているのだ。戸惑うのも当然だろう。
でも私は、人種の壁も無くみんなで肩を寄せ合うこの光景がとても好きだ。
育ての母ユリミエラが言っていたように、髪の毛の色なんかで人の価値は測れない。人種なんかにとらわれず、これが当たり前になればいいのに。
私が長年育った孤児院を思い出した時、どこかから香ばしい良い匂いが漂ってきた。自然とよだれが出てくる。
「うわ……すっごくいい匂いがする。何を焼いているの?」
匂いをたどってグリルの側にやってくると、芽衣紗がニヤリと笑った。
「ふっふっふ。いい匂いでしょ。なんたってこれは、お兄ちゃんが一万年前から大事に保存していた『あかべこ』っていうお店の牛ホルモンなんだから。もう二度と手に入らないから特別な時にだけ食べてたんだけど、私のトワをスプラッタにした仕返しに次元固定装置から全部出してきてやったんだ。芽衣紗様を怒らせたら恐ろしいんだって知らしめてやる」
ふははは、と芽衣紗が悪魔のように不気味な顔で笑った。
やはり、龍人の妹なだけあってそっくりだ。
それにしても牛ホルモンと呼ばれた肉。
初めて見たけど、かなり味に期待が持てそうだ。
タレに漬け込んだホルモンを網に乗せると、炭火であぶられたタレから香ばしい匂いが放たれた。ジュワジュワとその身からあふれ出る肉汁が食べごろを知らせる。端っこが少し焦げて、本当に美味しそう。
私がクンクンと鼻を利かせていると、芽衣紗が「はいっ」と一つお皿に取ってくれた。それを受け取った私は、立ち昇る湯気にフーフー息を吹きかけ、遠慮なくパクッと一口でいただく。
噛むごとに溢れてくる甘じょっぱい肉汁と、鼻に抜ける肉の香りは「間違いなくこの世で一番美味しい食べ物だ」と確信させた。
「おぉぉ……おいひぃ~!」
「でしょでしょー⁉ ジュダムーアじゃなく、あかべこのマスターに永遠の命をあげたかったよ。そしたらこの味がずっと楽しめたのに」
私に続き、芽衣紗がパクッと頬張って顔をほころばせた。
確かにこれは、後世にも受け継ぎたいほど美味しい。龍人に頼んだらマスターを復活させてくれないだろうか。
そんな算段を立てていると、芽衣紗が思い出話をしてくれた。
「あかべこはね、私たちの故郷にあった焼肉屋さんなんだ。マスターが一人で経営していたんだけどね、女子だけに食後のアイスをくれたり、ケーキみたいに大きい卵焼きを焼いてくれたり、頼んでないのにご飯が山盛りになってたり……ちょっと風変わりなお店だったんだ。でも、無くなっちゃった。いつもあるのが当たり前だったのに。当たり前のことなんて、本当は何一つないんだよね」
寂しそうにする芽衣紗が、何かを思い出して「ふふふ」と笑ってさらに話を続ける。
「お店は小さくて煙だらけで汚かったんだけど、マスターの人柄が良くっていっつも満員でさ。メニューも全部天下一品だったの。その中でも一番おいしかったのがこの牛ホルモン! 龍人はなんとかこの牛ホルモンを再現できないかって悩みながらジャウロンを復活させたんだ」
「え? ジャウロンってこんな味だったっけ?」
「ふふふ! ジャウロンの腸はこんな味。サミュエルが狩ったジャウロンの腸は、いっつもダイバーシティに届けられていたから、シエラちゃんたちは食べたことないのかもしれないな」
そういえば、最初にトワと会った時、ジャウロンの肉を沢山持って帰ってたっけ。
こんなに美味しいなら、これからは私も食べたい!
「じゃあ、今度からは私にも少し分けてくれる?」
「ラジャー! そしたらサミュエル、このタレの味覚えておいて。あとで調合お願いね」
芽衣紗が牛ホルモンを一つ摘まみ、無理やりサミュエルの口に放り込んだ。
「熱い! ……けど美味いな」
はふはふしながら咀嚼するサミュエルが満足そうに唸ると、それに続いてみんなもバーベキューをつつき始める。
一万年経っても名店『あかべこ』の美味しさは共通で、ワイワイ騒ぎながら牛ホルモンをきれいにたいらげた。美味しい食べ物でみんな笑顔になっている。
随分前に人種の壁を取っ払った私たちは、明日からの旅を前に遅くまでバーベキューを楽しんだ。
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