第75話 運命の分岐点 中編

 ……どうしてコイツは俺の本当の妹じゃないんだ。


 俺の手の中で眠っている、小さく儚い命の温もりを感じながら、悲しい気持ちでシエラの頬に触れた。


 これは、生まれてはいけない混血の子ども。

 人種を越えて愛し合うことは、この国では死に値する。


 だから、「罪を犯した自分達といればすぐ殺されてしまう」。そう言って、コイツの両親はこの子を置いて去ってしまった。


 混血の俺が両親を殺されたように、きっとコイツも、その両親もあっさり死ぬだろう。


 でも、そんなこと知ったこっちゃない。

 コイツの親は、俺の両親を殺した男。

 今度は俺が仕返しに、この子どもを殺してやる。


 そう思っていたのに……。

 記憶の中の俺の両親が、二人とも自信満々の顔で言うんだ。


「サミュエルはきっといいお兄ちゃんになるわね」

「さすが父さんの自慢の息子だ!」


 コイツを見るたびに、どうしても自分を大切にしてくれた両親の顔が浮かんでくる。


「いいお兄ちゃんか……」


 しかし、恨みを抱える自分には、この小さな命を大切にする自信が無かった。

 自分に託された命すら守れないのに、なにが良い兄だ、なにが自慢の息子だ。俺はただの役立たずじゃないか。

 そう思って、握りしめた拳で太ももを何度も殴る。


 両親の期待に添えられない自分を情けなく感じ、罪悪感と絶望感を感じながらポツリと呟いた。


「お前が本当の妹ならよかったのにな」


 すやすや眠っている赤ん坊に向かって口にしたのは、永遠に届くはずがない願い。


 叶わない願いをすぐに諦め、せめて自分の代わりにコイツには幸せになってもらおう。そう思った俺は意を決して、自分が飛び出した孤児院の扉を再び叩いた。





 それから十三年。

 その時は突然訪れた。


 ドンドンドン!


 誰かが小屋の扉を叩く。

 こんな辺鄙へんぴな場所に訪ねてくるなんて、きっとろくな輩じゃない。

 そう思ったのもつかの間、聞こえてきたのはいつも遠くからひっそりと聞いていた二人の声だった。


「すいません! どなたかいますか? 開けてください!」

「お願いします! 開けてください!」


 俺は、「まさか」と呟いて固まった。


 なんであいつらがここに来るんだ……。

 嫌なことばかり思い出すから、できれば関わりたくないのに。


 この世で一番会いたくない二人の訪問に、柄にもなく緊張した俺はやっとの思いで「帰ってくれ」とだけ言って二人を締め出した。そして扉を背にして額の汗を拭うと安堵の息をつく。

 きっとほっとけば、諦めてそのうち帰るだろう。そう思った。


 しかし、なんだか外の様子がおかしい。

 しばらくして、ユーリの名を呼ぶシエラの叫び声が聞こえてきた。

 尋常じゃない様子に、自分が出て行かなくてはならないことを悟る。


「なんてことだ……」


 ただ不審な男たちを倒すだけ。

 それだけだ。

 俺とあいつらは住む世界が違う。

 これが終わればまた他人に戻るはずだ。


 そう自分に言い聞かせて、二人を助けるためにもう一度扉を開けた。





 シエラとユーリが初めて小屋を訪れた夜、俺は心がざわついて落ち着かなくなり、二人が寝たのを確認してから外へ出た。

 妙に両親が恋しくなり、父親とたまに採りに出かけたエクルベージュの実を探す。そして、真夜中の森に一際輝き、食べ頃を迎えた果実を3つもいだ。

 こうして両親との思い出に触れる時だけが、心を落ち着けられる時間だ。


 この実を両親の墓にそなえにいこう。

 そう思って小屋に戻った。


 すると、寝ているはずのシエラが外で肩を落として座っているじゃないか。

 その姿が幼い頃、一人ぼっちになったばかりの自分と重なり、再び心がざわつく。


「なんだ、眠れないのか」


 気が付いたら、いつの間にか声をかけていた。

 シエラが驚いて俺を見たが、驚いたのはシエラだけじゃない。自分でも声をかけたことに驚いていた。

 

 そして、寂しそうにするシエラを見ると何かをしてやらなくてはいけない気持ちになって、両親にそなえるはずだったエクルベージュの実を一つ、ポンと投げて渡した。

 すると、シエラは「美味しい」と言ってバクバク食べ始めたので、元気が無いように見えただけで、実は元気なんじゃないか? と疑い始めた。

 しかし、やはりふとした時に見せるのは、自分と同じようにどこか寂し気な表情。

 あの時の、両親を失った時の自分を思い出し、自然と言葉が口を突いて出た。


「……生きていればどうにでもなる」 


 ユリミエラは俺の両親と違って死んだわけではない。

 俺の両親も、生きてさえいてくれれば希望があったのに。


 悲しみがよみがえってきた俺は、気持ちを悟られないように慌ててその場を去った。

 食べかけのエクルベージュの実を、きょとんとした顔で持っているシエラを残して。


 思えばこの時から、俺はシエラに自分自身を投影し始めていたんだろう。

 




 だが、シエラは俺と違って素直だ。

 たまに変なところで落ち込むが、基本は飯を食わせておけば元気になる。

 単純で羨ましい。

 

 ただ一つ挙げるなら、自分の気持ちを隠してなんでもないフリをするところだけはそっくりだ。演技が下手で、すぐにバレるが。


 だから、落ち込んだ顔をしているシエラを連れてクロムオレンジの木に登り、誰もいないところでわざと痛いところを突いてやった。

 簡単だ。

 俺が言われたくない所をついてやればいいだけだからな。

 

 しかし、実際はそう簡単にはいかなかった。

 シエラに向けて放った言葉が、自分自身に返ってくる。


「お前が前を向かなくてどうするんだ」


 そんなこと言ったって、前を向けるもんならすぐに向くさ。そんな単純なことすらできないから困っているんだ。


 シエラに言っているうちに、だんだん不甲斐ない自分を思い出して腹が立ってきた。


「お前はいつまでも自分の未来を不安や悲しみで埋め尽くしていたいのか? どうなんだ⁉︎」


 もはや、シエラに言っているのか自分に言っているのかあいまいになっていた俺が乱暴に言葉を吐き捨てると、目の前で震えだしたシエラは言った。

 言いたくても、俺には言えなかった言葉を。


「そんなの嫌だよ!」


 シエラのまっすぐな瞳が、俺のよどんだ心を射抜いた。


 嫌なことを嫌と言える。

 自分の感情に正直に生きる。

 それが俺にとっては眩しく見えた。


 そんな俺はまだ、暗闇の中をさまよい続けている。


 やっぱりコイツは俺とは違った。

 きっと俺よりも強く生きていける。

 それでいい。

 俺の代わりに、まっすぐ育て。


 俺の役目はこれで終わりだ。

 だからもう許してほしい。


 いいだろ?

 お父さん、お母さん。

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