第74話 運命の分岐点 前編

「サミュエルの心の中⁉」

「そう。ほら、あそこにいるだろう」


 八咫やたが指をさした方を見ると、さっきまでは何もないただの真っ暗闇だったはずなのに、今は年端も行かない男の子が膝を抱えて座っていた。いつの間にあらわれたんだろう。


 今の風貌とは全く違うが、よく見ればいつも悲しそうにしているサミュエルの面影がある。八咫の言う通り、やはりこの子がサミュエルなのだろうか。


 私は近づいて声をかけてみた。


「ねえ、君の名前は……」


 そう言って、悲しそうな顔で膝を抱える少年の肩にそっと手を振れた。

 すると、瞬きをしている一瞬の間に景色が変わった。




 場面が変わり、ここは暗闇ではなくサミュエルの小屋の前。


「わ! びっくりした! なんでサミュエルの小屋に……ねえ、八咫……」


 八咫に文句を言おうとすると、私は見知らぬ男の人の膝の上にいることに気がついた。しかし、その人はなんだか苦しそうに額に汗を浮かべている。具合が悪そうだが、大丈夫なのだろうか。


「……誰?」

 

 その人が慈しむような目で私を見て、顔が良く見えるように私の前髪をよけて優しく頭を撫でた。


「サミュエル、気が付いたか」


 私のことをサミュエルと呼んだ男の人を見ると、なぜか分からないが私の心が高揚し誇らしい気持ちが湧いてきた。


 ————やっぱりお父さんはヒーローだ!


 喜びで自然と笑顔になった私の口が勝手に動く。


「さっきのおじさんはどうしたの? やっぱりお父さんがやっつけたの?」


 そうだよ、という言葉を期待して待ったが、お父さんと呼んだ人は期待した言葉ではなく「サミュエル、愛している」とだけ言って、ドサッと地面に倒れた。


「お父さん? ……お父さん!」


 何が起きたのかすぐには理解できなかった。


 少し時間が経つと、自由の利かなかった自分の体がだんだんと動くようになり、なんとか腕を使いながら移動して父の顔をのぞきこむことができた。

 そして、父の頬に手を当て何度も名前を呼んでみる。しかし、いつまでたっても父が目を開けることはない。


 僕のお父さんは世界一強いから、誰にも負けるはずがない。

 きっと今は、疲れて寝ているだけだ。

 元気になったら、また一緒に鳥に乗って大空を飛ぶんだ。


 そう思い込んでみたものの、次第に体温を失っていく父の頬は「もう二度と目を開けることは無い」と語っていた。

 少し離れた場所には、お腹の大きな母親が父と同じように冷たくなって横たわっている。


 少し冷静になった時、自分の右目が見えていないことに気が付いた。いや、見えていないのではない。右目が無くなっていたのだ。

 そう言えば、両親を襲った男が自分の頭を吹き飛ばしたはず。きっとその時に右目を失ったんだろう。しかし、それなのにどうして僕は生きているんだ。


 もしかしてお父さんが……。


 太陽が沈み、暗闇が訪れたことにも気が付かず、ただ黙って父の前で座り続けた。


 ————サミュエル、愛している。


 父が最後に言った言葉が頭の中で響き、大好きな両親が死んでしまったことを知った。




「いやぁぁぁぁぁ!」




 気が付くと私は泣き叫んでいた。


 今のは、私の声? それとも……。


 いつの間にか頬を滝のように流れている涙に触れ、その指先を見て自分が泣いていたことに初めて気が付く。


「この子は六歳のサミュエル。彼の人生の最初の分岐点」


 聞こえてきた声にハッと顔を上げると、穏やかな顔の八咫が私を見ていた。

 目の前にいる少年のサミュエルは、私たちの声が聞こえていないのか最初と変わらず膝を抱えてジッと座っている。


「今私が体験したのは、サミュエルの過去なの?」


 私は大きな悲しみが渦巻いている心を落ち着かせるために、大きく顔を振って問いかけた。

 しかし、八咫は私の質問には答えず別の場所を示す。


「さあ、次はこっち」


 どうやら私の質問に答える気はないらしい。


 悪いけど、私は今サミュエルを通して自分の父親が死んだと同然の経験をしたばかりで、とてつもなく悲しいのだ。他のことを考える余裕なんてない。まずは自分の気持ちを整理させてほしい。

 私は鼻をすすりながら八咫に抗議した。


「ちょっと待ってよ。こんなことして良いの? 勝手にサミュエルの過去をのぞくなんて、後ですんごい怒られそうなんだけど」

「サミュエルはずっとこの気持ちを抱えて生きている。気持ちが整理できたことはないんだ。シエラが落ち着いても意味がない。さあ、こっちへ」


 言葉で言った質問ではなく、心の声に答えてきた八咫に、私は驚いてギクッと体をこわばらせる。


「……もしかして、私の考えていることが分かっちゃうの?」


 改めて普通の人間ではないことを実感するとともに、隠し事はできないんだなと悟った私は、恐る恐る八咫の指し示す方に目を向けた。


 そこには、顔の右半分を髪の毛で隠す、子どものサミュエルが立っていた。


 ……ええい! こうなりゃヤケだ。サミュエルを助けるためだもん。後で文句を言われようが何をされようが構うもんか。やるだけやってやる!


 そう覚悟した私が再びサミュエルに触れた。




 目の前に広がる見慣れた景色。

 ここは、私が育った孤児院だ。


 二階の寝室に、私の育ての親ユリミエラと、城で初めて会ったユーリの父リヒトリオがいる。ユリミエラが大切そうに抱えているのは、生まれたばかりの赤ん坊。きっとあれはユーリだろう。ということは、これは14年前、つまり、サミュエルが11歳のころの記憶だ。


 私はサミュエルの体を通して柱の影からそっとのぞく。


 こうしてサミュエルがユリミエラを見た時の感覚は、私にも覚えがあった。

 あれは私が五歳くらいの時。ユーリとユリミエラが楽しそうに二人で笑い合っている姿を見た時だ。

 

 そして、今もその時と同じように羨ましく思う。


 ————僕ももう一度、お父さんとお母さんに会いたい。そして、産まれてくるはずだった僕の弟か妹を、一度でいいから抱いてみたい。


 激しい羨望と嫉妬がわき起こる。

 胸が苦しい。

 絶対に解消されることはないこの思いを打ち消すように、頭を思いっきり振って孤児院を飛び出した。


 外に出ると、何かが背中に当たった。軽い痛みに驚いて振り返ると、石を持っている村の子どもたちが見え、自分に向かって石を投げたのだと気が付く。


「やーい! 一つ目のおばけ!」

「気持ち悪いからこっちに来るなー!」


 意地悪な村の子どもたちの視線がいたたまれず、逃げるように孤児院の裏山に向かって走り出した。


 僕の居場所はどこにもない。

 誰にも必要とされていない。

 生きている価値がない。


 僕がいたから、お父さんもお母さんも死んでしまった。

 僕さえいなければ誰も不幸にならなかった。

 いっそのこと、生まれてこなければ良かったのに!


 いろんな思いが渦巻く中、ただひたすら走り続けた。そして気が付くと、大好きな両親の思い出が詰まっている懐かしい小屋にたどり着いていた。


 誰もおらず静まり返った小屋の扉を開け、小さく呟く。


「ただいま、お父さん、お母さん」


 もちろん誰からも返事は返ってこなかった。

 一瞬だけ幸せだったころの記憶がよみがえるが、現実に戻ると改めて自分はひとりぼっちだと知り、さらに孤独感が襲う。


 それでもいい。

 自分の居場所はここにしかない。

 

 唯一の居場所を見つけ、それを噛み締めるようにゆっくりと目を閉じた。

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