第67話 この国の未来

「待て、イーヴォ!」


 イーヴォに抱えられている私の後ろから、ユーリの声が聞こえてきた。

 いつもピンチを救ってくれる兄の声に、自分を助けに来たのだと瞬時に悟る。


 ……ユーリが来てくれた!


 安心したのもつかの間、何かが衝突したような物々しい音が聞こえてきた。

 何が起きているんだろう。

  ユーリに何かあったんじゃないかともどかしい気持ちで体を動かしてみるが、がっしり掴まれて身動が取れず、私は振り向くこともできない。


 ……うー、すぐそこにユーリがいるのに。どうにか抜け出せないかな。

 あ、そうだ!


 私は、孤児院の裏山で男に髪の毛を引っ張られた時、手をこじ開けようと力を込めたら男が怯んだことを思い出した。

 あの時は無自覚だったけど、もしあれが私の魔力のせいだったとしたら。


 イチかバチかで、私を抱えている手に向かって力を流し込んでみた。すると、思った通り力が少し緩み、それに驚いたイーヴォの足取りが遅くなった。


 よし、このまま思いっきり力を流し込んで……。


 やっと解決の糸口を見つけた時だった。

 ゴォォ! と燃え盛る炎が、龍のようにうねりながら私たちの前に立ちふさがった。熱風が顔に吹き付ける。


「うわぁっ!」


 生き物のように形を変える炎が私たちの周りをぐるっと取り囲んだ。逃げ道を塞がれたイーヴォが足を止める。そして、炎が何事も無かったかのように姿を消すと、薄れゆく炎の間から怒りに燃えるサミュエルが姿を現した。漏れ出す気迫に長い髪の毛があおられ、緑色の右目が凄まじい殺気に満ちている。


「イーヴォ。お前、覚悟はできてるんだろうな」

「くっ……もう追いついてきたのか」

「さあ、シエラを返せ!」


 じりじり詰め寄るサミュエルに、イーヴォが後ずさりながら言った。


「だめだ。シエラちゃんはノラを助ける最後の切り札なんだ。絶対に渡すもんか!」

「良いだろう。力づくで奪い返してやる」


 剣を構えて睨むサミュエルが、ビュンと勢いよく剣を横に振る。すると、剣の弾道から矢のような炎が飛び出し、次々にイーヴォを襲った。

 イーヴォは体をよじって矢をよけようとするが、私を抱えていて思うように身動きが取れず、よけきれなかった一本が肩をかすめる。思わず私から手を離したイーヴォが苦痛で顔をゆがめながら焼けた肩を押さえると、私の鼻に微かに肉のこげた匂いが届いた。


「うっ……。こんなことで僕は諦めない。絶対に諦めるもんか!」


 そう叫んだイーヴォが、胸元から何かを取り出して床に思い切り叩きつけた。


 それがボンッと弾けると、花のような香りの煙がもくもくと廊下いっぱいに立ち込めていく。まるで雲に飲み込まれてしまったかのように何も見えない。


「きゃっ! なにこれ、前が見えない」

「く……小癪こしゃくな!」


 きっと、サミュエルの視界を遮って逃げるつもりなのだろう。

 そう思った私は、二度と捕まらないぞと、できる限り両腕をぶんぶん振り回した。

 近寄ってきたらこれで殴ってやるんだ!


「えいえい! このー! げほげほっ。もう捕まらないんだからね!」

 

 どうだ、参ったか!


 私のブンブン攻撃が功を奏し、イーヴォは私を捕まえることができないまま、煙が晴れて周りが見えるようになってきた。


「ふん、どうやら私の勝ちみたい……ね」


 私は勝利を宣言しようとして言葉を失った。

 私の隣に、もう一人の私がいたのだ。

 

「え! やだ、イーヴォってば、私に変身したの⁉」

「え! やだ、イーヴォってば、私に変身したの⁉」


 私は私を見つめて愕然とした。


「ちょ、ちょっと、真似しないでよ!」

「ちょ、ちょっと、真似しないでよ!」


 私に化けたイーヴォが、全く私と同じ行動をする。


「どういうことだ? ……気の色まで変えたのか」


 サミュエルが首を小さく横に振りながら目を細めた。私は、困惑して見ているサミュエルに必死で訴える。


「サミュエル、私が本物だよ! だーかーら、真似しないでってばぁぁぁ!」

「サミュエル、私が本物だよ! だーかーら、真似しないでってばぁぁぁ!」


 私が地団駄を踏むと、イーヴォも同じように地団駄を踏んだ。

 寸分も狂わずに真似をする技術に関心しつつも、だんだんと腹が立ってくるのを感じる。


「あー、もう! イーヴォのばかぁ!」

「あー、もう! イーヴォのばかぁ!」


 まずい。

 まずいまずいまずい!

 どうにか私が本物だって気づいてもらわないと!


 ……

 …………

 ………………思いつかない!

 

 解決策が思い浮かばない私がムキーと青筋を立てると、サミュエルがびしっと指をさして言った。


「今から質問するから、一人ずつ答えてみろ。本物なら答えられるはずだ」


 なるほど!

 その簡単な手があったか。


 早くここを出たいので、早速サミュエルの質問を受けていくことにした。

 最初に答えるのは私だ。一瞬で終わらせてやる。


「じゃあ、右側のシエラ。誕生日は?」

「た、誕生日⁉」


 よりによってなんでその質問⁉


 孤児院では、その月に生まれた子どもをまとめてお祝いする。それに、一か月間ずっと祝ってくれるので、その月全部が誕生日みたいなものだ。だから、孤児院では誕生月しか意識していない子どもがほとんどだ。私を筆頭に。

 いくら考えても答えは出ない。私はなんとなく覚えている感覚を頼りに答える。


「ええと、ええと、十月一日!」

「ぶー。十月二十日だ」

「えー! そうだったっけぇぇぇ!」


 曖昧な記憶で答えたら全然違った。当の本人よりも、赤ん坊の私をとりあげた人の方が良く覚えているようだ。


 どうしよう、このままでは偽物認定されて、サミュエルに殺されてしまうかもしれない。


 涙目で頭を抱えていると、次にイーヴォの質問に移った。


「じゃあ、左側のシエラ。初めて空を飛んだ時に俺と一緒に食べたものは?」


 そんなの、クロムオレンジに決まってるでしょ!

 ラッキー問題じゃん。

 なんでそっちの質問にしてくれなかったの?

 サミュエルのばかぁぁぁ!


「えっとぉ、確か…………ク、クロムオレンジ?」

「正解だ」


 イーヴォが扮するシエラが、勝ち誇ったように微笑んだ。


 あぁぁぁぁぁぁ、ちゃっかり正解してるよ!

 これで私の偽物が決まっちゃう!


 うろたえる私が質問を続けてもらおうとしたが、冷たい目をしたサミュエルがまっすぐ前に剣を構えた。


「ちょっと待って! もう一問……」

「もう終わりだ」


 サミュエルは一切聞く耳を持たず、剣の先からメラメラと炎を噴き出させた。

 私は頭を抱えてしゃがみ込み、恐怖におののく。


 灼熱の風が先に体に届き、炎が後を追ってやってきた。


 あぁ、お母さんに会えたばかりだったのに。

 私はカン違いされたままローストジャウロンに…………


 なっていない。


「あれ?」

「うわぁぁぁ!」


 いつまでも黒焦げになる気配がなく、おかしいと思った私は目を開けた。そして横を見ると、イーヴォが吹き飛んで元の姿に戻るのが見えた。


「え? どういうこと?」


 ポカーンとする私に、サミュエルがツンとしながら答える。


「お前は、自分の誕生日は忘れても食い物のことは忘れないだろ。……それに、クロムオレンジはお前にとって特別だ。一瞬たりとも迷いが生じるはずがない」

「サミュエル……」


 思っていたよりも自分のことを理解してくれているサミュエルに、私は目を丸くした。そして、胸がほっこり暖かくなり「えへへ」と笑うと、気持ち悪いと言ってサミュエルが顔をしかめた。


「そのふざけた顔を何とかしろ。さっさとここを出るぞ」


 私とサミュエルが地下へ戻ろうと走り出した時だった。

 イーヴォが向かおうとしていた大きな扉が、ギギギーと重たい音をたてて開く気配を感じる。そして複数の足音と、男の怒鳴り声が聞こえてきた。


「何者だ! 止まれ! 止まらないと殺すぞ!」

「止まるな、シエラ!」


 サミュエルが、後ろを振り返ろうとする私の手をグッと引っ張った。

 どうかこのまま逃げ切りたい。そう祈りつつ、ギュッと潰れそうなほど縮み上がっている心臓を押さえ、サミュエルに導かれるまま地下を目指して走り続けた。

 

 すると、後ろから弾丸のような魔法が飛んできて、私の頬をかすめた。それを皮切りに、背後から雨のように敵の攻撃が飛んでくる。それに負けじと、サミュエルが何度も炎を放って防ぐ。


「くっ、数が多いな」


 怖い。

 明らかに自分たちを殺そうとしている兵隊たちに、身の毛のよだつような恐怖を感じる。次から次にピュンピュンと飛んでくる魔法。殺意のこもった攻撃に、考える余裕を無くした私は前に進むことだけを意識した。


 多分、実際はほんの数分の出来事に過ぎないだろう。しかし、焦る私にはスローモーションのように長く感じた。最悪の自体になってしまったことに恐怖を抱くと、今度は凛とした若い男の声が廊下に響き渡った。


「随分と騒がしいな。一体何をしているんだ」


 その声が聞こえると、今まで降り続けていた攻撃がぴたっと止まった。

 代わりに、今度は重力が十倍になったかのようにズシッと体が重くなり、明らかに異変が訪れたことを知る。足が思うように進まないし、呼吸が上手くできない。


 サミュエルに吹き飛ばされて息も絶え絶えのイーヴォが、「枯れ木のシエラを連れてまいりました、ジュダムーア様!」と言うのが耳に届いてきた。


 ジュダムーアが、ここに来た。


 そう分かった途端、苦しそうに顔をゆがませるサミュエルが私に向かって叫び、振り返って敵に剣を向けた。


「お前はそのまま行け!」


 サミュエルは自分一人だけここに残ろうとしているようだ。

 しかし、置いて行けるはずがない。

 ジュダムーアに対する恐怖だけじゃなく、サミュエルを失うことへの恐怖を感じ、私の息が震える。


 そんな私の心を見透かすように、再びサミュエルが怒鳴った。


「止まるな! お前が捕まればこの国に未来はない。いいから行け!」

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