涙のない鬼と血のない魂売師

番外編 涙のない鬼と血のない魂売師 い

 直に明け方だ。

 地平線の果てからは、すでに太陽が顔をのぞかせようとしている。

 少し旅程を誤ったか、と純白の山伏装束に身を包んだ少年は若干の後悔とともに心中で呟く。

 年の頃は十五になるかならないかだろう。利発そうな顔立ちをしている。


 ――まさかここに至るまで、ずっと雑草ばかりが続いているとは思わなかった。

 こうなると分かっていれば、あの橋の下で足を止めておくべきだった。


 これまでは普通に宿から宿へと渡り歩いていたが、これからはそうはいかない。

 今の少年は一般の宿を利用することなどできない。寝床も自力で探す必要があった。

 少年はちらりと自分の左隣に目をやる。

 そこには少年に不慣れな寝床探しを強いている原因が、不愉快そうにそっぽを向いて歩いていた。


 鬼である。

 真っ赤な肌。金色の髪。そこから突き出した一本角。

 大の大人でも持ち上げることさえできないような金棒を、軽々と肩に担いでいる。


 少年の名は円堂えんどう、鬼の名は牟鬼ぼうきといった。


 牟鬼と円堂が出会ったのは、つい四日前のことだ。

 円堂は牟鬼が住んでいた街の者を人・鬼問わず片っ端から殺した。

 その中で唯一生き残った牟鬼に、円堂は生かす代わりに己に従うことを課したのである。

 牟鬼はやむなく円堂に従うことにした。

 牟鬼と円堂の一方的な上下関係は、こうして結ばれた。


 円堂は正面に視線を戻す。

 いくら牟鬼のための寝床探しとはいえ、その責任を彼に求めようとは思わない。

 牟鬼を連れているのは円堂の勝手であり、牟鬼の望むところではないのだから。

 そこまで理不尽な扱いをする気は、円堂にはなかった。

 もっとも牟鬼にしてみれば、突然自分の街を壊滅させられ、無理矢理に連れ歩かされている現状以上に理不尽なことなどないだろうが。 

 ともかく、牟鬼の手を借りるのは筋違いだと判断した円堂は、やはり自力で寝床を見つけるしかなかった。

 そのときだ。

 不可解な気配が、円堂の第六感に引っかかった。

 少し迷いはしたが、もとより今の円堂にはあまり余裕がない。

 気配の源へと、目の前を遮る雑草をかき分けながら邁進まいしんして行く。

 牟鬼も黙ってその後に続いた。

 やがて雑草群を抜けた先で、円堂の眼が捉えたのは―― 


「寺院?」


 背後で牟鬼が眉根を寄せたのが分かった。

 鬼である牟鬼にとっては、確かにあまり見ていて気持ちのいいものではないだろう。

 ただ円堂の感覚が正しければ、この中にいるのは鬼にとって堪らなく魅力的なもののはずだ。

 どうやら近頃打ち捨てられたらしい、ところどころ傷みの目立つ本堂に、円堂たちは足を踏み入れる。

 そして、何とも場違いな先客たちに目を見開く。

 十人近くの人間の子供たちが、恐怖に震わせた体を一箇所に集めて、円堂たちを見つめ返していた。

 円堂は彼らの怯えた目の中に、一つ異様なまでに敵意をたぎらせた視線があるのに気付く。

 この中では年長に思える、円堂よりも一つか二つほど年上だろう少女の視線だった。

 子供たちは彼女を中心に固まり、特に小さな子たちは彼女の服の裾をぎゅっと力いっぱい掴んでいる。

 その光景に、円堂はなぜだろう懐かしい思いがした。


「あなたたち、何者!? いえ、聞くまでもないわね。私たちの魂が目当て何でしょ!?」


 少女は声を張り上げる。

 自分を鼓舞こぶするため、そして子供たちを不安にさせないために、無理に強気に振舞っているように円堂には感じられた。

 

「今すぐ出て行って!」


 本当は彼女も怖いのだろう。小刻みに震える体は隠しきれていなかった。


「何じゃと……」


 身を乗り出して何事か文句を口にしようとした牟鬼を、円堂は軽く手を上げて制する。

 

『交渉は自分に任せて、あなたは黙っていなさい』


 言外にそう伝えた。牟鬼は渋々引き下がる。


「私たちはここに一泊させていただきたいだけです。あなた方に危害を加えるつもりは……」

「嘘よ!!」


 言い終わらないうちに円堂の言葉は遮られた。


「あなた、魂売師たまうりしでしょう。魂売師の言うことなんて信じられるわけがないわ!」


 少女はきっぱりと言い切った。

 態度はさらに高圧的になり、周りにいる子供たちさえ怯える対象を彼女に移している。


 魂売師。


 その言葉に特に力が込もっていた。

 魂売師とは、鬼から人々の魂を守るべき僧が身を堕とし、逆に人魂を鬼へと売り渡すようになった者たちのことである。

 確かに、今の円堂は魂売師だ。

 しかし、円堂は他の有象無象の魂売師とは違い、彼なりの信念を持ってその道を選んでいる。

 決して、私利私欲から鬼に味方しようなどとしているわけではない。

 そのことを分かってもらおうと円堂は言葉を尽くすが、少女はまるで聞く耳を持とうとしない。


「私たちに危害を加えるつもりがないって言うのなら、すぐに出て行ってよ!」


 そればかりだった。

 とうとう円堂が諦め、少女の言う通りに引き上げようとしたとき。

 ブオンと鋭い風切り音が耳を撫でた。

 牟鬼が険しい顔で金棒を素振りしていた。


「もういいじゃろう。ここまで話を聞かん奴は殺されても仕方がない、悪人じゃ」

「何を馬鹿な……」


 牟鬼のあまりに無茶苦茶な発言に、円堂は開いた口が塞がらない。


「ならば聞くが、貴様にとってどこまでが善人で、どこからが悪人じゃ?

 貧魂街ひんこんがいの奴らを貴様は殺した。何をもって、連中を悪人じゃと判断した?

 善人は殺すなと貴様は俺様に言った。何をもって、俺様は善人じゃと判断すればいい?」

「それは……」


 今度の牟鬼の言葉には、円堂は閉口してしまった。

 円堂が牟鬼のいた街――貧魂街の人々を殺したのは、彼らがあまりに醜く生きている価値を持たないと思ったからだ。

 純粋な食欲から人を襲う鬼たちの方が、まだいくらか救いがある。そうも思った。

 だからこそ円堂は、鬼の力を逆に悪人を裁くという善行に利用しようと考え、魂売師となることを決めたのだ。

 しかし、善人と悪人との境は一体何なのか?

 その答えを持たない以上、そしてその答えが周囲に受け入れられるものでない以上、円堂の成そうとする正義は実体のないまやかしに過ぎない。

 円堂が答えられないでいると、牟鬼はふんと鼻を鳴らし、彼の横を通り過ぎる。


「答えんのなら、俺様のものさしで測らせてもらうまでじゃ」


 さらに一歩、子供たちに近付こうとする牟鬼を円堂は止めた。

 文字通りに牟鬼の動きを、完全に差し止める。

 自らと先祖が積み上げた徳を対価として、神から借り受ける力――神力しんりき

 僧たちが鬼と闘う唯一の手段である。

 その中でも円堂が特に得意としているのは拘束術。

 円堂はこの術で、敵方の圧倒的な数の利を打ち消し、貧魂街を壊滅に追い込んだのだ。


「止まりなさい、牟鬼」


 円堂の声から熱が引いている。

 血の通った人間の口から出たとは思えない、冷め切った語り口。


「決めるのは私です。あなたはそれに従えばいい」

「ふん、勝手な話じゃ。貴様が殺した連中とこいつらの何が違う?」


 牟鬼の反論は対照的に熱を帯びている。


「…………あの彼らのような残忍さがこの彼女たちにはない」

「残忍さ……か。じゃあ真っ先に死ぬべき悪人は貴様じゃろうが」


 ドクンと心臓が跳ね上がり、血が全身に巡るのを円堂は感じた。

 外からはどう見えているのか分からないが、円堂も血の通った一人の人間、それもまだ少年である。

 沸き上がる感情を完全に押し殺すことなどできない。

 たとえ理不尽であったとしても、今の円堂は牟鬼の言葉を聞きたくないという思いでいっぱいだった。


「これ以上、逆らうというのであれば」


 拘束が一段階強まり、牟鬼はうめき声を漏らす。

 そのままさらに一段階、もう一段階、牟鬼の体がぎりぎりと締め上げられていく。


「もういいわ、止めて!」


 飛んできた声は前方の少女のものだった。

 いきなり現れた鬼と魂売師の仲違いを見せられて、うんざりだとばかりに頭を激しく左右に振る。

 かき乱れた髪を直そうともせず、疲労感を含んだ声で言う。


「泊まっていいわ。だからもう止めて」


 少女にまっすぐに見つめられて、円堂はどうしようもなく取り返しのつかないことをした気分になった。

 言われるがままに牟鬼に施していた拘束を解く。

 牟鬼も場の空気に飲まれてか、円堂や子供たちに襲い掛かるようなことはしなかった。

 

佐耶さやおねえちゃん……」


 子供たちが不安そうに少女を見上げる。

 少女の名前は佐耶というらしい。


「大丈夫よ」


 佐耶はその柔和な微笑みに反して、左手首に巻かれている数珠じゅずを力強く握り締めていた。

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