俺は勇者じゃないらしい。でも勇者を名乗ることにした。

武井トシヒサ

俺は勇者じゃないらしい


――ヒュン――ヒュン


 空気を斬る、乾いた音がする。

一人の青年が、早朝から河原で剣を振っている。

その動作は滑らかで無駄がない。鋭くコンパクトに振られた剣が鳴らす高い音には、長く積み重ねられた鍛練の跡が表れていた。


 青年の名はレックスという。

レックスは5才のとき、魔族の襲撃により両親を失った。それ以降、魔族を倒すために血のにじむような努力を続けてきた。

幸い、レックスは類まれな才能に恵まれていた。

5才で剣を振るい始めると、一年で並みの大人では敵わないほどの腕前に。7才で魔法を始めると、10才になる頃には宮廷魔道士をして「教えることがない」と言わしめる。

誰もが天才と認める才能を持つ一方で、決して努力を怠らない謙虚さも併せ持っていた。

19才になった今では、王国で彼に敵うものは誰もいなくなっていた。


 レックスを突き動かすのは、魔族を滅ぼすという幼い頃の決意だ。

両親を失った悲しさ、魔族への憎しみ。その思いが日々の厳しい修行にレックスを駆り立てる。

強くなりたい。強くならねば。力こそが魔族を滅ぼす唯一の道。

自分が、魔族を滅ぼすのだ。幼いレックスは、父と母の墓前でそう誓った。


 魔族を滅ぼす者、それは【勇者】と呼ばれている。

王国の歴史上、過去に何度も現れた勇者。彼らは今も、英雄として語り継がれている。

自分こそが、魔族を滅ぼす勇者に違いない。レックスはそう信じていた。

王国随一の才能と強さ。幼き頃の悲劇。魔族に対する強い憎悪。魔族を滅ぼすという揺るぎない決意。

勇者たる条件を自分は全て備えている。レックス自身はもちろん、彼の友人、知人、師に至るまで、レックスが勇者であると信じて疑わなかった。



 朝の鍛錬を終え、レックスは王都の中央、王城へと向かう。

今日は、【勇者選定の儀】が行われる日。

【勇者選定の儀】は、勇者を見つけ出すために毎年行われている儀式だ。

その年に19歳になったものを集め、聖剣を抜くことができるかどうかを試す、ただそれだけだ。

剣を抜ければ勇者。とてもシンプルな儀式。

ただ、歴代勇者は全てこの儀式により才能を見出された者たちだ。例外はない。


 王城へ着くと、すでに長蛇の列ができていた。

一人また一人と、挑んでは敗れていく。誰も聖剣を抜くことができない。

レックスは、その様子を静かに見つめていた。まるで自分の番まで聖剣が抜けないことを知っているかのように。

今日この日、自分は勇者として選定され、栄光ある一歩を踏み出す。自分の輝かしい未来をレックスは信じて疑わなかった。


 目の前の屈強な男が失敗し、遂にレックスの順番が回ってきた。

レックスは、自分が聖剣を抜けると確信しているものの、栄光ある瞬間を前に、緊張を隠せない。

聖剣の柄を両手で握る。フーッと息を吐き、精神を統一するレックス。

両手にグッと力を入れ、レックスは聖剣を引き上げる。


――抜けない。

レックスは焦った。こんなはずはない。抜けないはずがない。

腰を落とし、両手両足に血管が切れそうなほどの力を込める。

しかし、びくともしない。

不意に「バチッ」という音が聞こえ、電流のようなものがレックスの身体中を流れる。その衝撃で、レックスは3メートルほど吹き飛ばされてしまった。

聖剣からの拒絶。レックスは誰に言われるでもなく、自分が聖剣から認められなかったことを理解した。

とても信じられない。夢であってほしい。だが、どうやら、オレは勇者ではないらしい。

レックスの心は絶望に支配されていた。


 何事もなかったかのように、勇者選定の儀は続いていく。

レックスの後ろに並んでいた貧弱な男が聖剣の柄に手をかける。

こんな弱そうな男に聖剣が抜けるわけがない、そうレックスが心の中で嘲笑したその時だった。

――カシャン

聖剣が抵抗もなくスッと抜ける。

一瞬の静寂。そして、一斉に立ち込める、雄たけびのような歓声。

「うおぉぉぉ!」

50年ぶりに現れた勇者に民衆が沸き立つ。

放心状態のレックスは、地面にへたり込みながら呆然と、新たに生まれた勇者を見つめていた。


 レックスは、どうしても信じられなかった。

なぜ、自分ではなくあんな弱そうな男が勇者なのか。

自分の何がいけなかったのか。いや、そもそも何かの間違いではないのか?

レックスは放心状態のままその場を立ち去り、家へと帰る。その後、友人にも顔を合わせずに、自分の家にふさぎ込んでいた。

ただそれでも、毎日の鍛錬だけは欠かさなかった。


 勇者洗礼の儀から10日後、レックスは勇者の前に立っていた。

勇者に決闘を申し込むレックス。どうしても、自分が勇者ではないということを受け入れられなかった。

オレの方が勇者より強いはず。勇者に決闘を申し込み、勝てばオレが真の勇者だ。これがレックスが出した答えだった。


 最初は戸惑っていた勇者であったが、観念したように決闘に応じる。

両者が身構え、剣に手をかける。一瞬の静寂の後、キィン! という激しい音と共に両者の剣はぶつかり合った。


 たった一振り。レックスはそれで理解した。

勇者は弱い。弱すぎる。レックスの足元にも及ばない。

太刀筋はぎこちなく、フェイントも拙い。剣術のレベルは素人に毛が生えた程度だ。

何より、パワーが圧倒的に不足している。華奢な身体から想像される通り、貧弱な剣撃。

レックスが少し力を込めるだけで、勇者は力負けし、よろよろとバランスを崩していた。

勇者が魔法を繰り出すも、放たれたのは最下級のファイアーボール。魔法の才能も無いようだ。

(なぜ自分ではなく、こいつが勇者なのか。才能の欠片もない、こいつが)

勇者選定の儀で味わった絶望は、怒りへと変わっていった。

どう贔屓目に見ても、自分の方がすべてにおいて勇者よりも優れている。

自分よりすべてに劣る少年が勇者を名乗ることが、レックスには許せなかった。

(本当にコイツが勇者なのか?やはり、何かの間違いであろう。勇者選定の儀は、本当にあてになるんだろうか?)

絶望は怒りへと変わり、怒りは疑念へと変わる。すでにレックスは、目の前の華奢な少年を勇者とは認めていなかった。

(そうか!これは魔族の謀略だ!真の勇者であるオレを排除するために、ニセの勇者をでっちあげたんだ!本当の勇者は、オレであるはずだ。そう考えれば、辻褄が合う)

疑念は確信へと変わる。レックスは再び、自分こそが勇者であると信じ込んでいた。



――キィン!

レックスが強い剣撃を放ち、衝撃で勇者は弾き飛ばされる。

大人が子供をあしらうような戦い。周囲の目からはそう見える決闘だった。

倒れこんでいる勇者に背を向け、レックスは歩きだす。



 どうやら、オレは勇者ではないらしい。でも、それは何かの陰謀だ。オレは強い。オレこそが真の勇者のはずだ。ならば、オレは自ら勇者を名乗ろう。

かくして、『自称・勇者レックス』は旅立つのだった。



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