蒼銀の鬼と黒衣の僧

第零夜 蒼銀の鬼と黒衣の僧 い

「そうだ、蒼銀そうぎんの鬼、殺そう」


 何とはなしに夜道を歩いていた男は、前触れもなく物騒な言葉を口にした。

 男は今噂されている辻斬りである。

 彼はこれまで腰の刀だけを頼りに生きてきた。

 この辻斬りの目的は、強い相手に勝つことで自分の強さを実感することであり、そのために鬼を斬り殺して回っているのだ。

 そして、何か切っ掛けがあったわけでもなく、ふとした思いつきで次なる標的を蒼銀の鬼へと定めたのだった。

 

「さて、僕を愉しませてくれるかな?」


 辻斬りはにやりと笑うと、鼻歌交じりに小気味よく歩き出した。

 蒼銀の鬼について分かっていることは、通り名とその由来となっている青い肌と銀の髪。

 そして圧倒的な強さと女性と見まごうばかりの美貌を持つことの他には、眉唾まゆつばものの武勇伝だけであった。

 有名なわりには本名さえ知られていない。

 きっと直接目撃した者のほとんどが殺されているからだろう。

 とりあえず、少しでも手掛かりがないかと、辻斬りは蒼銀の鬼の伝説が残っている地を巡り歩くことにした。

 その結果はあまりかんばしいものとは言えなかったが、各地に残る痕跡こんせきから蒼銀の鬼の強さと、何より血も涙もない残虐性は十分にうかがい知ることができた。

 数々の地獄の後を見るたびに、辻斬りの中の血がうずき、蒼銀の鬼を斬りたいという思いがたかぶっていく。

 そして七つ目の地に訪れたとき、辻斬りは黒衣をまとった中年の僧に出会った。


「お前さん、俺と闘っちゃくれねぇか?」


 黒衣の僧は辻斬りを一目見ると、いきなりそう言ってきた。

 聞けば、黒衣の僧も蒼銀の鬼を探してここへ来たということだったが、根本的な目的は自分の強さを高めることだと言う。


「俺はよ、最強にならねぇといけねぇのさ。最強の僧にな。

 見たところ、お前さんもかなりできるだろ? これも何かの縁だ。相手をして損はねぇぜ」


 黒衣の僧は自分の力量にかなりの自信を持っているようで、不敵な笑みを浮かべる。

 辻斬りの刀が吸ってきた血は主に鬼のものばかりだった。

 神力などという小賢しい術を使う僧よりも、人間にはない膂力りょりょくで真っ向から闘う鬼を相手にする方が、ずっと面白味が感じられるからだ。

 欲を言えば、最も闘いたい相手は鬼をさらに上回る剛力を持つ天狗だが、それは中々叶うことではない。

 いつもは適当に断るところを、このときの辻斬りは応じることにした。

 目の前の男に自分に似た臭いを感じ取ったからである。

 この黒衣の僧ならば、正面から力をぶつけてきてくれるだろう。面白い闘いができるに違いない――と、そう思った。

 もしも十年先から振り返るならば、更なる伝説をこの地に刻んでもおかしくはない顔ぶれなのだが、辻斬りと黒衣の僧のこの対決が後の世に知られることはなかった。 

 伝説の一端を担えるほど、このときの黒衣の僧は強くはなかったのだ。

 勝負は一合で決した。

 辻斬りの振り下ろした刃が黒衣の僧の結界を斬り裂いて、そのまま彼の体まで到達する。

 ばったりと仰向けに、黒衣の僧は倒れ込んだ。


「面白かったよ」


 血を払って納刀しつつ、辻斬りは満足気に顔を綻ばせる。

 ここまで正々堂々と自分の刀を受ける僧を見るのは、本当に久しぶりだった。

 傷はそこまで深くはなかったため、黒衣の僧はすぐに起き上がってくる。


「俺の名前は隠元いんげん……いや、陰玄いんげんだ」


 黒衣の僧はなぜか言い直しておきながら、同じ名前を繰り返した。


「僕は……」

「いらねぇよ」


 辻斬りも名乗ろうとするのを黒衣の僧は遮り、こう続けた。


「てめぇが俺の名前を覚えていてくれりゃそれでいい。いつか、強くなってもう一度てめぇの前に現れる。

 俺がお前さんの名前を聞くのは、そのときの勝負に俺が勝った後だ」


 最後の最後まで強さへの執念を捨てない黒衣の僧に、辻斬りはこの男ならいつか本当に、最強の僧になれるかもしれないと思った。

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