亡き明日のアルカディア~Side storys~

入賀ルイ

【befor world】今日も私はさよならを言わない


 私はサヨナラを言わない。

 


 私の好きな彼は、謎が多い。

 どういう人間かはもちろん、好きなものも、癖も教えてくれない。

 そんな変わり者の彼を私は好きになった。


 私はサヨナラを言わない。

 そんな私もきっと変わり者だったんだろう。だからこそ、彼は私を傍においてくれた。

 好きになった。手をつないで、キスをして、互いの左手の薬指に愛の証を嵌めもした。そんな二人だったけど、きっと幸せだった。


 この街は謎が多い。変に発展することもあれば、夜はおぞましいほど静かだったりもする。おそらく、これは奥深く、黒い話かもしれない。この街は変わっている。...ひょっとしたら、彼自身がこの街そのものなのかもしれないと思える位には。

 

 けど、今が幸せならそれでいい。誰かの言葉を私は信じた。

 そんなある日、彼は生涯でたった一度、私に秘密を打ち明けた。



『...もしかしたら、世界は終わるかもしれない。...誰一人助からないんだ。...もし、訪れるようなことがあったら...ごめん』



 その意味が分かったのは、今になってからで...



---



 足元から体を包み込むように冷たい風が吹く。三度ほど身を震わせて、今日がその日だと気づいた。

 

 いつか彼が言っていた世界の終わり。それが今私の目の前に広がっている。

 誰にも止められない世界の不条理。私は怒ることも、泣くこともしなかった。


 コップに注がれた水を飲むように、ただ目の前の光景を受け入れる。


 けれど、悲しいものはやっぱり悲しいままで、私は思わずポツリと言葉を零す。


「そっか...。明日はもう、来ないんだ」


 そうして私は、当たり前などなかったのだと気づく。

 全て、当たり前のように思っていた。けれど、明日を迎えることも、この場所に生きていることも、その全てが奇跡で。


 私たち人間は、いつからかそれすら忘れて便利になってしまった。なら、ここで消えるのはそれらの咎なのだろうか?


 一つ強く風が吹く。目を開けると、世界からすべての音が無くなった。灯った明かりが色を消し、生命の息吹すら聞こえなくなる。


 ここには、私一人しかいなかった。その私でさえ、もう消えかかってしまっている。崩れそうな足に力を込めて、その場に立つ。それが私の精一杯だった。


 涙は流れなかった。流さなかった。いつかは消えてなくなる感情。もう、ここに必要はなかった。

 

 ふと、薬指に嵌めた指輪が目に入る。私はほどなくして、彼のことを思い出した。


『行ってきます』


 最後に彼が残したこの言葉には、どれだけの思いが詰まっていたのだろう? 離れてしまっている私への憂い、どうしようもない世界への嘆き、何一つできない自分への哀しみ...、それはきっと数え斬ることは出来ない。だから一つの言葉で彼はまとめたんだと思う。


 指輪がはめられている方の手をそっと撫でて、いつからか雪の降りだした空を見上げると、一つ雫が頬を伝った。


「あっ...」


 声のないまま、とめどなく涙だけが溢れる。

 そう、悲しくないはずなんてなかった。何が悲しいのかは、もう忘れてしまっているが。


 ただ一つ言えることがあるとすれば、私はまだ彼といたかったという後悔だった。何でもないことで笑い合って、時にまた手をつないで、一緒の歩幅で歩いて...。そうしたことが罪だというのだろうか? どうして罪なのだろうか?

 

 それが悲しくて、悔しかった。


 けれど、泣いて叫んでも時間は止まらないし、戻らない。進んでしまった時を嘆いても意味をなさない。


 だから、せめて一つくらいは願いをかなえてほしい。この街に不思議な力があるというのなら。

 私は願いのままに目を閉じた。


 閉じて、開けると...



「よっ」


 私の好きな彼が、そこにいた。

 

 どうして、なんて聞く必要はなかった。きっとこれまで通り教えてくれない。だって、彼は優しいのだから。

 代わりに私は彼に近づこうと、足を動かそうとする。

 

 しかし、それは叶わなかった。

 

 私の足は、その形を失っていた。足だったはずのものは光の粒になって消えていき、私はその場から一歩も動けなくなっていた。

 

 けれど、何もしないまま彼と別れるなんて、私は嫌だった。

 だからこそ、私は本当に最後の力を振り絞る。


「ねぇ!」


「なんだ」


 悲しむこともなく彼は微笑む。だって、彼は優しいのだから。


「これでバイバイなんて...言わないよね?」


「もちろん」


 嘘だってことはすぐに分かった。だって、彼は優しいのだから。



 だから、どうやらここが終わり。私たちの終着点。



 彼に会いたい。それが私の最後の願い。


 もう一度会えた。願いは叶った。最後の最後で神様が仕事をしてくれたのかもしれない。

 でも、まだ消えたくない。消えたくなかった。


 だから、ここを最後にしないように、私はいつものままでいることにする。

 体が消え去るその前に、私は彼に、心の底から言葉を送る。


 こういう時、かっこいい別れなんてないと思う。だからこそ、ありのままの本心を。


「ねぇ! ...私、あなたのこと大好きだから! ...ずっと、これからだって!」


 そして、体は光となって消えていく。




 あぁ...きっとこれでいい。だって、別れなんて言ってないんだから。

 だから、きっとこれが最後でも。


 私はサヨナラを言わない。




 

 告げなければ、いつまでも別れなど来ないとここに刻むために...。





===



【befor world】・・・本編で達海たちが生きる白飾の一世代前の世界の話です。

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