03.掌



薪割りに慣れた頃、次は風呂焚きを練習した。自分で沸かした風呂に自分が入るので、実験体になった気分だ。

熱くしすぎると熱湯CMになるし、温いとあがった後が寒い。俺が満足に風呂を沸かせるようになるまで、賢者は桶に入れた湯で、髪を洗い身体を拭くだけで我慢していた。自分のためもあったが、それが妙に良心の呵責に訴えてくるから頑張った。

試行錯誤の末、一週間目にしてやっとちょうどいい温度にすることができた。


「いいお湯でした。ありがとうございます」


湯上りで頬を紅潮させた賢者が笑顔で礼を言った。幼い外見に見合った嬉しそうな笑顔に、俺は胸に迫るものを感じた。

彼女が少女だったことを思い出す。

賢者はこてりと首を傾げる。


「どうして、泣いているんですか?」


言われて初めて、俺の頬を涙が伝っていることに気付いた。


「俺がしたことで、礼を言われた、から……」


それがこんなに嬉しいものだとは知らなかった。いや、忘れていた。

ヒキニートになってからは、炎上上等と罵詈雑言を掲示板やオンラインゲームのチャットに投げつける日々だった。他人を下げることで自尊心を満足させていた。

ちょっとでも不満があると母親を怒鳴りつけて、母親に謝らせてばかりだった。父親とは直接顔を合わせず、ドア越しの説教を何度されただろう。

前の世界の記憶は誰かを傷付けた記憶ばかりだ。何て最悪の人生だろう。

そんな俺が、誰かに礼を言われるなんて、嘘みたいだ。

自分のしたことで誰かを喜ばせるなんて、一体何年ぶりだ。


「帰り、たい」


戻れなくていいと思っていた世界に、急に帰りたくなった。今の俺ならもう少しマシになれる。両親に謝りたい、と切に思った。


「できません」


静かに、賢者は答えた。


「そうか」


解りきっていた事実を賢者の口から聞いて、諦めがついた。


「少し屈んでくれませんか?」


賢者がそう言うので、俺は首を傾げながらも彼女と同じ目線になるまで屈む。すると、自分より小さな手が頭を撫でた。


「気付けて、よかったですね」


「ああ」


首肯したら、涙が堰を切ったように溢れた。

ただ頷いただけで涙が止まらなくなるとは。俺はなんて脆いんだろう。いや、脆いから周囲に攻撃することで自分を守っていたんだ。

今は鍛えられた身体をして、見た目だけは立派な青年だというのに、中身は脆い俺のままだ。格好悪いと頭の隅では思うのに、撫でる手に甘えて俺は声をあげて泣いた。

その夜、涙とともにこれまでの後悔を洗い流した。


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