第30話 ファーストキス

 周囲が再び静寂を取り戻すと、ジュドーは大きく息を吐き出した。安堵の吐息という奴である。

「……最大の災難は去ったってとこか?」

「んー、そうだね……。聖竜脈の復活で闇人デイモンとの全面戦争は回避できたわけだし、よかったよかったって感じ? でも、ガープとかいう闇人デイモンの捨て台詞からすると、四天王あたりはちょくちょくこれから君にちょっかい出してくると思うから、まぁ、気を付けた方がいいよん」

「聖竜脈がきちんと働いていてもか?」

「だってさっきの見たでしょう? 戦おうとしてたじゃない。全然引く気配無かった。ライラの顔を立てて、今回は引き下がっただけだと思う」

 ベンジャミンがそう指摘する。

「力をそがれてパワーダウンしてても、四天王あたりなら十分驚異だと思うよ? 聖竜脈の力が働いている緑の大地グリーンランドでは、自分達が圧倒的に不利だかから、戦争を始められないってだけで、個人的なちょっかいを出せないってわけでもない。特に怨みとか買ってると、そらー、もう。何が何でもって感じでしょ」

「素敵な意見を、どうもありがとーよ。ありがたくて涙がでらぁ」

 ジュドーが手を振ってベンジャミンの言葉を遮った。

 ピートがライラの顔を覗き込む。

「……ライラちゃん、大丈夫か?」

「んー? 大丈夫だぁ……。心配かけてごめんなー、ピート」

 そう答えたライラに、ベンジャミンは目を向けた。

「それとね、ライラにも気を配った方が良いと思う」

 首を傾げたジュドーに向かって、

「攫われないようにね?」

 ベンジャミンがそう忠告した。ジュドーはヒュッと息を飲む。攫う……確かにあり得る話だと、そう思ったのだ。

 闇王がライラの存在を知ったならば、何としてでも彼女を取り戻そうとするだろう。ライラは闇王の分身体だ。魂を分け与えた存在で、他の闇人デイモンでは到底ライラの代わりは務まらない。逆を返すなら、ライラさえ取り戻せれば、闇王は地上を支配することも出来てしまう。万が一にもそうなれば最悪だ。あの暗黒時代に逆戻りである。

 ジュドーは握った聖剣にぐっと力を込めた。

 そんな真似はさせない、絶対に……。

 ライラに目を向ければ、彼女が無邪気に笑った。

「そうそう、ベンジャミンもありがとーな。お前はほんと優秀な魔法士メイジだなぁ。傷口がほら、もうちゃんと塞がってる。ありがとーな」

「い、いやぁー。それほどでも」

 ライラが褒めると、照れたようにベンジャミンが笑う。

「……歩けるか?」

 ジュドーがそう尋ねると、ライラが笑った。

「大丈夫だぁー。少しふらつくけど、ほら、へーき、へーき」

 ライラの明るい笑顔に、ジュドーがほっと安堵する。

 そこへ、ベンジャミンの軽快な笑い声が重なった。

「あ、そーだ。ジュドー君もご苦労様ね。ライラもお礼を言っておくといいよ。竜気をライラの体内に吹き込んで、闇の毒を解毒してくれたのはジュドー君だからさ」

「解毒? ジュドーがか?」

 ライラが不思議そうに尋ね、ジュドーが慌てて待ったをかけるが、

「そうそう、竜気をこう口移しで、君の体内に送り込んでくれたんだよ。まー、人工呼吸みたいなものだから、別に色気ある場面ってわけでもなかったけどねー」

 ベンジャミンがさらっと悪気なく、全てを暴露した。

 笑うベンジャミンの頭をジュドーが小突く。

「ベンジャミン! お前、ほんっとーに一言多いぞ! よけーな事ばっか言いやがって! 少しは口を閉じてるとか……」

 ジュドーは言葉途中で、ぎょっとしたように口を閉じた。

 ライラが仰向けにばったり倒れ、心底慌てたのだ。

「おい! どーしたんだ? いきなり……」

 ジュドーがライラを抱き起こせば、ライラがさも苦しげな声を出す。

「うーん、うーん……。ライラ具合悪い。気持ち悪い。竜気欲しい。だからジュドー、ライラに、ちゅーして」

「……は?」

 思いっ切り間の抜けた声を上げてしまう。

 ライラが再び言った。

「だから、ちゅー……」

 内容を理解した途端、どう見てもみえみえな仮病に、ジュドーが顔を真っ赤にさせた。

「お前! どーみても、そりゃ、嘘八百だろーが! さっきまで、なんともねーって言ってたくせに! いー加減にしろっつーの!」

 ライラからぱっと手を離し、勢いよく立ち上がる。

 するとライラは、床に寝そべったまま、まるで子供のように手足をばたばたさせながら、駄々をこね始めた。

「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだあ! だって、だって、ライラ全然覚えてない! ファーストキスなのにぃ!」

「キスじゃねぇ! キスじゃ! さっきも言ったように人工呼吸と一緒だ馬鹿! しかも、キスならさんざん以前……いや、なんでもねぇ…………」

 周囲の視線を感じたジュドーが、最後の言葉を濁す。

 ライラがさらに声を張り上げた。元気いっぱいである。

「だってだってだって、みんなみんな言ってるもん! ファーストキスは、レモン味とかイチゴ味とか! 人間同士のキスは、そんなんなんだぁーって、ライラずっとずっと憧れてたんだもん! ジュドーがライラのこと愛してるって言ってくれたから、それ、すっごく楽しみにしてたのにぃぃーーー! やだあーーーーーーーーーー!」

「ガキかお前は! ええい、分かったよ! 人のいねーとこでなら、百万回でもしてやるから、少し黙れっつーの!」

 やけくそ気味にジュドーが叫ぶと、ライラの泣き声がぴたりと止んだ。

「百万回……ほんとーか、ジュドー?」

「二言はねぇよ!」

 やけっぱちでそう言えば、ライラが頬をぽっと染める。

「分かった、後でだな、ジュドー」

 もじもじと恥じらう姿は何とも可愛らしい。

 ぱたぱたと足早に歩み去るライラの背に視線を送りながら、ジュドーは背後にぴったりと迫ったピートの妬み嫉み恨み僻みの声を聞いていた。

「ほーお……? 百万回……ふーん? おさかんで結構ですな。こーの、超ど級にくそうらやましい奴め。いっぺん死にさらせ」

「羨ましいか こんなんで? ほんとーに? ほんとーか? お前」

 冗談ぶっこくな、このタコ! と言わんばかりに、ジュドーがピートの顔に押し迫っても、ピートが動ずることもない。胸を反らし、きっぱりと言い切った。

「断然羨ましい! 俺なら人前でも、どーどーと、百万回どころか一千万回でもキスできるってーのに。なーんでお前みたいな朴念仁をライラちゃんは……」

 ピートが上げた不満の声に、ジュドーはがっくりと膝をついた。そうか、そうだよな、お前はそういう奴だった、という思いを抱きながら。


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