ぼくたちは心に一つの種を抱く
雨天紅雨
アーベルマの街
第1話 はじまりの色
感情の色を初めて知覚したのは、――憎悪の赤であった。
また明日ここで逢って、遊ぼう。
そんな他愛もない、ごくごく当たり前の約束をしたはずなのに、彼女が目にしたのは煙を出して炎上する屋敷だった。
目の前で。
白色に塗られた綺麗な外壁の屋敷も、緑にあふれていた庭も、その庭園は友達の母親が手作業で作っていて――すべて、すべて、炎によって焼かれ、赤色で壊された。
爆発のような音はなく、ただただ燃え上がったその光景の片隅に。
銀色が振り下ろされる。
その切っ先は地面に、いや、違う。
地面と剣の間に、見覚えのある、小柄な、誰かが、いた。
彼女は覚えていない。
走って近づき、剣に刺された少女を抱きかかえた直後、剣の持ち主に蹴られて吹き飛んだ時にはもう、まともな思考ができていなかったからだ。
痛みがあった。
苦しかった。
そして、息絶えた少女がそこにある。
事故や事件などに巻き込まれて命を落とした者の多くは、その現実を飲み込まない。
死して生き返ったとしても、新しい人生を歩もうだなんて楽観をする前に――必ず。
恨む。
憎む。
ましてや、今まさに自分を殺した相手がそこにいるのならば、――殺してやりたいと考えることに、なんの不思議があろう。
ただ、その感情は強すぎた。
――男が、近くでキャンプをしていたのは、もちろん、偶然ではない。
本当ならば街まで行ったついでに宿を取り、そこで休むつもりだった。実際に宿には先払いで金を払ってしまっていたが、それ以上に。
滞在することを回避したかった。
教会の私兵が身を隠しつつも、作戦準備をしていたからだ。
面倒には関わりたくないと、身を潜めていたが、まさか街の外にある領主の屋敷を襲撃とは、穏やかではない。
――関係のない話だ。
関わりを避けるために、外で夜を過ごしたのに、わざわざ足を踏み込む理由はない。目の前で起きても、世の中のどこで起きても、自分ひとりの手ではできることが限られているのだと、男はよく知っている。
だが。
教会の暗部と高位騎士の総勢六名が、いつまで経っても戻らないことに疑問を抱いた。
ほかの場所に撤退した? いや、ありえない。仕事が終わったのなら、近くの街にまず報告する仕事熱心な連中だ。寝転がっていたとはいえ、その気配を見逃すことはない。
様子見に向かうかどうか、悩む時間も馬鹿らしかったので、コインを投げて決めた。
そして。
男は少女と出逢う。
血に染まってはいるものの、息があるのはわかる。周囲に探りを入れても、生きているのはその少女だけだ。
そこからの判断は早い。
小脇に少女を抱えると、キャンプ地に戻り、すぐに荷物をまとめて移動を開始した。
それから。
六歳の少女と。
かつて大戦の英雄と呼ばれた男の暮らしが始まった。
※
この大陸では、十歳を迎えると教会で祝福を受ける。
ちょうど師匠のところへ来て四年目だったので、クソッタレだと伝えておいた。つまり行っていない。
ぼくが環境に慣れるのには、一年くらいかかった。
そりゃそうだろう、自分の中にもう一人の存在がいるなんて状況を受け入れるのに、一週間はかかるし、そもそも当時六歳の少じょ……いや、美少女に、すべてを理解できるはずがない。
『自分で美少女とか言わないように』
うるさい、ちょっとくらい見栄を張らせてくれ。
教会で祝福を受けると同時に、人は
これは心の種と呼ばれているもので、種類は大きく三つ。
前衛型の分身を具現するアタッカーシード。
後衛型の分身を具現するウィザードシード。
そのどちらでもない、からの種。
割合としては、からの種とそれ以外が五割ずつくらい。分身とは言うが、心の種と呼ぶよう、なんかこう精神的な何かを複製するような――説明は難しいが、それなりに便利なものだ。
今は落ち着いているが、それなりに魔物もいるし、人間同士の戦争だってある。つまり戦闘を前提とした戦力だ。
ぼくはからの種だった。
『わたしは虹の種だった』
だからこいつは、教会の手で殺された。
特殊な種も世の中には存在する。無色の種と呼ばれる、アタッカーシードとウィザードシードの両方を兼ね備え、どちらもできる汎用性の高い種がそうだ。
そして、虹の種は――言いたくはないが、教会の
教会からしか排出されない、特殊な儀式を用いて発生する奇蹟の種――。
今。
こいつが怒りを滲ませているせいで、やや周囲を威圧してしまっているが、まあつまり。
教会からしか出てこないものが、外で出てしまったら、信用がなくなるから殺すと、そういう感じだ。
厳密には違うが、あまり詳しく話すと八つ当たりを始めるのでやめておく。
『しません。一年かけて感情の制御は学びました』
よく言うぜ、まったく。
まあともかく、ぼくがからの種だったから、空白だったから、こいつの種が入り込めたらしい。本来その技術は、教会が持っているものだが、特殊な事例ではあるものの、現実としてぼくたちは成功させた。
あくまでも偶然に、だが。
一年かけて現状を飲み込み、一年かけて制御して――師匠には戦闘技術を中心に教わった。
これは師匠が指示したことでもあるし、ぼくたちが望んだことでもある。生き残るために必要なことであるし、途中からは目的のために望んだ。
師匠の名はログリス。
シードを使わず、刀一振りでAクラスの魔物でさえ討伐するような化け物だ。
無精ひげが目立つ、短髪のおじさんだ。年齢は知らん。クソ野郎だと思うくらいに辛い訓練の毎日である。
自分が強くなった実感は持てないまま、ひたすらに没頭して。
得物を渡されたのは、八歳の時だった。
「重い」
「慣れろ」
文句に対してはそんな即答があった。
左の腰には二本の
「躰がでかくなりゃァ、そいつはもっと短く感じるだろうけどな。腕の延長として捉えろ。んで、攻撃の仕込みはまだ先だ」
「そうなのか?」
「武器を持ったら攻撃を覚えるッてのも、悪くはねェよ。実際、シードを具現したところで、本人の錬度はそのまま直結する。言うなれば、アタッカーシードだって本体じゃないんだ、遠距離を保ったまま、自分は安全な位置で、シードに任せられるから、攻撃メインになっちまうもんだ」
うん、それはぼくもそう思った。
「だがお前ェはシードを使えねェ」
「うん」
それは大前提だ。
『使うとまた教会から睨まれますからね」
そうだけど、それ以前に、この頃はまだ使えなかったし、使えるとも思っていなかった。だってぼくのシードは、こいつだから。
――ちなみに。
余談ではあるが、融合した不具合なのか、ぼくはこいつの名前を聞き取れない。知ってはいるし、口にしているらしいけれど、ぼくの耳には■■■としか届かない。だから名前で呼ぶことは、ほとんどない。
ああ、こいつはぼくの名前も普通に聞こえるらしいけど。
「いいか、さっき言ったように、シードは脅威だ。大きさもある程度変えられるし、人間じゃ動かせない関節も、錬度が高ければ自由にできる。そして攻撃的だ。だとして?」
「……防御か?」
「そうだ、防御。だが、受け止めるッてのは間抜けのすることだ。まず避けろ、それができないなら
「捌くっていうのは?」
「受け流すんだよ。その小太刀だって、真正面から受け止めれば刃こぼれするし、折れる。折れたら終わりだ、どうしようもねェ。だから、受けて流す。理屈を言うなら、刃の側面に当てて、滑らす感じだな」
最初は棒きれを振ってくれて、ぼくも素手でその感覚を身に着けた。
一時間も経たないうちに、飽きたとか言って、1メートル弱のダンゴムシの魔物を捕獲して、ぼくの相手にしたのも忘れていない。あの野郎、魔物をけしかけるとは何事だ。丸まって攻撃してくるのを避けて流して、大変だったんだぞ。
……そういえば、いつの間にかいなくなってた、ダンゴ丸。元気だろうか。
『あなたがやりました』
へ? なにが?
『カウンターで蹴りを思いきり当てて、山へ返しました』
そうだっけ。
なんとまあ、不幸な事故があったものである。
ちなみにそこから、狐やら狼やらけしかけたのも覚えてるからな。師匠のクソ野郎め。
『自分がやったことも忘れないように』
お前みたいに、細かいことをいちいち覚えてられるか。
素手を一年くらいやってから、ようやくぼくは小太刀を抜くことを許された。
それまでもずっと腰には
十一歳のころに街へ顔を見せて、ちょっといろいろと、まあ心底冷えるようなこともあったけど、まあともかく。
十三歳を迎えたぼくは、師匠から離れ、旅をすることを決意した。
理由?
いろいろありすぎて、一つには絞れないかな。
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