part.4
猫は奇跡の復活を遂げていた。
その日騒動の最最中にありながら、今まで死んだ様にぐったりとなっていた猫が、秋山の目の前で頭を擡げた。
最初は八神が設えた急拵えの猫用トイレに行くのもままならず、段ボールの寝床で何度か粗相をしたものの、一週間もするとすっかり元気になって、まるで元からここに居ましたよとでも言いたげに、段ボールを寝床にして居着いてしまった。
一ヶ月もすると、彼はお客さんにアッシュ(灰)と言う名前まで頂き、すっかり理髪店の一員になっていた。
「可愛い猫ちゃん」
「この子見かけた事ないですか?」
「さあ〜、見かけた事ないわね、こんな綺麗なグレーの子なんて」
来る客来る客に尋ねてみても、アッシュが何処から来た猫だかさっぱりわからない。
「ほれ、アッシュ飯だぞ」
そう言って八神が段ボールの中へ水とレトルトのご飯を器に入れてやると眠たそうにしていてもシャキッとなって食らいついた。
バクバクバクバク!
ガツガツガツガツ!
ベチャベチャベチャ!
アッシュは良く食べ良く飲んだ。だが食事中に撫でようと手を伸ばすと「シャー!」と言って威嚇した。
それでも彼は理髪店のアイドルの地位を獲得し、福猫宜しく今年に入ってからと言うもの、理髪店は客の入りが多かった。
「八神さん!来週にはお店のドアの修理代が出そうですよ!」
「おーようやくブルーシートとおさらばだな!」
そんなこんなで新しい家族が増えた事もあり、例の裸の少年のことは二人の頭から消えかけようとしていた。
「ちょっとー!びっくりだわよ八神ちゃん!」
新品のドアが入った日、一番にドアを開けたのはこの繁華街の賑やかし、通称マダムである。
「ああマダム、今年も宜しくお願いしま、」
挨拶も途中だと言うのに早速マダムの肉厚な手が、服の上からでも分かるほど逞しい八神の胸筋を撫で回す。
「八神ちゃんの初胸。相変わらず手触り最高ね〜」
秋山はそんな二人に自分でも気がつかずに冷たい視線を送っていた。
心なしか客に施しているシャンプーがいつもより泡立っている。
「ハハ、どうしたんですかマダム。新年早々テンション高いですね。何をお飲みに?」
八神はいつも通りサービス精神旺盛な微笑みを返した。
「ミモザ頂戴。それより、ねえねえ、あんな下品なコートこの世の中に二枚とあるのね!」
「はあ??」
マダムと言う人はいつも唐突だ。相変わらず前置きなく喋るので何のことだか八神にも秋山にもさっぱり分からない。
「ほら、ゼブラ柄に裏地が紫のサテンで出来た八神ちゃんのあの下品なコートよ!あれを着てる子見かけたもんだから、うっかり八神ちゃんかと思って声かけちゃった。やっぱりアレは見れば見るほど下品だったわ」
これで本人はディスっているつもりはないのだ。
「ハハ…、、下品下品って言わないで下さいよ、アレ一応気に入ってるんで…」
そう言いかけて八神ははっとした。マダムの言っているコートは先日、裸の少年と共に忽然と消えたはず。
「ど、どこで見たんですかっ!」
「ほら新しく出来たホストクラブの辺りで…」
マダムがそう言いかけた時、チリリン…と新しいドアに復活していた昭和チックなドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
手の塞がっている秋山は客の顔を見る事なく肩越しに声をかけたが、マダムはその客の顔を見るなり指をさして目を丸くした。
「そうそう、ちょうどこんな感じのイケメンで…あら?」
それはまさしくマダムが見たと言うその少年だったのだ。
八神と秋山もその少年に視線を向けると、そいつは人懐っこい笑を浮かべた。
「あ、ど〜も」
悪びれもせず、極めて軽い調子で手をヒラリと挙げて見せたこの少年は、八神のコートを盗んで消えた張本人だったのだ。
だが八神も秋山もそれに気づくのに三秒かかった。
何故なら服を着ていない時の少年しか見た事がなかったからだ。
だが漸く記憶が繋がった時、秋山は絶句して目を見開き、瞬間沸騰した八神は少年の襟首を引っ捕まえていた。
「お〜ま〜え〜〜!オレのコート〜〜!!」
二階の六畳間で話し合いが設けられていた。
折り畳みのチープなテーブルを囲んで仕事の手の空いた秋山と八神が少年と向かいあっていた。
「で?!何で逃げたりしたんだ?と言うより、そもそも何であんな事になってたんだ!せめて説明してから消えろよな、心配するじゃねえか!」
「へへ〜。一応心配してくれたんだ。だからさ、悪かったよ、悪いと思ったからこうしてわざわざアンタのコートを返しに来てやったんだろ?」
そう言うと少年はテーブルの上に丸めたコートを放るように置いた。
横柄で礼儀知らずな態度に八神はブチ切れる寸前だった。
「はあ?!返しに来てやっただと?お前なあ、まずはご迷惑かけてすいませんから始まるもんだろうが!」
「ああ…じゃあ、すんません」
またしても不遜なその物言いが八神と言う火に油を注いだ。
「この野郎…!なんて言い草だ!」
今にも掴みかかろうとする八神を秋山が押し留めた。
「まあまあ、そんなに怒らないでよ八神さん。まずはワケを聞いてあげようよ。はい、お茶」
秋山の勧めるお茶を少年はガブガブ飲み、添えられたどら焼きを遠慮無くバクバクと平らげた。
その様子は何処と無く餌に喰らいつくアッシュに似ていた。
「俺、ホストなの。まだ駆け出しだけど一応源氏名は蘭丸って言うんだ。その店にヤな野郎がいてさ、何かっつーと俺に対抗してくんの。他の奴らもなんかそいつの一味っつーか、仲間っていうの?なんか日頃から客の取り合いで難癖つけやがったんで喧嘩になっちゃってさ」
「あーそれで仲間からハブられて、裸に剥かれて、リンチにかけられたって事なんだな」
「別にハブられた訳じゃねえし!リンチって訳じゃねえ!」
強がって言い返す蘭丸は、秋山に出会った頃の八神を思い起させた。
八神も仲間のホスト達にボコボコにされてゴミの中で伸びていた。
「ふふ、誰かさんと何だか似てるなあ。
蘭丸君、このおじさんも元ホストなんだよ」
「へー似合わねえの!」
「うるせえ!」
そんな二人のやり取りをニヤニヤと見て来る秋山に、八神は罰悪そうに咳払いをした。
「まあアレだ。オレが言えた立場じゃないが、ホストってのは見かけと違って一匹狼には向かねえ商売だ。お前みたいに一人で息がってるとろくな事にはならねえ」
「ちっ、なんだよ!おっさんも説教すんのか」
「あのなあ、おっさん言うな!そのうちお前だっておっさんだ!」
「そんなの何十年も先の話しだろう?俺はこの世界でてっぺんに昇りてえの!」
彼の気持ちは八神には分からなくもなかった。
八神だって若い頃は同じ様な野望を抱き、三十六歳になるまで似合わないホストと言う群れの中で一匹狼を貫いた一途で馬鹿な男なのだ。
群れに属せない狼がどれほどの辛酸を舐めるのか身をもって知っている。
だがまだこの年若い狼にそんな事を説いても分かるはずもない事も、同時に良く分かっていた。かつての自分がそうだったように。
「別に説教するつもりはねえよ、お前まだ若そうだな。歳はいくつだ」
「……十七。あ、やべ」
蘭丸は慌てて口を手で塞いだが、目が落ち着きなく泳いでいる。
それを八神が見逃すはずはない。
「おい、ちょっと待て。それじゃお前まだ未成年だよな。お前、風営法違反って分かるか」
「ふ、ふーえーほー?」
明らかに惚けている蘭丸に、今日何度目かの八神の怒号が浴びせられたのは言うまでも無かった。
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