『ねぇ………』

更楽茄子

赤い服の女の子



『ねぇ‥……』


あぁ、今日も来た。


チラリと後ろを見ると、いつもの赤い服の女の子がこちらに手を伸ばしているのが見えている。



─────ピッポー ピッポー ピッポー


私は目の前の信号が青になったのを確認して、その子から逃げる様に走って横断歩道を渡る。


別にその子は私を追いかけてくるわけでもなく、横断歩道を渡り終わって後ろを見ると、いつもの様に居なくなっていた。



その子が現れる様になってから、もう結構な日数が経った。


初めて『ねぇ………』と声をかけてきた時の恐怖は、今も覚えている。





朝、私は近くに住む友達はいないのでいつもの様に一人で学校に向っていた。


家を出て、川横の歩行者専用道路を歩き、そして片側3車線の大きな通りに出るのが、いつもの私の通学ルートだ。



私が着いた時は赤信号だったので、そのまま歩道で通り向こうの信号が青に変わるのを待つ。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


信号が青に変わり、私と同じ様に信号を待っていた大人達がザクザクと歩き出す。


その流れに乗って私も足を踏み出そうと思った時に、ソレは来た。



『ねぇ………』


私の後ろから、どこか儚げというか、弱々しい女の子の声がする。


何げなく後ろを振り返ると、私から数メートル離れた所に赤い服を着た女の子が立っていて、私に向って右手を伸ばしていた。


ただその女の子が普通じゃなかった。


青白い肌、笑ってるか哀しいのか分からない口許、そして両目があるはずの場所はただただ真っ黒なあなが二つあいているだけだった。


「ひぃっ!?」


私はそんな明らかにおかしな女の子に驚き、逃げる様に横断歩道を走った。


途中でぶつかった大人が何か言っていたけど、「ごめんなさいごめんなさい」とだけ繰り返してそのまま走った。


そして横断歩道を渡り終わってハァハァと息を乱しながら、ちらりと後ろを確認する。


さっきいた場所にはもぅあの女の子は居なくて、もしかしたら私の気のせいだったのかも…そう自分に言い聞かせる。


そしてまだドキドキが収まらないまま、私は学校へ小走りで向うんだった。





『ねぇ………』


でもソレは残念ながら気のせいじゃなかった。


毎日、とは言わないままも、結構な頻度で現れる様になったんだ。


いつも出てくるのはあの大通りで、それも私が赤信号を待ってる時にだけ現れるというのもなんとなく分かった。


そして信号を待っている私以外の人は、誰もその女の子を振り返らない事から、この子が絶対に普通の人間じゃないというのもなんとなく理解できた。



最初の方こそ怖くて、この信号を渡るのを止めて別の通学路で行こうとも考えた。


だれど、この大通りを渡れる場所は、横にある大きな川を橋で渡った先にしかなく、それもかなり面倒なので、結局ビクビクしながら毎日同じ通学路を通っていた。





『ねぇ………』


何度か経験すると、私はあまり気にしない様になっていた…というか、気にしない様にしていた。


呼ばれても絶対に後ろは振り返らず、通りの向こうの信号に集中しておく。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


そして信号が変わると、早歩きでなるべく早くそこを離れる。


横断歩道を渡り終わって後ろを振り返ると、いつもの様にあの女の子は居なくなっていた。


私は「ふぅ」と胸をなでおろして、またいつもの様に学校へ向かうんだった。





『ねぇ………』


その子は私があの横断歩道で赤信号を待つのなら、雨の日でも関係なくやってくる。


ちらりと後ろに顔を向け、すこし傘をずらしてみると、やっぱりいつもの様に赤い服の女の子が、こちらに手を伸ばしている。


でも相変わらず距離は離れているので、あの伸ばした手で私を掴んだりとかもない。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


信号が青になり、私はパシャパシャと音をたてながら、濡れた道路を小走りで渡る。


そしていつもの様に後ろを振り返ると、やっぱりその女の子は居なくなっているのだった。





『ねぇ………』


そんな事を繰り返していると、色々麻痺してくるのか、その女の子の事もあまり気にならなくなっていく。


もちろん声をかけられるとゾワッとするし、ちらりと振り返って見るその子はひたすら不気味なんだけど、でもそれだけ。


赤信号を待ってる私をあの手で突き押す事もなく、ただ一回だけ声をかけるだけの女の子。


だからといって自分から近付いて行ってあの女の子と話そう…とはならない。


だって、やっぱり怖いから。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


通り向こうの信号が青に変わり、私はいつもの様に横断歩道を渡る。


この頃にはもう普通になっていたし、振り返って追って来ていないのを確認する事も減ってきていた。



そんな訳で、朝に信号を待っていると現れる、不気味な赤い服の女の子は、私の日常の一部へとなっていくのだった。





『ねぇ………』


たまに信号のタイミング的なものなのか、川の向こうに住む友達がこちらの横断歩道までやってくる事がある。


その友達と仲良くしゃべって信号を待っていると、いつもの様にあの女の子の声がする。


私の方を見て身振り手振りも混ぜて一生懸命に話している友達は後ろを全く気にしていない。


やっぱり私だけにしか聞こえないし見えないんだなと、ちょっと残念に思う。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


信号が変わり私と友達はザクザクと歩き出した大人に混ざって、並んで横断歩道を歩く。


渡る途中でふと後ろを見ると、もうあの女の子の姿は居なくなっていた。


本当にあの女の子は一体何なんだろう…私は友達の話に適当に相槌を打ちながら、ぼんやりと考える。





そんなある日の朝、理由は忘れたけどママとちょっと喧嘩をして家を出た日があった。


たしか朝すぐに起きなかったとか、目玉焼きが焦げていたとか、いつもならそんなに気にしなかった程度の事。


でも前日もテストの結果だか、宿題をしなかっただかで文句を言われていた私は、少し気が立っていたんだと思う。


そんな日に限って行きつく信号はことごとく赤で、私のイライラはどんどん積もっていった。


家を出て、川横の歩行者専用道路を歩き、そして片側3車線の大きな通りに出て、そしていつもの横断歩道へと着く。


もちろんここの信号も赤だった。




『ねぇ………』


また今日も後ろからあの女の子の声がする。


本当に何なの、この子は?。


なんで私にだけ話しかけてくるの?。


なんで私だけなの?。


一体何がしたいの?


何で?、何で?なんで?なんで?………。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


イライラが溜まっていた私は後ろを振り返ると、今までの鬱憤を晴らすかのようにその子に向って大声で言う。


「もぅ、毎日毎日毎日毎日毎日毎日、一体なんなのっ!?。いい加減やめてよっ!!」

─────ブォン


私のすぐ後ろを凄い音をあげながら何かが通り抜け、ぶわっと風が起こる。


─────キキーーーーッ ガシャーン


なんか凄い音が橋の方でして、私はそちらを振り返る。


そこにはボンネットがぐしゃっとなった、白い車が橋にぶつかっていて、浮いた後輪がまだカラカラと回っていた。


そして車の突き刺さった橋の周りには、いくつかの花と空き瓶が散らばっていた。




「え?、え?、え?。なに今の?。なんで車があんな事になってるの?」


私は状況が理解できずにしばらくあわあわした後、あの車が信号無視をした挙句あそこにぶつかったんだと理解をする。


自分の周囲を見ると、あの車を慌てて避けたのか、何人もの大人が腰を抜かして歩道に座り込んでいる。



『お別れね………あなたとは仲良くなれそうだったのに………』


目の前からいつも聞き慣れた、でも「ねぇ」以外の初めての声がする。


私が顔を向けると、その子は手を下ろしこちらをじっと見ていた。



『でも、いいわ………新しいお友達が出来たし………』


そして目の前の女の子が徐々に薄れていって、どんどん見えなくなってくる。


「あのっ、もしかして私を助けてくれるためにっ!?」


関係ないのかもしれない、見当違いなのかもしれない、でもその時の私は絶対そうだと確信していた。


そう私に言われた、の女の子は笑っていた。


あの真っ黒なあなの目は良く分からないけど、口元が明らかに上がってたんだから、きっと笑っていたんだと思う。



『ねぇ………………………………またねぇ………』


それだけ言うと、女の子は完全に見えなくなった。


私は良く分からないけど、とにかくそこで大声で泣いたのだけは覚えている。





それからあの横断歩道を赤信号で待ってても、あの子は声をかけてくることはなかった。


私は壊れた橋に添えられた沢山の花の横にちょこんと置いてある空き瓶に、来る途中で見つけた花を差して手を合わせる。


─────ピッポー ピッポー ピッポー


「またねぇ…」


私は立ち上がり、青になった信号を左右確認をしてからゆっくり渡っていくのだった。




───完───

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