第29話 眠ってしまう先輩



「味は……どうかしら……?」

「美味しいですよ! めちゃくちゃ美味しいです!」

「そう……なら良かったわ」


 あくまでいつも通り。だけど俺の言葉に笑みが隠しきれていない志保先輩の表情は見ていてとても微笑ましかった。

 女の子の手作り弁当を食べたのは初めての経験だった。その初めてが志保先輩。それを志保先輩に言ったらもっと喜んでくれるだろうか? まぁ、別に言ったりはしないけど。


「ご飯食べたらどこか行きます?」

「少し歩くのは疲れたから、ここでキミとのんびりしたいわ」

「そうですか」

「何か不満かしら?」

「いや、志保先輩はつまらないのかな〜って」

「つまらなくないわよ」

「でもここ、桜なんて無いし花見って雰囲気でもないですし」

「キミの楽しいはどんなこと?」

「俺の楽しいですか?」

「そう。キミにとっての楽しいよ」

「俺にとってはそりゃ、志保先輩が楽しんで貰えたらいいですかね。映える景色とか美味しいご飯とかで。今みたいに少し物足りない景色じゃなくてもっと雰囲気のある感じで」

「そうなのね。キミはずいぶん私に良くしてくれるのね」

「志保先輩はどうなんですか?」


 俺がそう聞き返すと、私はねと言いながら、志保先輩が箸をソッと置いて話始める。


「私はそんなことは望まない。でも勘違いしないで。そうされて嬉しくないわけじゃないの。でも、私にとっての楽しさはどこに居るかではなく誰と居るかなの。そこにキミがいれば私はどこだって楽しいし幸せなのよ」


 そう語る志保先輩の柔らかい笑みに、また込み上げるものがあった。ドキっとさせられて、また魅せられて惹かれていく。


「志保先輩、言ってて恥ずかしくないですか?」

「恥ずかしくはないわ。恥ずかがる理由がないもの」

「そうですよね〜。初対面でパンツ渡してくるくらいですし」

「どうしたの? パンツ見たくなったのかしら? でもごめんなさい。今は女の子の時だからお預けよ」

「いや、別に見たいとか思ってなかったんですが……」


 要らぬカミングアウトに苦笑いをしていると、志保先輩は寝転がり俺の膝の上に頭を乗せてきた。


「どうしたんですか?」

「別に。こうしたい気分だったのよ」

「そうですか」

「何してるの?」

「え?」

「私がこうしてキミの膝に頭を乗せてるのよ? 優しく撫でるくらいできないのかしら?」

「えぇ!? あ、はい……」


 本当はしたかった。でもしていいのかどうか分からなくて、志保先輩の許可を少しだけ待ってる自分がいた。


 優しく、腫れ物を触るように優しく触れた。滑らかなキューティクル、自然な流れに沿って志保先輩の頭を撫でていく。


「うん、気持ちいいわ」

「それは良かったです」

「しばらく、こうしていて」

「はい、分かりました」


 志保先輩はしばらくすると静かに寝息を立て始める。きっと、このお弁当を作る為に早起きしたからだろう。

 朝が弱い志保先輩だけど、俺の為に頑張って早起きしてくれたと思うと、本当に感謝しかない。


 そんな精一杯の感謝の気持ちを込めて、労いよ気持ちも込めてずっと頭を撫で続けた。








「あの……白瀬さん?」

「なに?」

「呼び出しておいて10分も放置なんてあんまりじゃないですかね?」

「あんたが予定より早く来たんでしょ? 私が約束したのは8時半、あんたが来たのは8時15分。少しくらい待ちなさいよ」

「ひでぇ……」


 今、幼馴染である黒井白瀬の部屋に正座で座っている状態だった。

 約束の時間に前もって到着するのはおかしなことではないはずだけど、目の前の幼馴染はカンカンに怒っているからそっとしておこう。


 それはそうと置いといて、白瀬はなんで俺を呼び出したのだろうか? 恐らくは志保先輩関連の何かだろうけど、今の所志保先輩との半同棲をやめるつもりはないけど、白瀬が俺の親にチクったりしてたらちょっとめんどうなことにはなりそうだけど。


「スーツ着た昨日知らない男の人2人組に声をかけられたの」

「ナンパかよ。命知らずだな」

「違う、人を探してるって」

「へぇ」

「あんたの家の家出娘」

「……え?」

「顔写真見せられたから間違いないよ」


 待って、志保先輩が探されてる? っとなると相手は志保先輩の家族、もしくはお付きの人とかかもしれないけど。


「それで、白瀬はなんて言ったんだよ!?」

「知らないって言った。巻き込まれたくないし」

「そ、そっか……ありがとな」


 白瀬が居場所をバラしてないとなると、見つかるまでもう少しくらい時間はありそうだ。その間に逃げるか? いや、あてなんてどこにもないし現実的じゃない。ならどうする、説得でもするか? でもそれは志保先輩が嫌がるだろうし、最悪志保先輩が自ら……


「どうすんのあんたは。この状況、ハッキリ言ってやばいよ」

「分かってる。けど、このまま元の生活に戻った方がやばいんだよ」

「本格的にケーサツとかに捜索願いとか出されたらあんた捕まるよ?」

「それは……そうだけど」

「大人しく家に帰しなさいよ。なにか問題があるならそれこそ本人がちゃんと話し合うべきでしょ?」


 白瀬の言っていることは正しい、なにも間違っていない。でも、






 白瀬に忠告を受けて冷静でいられるはずがなかった。だからそれを志保先輩に見抜かれて、絶賛尋問中だった。


「キミ、何か隠してるでしょ?」

「だからなんでもないですって……」

「私の目を見て言いなさい」

「み、見てるじゃないですか……」

「ほら、すぐそうやって逸らすんだから」


 志保先輩は溜息を零すが、このまま問い詰めてもなにも言わないだろうと思ったのか、離れてくれた。

 直接言うべきか、隠すべきか。ストレートに伝えたら志保先輩が黙って遠くに消えていきそうだと思った。隠したら隠したで結局不幸を先送りにしているだけで状況は変わらない。


「キミのそんな表情、私は見たくないわ」

「す、すみません……」

「謝ってほしいわけじゃないのよ。まぁ、私にもいろいろあるようにキミにもいろいろあるだろうから、不問にしておくわ」

「ありがとう……ございます」

「はい、この話はおしまいよ。楽しい話をしましょう。そうね、今後のことについて話しましょう!」


 少しばかりテンションを上げて話してくれる志保先輩の心遣いを感じた。一緒にたくさんお出かけしたいと、とりあえず海だったり夏祭り、山は虫が多いから嫌だと。

 また銭湯にも行きたいらしい。旅行にも行って2人で大きなお風呂に入りたいと。


 叶うかも分からない理想を延々と話し続ける志保先輩が羨ましかった。素直に一緒に明るく語れない不甲斐なさ、それでも残酷な現実を伝えられないもどかしさ。こんな時、志保先輩ならどんな言葉をかけるんだろう。逆の立場なら志保先輩はどうするのだろうか。


「願いなんて叶うはずないって思ってたけど、キミと出会って変われたから、きっとこの願いも敵うわね」


 志保先輩のヒマワリみたいな笑顔、その眩しさを直視できない。結局俺は志保先輩を救えない無力な男だった。当然と言えば当然だけど、それでも悔しさが込み上げてくる。


「これからも、よろしくね」


 その言葉に、返事ができなかった。志保先輩はそのことには触れてこなかったけどきっと違和感は感じてしまっているはずだった。


 ごめんなさいと心の中でつぶやいた。どうやら俺は志保先輩にとっての正義のヒーローじゃなくて、ただの道化だったのかもしれない。




 ▼




「志保さんをご存じですね?」

「……はい」

「変に争うつもりはありません。家出中の志保さんを連れ戻すようにと言われているので。分かってくれますよね?」

「…………」


 パン屋の前に止めてある黒い車、そこから出てきたスーツを着た男3人に囲まれ、何もできなかった。

 志保先輩は絶望したかの表情で俯き、賑やかだった部屋はシンと静まり返っていた。


 自分の無力さに、どうしようもなく涙が溢れた。

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