第15話 涙を流す先輩


 俺の部屋での匂いを嗅ぐ嗅がないの論争をしている途中に親が部屋をノックしてご飯ができたことを伝えてくれた。部屋の中に入られたら少しやばかったけど、その声で俺たちは冷静になりしばらくしてから1階にあるリビングへと向かった。


「お腹ペコペコ」

「たくさん食べていいですから」

「うん、キミの分も食べる」

「ほどほどにしてください」

「ケチ」

「人の物横取りしようとしてる人がそれ言いますか!?」

「ううん、嘘よ。でも貰う」

「ほんと志保先輩、あなたって人は……」


 相変わらず志保先輩は志保先輩だけど、実際先輩は深いことなんて考えていなくて、ただ俺とこうして言葉のやり取りを交わしたいだけなんじゃないかって最近思うようになっていた。

 テーブルにはご飯とお味噌汁と野菜炒めと梅肉のソテーが並ぶシンプルな食卓。

 ご馳走ってほど豪華なメニューではなくシンプルにいつも通りの夜ご飯だった。


「すごい……」

「そうですか? 志保先輩の家のご飯に比べたら質素じゃないですかね?」

「いただきます!」


 家族全員でそう挨拶をして、遅れて志保先輩も同じくいただきますと挨拶をした。

 父さんと俺でパクパクと食べ進めていたが、志保先輩は未だ何にも口を付けずにいた。


「志保ちゃんも、遠慮しないでたくさん食べてね!」

「……はい」


 母さんにそう促されて志保先輩が手を伸ばしたのはお味噌汁だった。

 小さく切った豆腐とわかめと油揚げが浮かぶシンプル過ぎるソレが入ったお椀を手に持ちゆっくりと口元に近づけていく。

 一口飲み口を離し、もう一口飲んで口を離し、今度は豆腐を箸で掴んで口元へと運ぶ。

 熱さからか口元を隠すようにしてゆっくりと食べ進めていると思った所で俺の箸は止まってしまった。


「志保先輩……?」

「し、志保ちゃん!?」


 なぜかは知らないが急に志保が泣き出したのだ。声を上げてはいなかったが瞳からは雫が垂れて、鼻をすする音が聞こえていた。

 当然のように俺も母さんも焦り出し、流石の父さんも心配そうに見つめていた。


「あ、熱すぎたのか?」

「志保ちゃん。もしかして豆腐嫌いだった……?」


 味噌汁が熱すぎたのか、それとも嫌いな食べ物が入っていたのか、はたまたこの空気観が耐えられなかったのかは分からない。ただ分かるのは志保先輩が涙を流していたって事実だった。


「違い……ます。違うんです……」

「え?」

「お味噌汁が……温かくて……美味しくて……」

「志保ちゃん?」


 震える声で志保先輩はそう言った。そして、さっきまで泣いているのが嘘かのように優しく包み込む、そして今までにないくらいの満面の笑みを作りこう言った。


「ううん。とってもね、美味しいんです……!」


 理由なんか分からない。真実は志保先輩しか知らないことだけど、きっとまたお金持ちであるが故の苦悩なんだと思う。

 それらがなにか関係しているのではないかと思ったが、今は余計な思考をするのはやめにした。

 普段から明るい食卓だけど、今日はまた違った明るさを見せていてそれは悪くないと感じたから。






 ▼






「ちゃんと志保ちゃん送っていくのよ?」

「分かってるよ」

「志保ちゃんもまたいつでも来ていいからね! 私待ってるから!」

「はい、ぜひ……!」


 俺の家での夕食を食べ終えてから、志保先輩を自宅まで送り届けることにした。自宅って言っても俺の家のパン屋なんだけどね。

 歩きだしてからしばらく経つけど志保先輩と俺との間には会話はなかった。


 寒空に響くのは2人分の足音だけだった。それからまたしばらくの沈黙が続き、先に口を開いたのは志保先輩の方からだった。


「さっきはごめんね。別に悲しかったわけじゃないの」

「そうですか」

「私ね、家族と一緒に食卓を囲んだことがなかったの」


 そこから志保先輩は語ってくれた。

 今まで家族と一緒にご飯を食べたことがなかったこと、広い部屋の中に置かれた大きいテーブルに一人座り、扉近くに1人の執事だけ。酷く冷たく、寂しい光景はどれだけ苦しかったか想像つかない。


 いつも当たり前に過ごしていた。毎日母さんがご飯を作ってくれた家族3人で食卓を囲む、そんな当たり前の温かさを志保先輩は知らない。知らないからこそ触れた初めての温もりに志保先輩は魅了されたのだろう。


「家族って存在がこんなにも温かいなんて知らなかった。またキミは私にハジメテをくれた。ねぇ、私だけズルくないかしら? 私だけこんなに満たされて……いいのかな……?」


 志保先輩はきっと恐いんだ。今までとは比べ物にならない質素だけど満たされた生活に。喜びを知る恐怖、その幸せがいつか摘み取られてしまう恐怖。

 残念なことにこの生活がいつまで続けられるかは俺には分からない。何も保証はできないし守るにも限度がある。でも今は、今だけはそんな事を忘れて、いつもみたいに年上の余裕を見せて笑っていて欲しかった。


「いいんですよ。志保先輩は幸せになるべきですから」

「うん……うん……ありがとう……」


 志保先輩はずっと俺に感謝の言葉を言ってきた。志保先輩らしくないとも思ったけど、きっと止めたって言い続けるだろうから、志保先輩の気の済むまで言わせてあげよう。


 志保先輩は、三島志保という人間はそういう人なのだから。

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